【僕は。シリーズ短編集】僕は〇〇です。

音無威人

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僕はミーハーです。

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「あなたはなぜ父親を殺した?」
 私は知りたかった。男を狂気に駆り立てたものの正体を。
「僕がなぜ父親を殺したのかだって。そんなの簡単なことですよ。単純に嫌いだったからです。逆に聞きたい。人を殺すのに、嫌い以外の理由なんてあるんですか?」
 納得できない。その程度の理由では。私が知りたいのは根本だ。
「母親からは仲は悪くなかったと聞いている」
 そもそも矛盾している。私は男に会う前に、母親から話を聞いた。不仲ではなかったことを知っている。べたべたではなかったが、ギクシャクもしていなかったらしい。
「えぇ、確かに。仲は悪くありませんでしたね。というか別に恨みはないですし」
「恨みはない? ではなぜ殺人なんて」
 ますます分からなくなった。恨みがないなら、殺す理由なんてないはず。どうして殺したんだろう。
「一般的な父親像って嫌われ者ですよね。よく女子中学生が『お父さんのパンツと一緒に洗わないで』って言ってるでしょ。父親って大体嫌われてるんですよ。それにね、家庭内暴力を振るう父親だっているじゃないですか。そういう話を聞くたびに僕はこう思うんです。この世から父親を排除しなければならないと」
 ぞくりとした。言葉の重さに。でも……。
「それは全部他人の話だ。私が聞きたいのはあなた自身のことだ。あなたは暴力を振るわれていたのか?」
「いいえ。でもこの先も振るわないとは限らない。人間とは面白いものでね。一部の人間がしでかしたことでも、さも全部が悪いように感じてしまう生き物なんですよ。やれ最近の若者は、やれ最近の年寄りは、これは全部一部の人間に対する印象だ。にもかかわらず、人間はひっくるめて考えてしまう。悲しいことに僕も人間だ。たとえ一部の父親が悪いのだとしても、すべての父親が悪に見えてしまう」
 その考え方は分からなくはない。私にも経験がある。父に対して疑いを持ったことが何度も。私の場合は疑念ではなく真実だったけれど。
「極端な話、一人の父親が誰かを殺せば、他の父親もすべて殺人犯というわけです」
 極端に走りすぎている。こんなの人が人を殺せば、人類皆殺人犯と言っているようなものだ。
「それは極端な考え方だ」
「ですから極端な話だと言ったでしょう? でもそうですね。もっと分かりやすい例を挙げましょうか。たとえば十粒のゴマがあったとしましょう。その中の一粒にだけ毒が塗ってあります。さてあなたは一粒以外は安全だと、何の恐れもなく口に含むことができますか?」
「それは……」
 無理だ。万が一ということもある。何が毒なんて分からない以上、私はどれも口にすることはできない。
「できませんよね。どれが毒か分からないんですから。僕が言いたいのはね、そういうことなんです。たとえ一部の父親だけが嫌われ者だとしても、そういう存在がいるというだけで、他の人まで怪しく見えてくるものなんですよ。だから僕は父親に対して疑念を抱いた。果たして理想的な父親なのかとね。一部の嫌われ者と本質は同じではないのか。そう疑った時点で、僕はもう父親を信じることができなくなったんです。ねぇ、僕の言っている意味分かりますか?」
 誰が良い父親なのか分からない。男はそう言いたいのだろう。分かりやすい悪人はごくまれだ。大抵の悪人は善人面をしている。だからこそ誰にもバレることなく、悪事に手を染められる。
 自分の父親は善か悪か。そんなの分からない。人の本質なんて誰にも分からない。だけど……。
「……あなたの言うとおり、世の中には決して褒められない父親もいる。でもほとんどの人はまともだ。嫌われ者と悪はイコールではない。思春期や反抗期で父親を嫌っているだけ。嫌われているから悪い、それはただの暴論だ」
 自分が嫌っているから、他の人から嫌われているから、ただそれだけのことで父親を悪だと断ずるのは無理がある。善人でも嫌われている父親はいる。悪人でも好かれている父親はいる。子が父親を嫌うのに、性格の良し悪しはあまり関係がない。理屈じゃないんだ。父に対する嫌悪感は。
「ほとんどの人はまとも……ね。まぁ、確かに全員が全員嫌われているわけでもないでしょうけど。中にはどういうわけか子供から好かれている父親もいたりしますからね」
「好かれている父親がいると分かっているなら、どうして殺しなんて」
「うーん。そうですね。たとえばですけど、インドにはどんなイメージを持っています?」
 聞き間違いだろうか。今、インドと聞こえた気がする。父親を殺すこととまったく関係ないワードだ。この質問にはどういう意図があるんだろう。
「僕はカレーの国というイメージがあります。インドといえばカレー、カレーといえばインドというくらい切っても切れない関係だと思っていますよ」
 私もインドにはカレーのイメージがある。本場のカレーはぜひとも食したいところだ。
「で、それがどう関係あるの?」
「重要なのはイメージです。インド人なのにカレーが食べられないという人がいたらびっくりするでしょう?」
 確かに驚くかもしれない。インドの主食はカレーというイメージがあるから。
「ですが実際問題、インド人の中にカレーが嫌いな人がいたって不思議ではありません。日本人だってみんながみんな米が好きなわけではないですからね。ここで一つ質問ですが、あなたが百人のインド人に出会って、みんなカレーが嫌いだと言ったとしましょう。それでインド人はカレーが好きというイメージは崩れ去りますか?」
 珍しい奴もいるもんだとしか思わない。イメージに当てはまらない人間が多くても、それで全体の印象が上書きされることはない。共通認識は固定されているものだから。
「多分ですが、崩れないでしょう。中にはそういう人もいるだろうと、として認識するのでは?」
 あぁ、男が何を言わんとしているのか分かった気がする。
「全体のイメージが統一されていれば、当てはまらない人間のほうが多くても人は例外だと認識するものなんです。さて父親に対する全体のイメージとは何か。それはもうお分かりですよね。正解はです。好かれる父親はただの例外、特殊な例でしかない。僕にとっては一部にしか過ぎず、全体に対するイメージはなんら変わらない」
 関係ないどころではない。父親殺しに密接に関係している話だ。
「おかしな話ですよね。現実的に考えれば、嫌われている父親より好かれている父親のほうが多いでしょう。にもかかわらず、父親に付随するイメージは嫌われ者だ。一部のイメージが全体を塗り替えている。ゆえに本来多数派であるはずの好かれている父親が、一部の例外だと思われてしまう」
「そこまで理解していながらなぜ」
「簡単な話です。頭では分かっていても感情が追いつかない。心が叫ぶんですよ。嫌え嫌えと。僕はイメージに囚われてしまったんです。僕の父親が実際にどういう人間なのかは関係ない。イメージに引っ張られて、僕は父親の本質を見失ってしまったんです。善なのか悪なのかすら分からない。ただ父親は嫌われ者というイメージだけが僕の中に残った。残ってしまった。僕はね、ふわっとしたイメージだけで父親を殺したんですよ」




「昔はそうじゃなかったんですがね。当然ですよね。幼いころは、家の中だけがすべてだった。世界は内にしかなく、外にはなかった。歯車が狂い始めたのは小学校に通い始めてからでしょうね。外部の人間との接触こそ、僕が父親に対して悪イメージを持つことになった最大の要因です。クラスメイトの中に父親を嫌っている人間が何人かいた。その人たちから、なぜ嫌っているかのエピソードを聞いた。そういう悪い父親がいることを知った。父親を嫌うという概念を植えつけられた。知るっていうのは恐ろしいですよね。もっとも彼らと接触していなくても結末は変わらなかったでしょう。今はネット社会ですからね。悪い情報はたくさん手に入る。小学校なんて狭いコミュニティよりもずっと怖い場所だ」
 私もそうだった。ある話を知った。その日から父に対する疑念が膨らんだ。疑念は真実だった。
 知らなければ、私は父を好きでいられたのだろうか。
「僕がいたクラスではね。父親を嫌いな子供のほうが多数派だったんです。あのクラスにおいて、父親を好いていることは異端でしかなかった。学校で異端な子供はどういう扱いをされるか分かりますか。いじめに遭うんですよ。僕は運良く被害者にはならずに済んだのですが。面白いことに、いじめの被害者はみんな父親と仲の良い子ばかりだったんです。僕はいじめられたくはありませんでしたからね。多数派の意見に乗りましたよ。いわゆる長いものには巻かれろってやつですね。これまた笑えることに、周囲に合わせて父親を嫌いだと言っているとね、本当にそう思えてくるんですよ。みんなに合わせているのではなく、心の底から思っていることではないか、そう錯覚してしまうんです」
 父だっただろうか。学校は刑務所と同じだと言ったのは。規則正しい生活を強いられる生徒は囚人。立場を嵩に生徒を縛る先生は看守。学校は檻。
 窮屈で狭苦しい世界に閉じ込められた子供たち。彼らが学ぶのは勉学ではない。立場が弱い者は強い者に逆らえないという現実。
 囚人せいと看守せんせいに逆らえない。ではどうする? 答えは簡単だ。立場が同じ者に鬱憤をぶつければいい。
 いじめっ子は先生に立ち向かえない現実にイラつき、同じ立場にいる生徒に鬱憤をぶつけたのだ。愚かなことだ。自らの弱さを認められず、いじめっ子に成り果てるのだから。
 だがそんな臆病者でもいじめられっこにとっては脅威だったのだろう。否、子供たちにとっては。
 男は子供時代恐怖を抱いた。ターゲットにされることを恐れた。心の弱さゆえに、父親を嫌わざるを得なくなったのだろう。
「でもそれは子供のときの話だ。今は環境や状況も違う。父親を嫌いである必要はないはずだ」
 いじめられたくないから多数派の意見に従った。ならばコミュニティを脱した今、父親を嫌いであり続ける必要性はない。
「えぇ、その通りです。でも僕は戻れなかったんです。上書きされた感情を元に戻せなかった。ゲームと一緒ですよ。一度セーブしてしまえば、前のデータに戻すことはできませんからね」
 戻りたくても戻れなかったのか。無垢な自分には。何も知らなかった自分には。もう戻ることができなかった。
 変化は恐ろしい。周囲の子供たちに思想を変えられた男は、どれほどの恐怖を抱いたのだろう。自分が自分じゃなくなる恐怖。その恐怖心もまた父親への憎悪に変わったのかもしれない。
「要はね、みんなが嫌いなら、僕も嫌いになろうってことです。ミーハーなんですよ、僕は。周りに流されて生きてきましたからね。自分の意思ってものが希薄なんですよ。今まで僕は自己主張なんてしたことはなかった。周囲の言うことにただ頷いていただけだった。そんな僕が人を殺した。父親を殺した。これがどういう意味を持っているのか分かりますか?」
 自己の希薄な男が父親を殺した意味。その意味は一つしかない。
「初めて自分の意思で動いた」
「いいえ、違います」
 違った。ちょっと恥ずかしい。
「言ったでしょう。僕はミーハーな人間だって」
 男は不敵な笑みを浮かべている。挑戦的な表情だ。背筋が泡立つくらい、ぞくりとした。
「今時、父親を殺す子供なんてそう珍しくもないでしょ? だから僕は先人に習って、父親を殺したんです。ただそれだけの話なんですよ。この事件は」
 あぁ、そういうことだったのか。今のご時世、父親殺しなんてよくある話。だから男は父親を手にかけた。
 男の生きるすべは周囲に適応すること。今の社会に適応しようとした結果、男は殺人なんていう手段に打って出たのだ。
 恐ろしい話だ。父親殺しをミーハーな出来事として捉えるなんて。それを当たり前と思っている男も、ごくごく自然に受け入れている私も、一般的に見ればまともではない。
 でも仕方がない。男が父親を殺したように。私にもやらなければいけないことがある。そのために男に会いに来たのだから。
「僕がなぜ父親を殺したのか、納得できましたか?」
「えぇ」
「で、どうします? 僕を殺しますか?」
 男はやはり不敵に笑っている。思ったとおり、私の目的を知っている。知ったうえで、父親を殺した理由を話してくれた。
 私は生まれて初めて男に対する感謝の念を抱いた。最初で最後の感情だ。
「私はあなたを殺すと今決めた」
 納屋を掃除していたとき、父の日記を偶然発見した。そこに書かれていたのは、生々しい殺人の告白だった。
 父が祖父を殺した。事実かどうかも分からない情報に踊らされ、次第に父に対する不信感が募った。母を置いて出て行ったこともまた、父が嫌いな理由だった。
 私は知りたかった。父は本当に祖父を殺したのか。父を――殺しても良いのかどうか。父を殺したいと思う感情は間違っているのではないか。父と会って全部確かめたかった。
 今なら分かる。なぜ父が母を、私を置いて出て行ったのか、父は怖かったんだ。父親として生きるのが。かつて嫌った父親になるのが。恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。
 男は言っていたではないか。この先も振るわないとは限らない、と。それがすべてだ。
 「さようなら――父さん」
 父は笑って逝った。男の告白は父親を殺した理由であり、迷っていた私への後押しであり、自身が殺される動機付けでもあった。




「なぜ自分の父親を殺したんだ?」
「娘として父の願いを叶えたかった」
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