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第5章 35歳にして、愛について知る

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全く不愉快な男だ。
晴仁は胸中で苦々しい思いを吐き捨てた。
こんなにも不愉快な気持ちにさせられたのは、もしかすると人生で初めてかもしれない。
晴仁は腹の中は黒いが、しかし基本穏やかな性格であり滅多に苛立つこともない。
それは他者が取るに足らない存在であるという見下しの裏返しでもある。
つまり桜季に対して少なからず脅威を感じているのだ。
だからこそ、こんなに不愉快な感情で心を揺さぶられるのが屈辱的なのだ。

「あの、すみません」

声を掛けられ、晴仁は振り向いた。
そこには桐箱を抱えた金髪の青年がいた。
その青年が、前に幸助が家に連れてきた蓮だと気づくのに少し時間がかかった。
それは髪型が少し違うからというような外見の理由ではなく、彼の纏う雰囲気にあった。

「ああ、この間の。その後は体調はどうかな?」
「ええ、まぁ、悪くないです……」

視線を合わさず、ぼそぼそと答える。
不機嫌、というよりも、この場に居心地の悪さを感じているような落ち着きなさが彼の口元に漂っていた。
前に会った時は、傲慢と思えるほどの自信が溢れ出ていたのに、今日はそれが少しも感じられなかった。

「君も幸助のお見舞いに来てくれたの?」
「……まぁ、そうです」

発する言葉までにも、彼が感じている居心地の悪さが滲んでいるようなしゃべり方だった。

「わざわざありがとう。だけどすまないね。今は面会謝絶なんだ」

ドアの札を指差しながら伝えると、うつむき気味だった蓮が弾けるように顔を上げた。
見開いた目で札の字を凝視する。
文字の意味を理解するのに十分すぎるくらいの間を置いて、彼は口を開いた。

「……あいつ、そんなに悪いんですか?」

瞳が不安げに揺れた。

「いや、体の方は大丈夫なんだけど、精神面がね……」

殊更神妙な表情を顔に張り付け答えると、動揺が手に取るようにわかるほど蓮の表情がこわばった。

「やっぱりあいつ傷ついてたんだな……」

そういう彼の方こそ痛ましいほど傷ついていた。
その自責の痛みが滲んだ声に、そういえばこの男の客に刺されたんだったな、と晴仁は思い出した。
晴仁は労るように蓮の肩に手を置いた。

「大丈夫だよ。一時的なものらしいから」

晴仁の慰めに、蓮は俯いた。
何かに堪えるようにその肩は震えていた。

「……あの」

唐突に蓮は持っていた桐箱を晴仁の前に突き出した。

「これ、見舞い品です。あいつに渡しておいてください。……あと伝言をお願いします」

真っ直ぐ蓮が晴仁を見据えた。

「他に欲しいものあれば何でも言え。辛いなら好きなだけ休め。……でも、絶対戻って来い」

それだけ言うと、蓮は押しつけるようにして桐箱を晴仁に渡して、その場を立ち去った。
蓮の足音を聞きながら、晴仁はしばらく腕の中に残された桐箱を見詰めた。
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