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第5章 35歳にして、愛について知る

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休日の前夜は何となく心が弾む。
例え予定がなくてもだ。
片づけ今夜の準備も終え更衣室へ向かう足取りが、自然軽やかなものになるのも仕方がない。
今日は晴仁が出張から帰って来る日だ。
お昼過ぎくらいに帰って来る予定だから、一度帰って寝てから午前中に材料の買い物に出て、それからご飯を作ろう。
何がいいだろう、出張で外食続きだろうから優しい味付けのものがいいかもしれない。
それなら冷蔵庫に残っていたキャベツも使って……――。
そこまで考えて、まるで主婦のようだと自分の思考回路に苦笑しながら更衣室のドアを開けた。
するとソファに横たわる人影が目に入った。
その人物の顔を見て思わず僕は声を上げた。

「大丈夫ですか! 蓮さん!」

僕は慌ててソファに駆け寄って、蓮さんの顔を覗きこんだ。
蓮さんの顔は赤く、眉間には苦しげな皺が寄せられていた。
僕の声に蓮さんは億劫そうに目を開けた。
そして目が合った途端、眉間の皺がさらに深まった。

「またお前かよ……っ。いつも俺の眠りの邪魔しやがって……」

心底鬱陶しそうに吐き捨てたけれど、その声に覇気はなく、呼吸すら重労働とでもいうような苦しげな息遣いに掻き消えてしまいそうなほどだった。
僕は嫌がられるのを承知で額に手を当てた。
掌に広がる体温の高さに僕は思わず声を上げた。

「すごい熱じゃないですか!」
「触んなっ」

蓮さんに手を払いのけられたがそれでも僕は食い下がった。

「こんなところで寝ていたらもっと悪くなりますよ」
「うるせぇっ」

蓮さんは寝返って僕に背中を向けた。
僕は挫けそうになりつつも、その背中に問い掛けた。

「……家にはまだ、その、麻奈美さんがいるんですか?」

僕の問い掛けに蓮さんは黙ったままだった。

「……誰かお友達の家に泊めてもらったりとかはできないんですか?」

返って来るのはやっぱり同じ沈黙だった。
どうしよう……。
僕は迷った。
これ以上もう何も言わない方がいいのだろうか。
蓮さんにとって体調が悪い上に嫌いな僕が傍にいることは不快以外の何ものでもないだろう。
けれどこんなに高熱を出しているのに放って帰るのは気が咎められた。
例え蓮さんが僕の手助けなど求めてなくても。
桜季さんは今日は用事で先に帰ってしまったし、クラブに残っているのは僕一人で誰にも相談できる状況じゃない。
テツ君の顔が思い浮かんだけれど、旧知の仲とはいえ雇い主である彼に、こんな真夜中に連絡するのは憚られた。
どうしようかと考えあぐねていたが、ふと簡単な解決方法が頭の中に舞い降りた。

「そうだ! 僕の家に来ませんか?」

どこにも行くあてがないなら僕の家に来てもらえばいいのだ。
幸いにも今日は晴仁はいない。
それなら蓮さんも遠慮しないですむだろう。
名案のつもりで言ったのだけれど、返ってきた返事は「はぁ?」と訝しみ満載の声だった。

「何言ってんだよっ。絶対嫌だ」

蓮さんは極限まで顔を顰めてこちらを振り返った。

「余計なお世話だ。それにテメェに貸しなんか絶対作りたく……ゴホッ、ゴホ……」

凄みのある声は咳に呑まれてたちまち消えてしまった。
どんなに凄んでみせてもやっぱり彼は病人なのだ。
僕は立ち上がった。
そして自分のロッカーから携帯電話を取り出した。

「あ、もしもし、あのタクシーをお願いしたいんですけど。……はい、えっと場所はパラディゾというホストクラブで……」

電話を終えるとすぐに鞄を持って蓮さんの前で屈んだ。

「今、タクシー呼んだのですぐ来るそうです。それに乗って僕の家に行きましょう」
「はぁ? ふざけんなっ! 勝手なことしてんじゃねぇよ!」

苛立ちを露わにした蓮さんが、僕の胸倉を掴んだ。
熱で少し赤くなった目が殺意にも近い鋭さで睨みつけてくる。
それでも僕は怯まずに、蓮さんの目に視線を据えたまま、彼の手を掴んだ。

「勝手ですみません。でも蓮さん言ってたじゃないですか、自分には待っているお客さんがいるって。それならしっかり寝て早く治さないと。嫌いな僕に頼ってでもです。僕になんか頼りたくないなんて甘えちゃだめです」

蓮さんのホストとしてのプライドに言い聞かせるようにして言うと、蓮さんは目を見開いた。
しかしそれは一瞬のことで、蓮さんは舌打ちをして僕から目を逸らした。
そして僕の胸倉を放すと「……これは貸しなんかじゃないからな。テメェが勝手にやったことだ」と吐き捨てるように言って寝がえりを打った。
了承らしき言葉を得て、僕はほっと胸を撫で下ろした。
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