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第5章 35歳にして、愛について知る
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「お疲れさま~」
「あ、桜季さん、お疲れ様です」
お客様用のトイレ洗面台を掃除していると、後ろから桜季さんに声を掛けられ、僕はマスクをずらしながら振り向いた。
桜季さんは上機嫌なようでいつもに増して笑みを深くして、トイレの入り口に立っていた。
「どうしたんですか? 珍しいですね、こんなところまで来るなんて」
桜季さんは厨房の主の如く、ほぼ厨房に引きこもっているので、開店前とはいえ、お客様用のトイレまで足を運んできたことに少し驚く。
「ん~、ちょっとねぇ、朗報があってぇ」
なぜか後ろ手でトイレの鍵を閉め、僕の方へ近寄ってきた。
そして内緒話をするように口を僕の耳元へ寄せて囁いた。
「実はねぇ、今日、右京が風邪で休みだってぇ」
「え!」
僕は目を丸くした。
でも確かに最近冷え込んできたし、ホストの体内時計に逆らった勤務時間は体を弱らせるだろうし、体調を崩すのも納得だ。
「大丈夫かな、右京君。帰りにお見舞いに行った方がいいのかな」
「大丈夫、大丈夫~。右京はおばぁちゃんと住んでいるからぁ」
「ああ、なら安心ですね」
ホストの人たちは寮か一人暮らしの人がほとんどなので心配だったが、おばあちゃんがいるなら安心だ。
ひと安心したところで、ん? と首を傾げた。
「桜季さん、ところでこれのどこが朗報なんですか?」
「え~、決まってるじゃん、これで邪魔者はいなくなったってことぉ」
そう言うと、桜季さんはポケットからライターの形に似たプラスチックの物を取り出した。
何かは分からなかったが、それに付いている鋭利な針と、口端をにやりと吊り上げる桜季さんに嫌な予感しかしない。
「え、えっと、その手に持っている物は何ですか?」
「決まってるじゃぁん、ピアッサーだよぉ」
「ピ、ピアッサー!?」
僕は目を見開いて桜季さんの手にあるそれを見詰めた。
鋭い針の先端にごくりと唾を飲み込む。
「ピ、ピアッサーって今から桜季さんの耳にピアスあけるんですか?」
鋭い針の先端がどうか僕を標的にしていないことを祈りながら訊いてみたが、「あははまさかぁ!」と笑い飛ばされてしまった。
「もちろん青りんごの耳に決まってるじゃぁん」
ひぃぃぃ! やっぱり!
ピアッサーをカチカチと鳴らす桜季さんに、全身が粟立った。
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