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第3章 35歳にして、感動の再会

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「え?」
「いや、ずっとここに住まわせてもらうのは申し訳ないなと思って。そしたら、テツ君が会社の寮があるからよかったらどうぞって言ってくれたから、そこに住もうかな、と思って」

あの日、テツ君が気を遣って寮の話を提案してくれたのだ。
アパートを借りるより経済的だし、全く不慣れの業界に身を投じるのだ、生活の場からも何か学べるかもしれないと思った僕は、その提案にのらせてもらうことにした。
晴仁のことだから、僕がこの家を出ると言えばきっと、儀礼的なものでなく、本当の優しさから引き留めてくれるだろう。
しかし、親友とはいえ、彼にも生活がある。人生がある。
彼の優しさに甘えて、いつまでも居座るわけにはいかない。
だから、彼が引き留める場合は、ちゃんと断らなければ、と固く決心していたのだが、晴仁は膝に視線を落として何も言わない。
沈黙が次第に重くなっていく。
どうしたのだろう、と心配になって顔をのぞき込もうとした時、

「僕といるのってやっぱり息苦しいかな」

ぽつり、と彼の口から弱々しい言葉がこぼれた。
気づくと、彼の膝の上に涙の染みがひとつできていた。
僕はそれらに驚いて言葉を返せずにいると、晴仁が顔を上げた。
頬には涙が伝っていた。

「僕といるのって息苦しい?」
「まさか! そんなことないよ! むしろすごく安心して落ち着くよ」

一体どのくらい彼の穏やかな笑顔に救われてきただろうか。
数え切れないほどだ。
履歴書などの書類をなくしたり、面接を受けずして落とされたり、散々な就職活動っぷりを目にしながら、気長に応援してくれた彼にはお礼の言いようがない。
この生活に、感謝の気持ちはあれど、息苦しいなどという言葉がなぜ出てこようか。
僕の疑問に答えるように、晴仁が話し始めた。

「前、同棲していた彼女が、出て行く時に言ったんだ。あなたと生活すると息苦しいって」

僕は自分の耳を疑った。
この温厚の極みである晴仁といて息苦しいだって?
そんな女性は、物言わぬ植物でも一緒に暮らすことさえ難しいのではないだろうか。

「だから、こーすけもきっと俺との息苦しくなったんじゃないかと思って」
「そんなことないよ! むしろ、晴仁がいてくれてすごく安心した。就職先が決まらなくて何度も落ち込んだけど、晴仁がいてくれたから、がんばろうって思えたんだよ!」

辛い時、人はやっぱりひとりじゃだめだと痛感したものだ。
誰かが側にいてくれると、不思議と明るい気持ち湧き上がってくる。
どんなに落ち込んでも、それを支えにもう一度立ち上がれた。

「本当に? 僕といて嫌じゃない?」

不安げな視線を送って聞き返す晴仁に力強く頷いた。

「当たり前だよ。全然嫌じゃない。一緒にいてすごく楽しい」
「本当?」
「うん、本当だよ」
「じゃあ一緒にこれからも住んでくれる?」
「うん、もちろん!」

あ、と思った時にはもう遅かった。
すっかり不安を散らした笑顔で晴仁が勢いよく抱きついてきた。

「よかった! こーすけに嫌われてなかったって分かってすごく安心した」

安堵のため息を吐きながら、背中にぎゅっと手を回す晴仁。
この流れで「いや、でも迷惑になるし、僕も自立しないといけないから」と言える雰囲気ではなかった。

でも、ま、いいか。
本当は僕もこの生活を終わらせるのは寂しかったのだ。
だから、もう少しだけ、せめて僕がアパートを借りて暮らせるくらいお金が貯まるまでは、お言葉に甘えさせてもらおう。

「ずっと、ずっとここにいてね」

晴仁が囁くようにして言った。
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