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 今の状況は人生におけるちょっとしたハプニングみたいなもので、すぐにまたいつもの日常がやってくるのだと、言葉の軽やかさや声の柔らかさでもって、イアンに言い聞かせる。
 その言外の優しさに、イアンはまた涙腺が緩んだ。

「……ありがとう、リチャード。ディアナとの挙式は、君に特等席を準備するよ」

 涙を悟られないよう冗談めかして言うと「ああ、楽しみだ」とリチャードは笑って答えた。


 この時のイアンは、きっとすぐに自分の潔白は証明されいつもの日常に戻れるに違いないと、信じて疑わなかった。
 もちろん絶望に呑まれないように自分に言い聞かせている部分もあったが、リチャードの腕の中で深い親愛に包まれていると、不思議と明るい未来が力強く感じられるのだった。


 ****

 あの夜から二週間が経った。
 イアンは未だ小屋に身を隠す生活を続けていた。
 不安がないといえば嘘になるが、未来を悲観してばかりの生活ではなかった。
 それはリチャードの存在によるものが大きかった。



「イアン、起きてる?」

 夜も更けてきた頃、扉を控えめにノックしながら、。
 ベッドに腰掛け、ランタンの灯りを頼りに本を読んでいたイアンは弾むように立ち上がった。

「起きているよ」

 答えながら、リチャードを出迎えに扉まで駆けて行く。
 扉が開き目が合うと、リチャードは柔らかに微笑んだ。

「すまない、来るのが遅くなって」
「気にしないで。むしろこんな時間になっても来てくれてありがとう。でも無理して来ることはないからね」

 中に迎え入れながら気遣って言うイアンに、リチャードは首を緩く横に振った。

「無理なんかしていないよ。それに、せっかく牢から無事連れ出せたのに、ここで君を餓死させるわけにはいかないからね」
「餓死って、そんな大げさな。大丈夫だよ。君がこの間持ってきてくれた干し肉やピクルスもあるし、一週間は持つよ」

 イアンは部屋の隅にある保存食の入った箱を視線で指し示しながら言った。
 リチャードはほとんど毎日、イアンのもとを訪れているが、たまに来られないこともある。
 休学までしてイアンの潔白を証明するため日々奔走してくれているのだ。来られない日があるのも当然だ。
 だから、無理をして来る必要はないと再度言おうとしたところで、リチャードがくすりと笑った。

「それにしては扉に駆け寄ってくる足音が随分嬉しそうだったけど。だからてっきり、僕の持って来る食べ物が楽しみでたまらないのだと思っていたよ」

 からかうように言われ、イアンは顔を赤らめた。
 リチャードの来訪を喜ぶ心が足音にまで滲み出ているとは思ってもおらず、自分の子どもっぽさを指摘されたようで恥ずかしくなる。
 確かに、イアンが持ってきてくれる果物や野菜など、干し肉などの保存食にはない新鮮さを楽しみにしているのは事実だ。
 だが、彼を迎える足音が弾むのは、それだけが理由じゃない。

「……た、確かに、リチャードが持ってくる食べ物も楽しみだけど、こうして人と会わない生活をしていると、君が来てくれること自体がすごく嬉しくて、安心するんだ。だから、無理はしてほしくないけど、来てくれると、すごく、嬉しい」

 恥ずかしさから言葉がたどたどしくなってしまい、それを誤魔化すようにはにかんだ。
 そんなイアンにリチャードは最初、目を見開いたが、すぐに照れくさそうに微笑んだ。

「よかった。とりあえず食べ物には勝てたようで嬉しいよ。それじゃあこれはもういらない?」
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