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第一章「笑顔の絶えない君との出会い」

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 もし、あの時に戻れたら。

 それをこれほどにまで思う事は今までになかった。
 あの時に戻りたい。あの時に戻りたい。

 薄暗い自身の部屋で、何度も何度も心の中で唱える。
 いや、もしかしたら声に出てしまっていたかもしれない。
 でも、そんな事どうでもいい。どうせ誰にも聞こえない。
 心の中で言っているのと何も変わらない。
 
 何度唱えたかなんて分からない。
 
 俺は一冊のノートに顔をうずめる。
 大事な、大事な。この世で一冊しかない、もう二度と作ることのできないノートに。

「ごめん。ごめん。――君との約束を破ってしまった」

 俺は、彼女との約束を破った。一度じゃない。何度も、何度も破った。
 彼女はきっと俺に怒ってるだろう。
 けど、これは――

「でも――――守れないよ」











「ねぇ! 君はどうしてここに居るの?」

 高校二年の春。
 お昼休みに屋上に設置された三人くらいが座れるベンチに腰を掛け、持ってきた弁当を開けようとすると、一人の少女が声をかけてきた。

 彼女は俺に興味津々な表情をしている。どうしてここに居るの、か。
 残念な事に俺には昼食を一緒に食べる友達なんて居ない。教室で一人で食べれば良いと思われるかもしれないが、静かに過ごしたい俺にとっては教室より断然に屋上の方が良い。
 屋上で昼食を取る生徒は何故だか俺一人。
 屋上が使える珍しい学校なのだから、屋上で昼食を取る人も多いだろうと最初は思っていたが、何故だか俺一人なのだ。

「見ての通り、昼食を取るところなんだけど。君は?」
「奇遇だね! 私も昼食を食べに来たんだよ!」

 そう言って彼女は持ってきた弁当を笑顔で俺に見せてきた。
 屋上に来た時から彼女は笑顔を絶やしていない。
 何がここまで面白いのか、不思議に思う。

「一緒に食べても良い?」
 
 彼女は俺の返事を聞くよりも先に隣の腰を下ろした。
 ふと、彼女の足元に目がいった。
 青色のスリッパを履いている。

「一年生?」

 この学校ではスリッパの色で学年の判別ができる。
 青色は一年生、緑色は二年生、赤色は三年生。
 
「うん! ぴちぴちの高校一年生!」
「俺二年生なんだけど」

 俺の言葉に彼女は不思議そうな表情を浮かべた。

「そうだね、緑色のスリッパを履いているから二年生だね!」
「初対面で先輩にため口で凄いな」

 別にため口を使われるのが嫌なわけではない。
 むしろ敬語を使われるのはあまり好きではない方だ。
 でも、殆どの生徒は歳上には敬語で話しかける。小学生の頃から仲が良くて小学生の頃は敬語なんて一切使わず話をしていた仲でも、中学にあがると敬語で話すようになる。
 そう思っているからこそ、彼女が不思議だった。
 初対面の年上にも敬語を使わず、まるで仲の良い友達の様に話しかけてくる彼女に、少しだけ興味を持った。

「敬語は苦手なの」
「そうか」

 彼女もまた、俺と同じで敬語が苦手らしい。

「ねぇ! 一緒に食べて良い?」
「お好きにどうぞ」

 ここで昼食を食べるのに、俺の許可なんて必要ない。
 彼女がここで食べたいと言うのなら、それを止める権利なんてない。
 彼女は「やった!」と言って、自身のお弁当を広げた。
 俺も彼女に続いて弁当を広げる。

「それ君の手作り?」

 俺の弁当を見て、彼女が目を輝かせた。
 
「そうだけど」
「凄いね! すごく美味しそう!」
 
 自身の作った弁当を誰かに美味しそうと言われたのはこれが初めてだ。
 なんだか嬉しいな。

「俺の家はシングルファーザーなんだ。離婚とかそういうわけじゃなくて、俺が小学一年生の頃に母親が病気で亡くなったんだ。心臓の病気でね、当時の俺は知らなかったんだけど、余命宣告もされていて。家に母さんが居ない日も多くて、今思えば病院で治療をしていたんだろうね。俺は父さんになんで母さん居ないの? なんて聞いて、その時の父さんは多分泣きたいほど辛くて、辛くて仕方ないはずなのに、俺の前ではいつも笑顔で、お母さんは今友達と旅行に行ってるんだ、たまには息抜きも必要だろ? とか言って」
 
 今まであまり話してこなかったことなのに、何故だか初対面であるはずの彼女に、俺は言葉を止めることなく語り続けた。

「母さんが亡くなった後は、俺も家の事を手伝うようになって、今では父さんの帰りが遅いから料理は全部俺が担当してるんだ。だから料理には少しだけ自信があるんだ」

 何故だか隣に座る彼女には、話してしまった。
 
「…………じゃあ、私と一緒だね」

 少し沈黙した後、彼女はそう口にした。
 その声色はさっきまでの声色とは異なり、声のトーンは明らかに下がっている。
 
「君もシングルファーザーなの?」

 すると彼女は首を横に振って否定した。

「じゃあシングルマザー?」

 彼女も彼女で、親を亡くしてしまった辛い思いを持っているのか。
 声色が変わったのは俺に対しての配慮だったのか、それとも彼女自身の親を亡くした時の事を思い出してしまったのか。それとも両方か。
 それは分からないが、もし後者だとしたら少し申し訳ない事をしてしまったな。

「それも違うよ」

 どうやら俺の思っていたことはすべて外れていたらしい。

「じゃあ君も手作りのお弁当を作ってきたって事?」

 彼女が大事そうに持っている弁当も、すごく美味しそうだ。
 色合いも良く、バランスの良い食事というのが第一印象だ。
 俺は野菜少なめの弁当だが、彼女は彩り優先って感じだ。

「それも違うよ」

 すると彼女は一度だけ空を見上げた。
 今日は雲一つない晴天。
 俺も彼女と同じように空を見上げた。
 綺麗な空色が一面に広がっている。
 今まで屋上で昼食をとっていたが、こうして真上を見上げた事など一度も無かった。
 こうして静かに空を見上げるのも、たまには良いな。

「じゃあ、何が一緒なんだよ」

 俺は空から視線を彼女に移し、問いかけた。
 けれど、彼女は俺の問に答えることなく、ただただ空を見上げていた。
 まるでマネキンかのように、彼女は動くことなく見つめていた。

 やがて彼女はゆっくりと目を閉じ、前を向いた。

「問題です! 何が一緒なのでしょうか!」
「分からないから聞いたんだけど」
「少しは考えてよ~」
「考えてたじゃねぇか」

 すると彼女は笑みを浮かべた。
 初めて話しかけてきた瞬間と同じような表情だ。
 俺は思った。笑っている彼女は、一番美しいのだと。
 今、ふと思った。
 笑顔は自分を可愛く見せる一番の方法なんじゃないかと。
 もちろん彼女は可愛く見てもらうために笑っているわけではないと思うけど。

「むぅ、じゃあしょうがないから教えてあげる」

 そう言って彼女は俺の瞳を真っすぐに見つめた。
さっきまでの笑顔は真剣な表情へと変わった。
 まるで今から告白するかのように、真剣に。
 
「私も、君の母親と同じって事」

 俺は彼女の口にした言葉を理解するのに時間がかかった。
 本当に意味が分からなかったから。
 彼女の目は嘘を吐いているようには見えない。
 でも、だからって彼女が俺の母親と同じって……。
 
 彼女の言いたいことって――

『私も君の母親と同じで病気なの』

 って事になる……。

「あはは、驚いた?」

 彼女の笑いは明らかに作り笑いだった。
 無理をして笑っている。それは彼女とほんの少ししか一緒に過ごしていない俺でも分かる。
 
「驚いたって……ほ、本当に――」
「うん。私も君の母親と同じように心臓の病気でね、本当は病院に居なくちゃいけないんだけど、病院は私のお願いを聞いてくれたの」

 彼女は目を瞑りながら、優しい声色で俺にそう告げた。
 こんなにも元気そうで、笑顔が絶えない彼女が病気?
 にわかには信じられない。
 でも、彼女が嘘を吐いているとも思えなかった。

「私は君みたいに普通に学校に通っていたいってお願いしたら、病院はそれを許可してくれたの」

 俺みたいに、普通に学校に通う。
 目の前に居る彼女はそれを願うほど重い病気なのか?

「私、もう長くないらしいから。だから、病院の人も両親も私の好きにさせてあげたかったんだと思う。私だって病院で寝ているより学校とかで楽しい事したいもん。後悔はしたくないから」

 彼女は、俺よりも一つ年下の、まだ16歳の彼女には残酷すぎる運命を俺に告げる。
 もう長くない。
 その言葉だけ少しだけ、少しだけ声が震えていたような感じがした。
 だから、俺からは先の事は聞かない。聞いてはいけない。
 彼女から笑顔を奪うようなことはしてはいけないと思ったから。
 
「ごめんね、急にこんなこと言われても困るよね。あはは。ねぇ、君って楽しい?」
「え?」
「だから、君って人生楽しんでる?」

 彼女は前のめりになり、俺の顔を覗くようにしてそう聞いてきた。
 人生を楽しんでいる……か。
 
「なんか君、凄く人生つまらなさそうにしていたから」

 失礼な奴だな……なんて言いたいが、彼女の言葉に俺は否定できない。
 俺は毎日、いつも通りの生活をして、なんら変化のない面白みのない生活を送っている。

「これは図星だね! 君は人生を楽しんでいない! そんなの勿体ないよ!」

 そう言って彼女は立ち上がり、俺の前にやってきた。

「ねぇ! 今日から私に付いてこない? 明日からのゴールデンウィーク、私は一日たりとも無駄にすることなく遊びに出掛けるの! 絶対に退屈はしないと思うよ。今までで一番楽しくて、思い出に残るゴールデンウィークにしない?」

 彼女は俺に右手を差し出し、満面の笑みで笑った。
 その表情は、残酷な運命を背負っているとは思えないほど輝いていた。
  
 俺は、気づいたら彼女の手を握っていた。

「決まり! ねぇ、連絡先交換しよう!」

 次に彼女はスマホを取り出した。

「分かった」

 俺もスマホを取り出し、彼女に渡した。
 
「じゃあ追加しちゃうね!」
 
 彼女は慣れた動作で俺の連絡先を登録して、俺にスマホを返した。
 何故、俺は目の前に居る名前も知らない、出会ったばかりの彼女と連絡先を交換して、あの時手を握ったのか。
 不思議と彼女には人を惹きつける力でもあるのだろうか。

祐奈ゆな……」

 返されたスマホには彼女の名前であろう祐奈と書かれた連絡先が登録された。

「あ、私の名前まだ言ってなかったね! 私は祐奈、石橋祐奈いしばし ゆな! 君の名前は?」
「俺は氷室透夜ひむろ とうや

 これが俺の人生で、そして彼女の人生で間違いなく最も輝いた、名前の通りのゴールデンウィークの始まりだった。
 
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