月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

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第二章 月の国

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 白い壁、白い天井、白いシーツ。病院というのはどうしてだろう、どこまでも白い。
 そこに、ユエの真っ黒な髪が流れている。

 細い手を布団の中から取り出して、オシアスが握っている。魔術を行使するためだと分かってはいるが、どうしても無意識に眉間にシワがよる。
 そんなウィルフリードを横目で見て、オシアスが苦笑混じりのため息をついた。

 魔術による精神干渉。
 治療という名目で、医師の許可がおりた場合のみ許されるその魔術。
 あの太陽の聖女の使う「魅了」のような支配や操作、洗脳といった禁忌のものではない。もっと単純で複雑で、繊細なもの。外側からの無理な干渉ではなく、内側に入り込んでの緩やかな接触。

 彼女の心は、どんな温度をしているのだろう。
 それに直接触れることができるオシアスが羨ましくて堪らない。

 仕事をきちんとする子だと思った。次に何をしたらいいのか、どう動けば効率がいいのかを自分で考えられる子だと好感を持った。聖女のミスをカバーしながら自分の仕事も完璧にこなす。仕事に対する誠実さと責任感は見ていて気持ちが良かった。
 きっと本人に言ったら否定するだろうけれど、人一倍の面倒見の良さがある。お人好しで、少し押しに弱くて。自己肯定感の低さは問題だけれど、そこまでネガティブな訳でもない。

 いいな、と思った。
 そう、単純に、そう思った。
 
 いいなが好きに変わったのは、あの屋上。
 龍が見えたと驚く彼女の横顔があまりにも綺麗で。飛んだ書類を引っつかんだウィルフリードに向けた笑顔があまりにも綺麗で。

 彼女の世界には、「虹の麓には宝物がある」という伝説があるらしい。

 あの時、虹の麓にいたのはユエだった。

 ちょうど、そう見えた。書類を追いかけて追い付いて掴んで、振り返ったその先で。笑っていた彼女の真上に伸びる大きな大きな龍の道。

 あの時確かに、ウィルフリードは宝物を見つけた。



 
「ウィル」

 オシアスの声で現実に引き戻される。
 どうやら終わったらしく、ユエの細い手は布団の中にしまわれていた。

「どうだった?」
「案外大丈夫そうだな」

 その答えにほ、と息を吐く。知らず緊張していたらしい、強ばった身体から力が抜ける。

「精神が向こうの世界にいた頃に戻ってるだけだな。こっちの事は夢だと思ってる」
「夢、」
「そう。都合の良い夢だと。――お前のところで働くのが随分と楽しいらしい」
「それは」

 ぱちり、瞬きをひとつ。
 それからじんわりと頬が熱を持つ。

「呼び掛け続ければ目を覚ますよ。夢じゃないって気付けばな」

 仕事の時間だって言えばすぐ起きるかもな、と冗談めかして肩を叩かれる。

 あの職場、ウィルフリードが心血注いで作り上げた自慢の部署。誇りをもって働くそこを褒められるのが何よりも嬉しい。好きな人にそこで働くのが楽しいのだと思って貰えるだなんて、そんな日がまさか来るなんて。
 
 にやけそうになるのをどうにか抑えて、甘ったるい感情を息と共に勢いよく吐き出す。気持ちを切り替える。
 聞かなければならないことは、まだある。

「それで?」
「ん?」
「オシアスが知りたがってた事は分かったのか」

 ばれたか、という顔をするオシアスに、ばれていないとでも思ったのかという顔で返す。一体どれだけ幼馴染みをしていると思っているのか。
 オシアスの事だ、治療ついでに彼女の中を探るくらいの事はする。

 それに、その答えは。
 ウィルフリードにも、いや、この国で、この世界で生きるすべてに関係があるかもしれないから。

「……この子、何歳だっけ」
「二十六」
「見えないな」

 もっと若く、それこそ二十歳くらいに見えるけれど雇用契約書で確認したのだから間違いない。あの時も部署のみんなで随分と話題になったものだ。女性の年齢を話題にするなど、誉められたことではないけれど。


「孤児だってさ。親も不明」
「……そう、」

 ぎゅっと目を瞑る。
 もしかしたら、が積もっていく。
 確証のない可能性が束になって、何かが輪郭を持ちはじめる。

 この国はずっと、大切な人を探している。

「――――太陽を、」

 その髪と瞳は光をも飲み込む闇夜の漆黒。宵を照らす月のような、黄みを帯びた柔らかな肌の色。
 その色を持つのは、世界にたったひとり。

「戻せるかもしれない」

 それは、世界の悲願。
 傾き、疲れきったこの世界は破滅まで秒読みを開始している。一刻も早く太陽を、光を戻さなければ。

 分かっているのに。
 ウィルフリードだって、その為に走り回っている人間の一人なのに。

 何も言葉を発することができない。
 喉を抑えておかないと、言ってはいけない言葉が飛び出してきそうで。

 もしも、その”もしかしたら”が本当ならば。
 太陽が昇った時に、きっと彼女はここにはいない。 


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