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第二章 月の国

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「ヒナーーーっ!」
「聖女様!」

 聞き覚えのある大声は、壁を通り抜けてこちらまでよく届いた。それから、ざわざわとした大勢の人の声。
 外に人が集まっている。

「畜生、どうして……!」

 だって疎らだったとはいえ人通りはちゃんとあった。
 見られていたのだろう、誰かに。聖女服を着ている陽菜はよく目立つから。その誰かが衛兵を呼んだのなら人は集まってくる。
 あの人たちは……朝起きたら陽菜がいなくてリュカの魔法で探したのでは?

「もう終わりだ、全部……」

 結局この男は何がしたかったのだろう。
 先程路地で陽菜に声をかける前、そこまでは陽菜をちゃんと恨んでいたはずだ。害そうと思ってナイフを忍ばせていたはずだ。
 なのにその計画は、声をかけた瞬間に魅了の魔法によって頓挫した。
 一瞬で沸き上がってきた好意のようなものに押し潰されて、脅して空き家に押し込むので精一杯になって、頭を抱えて蹲ってしまった。

 憐れだと思う。
 職を失い、将来を失い、絶望して手にしたナイフの行き場さえ失い。与えられた苦しみを植え付けられた愛で踏みにじられた。

 男にこれ程の苦痛を与えた加害者は、この事件の被害者になる。そしてこの本当の被害者は、どうしようもなく加害者だ。

 真実を知りながら口をつぐんでいる結慧もまた、被害者であり加害者なのだろう。

「もう出ましょう。貴方は私たちをここに押し込んだだけ、まだ何もしていないでしょう」
「うるせぇ!聖女様が、全部聖女様が悪いんだ!こんなことになったのも全部、」
「ひどぉい……あたし、なんにも悪いことなんてしてないよぉ」

 男が喚く。陽菜が泣く。外のざわめきは大きくなる。

(どうしろってのよ)

 こんな時どうしたらいいのか、平和な国で育った結慧には見当もつかない。けれど、このままだとまずいということだけは分かる。
 だって、こんな風に追い詰められた人間のすることなんて二つに一つ。全てを諦めて投げ出すか、もしくは、

「終わりだ、何もかも。もう駄目なんだ」

 ゆらり、男が立ち上がる。手にナイフを握りしめて。

「いや、」

 陽菜が後ずさる。
 振りかぶられた鈍い銀色は純白をめがけて降ろされる。真っ白なレース。聖女の証。

「いやぁーーーー!!」

 それがずいぶん、ゆっくりにみえて。

「ッーーーー!!」

 陽菜ごと倒れ込むように突き飛ばした結慧の肩をナイフが抉っていった。

「結慧さん!!」
「い、っ……ッ、ぐ」

 いたい。いたいいたいいたい。
 思わずおさえた手。そこについた生暖かいものも、真っ赤に染まる手のひらにも気が行かない程の未知の痛み。
 なんとか開いた目に飛び込んできた、ふたたび頭上に構えられたナイフはもうすでに銀色ではなくて、

 ドォン!大きな音とともに風が吹いた。

 埃が舞う。照明のないはずの空き家が明るくなる。人の声が大きくなる。

「聖女様!」
「クソッ、」

 開けた視界の先ではリュカが杖を構えていた。陽菜の悲鳴が聞こえて壁を壊したか。唖然とする衛兵と野次馬たち。

「ぃ、……!」
「来るな!」

 男が叫ぶ。結慧を無理矢理立たせ、首に手をまわし盾にする。本当は陽菜のほうがよかったのだろうが、手前にいたから仕方ない。逃げ出そうとした陽菜の服を踏みつけ、二人交互にナイフを向ける。
 これでは誰も動けない。

「ヒナを放せ!」

 クラウドが大剣を抜き放ち威嚇するが、男は怯む様子もない。陽菜を人質にとっているから有利と踏んでいるのだろう。
 けれど、結慧は分かっている。

 彼らは、いざとなればこの男など結慧ごと切り捨てるつもりだ。

 たとえ数秒の時間を無駄にしても、結慧を突き飛ばしてでも陽菜を盾にすべきだった。
 陽菜は男の足元に座り込んでいる。それをはずして、男にだけ攻撃を当てることなど彼らには容易い。それをしても彼らは非難されることはない。少なくとも、この場では。
 衛兵にも、野次馬にも、陽菜の触手が巻き付いているから。

 聖女様、聖女様、聖女様。
 声がどんどん大きくなる。聖女様になんてことを、聖女様を助けて、聖女様を、

(……馬鹿らし)

 反対に、結慧の心は急激に冷めていった。

 私、なんでこんなに頑張る必要があるのかしら。
 ただ巻き込まれただけなのに。この事件だって陽菜を狙ったもの、そもそもこの世界に呼ばれたのだって私じゃない。それでこんな仕打ちにあうのは、どうしてなの。私が悪いの?私が何をしたっていうの。私は、もう、

(……つかれた)

 もういい。疲れた。知らない世界でずっと踏ん張って立っていた。辛くても不安でもどうしようもなくても、それを気取られないように虚勢を張って立っていた。でも、もういい。
 結局どこにも、気にかけてくれる人なんていない。心配してくれる人なんていない。
 今ここで死んだところで、悲しむ人などいない。この世界にも、元の世界にも。誰も、


 
 ――――本当に?



 
 ユエちゃん
 声が聞こえた気がした。

 私が死んだら、あの人は悲しんでくれるかしら。
 誰も彼もが陽菜だけに関心を寄せる中、一番最初に私に笑いかけてくれたあの人は。

 ユエちゃん
 あの蜂蜜みたいな優しい声で、私の名前を呼んでくれるのなら。
 それなら、まだ、

「ユエちゃん!!」

 声が聞こえた。はっきりと。
 頭の中で反芻していたのとは違う、焦りをたくさん含んだ叫び声。けれど、その声は確かに彼のもの。
 そちらに顔を向ける。
 ウィルフリードと目が合った。こちらに向かって飛び出そうとするのを、衛兵とアーベルたちに押さえ込まれていて、

(あの人でもあんな風になるのね)

 すこし、笑ってしまった。


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