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第二章 月の国
2-23
しおりを挟むびく、と身体が跳ねたのは仕方のないことだろう。
間延びした声のほうを見れば、いつものきらびやかな聖女服に身を包んだ陽菜と、それを囲む三人が揃ってこちらを見ていた。
「こんなところでそんなものを食べているなんて、いいご身分ですね?聖女様に入るはずだった金で食べるケーキはおいしいですか?」
「足手まといが、せめて金くらい稼いで来いよな」
「それとももう解雇された?何の役にも立たないから仕方ないね」
はじまった、いつもの言いたい放題。クスクス笑う声は周りの席から。ちらりと眼鏡の隙間から覗けば、あたり一面しっかりピンク色になっている。
面倒すぎる。けれど今はウィルフリードも一緒だ。さてどうしたものかと思った時、不意に隣から明るい声がした。
「あはは、冗談でしょう。ユエさんが役立たずだなんてとんでもない。とても良く働いてくださっていますよ」
カタン、と椅子の鳴る音。立ち上がったウィルフリードが結慧の目の前に立つ。視界から彼らがいなくなる。
「誰だお前」
「私、役所で働いておりますエンデと申します。彼女とは同じ部署で、上司にあたります」
にこやかに懐から名刺を取り出して、誰何してきたクラウドに渡す。一連の所作は淀みないビジネスマンのそれ。その対応に面食らったクラウドは、たじろぎながらも名刺を受けとった。
「結慧さんそのワンピースどこで買ったのぉ?かわいい~」
(あ、馬鹿!余計な事を!)
聖女に媚びず、クラウドの圧にも動じないウィルフリードにたじろいでいる男たちの間から、空気の読めない陽菜がこちらに向かってくる。
しかも一番突っ込まれたくないところを的確についてくる。今日のために買ったと思われたくないのに!なんでこういう時だけ目敏いの!
「は、なんだ。仕事ができねぇからって色仕掛けか」
「こんな女にひっかかるヤツいるの?」
「実際いるんでしょう、目の前に」
ああ、ウィルフリードに飛び火した。
結慧だけが悪く言われるのはまだ我慢できる。けれど、ウィルフリードは無関係。そちらにまで悪意を向けるというなら結慧だって黙っている訳にはいかない。
けれど
「彼女の仕事ぶりは素晴らしいですよ。貴方がたがご存じないだけでしょう。それに、彼女を誘ったのは私です。こんなに魅力的な女性はなかなかいないですからね」
結慧が口を開く前にウィルフリードが応じてしまう。開いた口をそのまま閉じる。
「そういう訳ですので……特に用がないのでしたらこちらの事は気にしないで頂けると助かるのですが。馬に蹴られたくはないでしょう?」
「……ふん、趣味の悪いことで。行こうぜヒナ」
「えぇ~もう行くのぉ?ケーキ食べたぁい」
「こんな安いところで食べるものではありませんよ。いつものラウンジに行きましょう。それと、ああいった服が欲しいのでしたら買いに行きましょう」
「ワンピースは欲しいけどぉ、結慧さんのは地味すぎだからいらなぁい。もっと可愛いのがいいなぁ」
「言えてるね。じゃあこんなところで時間無駄にしてないで早く行こうよ」
嵐のごとくやってきた陽菜たちは、これまた嵐のごとくどこかへ行った。こちらのことを散々貶して。
貶されるのはいつものことだけれど、服の事は放っておいてほしかった。
(ていうか普通言わないでしょう、目の前では)
分かるでしょそのくらい。
いや、あの子は分からないか。
「……びっくりした。話には聞いてたけど、あの人たちはいつもあんな風なの?」
「ええ、気分を悪くしてしまってすみません……」
「君が謝ることじゃないよ」
かたん、とまた小さく音を立てて椅子に座る。温くなってしまったであろうコーヒーを一口。眉間にはシワ。
「ありがとうございました」
「当然のことだよ。俺もつい喧嘩腰になっちゃったし。……酷いね、アレは」
やっぱり怒っていたのね。
いつも通りの笑顔と口調のなかに、有無を言わさぬ圧があった気がしたから。そうやって、立ち上がって庇ってくれて。怒ってくれて。
本当にこの人はどこまでも優しい。
「ちょっと目立っちゃったね。場所移動しようか」
周りの席からも、ひそひそと声がする。陽菜がいなくなって、魅了が解けたのだろう。あの姿ではどこの誰かなど一発で分かる。魅了がかかっている間はいいのだろうけれど、そうでない時の印象は噂になって駆け巡る。太陽の聖女のあまりいいとは言えない話はじわりと広がっているようだ。
きっと陽菜はそれを気にしないのだろうし、本人の耳には入らない。なぜなら噂をしていた人も良い感情を持っていない人も、彼女に近づいた途端に魅了の術にかかるから。
それが果たして良いことなのかは分からない。
気晴らしに、と散歩した街は綺麗で相変わらずウィルフリードの話は楽しい。
商店街を散策して、服屋の前を通りすぎて。見覚えのある店の見覚えのある店員さんがこちらに向かってこっそりウインクしたのを見て見ぬふりをして。
夕飯までご馳走になって、宿の近くまで送って貰った頃には陽菜たちのことなどすっかり頭からなくなっていた。
「本当にここで大丈夫?」
「ええ、すぐそこですから」
なんとなくあの安宿に泊まっているのを知られたくなくて、宿屋の建ち並ぶエリアの入り口で立ち止まる。ここまで送って貰っただけで十分。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ楽しかったよ。……ああ、そうだ」
「言うタイミングを逃し続けちゃったんだけど……その服、すごく似合ってる。綺麗だ」
ぱちり、結慧の瞳が瞬いた。
それからじわりと頬に熱が溜まっていって、目から溢れそうになる。
「あ、りがとうございます。そう言ってもらえるのなら服を探したかいがあったわ」
もうすでに陽菜の言動で新しく買ったことはバレているだろうから、取り繕わなくても大丈夫。それに、そうやって茶化しでもしないと本当に涙が零れてしまいそうで
「服だけ誉めた訳じゃないの、分かってるくせに」
「……さぁ、どうかしら」
「ユエちゃんはもう少し自分に自信を持つべきだと思うな。ああでも、あんまり自信をつけすぎたら他の男が寄ってきちゃうかもしれないから、ほどほどにね」
「なぁに、それ」
甘くて、少しだけ苦くて、やっぱり甘い。
そんなふわふわした気持ちが夜の空に溶けていく。
「じゃあ、また週明けにね」
「はい、おやすみなさい」
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