月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

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第二章 月の国

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 朝。八時の出社にあわせて七時半前には宿を出る。
 少し早めに出るのは途中でコーヒーを買うため。部署の一員であるウェーバーが美味しいコーヒー屋を教えてくれた。少し道をそれるけれど、遠くないから問題はない。テイクアウトしてゆっくりと歩く。

 朝は好き。夜明けの凛とした空気も、まだ眠そうな街の気配も、早くから働く家や店のにおいも。
 それらを感じながら、いつまでも明けることがない空を見上げる。
 相変わらずの薄紫色をした空。

 この街にきて、心に余裕ができた。
 今までずっと、知らない世界で陽菜たちと行動して。ずっと下を向いて歩いていた。
 
 下を向いていたと気付けたのはこの街に来たからだ。
 陽菜たちと離れた。わからないことが分かった。知らないことを教えてもらった。

『ユエちゃんが来てくれて本当によかったなって思ったんだよ』

 ここにいていいんだと、言ってもらえた。

 コーヒーは冷えた指先にじんと熱を与えていく。一口飲めば、香ばしい香りとともに広がる苦味。ああ、これは確かに美味しい。
 ほう、と吐いた息が白く霞む。秋の朝に溶けていく。

 心にゆとり。
 それがこんなにも素晴らしい。


***

「へぇー自炊なんて偉いっスねぇ」
「今度なにか作ってきてくれよ!」
「やめとけアーベル、部長に殺されるぞ」
 
 昼休み。食堂に行くというハンス、ウェーバー、アーベルに連れられ一緒に昼食をとることになった。
 ここの社食はかなり大規模。この役所が大きいから当然なのだけれど、沢山の人が利用する。結慧のような短期契約社員から、国の権力者まで。国と街、両方の行政を執り行う役所ならではの光景だ。
 ああほら、あそこの人。今朝、宿の放映具で観たわ。宿の共有スペースにある放映具、もとの世界のテレビのようなものは毎朝ニュースが流れている。
 朝食を作りながら、それを横目で観るのが結慧の日課だ。

「宿の共同キッチンなので、凝ったものは作れないのですけど」
「いやいや、まず作ろうって思うことが偉いんスよ」
「そうかしら……」

 そうそう、と頷くのはハンス。総合管理部で一番の若手社員。彼の昼食はサンドイッチにミルクティ、デザートのプリン。
 それを「女子か」と笑いながらハンバーグにかじりつくのはアーベルだ。中堅で、冗談や面白いことを言っては皆を笑わせるムードメーカー。
 それから結慧においしいコーヒー屋を教えてくれたウェーバー。不快にならない軽さで話す彼は、いつもお洒落。きっとモテるんだろうな。
 だいたいこの三人はいつも一緒に行動している。仲良しね。

 そんな彼らと来た食堂で、結慧はAランチを注文した。パンとスープとサラダ、ローストチキン。社食にしたって安い金額でしかもボリューミー。福利厚生がすごい。結慧はありがたく昼食に使わせて貰っている。食堂は朝七時から夜九時までやっているので、本当は朝昼晩とここでとってもいいくらいなのだけれど。
 夜はたまに利用するけれど、朝だけは宿で自分で作ることにしている。宿の近くのパン屋のバゲットがおいしくて。
 収納鞄に入れてしまえば買ったときのまま保存できるし場所もとらない。調味料は宿のものを自由に使っていいとのことだったから、あとは多少の野菜やベーコンだけ買って、それも鞄に入れている。
 服も何もかもそこに入れているから、中でどうなっているんだろうとは思う。今度オシアスに聞いてみよう。

 美味しいパンを買ったり、コーヒーを買ったり。給料がきちんと出ると分かったから、節約だけの生活をやめて少しの楽しみを増やした。それも心のゆとりに繋がっている。
 残業代もきちんと出るし。これをポロリとこぼした時、皆にとんでもない顔をされた。そんな酷い労働環境の世界があるのかと。苦笑いしか返せなかった。



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