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第二章 月の国
2-10
しおりを挟むカラン、ドアベルの音が響く。
通りから一本入った路地、地下へ続く階段。バー「セレイネ」はひっそりとそこにある。
「ウィルじゃないか。いらっしゃい」
「オシアス、久しぶり」
「おや、」
カウンターの中にいた男が結慧を見て小さく声をあげる。
オシアスと呼ばれた彼は年の頃はウィルフリードと同じくらい。深いネイビーの髪。切れ長の瞳も同じ色。
夜の色、と結慧は思う。満月の出ている時の空の色。
「お前が女の子を連れてくるなんてね」
「そういう言い方はよくないな」
カウンターとテーブルが二つ。それだけの小さな店には今はお客さんがいない。店員もまた、オシアスのみ。
「俺の幼馴染みなんだ」
「オシアス・ディーです。はじめまして、お嬢さん」
「ユエ・ソウマです。はじめまして」
にこりと微笑んだオシアスに促されてカウンターへ。何を、と聞かれたので果実酒を注文する。
「できれば薄めで……」
「あれ、お酒だめだった?」
「いえ、最近飲んでなくて」
別に弱くはない、とは思うけど。
そもそもあまりお酒は飲まなかったし、この世界に来てからは一回も飲んでない。失敗は避けるべき。
少ししてコトリと置かれたグラス。淡い黄色のお酒は甘すぎず、少しだけ酸味がある。
「リンゴかしら。美味しいですね」
「それは何より。なにせ仕事人間のウィルが女性を連れてくるなんて滅多にないから。ちゃんとおもてなししなくちゃな」
「よく言うよ。分かってたくせに」
分かってた、とは?
「オシアスは魔術師でね。先見なんかも得意なんだよ。だから今日俺たちが来ることくらいお見通しって訳」
「そんなことはないさ。ウィルが連れと来るのは分かったけど、女の子だとは分からなかったよ。意外な人、というくらい。あとは」
「あとは?」
「何か厄介ごとに巻き込まれてるってくらいだな。何があった?」
すごい。本物だわ。
だけど厄介って。うん、まぁ、そうね。
「ごめんなさい……」
「厄介なのは君じゃないと思うけどな」
とにかく結慧は今までのことを詳しく話すことにした。あの触手の事を話さなければならないし、ウィルフリードも彼と友達の魔術師もきっと信じてくれる。
「それは……大変だったな」
「厄介ごとに巻き込まれてるのってどう考えても君のほうじゃないか……」
聖女召喚に巻き込まれたところから、太陽教会のこと、ピンクの触手のこと、旅のこと、月の国に着いてからのこと。途中からだんだんと熱が入り、愚痴っぽくなってしまったのは申し訳ない。
「というか……ごめんね、俺、君にそんな態度とってたんだね」
「いえ、エンデさんはとても良くしてくださったので。嫌いな人にも優しくできるって凄いわ」
「いや、思い返してみると結構ひどいね。本当にごめん」
ひどい、って。どのへんが?
ひどい態度っていうのはあの聖女御一行様のようなことをいうのであって。職場にいることを許してくれたし質問にも答えてくれた。ありがたくて、嬉しかった。
「ウィル、お前ユエちゃんを嫌ってた自覚があるのか?」
「うーん……話を聞いて、そうだったなと思ったんだよね。そういえばそんなことしたな、って指摘されて気付いた感じかな。っていうかそれよりもその呼び方、」
「そうか……」
顎に手を当ててふむ、と考えるオシアス。続いたウィルフリードの言葉は聞こえていないのか無視しているのか。
「その聖女の能力は”魅了”っていう魔法だな」
「魅了、ですか?」
「うん。簡単に言うと相手に自分のことを好きになってもらう魔法」
なるほど、と結慧は思う。そんな魔法があるなら、あの状況はぴったりだ。オシアスによれば、陽菜は魔力が強いからそのぶん魔法も強力。
一目見ただけで気に入る。好きになる。いいなりになる。
「ユエちゃんのことを嫌いにさせるってのが凄いね。反対の効果を付与しているんだ。高等魔法だよ」
好きに嫌いという感情を加える。相反する感情。それがどれだけ難しいことか。
下手をすれば対象者の精神が狂う。
「精神って、」
「心を操るってことだからね。そのくらいのことなんだよ。だから魅了は禁術指定されてるんだ」
「エンデさんは大丈夫なの?」
そんな大変なことだったなんて。
結慧はおもわずウィルフリードの腕をとって顔を覗き込む。それにウィルフリードは「うん、あの、だいじょうぶ、です」なんて顔を赤くしてどもるものだから
「本当に?体調が悪いのでしたら」
「いやほんと平気だよ、うん、元気いっぱい」
オシアスが「そいつは大丈夫だよ」と言うからそうなのだとは思うけれど。そんなに笑うようなことかしら?
それにしても、陽菜のあれが魔法だったなんて。ずっと気になっていたことが分かってスッキリしたけれど、心配ごとも増えてしまった。
陽菜の”魅了”はとても高度なもの。けれど、心を操るという性質上どうしても精神に多少の影響が出るらしい。術がかかっている期間が長ければ長いほど危険性が高まっていく。
だとしたら、ずっと一緒にいるあの三人は。
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