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第一章

③ 「早く貴女も私の乳を吸いなさい…まさか、飲めないの?」という、ミルハラ。

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『……生まれた…の……?』

それは美しい女性の声の様に聞こえたが、その内容に釣られる様に顔を上げると……見たこともないほど大きな真っ白い毛並みの狼と目があって、その大きな瞳に映る自分の頼りない全裸姿にゴクリと唾を飲んだ。
―――その瞬間、カッと狼の瞳孔が開いて、再び狼が唸り声をあげた。

『ああっ! まだ…子供たちが産まれるっ!』

そんな風にハッキリ言っていたのかどうかは本当に分からないが、彼女の唸り声はとても明確な意思を私に伝えている。

子供を産みたい…というか、産むのだ。

長い休みの度に田舎にホームステイさせられていた私である。
家畜の出産シーンの生々しさに怖気づくような段階は、とうの昔に過ぎ去っていた。

この母狼は、今は出産に夢中で私を食べようとはしていないし、その余裕もない。
逃げるならば今のうちだって分かってるけど、中々産み出せなくて苦しんでいるようにも見えたから。

「大丈夫、頑張って!」

それでも私は、逃げようと考えるよりも早くに声をかけていた。
うだうだしてる暇はないと、瞬時に悟ってしまったから。

犬の出産は安産だって聞いたことはあったけど、この母狼の産道が狭いせいか胎内の子狼が中々出られないでいるようだった。

「こっちからひっぱるから、大丈夫! すぐに会えるよ!」

飛び出た子犬の前足を引っ張って、つっかえてた頭をズズッと穴から出してしまうと…後はポポンと音を立てて2匹の子狼が飛び出してきた。
子狼と言っても、少なくともこの2匹は、すでに中型犬の成犬くらいのサイズはあったから、多分この子達は将来この母狼位には大きくなるのだろう。
足もぶっといし。

『『キュウキュウ……』』

生まれてきた2匹は、生まれたてでまだ目も開いていなかったが、本能に従って母狼の乳を求めてズリズリと這いずった。
薄い灰色と、濃い灰色の2匹の子狼は、クンクンと鼻を鳴らしながら、必死に母親のおっぱいに向けて爆進していく。

「ふぁぁ……超かわいい……」

無事2匹の子狼が生まれた安堵で力が抜け、私はぺたりとその場で座り込む。

泣きながら出産に耐えていた母狼も子狼達の近くに寝そべると、今ではすっかりお母さんの顔をして、ンクンクと乳を吸う子どもたちを優しく見守っていた。

「はぁ…いいなぁ、かわいいなぁ…」

なんて、その場から動けずに座ったまま、幸せのおすそ分け状態で温かい気持ちで3匹の姿を見ていたのであった。――のであるが、ふと…母狼の視線が私に注がれているのを感じて、急に現実に立ち戻り、瞬時に悪寒が走る。

……………お母様の最初の食事は、私めでしょうか?
巨大な肉食獣の巣の中に、一人ポツンと佇む生き餌……今の私がそれですかね?

思わず自覚する身の上に、俯いて子狼達を目に映した姿のままダラダラと流れる涙が止まらない。

頭頂部から感じる母狼の食い入るような視線がただただ恐ろしく、私は今後の人生を諦めなければならないことを自覚して、走馬灯が脳裏を過ぎった。

儚い人生だった………獣に慕われ、獣にストーカーされ、獣に求愛され、獣にさんざん人生振り回された挙げ句に獣に喰われるって…………悲惨過ぎてなんか納得いかない……

………そう思いはしたものの、今に至ってはどうすることもできない。
最早、諦観の念で固く目を瞑って俯くと、ファサッと大きな尻尾が私の体を優しく撫でた。

『………どうしたの? 早く貴女も私の乳を吸いなさい?』

「………え?」

母狼の思わぬ言葉に、反射的に顔を上げると、母狼は私と2匹の子狼たちを愛おしそうに見つめて「ほぅ…」とため息を付いた。

『それにしても、私は幸運ね。 
こんなに可愛い子供たちが3匹も生まれて。
しかも一頭は滅多に生まれない女の子。
その上、生まれてすぐにしゃべって弟たちを助けてくれるなんて、きっと天才に違いないわ。
旦那様は、さぞかしこの子を褒めてくださるでしょう』

「えーーーーっ!? ………マジで?」

…………どうやら、この狼は私を出産したと勘違いしているようであるけれども……

そんなことあります?
明らかに異種族ですやん!?

思わず浮かんだツッコミであったが、私はその台詞をグッと心の奥底にしまい込んだ。

お母さん、巨大な動物にしては賢そうだし、なんか心で喋ってるし。
明らかに、日本の狼とかじゃないよね? 
…てか、今更なんだけど、ここ、どこ?

そう思って辺りを見回すが、大きめなショッピングセンターのイベントホール程度には広い部屋の中であることしか分からない。
他に人の気配もなく、母狼たちが寝そべっている寝台のようなものも含めた、数少ない調度品らしき物から国籍が辿れるほど私も博識ではないし。

何となく地球上のどこかって気もしないけど…………まさかの異世界ってやつ? 

なんて考えてしまう程度には、ボッチらしくヲタクの傾向があるのを自覚してはいる。

そうだとしたら…異世界だったら狼から私みたいな子供が産まれることもあるのかもしれない!

そんな考えも浮かんだが、チューチューと母乳に吸い付く子狼たちの姿を見てると、「それは違うな」と瞬時に悟った。

多分、なんだかよくわからないけど、私がいた世界とここは違う世界なのだろう。
やけに物分りが良すぎる気もするが、これだけ世間にそういう話がありふれていると、ヲタクの必須情報としては、こういう時に騒いだ者から変なことになっている…と思う。

ただでさえ、私の人生は初期設定からおかしなことばっかり起こっている。
異世界に転移することだってあるかも………いや、やっぱないわ……でも……。

私の不運な異能が、この異世界でも絶好調に稼働していることは僥倖だった。
母狼は、何故か私をこの2匹と共に産み落としたと勘違いしている。
もうすぐ成人する私のどこに子犬感があったのかなんて、多分考えたって分からない。
余計な衣服を持ち込まず、お風呂で余計な匂いを落として、裸でいたことも良かったのか?
普段は面倒くさいことばかり引き起こす能力だったが、今回ばかりは命が惜しければこの異能を最大限に利用しろと、私の本能が瞬時に訴える。

『早く貴女もお乳を吸いなさいな。………まさか、飲めないの……?』

やばい。
出産直後で精神が不安定になっている母狼が、私を乳も飲めない虚弱児なんじゃないかと疑って、悲しそうに涙ぐんでいる。

大丈夫よ、ママン!私、元気!

なんてサムズアップして、慌てて子狼達と並んでおっぱいに並び、いざ口をつけようとするのだが、思わず「うっ」と顔を引く。

……ちょっとこれに口つけるの、勇気いるわ…。

正直な所、「犬のおっぱいの衛生面は大丈夫か?」…という思いが最初に頭に過ぎった。
異世界の狼だか犬だかの母乳って……人間が飲んでも大丈夫なんだろうかという心配もある。

しかし、『やっぱり私の子じゃないのね』となり、餌として喰われる危険性を想像すると、躊躇っている場合でもないと決意して、恐る恐る母狼の乳首に顔を寄せた。

これから先、どんなに酒癖の悪いアルハラ上司のいる職場に勤めた所で、こんなに命のかかった「俺の酒が飲めねぇっていうのか!?」なシチュエーションには陥るまい。

さっきから無心になってンクンクと吸い上げている2匹はこちらに気づかず、彼らの幸せに溢れる様子を見ているだけで心が和み―――毒である心配はないな―――と、冷静な自分が囁いた。

ええいっ! 死んだりしないはず!!

覚悟を決めて、私の親指ほどある乳首にかぶりつき、遠慮がちに母乳を吸い上げた。
ちうっと軽く吸うだけで、50ml程の母乳量が私の口腔を満たす。

こんな姿を見られたら、椿ちゃんに爆笑されながら、また動画をアップされてしまうかも知れないな……と一瞬考えてモヤッとしたが、今はそんなこと考えている場合じゃない。

死にたくなければ飲むべし。飲むべし。飲むべし。

気分はもう、遭難者のそれである。

いつかこの母狼達が、私を食料であると気付いてしまう日がくるかもしれないので、脱出できるその時までひっそりと、この親子の一員として振るまう必要性をヒシヒシと感じていたが……

ママンの母乳は濃厚なミ○キーの味がした。

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