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神の名を冠する国
第七百二十二話 閑話 アイシャとヨハン
しおりを挟む辺境伯の爵位を賜るより一月ほど前。
「ただいま。遅くなってごめんね」
ガチャとドアを開けた先、ヨハンの目に映るのはドレスを着た涙ぐむ少女。
「よ、ヨハンさぁん……おかえりなさぁい」
「…………えっと……何をやってるの? アイシャ」
パルスタット神聖国への遠征を終えて、ようやく腰を落ち着けられると屋敷へ戻って来たところ。その足でアイシャへ会いに行こうと部屋を覗いてみれば目の前の状況にあった。
「おかえりなさいませヨハン様。只今アイシャ様には身支度を整えて頂いているところです」
「……あぁ、それで」
と返答はしたものの、とても身支度を整えているようには見えない。アイシャにとって、は。
目の前のアイシャの衣装は貴族然とした綺麗なドレス姿。似合っているのは似合っているのだが、元々村娘であったアイシャには縁遠い衣装。普段着ることなどないはず。それにそもそも着飾るといったことをアイシャは好まない。
それだけでなく、近くのベッドに散乱しているいくつものドレス。既に何着か着替えているかのようにも見られた。
「何かのパーティーとか?」
「いえ。実はヨハン様。ヨハン様やカレン様が不在の間、アイシャ様には寂しい思いをして頂かないようにと、セリスお嬢様にご協力を頂きお友達になって頂いたのです」
「へぇ、そうなんだ。確かにセリスなら良い友達になれそうだね」
テキパキと散乱した衣装を片付けているネネ。
「良かったね」
声を掛けるアイシャはヨハンの腕にぎゅっと抱き着く。
「確かにセリスは良いお友達だよ。だけど、毎回毎回こんな格好はしなくたっていいと思うの」
「そういうわけにはいきません。セリス様と懇意にする人間です。これはアイシャ様個人の問題ではなく、セリス様の評価に直接繋がることですので」
「ああ、なるほど。余計な風評を生まないためにってことだね、ネネさん」
「はい、流石はヨハン様です。仰る通り、セリス様とアイシャ様が懇意にしていることで、周囲から不要なやっかみを受けないようにすることはセリス様だけでなく、アイシャ様のためでもあるのです」
「そっか。そこまで考えてくれてたんだね。ありがとうネネさん」
「とんでもございません。主の大事なお客様をもてなすのに当然のことをしているだけです。では私はこれで失礼します」
片付け終えるネネは部屋の入り口で軽く頭を下げて退室する。
(もてなす側って大変だなぁ)
(ぜっっっったいちがうっ!)
心情を慮るヨハンとは別に、アイシャは不貞腐れていた。
「でもアイシャ」
「なに?」
「そのドレス、とっても似合ってる。可愛いよ」
「え?」
突然の言葉に顔を赤らめる。
「そ、そんな、わたしがこんな」
「自分を卑下する必要なんてないよ。アイシャは可愛い。これは事実なんだから」
「あ、ありが、とう、ございます」
ヨハンの顔を直視できず、スカートの裾を掴んでいた。
◆
「これは、バクレツダケですね」
薄暗い森の中、赤いキノコを慎重に持つアイシャ。
「へぇ。もうそんなことまでわかるんだ」
「食用とそうでないものの目利きは料理人として必須ですから」
アイシャが背負う籠の中には既にいくつものキノコが入っている。
(ほんとに感心するなぁ)
先日、セリスと遊び終えたアイシャから頼まれたのは次の食材の確保について。
買ってあげてもよかったのだが、アイシャ自身がそれを断っているのはお世話になっている人に甘えたくないということと、食材調達及び目利きのために自分で足を運びたかったということもあり、その護衛を頼まれていた。
そもそも護衛自体も断られていたのだが、王都に戻ってエレナ達がパルスタットの一件の事後処理に追われて忙しくしていることもあって時間を持て余している。そのためヨハンから願い出たもの。
「でもそんなに色んなキノコが必要なの?」
「はい。キノコって、時期的なものは勿論ですが、歯応えや香りで用途が幅広いのです。ですので、せっかくだから色々採っておきたくて」
「そっか。個性的なんだね」
「そうですね」
そういってアイシャは近くにあった白いキノコに手を伸ばす。
「たとえばこれ、シラモミジというキノコなんですが、こう見えて毒があります」
「こんなに綺麗なのに?」
「はい。見た目ではわからないのがこういうものの特徴ですので。特にキノコは見た目ではわかりにくいですしね」
「そういえば僕も昔父さんにその辺のものは無闇に口にするなって言われてきたなぁ」
今でこそ両親の素性を知っているが、当時は只の狩人としか認識していなかった。
「こっちのウミホダケなんかは、魔法耐性が強いのです」
指差すのは青いキノコ。
「へぇ。で、採らないの?」
「そうですね。これは力で引き抜けないのです。力で抜くとすぐに腐ってしまうのです。それに食用ではありませんし、魔力耐性があるのもウミホダケの皮の方ですから」
「そうなんだ。一応聞くけど、どうしたら採れるの?」
口振りからして何らかの採る方法があるように思える。
「えっと……ウミホダケを採るためにはエルフが得意としている植物魔法が一番良いのです。自然と相性の良いエルフであれば容易に採れるでしょう。さ、次に行きましょヨハンさん」
パッと背を向け歩き出すアイシャ。
「採れたよ」
不意に背後から聞こえるヨハンの声。
「え?」
振り向くと、そこには見事にウミホダケをその手に持つヨハンの姿。
「どう、して?」
「え? どうしてって、さっきアイシャが採り方を教えてくれたじゃない?」
「え? でもだって、エルフの魔法って」
そんなに簡単に扱えるものじゃない。
「あれ? アイシャは知らなかったっけ? 僕の屋敷で働いているナナシーとサイバルはエルフなんだけど?」
「…………」
聞いてはいたけどそういう問題でもない。
「で、二人に植物魔法を教えてもらったことがあって。もちろん二人みたいに自由自在に植物を操れるわけじゃないけど」
「…………」
「採ったらダメだった?」
「い、いえ、そんなことないです。貴重なものには変わりありませんので持って帰りますが、本当に食用ではないので私は扱えませんよ?」
「そっか。だったらせっかくだから知り合いの魔道具店に買い取ってもらうよ」
「はい。それで十分だと思います」
そう言いながらウミホダケをヨハンから受け取り背の籠に入れるアイシャ。
アイシャが手にしても腐り落ちることがないことからして、本当に適切な魔力供給を用いて採られているのだとわかる。
(ヨハンさんって、ほんとうに凄い)
元々の実力の高さは既に知っていたが、魔力操作一つとってもこれほどまでに卓越しているとは思ってもいなかった。ただ、実際に目にしてはっきりとわかる。ウミホダケの採集はヨハンが口にしているほど簡単ではない。ギルドに依頼したとしても、少なくともA級に相当する。
「…………ヨハンさんは、卒業したら冒険者になるんですよね?」
帰り道、ヨハンに関することに幾らか思考を巡らせていたところ、ふと視界に入って来るキノコがあった。
「そうだけど、どうしたの?」
「…………いえ」
複雑な顔をするアイシャは、少し歩いてしゃがみ込むと、次に黄色い小さなキノコを手に持つ。
「このキノコ、セイイキダケというのですが、ここから持ち出すと消えてなくなるのです」
「消えてなくなる?」
「はい。一説には陽の光が原因とも云われていますが、だからといって囲い込んで影にしても、次に蓋を開ければ既に影も形も残っていないのです」
「そうなんだ」
「ですが、セイイキダケが食用として認識されているのは、生育している場所であればその場で調理して食べることができるのです。その味は絶品ですしね」
言葉とは別に、アイシャの表情は未だにすぐれない。
「そのキノコがどうかしたの?」
「…………」
「アイシャ?」
「……あっ、少し失礼な喩えかもしれませんが、なんだか、カレンさんやエレナさんに似ているなって思って」
「カレンさんやエレナに? それってどういう意味?」
「籠の中の鳥、とまでは言いませんが、お二人とも相当な身分があるわけで、何者にもなれないじゃないですか」
「……そうだね。カレンさんはともかく、エレナは間違いなくそうだね」
帝位継承権がないが故のカレンの立場はカサンド帝国では相当なもの。だからこそ今こうして他国に出ることができている。
しかしエレナは違っていた。王位継承権で云えば筆頭。エレナ自身にもその意思は十分に見られる。
「だから、このセイイキダケのように、生まれた場所から離れることが叶わないんだなぁって。カレンさんも、完全には切り離せないじゃないですか」
「そっか。そういう意味では確かにそうだね」
アイシャの言っていることもわからないでもない。それこそ両親のように全てを投げ捨てでもしない限りそんな風に生きることはできない。
(でも……)
エレナがそんなことをするとはとても思えない。責任感は誰よりも持っている。
時折見え隠れする感情がどういうものなのかわからないが、僅かに王位に関して考えを巡らせていることは確か。問い掛けたところでエレナ自身は否定するが、エレナは他者にも気付かせないほどそういったことを隠すことは上手い。
それぐらいはわかる。
「なにか、このセイイキダケを別のものに擬態させられればいいんですけどね」
「擬態?」
生き物によってはそういう種類もいる。身を守るためにそういった手段を取る。
(モニカも、そうだったしなぁ)
結果として全て上手くいっており、生き残る道を探すためにローファス王とジェニファー王妃が出した答えがそれ。王女という身分を偽装して、商人の娘としての立場。
「あっ!」
そこでふと脳裏に浮かぶ考え。
「ねぇアイシャ! さっきのキノコは使えないの?」
「え?」
「ほら。さっき採ったウミホダケってキノコ。魔力耐性が高いんだよね? あれなら相性も良さそうじゃない?」
「…………試してみる価値はありますね」
考えながらアイシャは背中の籠から青いキノコを取り出す。そのまま素早く薄皮を切り取ると、セイイキダケに張り付けていった。
「これで一度出てみましょう」
そうして森から出て陽の光を浴びる。
「…………」
その様子を見てアイシャは呆気に取られていた。
セイイキダケはその存在をありありとアイシャの手の中に感じさせる。それどころか、陽の光を浴びたおかげなのか、その輝きを大きくさせていた。
「良かったね、アイシャ」
「ヨハンさんっ!」
がばっと顔を上げると、力一杯に抱き着かれる。
「こんな単純なことで良かったんですね!」
「でも、アイシャの知識がなければ考えつかなかったよ」
「ヨハンさんの魔法があったからですよ!」
「じゃあ二人のおかげってことで」
「はいっ!」
ガシッと腕組みを交わした。
そうして王都への帰路へと着く。
「そういえばヨハンさんはどうするつもりなんですか?」
「え?」
街道沿い、隣を歩きながら疑問符を浮かべているアイシャ。
「どうするって?」
「カレンさんのこともそうですが、他にもヨハンさんに好意を寄せている方はいますよね?」
「ぶっ!」
突然の言葉に思わず吹き出す。
「い、いきなり何を言ってるにょ」
「にょって、そんなに慌てなくたっていいじゃないですか。べつに大したことじゃないですよ。ヨハンさんって女性に対して優柔不断そうだから、ヨハンさんを好きな人は大変そうだなぁって思っただけで」
「そんなこと考えてたの?」
「はい。だって同じ女性としてこのままじゃマズいと思うのです」
「マズいって…………」
「私はこのままカレンさんと結婚しても良いと思うんですけど、それだと他の人が困ると思うのですよ。だったらそれなら、ヨハンさんが貴族になって複数の夫人を娶るのもアリなんじゃないかなって思っただけです」
「いやいやいや、そんなことしてる人って相当な位に就いてる人だよ? だいたい、それで良いのって話じゃない?」
「ならヨハンさんは特定の誰かを選ぶことができるのですか? 端的に言えば他の人達を振るってことですけど」
「そ、そりゃあ」
できなくはない。心を鬼にすれば。そもそも見ず知らずの人であればこれまで婚姻を持ち掛けられてきた貴族のように容易に断れる。
しかしそれ以外、懇意にしている人であれば、そうすることに抵抗を感じる。となれば誰か一人に限定するということは現状できない。
(カレンさんのことは好きだけど)
正直なところ、愛情には違いない。でもだからといってモニカやエレナへの気持ちとどれくらい差があるのかと言えばそれはそれでわからない。
しかしエレナはいくらか好意を向けてくれているとはいっても、恐らくそういったことにならないとなんとなく思うのは森の中でアイシャが口にしていた互いの立場。王位のこともあることからして。
(まぁニーナはまた別なんだろけど)
それにニーナの好意は種類が別。だがとはいっても父アトムとリシュエルが交わした婚約があるからそれはそれで無碍にもできない。
(サナは……どうなんだろう?)
他に浮かんで来た女の子といえばサナ。確かな好意は向けられている。
「うーん、うーん…………」
腕を組み、どうなんだろうと考えているヨハンの横顔を見ながらアイシャは思っていた。
(やっぱり優柔不断だわ。ヨハンさんって)
どうしてこうなるのだろう、と。
余計なことを言ってしまったのではないかと僅かに反省はするのだが、それでも早く言っておかなければならなかったという、どこか使命感のようなものを感じており、これで良かったのだと。
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