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神の名を冠する国

第六百九十八話 モニカ・ラスペル

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灰色の世界。まるで全てが灰塵と化したかのような世界。
それまで圧倒的な負の感情――黒く渦巻いた感情に囚われていたのだが、次には一切の生きる気力を失ってしまった。

「…………」

何をするにしても力が湧かない。ここがどこかもわからない。何もない場所。

「…………もう、いいや」

このまま目を閉じればきっと楽になる。全てが終わる。
モニカはそっと目を閉じる。

「やり残した、こと…………なにかあった気がするけど」

小さなしこりを取り除こうと、全てから解放されようと、目を閉じながら小さく願った。
その瞬間、遠くの方で微かに見えた光。

『モニカ!』
『モニカ!』
『モニカ!』
『お姉ちゃん!』
『モニカさん!』

距離の割には耳元で鳴るような大きく響く声。

「だ……れ?」

再びゆっくりと目を開く。だが声に反応しようとしても思考がうまく定まらない。
それでもわかっていることはどこか懐かしさを感じさせた。

「はぁ。ったく、まさかオレの跡を継ぐ奴がこんなもんだったとはな」
「…………」

次に耳に飛び込んで来た声。その声に覚えがあるような、ないような、妙な感覚。

「心底がっかりだな。だいたいこんなところで死んでいいのか? オレの時はもっと張り合えたぞ?」
「…………な、んの、こ……と?」
「ハッ! シグのやろう。どこが『俺たちの子孫は負けない』だ。コイツもう精根尽きてやがるじゃねぇかよ」
「し……ぐ?」

どこか引っ掛かりを覚える。間違いなく聞き覚えのある単語。

「いいか? 一度しか言わねぇからな? お前はこのままだと死ぬ。オレと違って魂もろとも。間違いなく、な」
「……う、ん」

むしろそれが望み。もう何を考えるのも面倒くさい。何かに抗う必要があったのだが、それもわからない。
ただ、先程まではそうだったはずなのだが、今は違った。
この妙な声に話し掛けられる直前、いくつもの自分を呼ぶ声。それだけが唯一の気掛かり。アレは一体何だったのか。どうしても引っ掛かる。

(…………)

加えてその中にもまだ欠けている声がある気がしてならない。何かが足りない。

「お前、本当にこのままでいいのか? 本当に後悔はないのだな?」
「…………」

とは言われるものの、何を言っているのか理解できない。思考が追い付かない。

「別にオレはいいんだぜ? お前がどうなろうとも。だけどな、未来を、お前らを信じたシグを思うと少しだけ不憫だからよ……――」

僅かに置かれる間。

「――……だってそれはオレに向かって命を懸けたシグのあの覚悟が無駄になっちまうってことだからさ」

哀愁交えた言葉。

「…………」
「それにさ、それはミリアも否定することになるからさ」
「み……り、あ」
「お前にああは言ったが、オレにも…………なんていうか、まぁ、唯一の心残りってのがあるからさ。結局、言えず仕舞いだった。好きだってさ。いまさら言ったってしょうがないんだけど、っつか、まぁんなオレのことは置いといてだな。その分で言えばお前は言えたみたいだから良い方だよな。でもそれ以上を望まなくたっていいのか? まだ聞いていないんだろ? きちんとした答えをさ」

一体何を言っているのか。

「それにミリアのあの覚悟、お前達に希望を託したんだろ?」
「…………」
「しっかし、まさかミリア達があんな地下神殿を作ってたなんてな。お前の記憶の中から見させてもらったぜ」
「…………」
「オレとしてはあんな壁画残されても困るんだけどよ、そのへんは死人に口なしってか。それでミリアがどうしてあんな壁画を残したのか知ってるだろ。そんなミリアの希望にまだお前達は応えてないだろう? あのエレナって子と二人とも」
「え……れな?」
「そう。エレナだよ。お前と血を分けた双子の姉のよ」
「えれな……えれな…………エレ、ナ」
「ハッ。ようやくはっきりとしてきやがったか。そんな心の強さで大丈夫かよ。って呑み込まれたオレが言えた義理じゃないけどよ」
「エレナ……」

はっきりと覚えのある単語。言葉。人名。
徐々に記憶を思い起こさせる。

「うっ!?」

ズキッと鋭い痛みが襲い掛かった。直後、これまで不鮮明だったモノの全てが鮮明になっていった。

「そう、だった……わた、し。こんなところで死ねないわ」

皆が私を呼んでいる。どこからでも助けに来てくれる。あのいくつもの呼び声は死の淵より呼び戻そうと必死に声を掛けてくれた仲間の声に他ならない。

「ありがとう。みんなのおかげよ」

ゆっくりと立ち上がる。そうして目の前に姿を見せた人物に目を送る。紛れもない人魔戦争時の人物。魔王因子の所持者であり、自身の身体の中にもその魔王因子が存在していた。
俯きながら胸元へと無意識に手の平を送る。男はそのモニカの様子を見ながら口を開いた。

「ようやく思い出したかよ、モニカ・スカーレット」
「モニカ…………スカーレット」

それが自分の本当の名前。

「お前も不幸な境遇だとは思うぜ。本来であれば王女としての身分もあったんだけどな」
「…………私の名前…………――」

スカーレットの名を得られればそのような生活を送れる。

『モニカ』

最中、不意に脳裏に甦る自分を呼ぶ声。それは呼び声の中に唯一欠けていた声。しかしその表情に靄がかかっている。

『どうしたの?』
『いや、やっぱり不安だろうなって。でも大丈夫だよ。モニカのことは僕が必ず守るから』
『うん。嬉しいわ。でも違うわヨハン』
『え? 違うって?』
『私がヨハンに守ってもらうってところがよ。確かにこれからどうしようもない何かが起きるかもしれないわ。けど、私は私であなたに追い付くつもりだもの。だから守られる立場になるつもりないわ。知ってるでしょ? 私の強さ』
『……そっか。そうだよね。ヘレンさんに鍛え上げられたモニカの強さ、信じてるから』

靄がかかっていた顔が鮮明に蘇り始める。向けられた笑顔は確かな信頼。

「そうよ。私の名前はモニカ。モニカよ」

そうして目の前で声を掛けて来た男が誰なのかということも同時に理解した。

「助かったわ。スレイ。まさかあなたが私を呼び起こすだなんて」

意識を繋ぎとめたのは仲間達の声。しかしこうして上向くことができたのは、かつての人魔戦争時代、当時の魔王の器となった剣聖とも呼ばれた剣士のおかげ。間違いなく。

「まぁ、シグのこととミリアのことがあったからさ。一度だけ、な。借りを返しただけだ」
「そう……ありがとう。お礼を言うわ。でも、あなたは一つだけ間違っているわ」
「オレの間違いだなんてのはオレ自身が知ってるっての。すまないな、お前達には辛い思いをさせたみたいで」
「ううん。そんなことはどうでもいいの。あなた達にはあなた達の想いがあったのだし、それは否定されるべきではないもの」

あの当時に誰かが何かの正解を導き出せたのかと云えばそれはわからない。全ては結果論。

「……そっか、そう言ってくれるとオレも助かる。けど、じゃあオレは何を間違ったんだ?」
「決まってるじゃない」

モニカが微笑みながらスレイを見る。
そうして、間違いなどそんなことは一つだけだとばかりに、腕を伸ばして指を一本だけ立てる。

「私の名前よ」
「名前?」
「ええ。私はモニカ。それは間違っていないけど、私の名前はモニカ・ラスペルよ。それが私の名前。たった一つの私だけの名前よ」

表情を引き締め、威風堂々として言い放った。

「ラスペル、か。それはお前の育ての親の名前だったな」
「ええそうよ。私の記憶を見れるみたいだからわかると思うけど、確かにモニカ・スカーレットは私の本来の名前よ。でもそれは私自身が認めない。ううん、それもちょっと違うわね。認めないとかじゃなくって、スカーレットは大事な名前には違いはないの。あの人たちが私に向けてくれた愛情は本物だから。だけど、本当に一番大事にしたいのはお父さんとお母さんの気持ち。ラスペルの方よ」

思い返す育ての親である二人の顔。向けられた愛情の数々。胸の中に甦る確かな温かさ。楽しい時も悲しい時も抱きしめてくれた二人。

「……ふぅん。まぁいいぜ。お前がそう思うんだったらな。ってか、その様子なら大丈夫そうだな」
「ええ。心配かけたみたいね」
「心配なんかしてないって。情けないなって思っただけだからさ。このまま終わったら張り合いなさ過ぎだろ? いくらなんでも」
「そぅ? なら見ておいて。あなた達が成し遂げられなかったことを、私たちがきっと成し遂げてみせるから」

腰に感じる重み。それは本当の両親が唯一贈ってくれた贈り物。愛剣。
剣の柄に手を送り、ゆっくりと引き抜く。

「この剣に誓って」

縦に構えた剣身の半分に反射する自身の顔。その奥に見えるスレイの半面。時を超えた二人の魔王因子の所持者。

「でも、ありがとう」

剣を鞘に戻して、後ろ手に組むとスレイに微笑みかける。

「確かに色々とこの境遇を呪ったことはあったかもしれないけど、別に私はあなたのことは恨んでないわ。おかげで大切な仲間とも出会えたし」

はにかむモニカに対して苦笑いを浮かべるスレイ。

「ははは。まさかそんな風にお礼を言われるとは思ってもなかったな」
「あはは。あれ?」

そのまま顎に指を持っていき、首を傾げた。

「どうかしたか?」
「あっ、ううん。ちょっと思ったのだけど、こうして改めて考えると、私が剣が得意な理由ってあなたのおかげなんだなーって」

スレイの剛柔取り入れた剣技は現代でも通じる腕前。初代剣聖とも云うべき存在は現代まで脈々と受け継がれて来た剣の極みへと至った者の称号。

「あ? 何言ってんだ。それは違うだろ? お前は確かにシグの子孫で、言えばオレの血も混じってるってことだが、剣の実力ソレ血の因果関係コレは別だ。お前の剣はお前の実力であって、努力の結実だってのはお前自身が一番知ってるだろ?」
「でも」
「でもじゃないんだって。あれだけ必死になって鍛えて来た自分を否定するな。それに、でないとあの時のオレの努力も否定することになるからさ」
「あっ……――」

スレイがどれだけ真剣に剣術へと打ち込んできたのかモニカも知らないはずがない。魔導の高みにいるシグへ、そしてミリアへと並ぶために必死になって。

「――…………そう、よね」
「だからその努力は信じろ」
「そっか」
「あぁでもお前が治癒魔法得意なのはミリアの血のおかげだけどな」
「え?」
「わかるだろ? さっきはあんなこと言っておいてなんだけど、他の魔法はそんなに得意じゃねぇだろ? でも治癒魔法だけは得意なはずだ」
「…………」

はっきりと覚えがある。昔から治癒魔法だけは誰に何を学ばなくとも自然と行えた。母ヘレンには生まれつきの才能だと言われていたのだが、それにもようやく理解できた。

「そうだったのね」

全てが繋がっているのだと。

「だからオレ達がこうしてお前らと顔を合わせることができたんだよ」
「え? たち? おまえ、ら?」

問い掛けたのだが、スレイは返事を返すことなく遠くを見ている。

「もう時間がないみたいだな。じゃあお前らがシグが言ったように魔王を打ち破ることができるのか、オレ達を越えられたのか、楽しみに見させてもらうぜ」
「ちょ、ちょっと待って! さっきのどういうことよ!?」

スーッと消えていくスレイの存在感。腕を伸ばすも空振りに終わる。

「おいおい、どこに手を伸ばしてんだよ。お前が繋がなければいけない手はあっちにあるだろ?」
「え? あっちって……――」

向けられる先には小さな光。ゆっくりと腕を伸ばすのだが、それが誰の光なのかということは言われずともわかった。

「――……エレナ」

しっかりと腕を伸ばした先には温かい手の平の感触。

「エレナっ!」
「モニカっ!」

互いに腕を引き合い近付く顔。不意の再会に喜び、すぐさま抱き合う。

「ごめんエレナ!」
「いいですわ。謝らなくとも」
「でね聞いてエレナ! ここにスレイがいるの! あのスレイよ!」

大きく腕を振る先には既にスレイは存在していない。

「どこにいったのスレイ!」
「落ち着いてくださいませモニカ。そぅ。やはりあなたはスレイと会えたのですわね。わたくしもですわ」
「え? エレナもスレイに?」
「いえ、わたくしのところにはシグがいらしましたわ」
「あっ…………そういうこと」

ようやく先程スレイが最後に口にした言葉の意味を理解した。
同じように生きる気力を失っていたエレナのところへはシグが向かっていたのだと。

「おかげでもう一度戻ることができますわ」
「そうね。この落とし前、しっかりとつけないとね」
「そうですわね。でもその前に、クリスにお礼を言わないといけませんわ」
「ええ」

今となってようやく全てを理解した。ただ自分達がシグとスレイによる血の因果関係によって助けられたわけではない、ということを。そのために誰の力がどう働いていたのか、ということを。

「クリス。あなたのおかげよ」
「まだ何も終わっていませんわ。全てを終わらせるために一緒に行きますわよ」

互いに繋がれた手に視線を送り、顔を見合わせる。

「ありがとう。クリス」
「感謝を申し上げますわ。ミリア」

感謝を二人に告げ、手の平を真っ直ぐに伸ばした。同時に大きく魔力が渦巻く。


「――……行ったか」
「ああ」
「じゃあ、私たちの役目もこれで終わりね。本当に」
「だな。コレも神の奇跡ってやつか」
「ははっ。神が本当にいればな」
「何言ってるのよシグ! 神様は本当にいるのっ!」
「あーぁ、ミリアが怒ったじゃないかよ」
「よしスレイ。宥めておいてくれ」
「どうしてオレが!? お前の嫁だろ」
「今はそれどころではなくてな、俺はこんな余計な真似をした神を探しに行って来る」
「あ? だったらオレもいくぜ。きっちりと礼をしないとな」
「お前が言うと違う意味に聞こえるな」
「バレたか。どうせならオレの剣が通じるのか試してやろうと思ってな」
「それは楽しそうだ。是非とも試してくれ」
「も、もぅっ! 置いてかないでよ二人とも!」

光の中に姿を消していく三人。
その中で橙色の髪の女性が振り返る。

「頑張ってね。あなた達ならきっと乗り越えられるはずだから」

言い終えると、前を歩いて行く二人の背を追って笑顔で駆けて行った。

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