477 / 724
学年末試験 二学年編
第四百七十六話 閑話 レインとナナシー⑤
しおりを挟む「ちょ、ちょっと待ってくれ兄貴っ!」
震えそうな唇を必死に押し殺して、次には大きく声を発する。その頃には手の温もりは既になく、代わりに背中をそっと押されていた。ほんの少しだけ軽く押されるその行為は、物理的に一歩足を踏み出させようとするというだけでなく、心理的にはそれ以上。振り絞るちっぽけな勇気を、何十倍にも、何百倍にも膨らませる程の効果がある。それでもほんの少しの名残惜しさを残しているのは、先程まで得ていた手の平の温もりに対して。数秒にも満たない感触が頭の片隅に残っている。
「どうしたレイン?」
振り返るシャールは僅かに困惑の眼差しをレインに向けていた。しかし俯いているレインにはその困惑の瞳を捉えることができていない。勇気は振り絞ったものの、困惑して頭が混乱をきたしているのはシャール以上にレインなのだから。
「い、いや、あの、その……――」
肩越しにチラリとナナシーの姿を確認すると、後ろに手を組みながら変わらない笑顔を向けられている。不安そうな表情は一切見受けられない。信頼の証。
(そうだよな。ここで男を見せねぇとな)
膨らませた勇気を萎ませないよう、真っ直ぐに兄を見つめた。深く息を吸い、ゆっくりと口を開く。
「――……ご、ごめん、兄貴――、いや、兄ちゃん」
久しく呼んでいなかった呼称。いつぶりになるのかすらもう記憶にない。
「レイン?」
「俺、ずっと後悔してたんだ。あの時は勢い余って手が出てしまって。もっと早く謝らないといけなかったんだけど……――」
伝えたい最初の一言は口にしたのだが、言葉が続かない。それでもシャールは無言でジッとレインを見つめていた。そのままレインの言葉を待っている。
「――……あ、あのさ、俺、冒険者学校に入って、自分がどれくらい小さい人間だったかってことをちゃんと理解したよ。周りから色々教えてもらった。俺の周りはすげぇ奴ばっかでさ、正直死にかけたこともあったんだ」
誇張でもなく事実。ただの事実でしかない。得難い貴重な経験をしていることもさることながら、ひとつ掛け違えるだけでレインという男はもう既にここには存在しない。
「冒険者だからそりゃあ死ぬこともあるとは思うけど、考えが甘かったなぁって日々痛感してるよ。だから、ずっと兄ちゃんには謝らないとって思っていたんだけど、勇気がなくて……」
目線を彷徨わせるレインなのだが、肩に重みを感じる。先程のナナシーの手の平とは違う、しっかりとした力強い感触。
「いいさ、レイン。私は――いや、俺はレインがこうして元気な顔を見せてくれただけでも十分だよ」
「兄ちゃん」
笑顔を向けられるそのシャールの目尻に僅かに涙が浮かんでいるのを目にしてしまうとレインも自然と涙が込み上げてくる。
「ごめん、兄ちゃん」
もう自然と口から発せられる謝罪の言葉。先程までの怖気はどこへいったのかという程。
その申し訳なさげなレインを見てシャールは小さく首を振っていた。
「いや、俺も大人になりきれていないよ。本当ならお前から切り出す前に俺から話すべきだった。兄として恥ずかしいよ」
もう既に最初のころのよそよそしさはどこにもない。
「それに、お前が冒険者学校に入学して、上手くやれているのか、危ない目に遭っていないのか、聞きたいことは山ほどあったのに。一応親父からいくらかは聞いてはいたのだがやっぱりお前の口から直接聞きたかったな。ついまたお前に怒られるんじゃないかと怯えてしまっていてな。けど、そうやってお前が思っていてくれたのなら……。俺の方こそすまなかった」
「……兄ちゃん」
シャールとしても、弟に素直に向き合いきれていないということが心に引っ掛かりを覚えさせていた。
「こんなところで立ち話もなんだ。向こうでゆっくりと話そう」
「お、おぅ!」
それから、場所を変えるために倉庫の応接間に向かうと笑顔の父、ロビンに迎え入れられる。
「上手くいったようだな」
「まったく。これはいっぱい食わされたね」
吐息を漏らすシャール。
「ってことは?」
「全部親父の計算だったってことさ」
「はぁっ!? なんだよそれ!」
ドサッと椅子に倒れるようにして座るレイン。
「いやいや、すまなかったねお嬢さん。家庭の事情に巻き込んでしまったようで」
「いえ、大丈夫ですよ」
笑顔を絶やさないナナシー。
「それにしても、レインにこんな彼女がいたなんてね」
「彼女じゃねぇって!」
「はい。レインとは友達ですよ」
はっきりと断言するナナシーの言葉にレインが内心大ダメージを受ける。
それからというものの、学内で起きた出来事や近況、果てはナナシーのことなど様々なことを四人で話していた。
「それでレインはこんな小さな頃にね」
「へぇ」
「やめろっての!」
ナナシーがいることで強がりを見せるレインなのだが、ナナシーから見るその二人の関係性は確かに仲の良い兄弟そのものだった。
「――……そろそろ帰るか」
「そうね」
積もり積もった話をしてしまっていると、予定よりも随分と長い時間話し込んでしまっていた。
「じゃあまた適当に帰ってくるよ」
そうして倉庫の前でロビンとシャールに見送られる。少し先で周囲に目を送っているナナシー。
「ああ。またあの子も連れてくるといい」
「そうだな、また連れてくるよ」
「それで、次は彼女として連れてくるのかい?」
シャールの問いかけにレインは思わず顔を紅潮させた。
「い、いや、そりゃあそうなればいいと思ってるけど、今はなんとも……」
その様子を見た父と兄は互いに顔を見合わせる。
「ほぅ」
「意外と素直に認めたね」
「まぁ俺も兄ちゃんのこととおんなじで、これからあの子にも素直に向き合いたいって思っててさ」
結果的にとはいえ、仲を取り持ってもらっている。押してもらった背中は確かに勇気づけられていた。
「そうか。なら期待しないで待っているよ。俺も父さんも、ね」
「ちょっ!? なんでだよ!?」
「そりゃあレインがモテるだなんて思えないから当然だろ?」
「それもそうだな」
「ったく、今に見てろよ! 絶対ビビらせてやるからな!」
「ははは。期待しないで待ってるよ」
「レイーン! 早く帰らないとイルマニさんに怒られるのよ!」
遠くで手招きしているナナシー。
「じゃあ、いくな」
「ああ」
振り返り、ナナシーの下へと歩き始める。
「レイン」
「ん?」
再度呼び止められ、疑問符を浮かべながら顔だけ向けた。
「元気でな」
「ああ。当たり前じゃねぇかよ。何言ってんだか」
笑顔で背中越しに手をひらひらとさせ、帰路に就く。
実際父と兄に話した通り、死にそうな目に遭ったことは一度や二度ではない。それでも乗り越えられたのはただただ運が良かっただけ。多少ではきかない決死の努力が結実している部分があるとはいっても周りの影響によるもの。何より運が良かったと思えるのは巡り合えた仲間のおかげ。
(そう思うと……――)
目の前にいる可憐な少女と知り合うタイミングも他の学生たちと同じだったはず。
(――……あいつがいたおかげだよな)
あいつが、ヨハンが最初に寮の部屋に顔を見せた時にこの出会いの全てが始まったのだと。
「ほら、なにしてるの、はやくはやく! ほって帰るよ!」
「わかってるっつの」
思わず自然と笑みがこぼれていた。
0
お気に入りに追加
473
あなたにおすすめの小説
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
「クズスキルの偽者は必要無い!」と公爵家を追放されたので、かけがえのない仲間と共に最高の国を作ります
古河夜空
ファンタジー
「お前をルートベルク公爵家から追放する――」それはあまりにも突然の出来事だった。
一五歳の誕生日を明日に控えたレオンは、公爵家を追放されてしまう。魔を制する者“神託の御子”と期待されていた、ルートベルク公爵の息子レオンだったが、『継承』という役立たずのスキルしか得ることができず、神託の御子としての片鱗を示すことが出来なかったため追放されてしまう。
一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。
どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。
※他サイト様でも掲載しております。
最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
ある中管理職
ファンタジー
勤続10年目10度目のレベルアップ。
人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。
すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。
なんと1回のレベルアップのステータス上昇が通常の1000倍に。
チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。
万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。
集団転移した商社マン ネットスキルでスローライフしたいです!
七転び早起き
ファンタジー
「望む3つのスキルを付与してあげる」
その天使の言葉は善意からなのか?
異世界に転移する人達は何を選び、何を求めるのか?
そして主人公が○○○が欲しくて望んだスキルの1つがネットスキル。
ただし、その扱いが難しいものだった。
転移者の仲間達、そして新たに出会った仲間達と異世界を駆け巡る物語です。
基本は面白くですが、シリアスも顔を覗かせます。猫ミミ、孤児院、幼女など定番物が登場します。
○○○「これは私とのラブストーリーなの!」
主人公「いや、それは違うな」
【完結】異世界転移特典で創造作製のスキルを手に入れた俺は、好き勝手に生きてやる‼~魔王討伐?そんな物は先に来た転移者達に任せれば良いだろ!~
アノマロカリス
ファンタジー
俺が15歳の頃…両親は借金を膨らませるだけ膨らませてから、両親と妹2人逃亡して未だに発見されていない。
金を借りていたのは親なのだから俺には全く関係ない…と思っていたら、保証人の欄に俺の名前が書かれていた。
俺はそれ以降、高校を辞めてバイトの毎日で…休む暇が全く無かった。
そして毎日催促をしに来る取り立て屋。
支払っても支払っても、減っている気が全くしない借金。
そして両親から手紙が来たので内容を確認すると?
「お前に借金の返済を期待していたが、このままでは埒が明かないので俺達はお前を売る事にした。 お前の体の臓器を売れば借金は帳消しになるんだよ。 俺達が逃亡生活を脱する為に犠牲になってくれ‼」
ここまでやるか…あのクソ両親共‼
…という事は次に取り立て屋が家に来たら、俺は問答無用で連れて行かれる‼
俺の住んでいるアパートには、隣人はいない。
隣人は毎日俺の家に来る取り立て屋の所為で引っ越してしまった為に、このアパートには俺しかいない。
なので取り立て屋の奴等も強引な手段を取って来る筈だ。
この場所にいたら俺は奴等に捕まって…なんて冗談じゃない‼
俺はアパートから逃げ出した!
だが…すぐに追って見付かって俺は追い回される羽目になる。
捕まったら死ぬ…が、どうせ死ぬのなら捕まらずに死ぬ方法を選ぶ‼
俺は橋の上に来た。
橋の下には高速道路があって、俺は金網をよじ登ってから向かって来る大型ダンプを捕らえて、タイミングを見てダイブした!
両親の所為で碌な人生を歩んで来なかった俺は、これでようやく解放される!
そして借金返済の目処が付かなくなった両親達は再び追われる事になるだろう。
ざまぁみやがれ‼
…そう思ったのだが、気が付けば俺は白い空間の中にいた。
そこで神と名乗る者に出会って、ある選択肢を与えられた。
異世界で新たな人生を送るか、元の場所に戻って生活を続けて行くか…だ。
元の場所って、そんな場所に何て戻りたくもない‼
俺の選択肢は異世界で生きる事を選んだ。
そして神と名乗る者から、異世界に旅立つ俺にある特典をくれた。
それは頭の中で想像した物を手で触れる事によって作りだせる【創造作製】のスキルだった。
このスキルを与えられた俺は、新たな異世界で魔王討伐の為に…?
12月27日でHOTランキングは、最高3位でした。
皆様、ありがとうございました。
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?
悠
ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。
それは——男子は女子より立場が弱い
学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。
拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。
「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」
協力者の鹿波だけは知っている。
大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。
勝利200%ラブコメ!?
既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる