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碧の邂逅

第三百八十一話 隙あらば

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「サナ、サナ」

遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。

(この……声…………――)

父でもない。母でもない。でも呼び掛けてもらえることが嬉しかった。

「――……ぅうっ……」
「良かった。気が付いたみたいだね」

ぼんやりと映るその姿、心配そうにしている表情、目の前にある父や母と同じくらい好きな人の顔がこれだけ近くにあることに嬉々とする。

「ヨ、ハン、くんだぁ……」

ぼーっと無意識にその人の名前を口にしてしまっていた。
ほんのりと小さく顔を綻ばせながら。

「大丈夫?」
「…………」

今、いったいどういう状態なのだろうか。理解できない。わかっているのは見覚えのある鍛錬場の景色、天井が見えることからして学内なのだと。

「まだどこか痛い?」
「え?」

問いかけに対して理解が未だに追い付かない中、ゆっくりと自覚していくのは上から覗き込むようにして見られている今の状況。

(あ、あれ?)

そこで理解する。
今、自分は好きな人の顔を目の前にしているということを。

「まだどこか傷むようなら教えてね。一応治癒魔法はかけたんだけど……」
「つぅぅっ!」

バッと思わず上体を起こした。ようやく全てを理解する。いや、全てといっても今置かれている状況に至るまでに起こった出来事に対してを。どうしてそうなったのかまではわからない。

「だ、大丈夫! アリガトッ」

思わず返事をぎこちなくさせてしまった。

「そっか。良かった」

羞恥で顔を真っ赤にさせてしまう。

(は、はずかしぃ……――)

屈託のない笑みをこれだけ真っ直ぐに向けられるとなるとまともに顔も見られない。

(――……ヨハンくんの膝枕だったなんて)

思わず視線を落として先程の感触を得ていた場所に視線を向けた。
そのままゆっくりと目線だけを上に向けると、ヨハンは疑問符を浮かべて小さく首を傾げている。

「やっぱりまだどこか傷む?」
「う、ううんっ! そういうわけじゃないの!」

慌てて両手を振ると目の前の少年は小さく安堵の息を吐いた。

「それにしても、サナ、強くなったね」
「…………うん」

覚えている。

(そっか……――)

目を覚ます状況までの間の記憶はないが、どうして倒れてしまったかまでははっきりと覚えていた。

「――……やっぱり負けちゃった」

視線を落として小さく呟く。

「そんなことないよ!」
「え?」

グッと両手を強く握られ、持ち上げられた。

「凄かった。確かに結果だけを見れば負けたけど、正直ナナシー相手にあれだけ戦えるだなんて思ってなかったよ」
「え、えっと……――」
「体術もそうだけど、連携を使った魔法も凄かったよ!」
「――……あ、あの……」

満面の笑みで褒められるのだが、問題はそこではない。

(て、て、手を……)

初めて手を繋いでいる。一方的に繋がれている状態なのだが、繋いでいることに違いはない。

「それに最後、闘気まで使っていたんじゃない?」
「え?」

そこで全く覚えのない言葉を口にされる。

「闘気?」

授業では確かに習っていた。身体能力の向上と強化をさせる魔力を用いた技法。
しかしそれを扱えたことなど一度もない。学生の内で扱える者も限られる。それどころかそもそも扱えるのは一人前の戦士のみで、一流と呼ばれる者であってもその扱いに苦慮すると言われている代物。

「覚えてないの?」
「う、うん」

とはいうものの、覚えがないわけではない。

(最後のあの感覚が闘気だとするのなら、アレがそうなのかな?)

記憶を失う前の歯痒さが残る出来事。気力を振り絞って立ち上がった時の妙な感覚。今となっては夢なのではないかと思うのだが、もしあの時の感覚が闘気を扱えたことなのだとしたらと頭の片隅で考える。

「でも、仮に闘気だったとしても、どっちにしろ負けちゃったし、本当の実戦なら死んでしまってたよ」
「……サナ」

同時に考えるのは、結果。
負けたこと自体には納得していた。力不足なのだったと。結局届かなかったのだから。結果が全て。

(いやぁ、相手エルフだし、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃねぇの?)

片肘を着きながらその様子を見ていたレインは考えるのだが、今はそれどころではない。
自分達も近くにいることに一切気付いてもらっていないのだと。見向きもされていない。妙な圧力をヒシヒシと感じる。隣から。

「凄かったのは本当だよ?」
「……ヨハンくん」
「そんなに落ち込まなくたって、この調子ならもっともっと強くだってなれるよ」
「……本当?」

顔を上げて真っ直ぐにヨハンを見ると、ニコリと微笑まれた。

「本当だよ」
「ウソじゃない?」
「もちろん」

向けられる笑みで込み上げてくる感情。

(そうよ。ヨハンくんがこれだけ言ってくれるのだから、私だってもっと強くなれるはずよ)

これまでだって相当な努力を重ねてきた自負がある。現状に満足はしないが、今の時点で達した地点には一定の満足をすることにした。
真っ直ぐにヨハンの顔を見る。誰に届きたくて強くあろうとしていたのか、言葉にして伝えたいのだが、その言葉を伝えるのは今ではない。目標に到達した時にはっきりと伝えたい気持ち。

「……じゃあ、ご褒美欲しいな」
「えっ?」

それでも認められたい気持ちが抑えきれない。両手に感じる暖かな温もりが勇気をくれる。

「ご褒美って言われても、まぁ僕にできることだったら」

困惑しながらの返答なのだが、言質を取った。

(よしっ! かかった!)

ギラッと目を光らせるサナ。

「うん、ヨハンくんにできるよ」
「なに?」

名残惜しいのだが、手に抱いていた温もりを振りほどいて大きく腕を広げる。もっと良い思いがそこに待っているのだからと。

「えっとね、思いっきりだ」
「そこまでよ」
「えっ!?」

不意に差し込まれる言葉。
誰がいるのかと声がした方向、隣を見ると、そこには眉を寄せていたモニカの顔。

「ったく、黙って聞いていればいつまでやっているのよあんたは」

グッと引き離すようにモニカがサナとヨハンを両手で押し広げた。

「あっ……――」

状況の理解が追い付かない。というよりも目が覚めてからヨハンの姿にくぎ付けになってしまっていたことをようやく理解する。

「――……も、モニカさん、いつからそこに?」

目を泳がせながら問いかけるのだが、周囲にはエレナやレインの姿もあった。

「最初からに決まっているでしょ。そんなことより」

モニカはサナに顔を近づけて耳打ちする。

「あんた何いきなり甘えまくっているのよ!」
「べ、別にいいじゃない! 傷心の私をヨハンくんが労わってくれているだけでしょ」
「それはそうだけど、最後のあれは何よ」
「いいじゃない。私だって頑張ったのよ」
「それとこれとは別でしょ!」

ひそひそと話すモニカとサナの姿を見ながらヨハンは疑問符を浮かべていた。

「どうしたの?」
「元気なようだからいいではありませんか」
「……まぁ」

エレナの言う通り、もう既に元気いっぱいにモニカと言い合いをしている姿を見る限り心配はいらなさそうだという風に見える。

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