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帝都武闘大会編

第三百四十二話 雨降って……

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武闘大会を終えたその夜、帝国城の一室、皇族の私室。ポタポタと窓を叩くのはいくらかの雨粒。空は雲が月や星々を覆い隠している。
その部屋の中、金髪を背まで長く伸ばした男、アイゼン・エルネライは一人で酒を、葡萄酒をグラスに注いでいた。

「――……ふぅ」

くいッと口元にグラスを運び、一口飲むとカチャっとグラスを机の上に置く。

「ようやく、だな」
「なんだ。一人で晩酌か?」
「!?」

不意に聞こえる声に驚き、部屋の入り口に顔を向けるとよく知る見知った男、ラウルが立っていた。

「兄上ですか。入って来る時はノックぐらいしてくれませんか?」
「まぁいいじゃないか。俺とお前の仲ではないか」

アイゼンの下に向かって歩きながら声を掛ける。

「まったく。変わってませんねいつまでも」
「お前は変わったな」
「そうですか」
「ああ。表面上は、だがな」
「誰のせいだと思ってるんですか?」
「苦労かける」
「冗談ですよ」
「知ってるさ」

そう言いながらラウルはアイゼンの正面に座った。

「付き合おう」
「すみません」

空のグラスを傾けるラウルにアイゼンが葡萄酒を注ぐ。

「では」
「ああ」

二人してグラスを顔程に持って来た。真剣な顔付き。

「アイゼンの皇帝継承……――」
「――……兄上の自由。帝国の繁栄、それと……――」

同時にスッと笑みを浮かべる。

「「カレンの婚約に」」

グラスが軽く重なる音。チンと鳴らした。
共に一口ずつ飲む。

「それで、兄上はこれからどうなさるので?」
「とりあえず赤の宝玉を持ってローファスのところに行く。ヨハンも連れて行かないとな」
「一体何事なのでしょうか? 宝玉を持って来いなどと普通ではありませんよ」
「わからん。だが、間違いなく何かが起きようとしている」
「彼もそれに巻き込まれるのでしょうか?」
「……恐らく、な。何もないに越したことはないのだが、ああいう奴は大体この手の厄介毎に巻き込まれるものだ。ドミトールでもそうだったように」
「アトムさんや兄上のように、ですか?」

ニヤッと笑いかけるアイゼン。

「ああ。その通りだ」

同じようにして笑みを返すラウル。

「でしたら尚のこと実力を確認しておいて良かったですよ」
「黒曜石の鎧まで持ち出した時はどうしようかと思ったが?」
「あれぐらい乗り越えてもらわないと預けられませんね」
「国宝級の鎧を前にして課題を出されるとは大変だったなあいつも」
「ですが、それを見事に成し遂げました。アレクの鼻っ柱も叩き折ってくれましたしね」

くいッとグラスを口に持っていき、クルクルとグラスの中の葡萄酒を回すアイゼン。

「全てはお前の手の平の上だったわけだからな」
「まぁきっかけはルーシュです。あの子のおかげですよ。あの子はまだ幼いですが、確かに将来的に優秀な人物に育つでしょう。今の内に酸いも甘いも知っておくべきでした」
「その分お前が多方面から嫌われているが、それはいいのか?」
「それであの子が成長するなら構いませんよ」
「……すまない」

愁いを帯びたアイゼンの瞳を見るラウルは僅かに表情を暗くさせる。

「いつも言っていますが、私の願いは兄上が帝国の心配をすることなく自由に旅をすることです。その先で起こす偉業にはいつも胸を躍らせていましたから」

アイゼンは知っていた。
アトム達スフィンクスと行動を共にしていたラウルがアトム達のことを羨ましく思っていたのだということを。
いくらかは自由にしているとはいえ、帝位継承権などというものに縛られてしまっている兄のことを。

「……そうだったな」
「結果それが巡り巡って帝国の繁栄に繋がるのですから気にしないでください。それと、カレンにしても同じですよ。兄上を慕うあまり、外の世界への憧れが絶えません」
「それに関しては俺のせいではないだろう?」
「いえ、兄上のせいですよ」
「違うだろ」
「違いません」
「お前なぁ」

一切譲らないアイゼンの様子にラウルは呆れてしまう。

「さて、お酒が回っていつも以上に口が軽くなってしまいましたね。今日はこれぐらいにしておきましょうか」
「ああ。そうだな」

ガタッと立ち上がるラウルは部屋を出ようと扉に向かって歩き、アイゼンは窓の外に薄っすらと見える月を見上げた。いつの間にか雨は止んでおり、雲間から月の光が覗かせている。

「兄上」
「ん?」
「いいえ、ラウル兄さん」
「どうした?」

扉の前で立ち止まり振り返ったラウルが見る先のアイゼンは未だに月を見上げたまま。

「お酒のせいにできますので言っておきますね」
「…………」
「兄さん」

窓から差し込む月の光を浴びるアイゼンはゆっくりと顔を回して、ラウルをジッと見る。柔らかな笑みを浮かべるその表情は幼い頃に何度も見た弟の顔。

「お元気で。また会えるのを楽しみにしています」
「ああ」

本音で語り合える最後になるかもしれない夜。

「帝国のことは任せておいてください。ルーシュにも大きくなったらもっと責任のある役割を担ってもらいますので」
「ああ」
「それと……――」

視線を彷徨わせるアイゼンは僅かに言葉に詰まった。

「…………」
「――……それと、カレンのこと、よろしくお願いします」

それでも、最後だと思うと口にしてしまう。言葉に残して伝えておきたい。例えラウルが真意を正確に理解していようとも。

「そう思うなら直接言ってやったらどうだ?」
「言えません。言えばどこかに綻びが生じます。私の気持ちとしても。兄さんに言うのが精一杯ですよ」

並々ならない決意を抱いて今がある。
わざわざ嫌われるような言動を吐き続けた自分自身に嫌悪感を抱いたことなどもう数え切れない。臣下や城内の言葉など気にもならなかったのだが、カレンの見せる表情だけは忘れられない。

それでも今見せるカレンがあれだけ幸せにしているのだからそれで良い。言えば優しいカレンのことだから帝都に残ると言いかねない。

「そうか。お前がそう決めたならそれで良い。だが、それはもう俺の役割ではない。ヨハンの役割だ」
「……そうでしたね。寂しくなります」
「よく言う。あれだけぞんざいな扱いをしておきながら」
「兄さんは意地悪ですね」
「ああ。カレンに意地悪した罰だ。それぐらいの小言は言わせろ」
「しかと胸に刻んでおきます」
「冗談だ」
「知ってますよ」
「俺もだ。ではまたな」
「はい。おやすみなさい」

振り返ることなくアイゼンの部屋を出るラウル。
バタンと閉まる扉の音を聞いたアイゼンはグラスを持ち、再び夜空を見上げながらグイっとグラスに入っていた葡萄酒を一滴残らず飲み干した。


「――……というわけだ」
「ぐすっ、うっ、えぐっ……」

廊下で涙を堪えて袖で拭っているカレン。それでもポタポタと床を湿らせる。

「最後だからこうして教えてやったが、絶対口にするな」
「……ずっ……は、はい」

カレンは真っ赤に腫らした目でラウルを見た。
同時に頭上に感じる懐かしい手の平の感触。ポンとラウルの手を乗せられている。

「旅に出る用意はわかるな?」
「はい。大丈夫です」
「ギルドに関することはヨハンに教えてもらえ」
「はい」
「後の詳しいことは道中教える」
「わかりました」

廊下を歩きながら話すのだが、そこでカレンはふと足を止め、遠くに見えるアイゼンの私室がある扉を見た。

(アイゼン兄さん。ありがとうございました)

深々と下げる頭。感謝の意。
元々謁見の際の齟齬をラウルに問い掛け、言い淀むラウルに詰め寄った結果。
これまでわからなかった疑問を一気に解消されただけでなく、帝国に縛られないようこれだけの愛があったのだと思うと再び涙が込み上げてくる。

「よしっ!」

その気持ちにしっかり応えようと気持ちを引き締めた。
例えそれが兄に伝わることがなかったとしても。

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