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禊の対価
第二百八十六話 魔槍
しおりを挟むニーナは眼前に迫る槍、その突きに対して顔を僅かにずらして躱す。そのまま再度ジェイドの懐に飛び込もうとした。
「えっ?」
しかし驚きに包まれる。
突進しながら、冷静に槍の軌道を見極めたはずなのだが再び眼前へ銀色に光る凶器が迫って来ていた。
「――ッ!」
危うくまともに突き刺さるところ。
咄嗟に闘気を目一杯両腕に送り、槍の先端部分が触れるのに合わせて天弦硬を発動させた時にはもう激しく衝突している。
「きゃっ!」
ゴッと音を立てながらニーナは後方にはじき返された。
「いったぁ」
地面をゴロッと後転して起き上がるのだが、腕からはポタっと地面に血を落とす。先程の一撃にはニーナの天弦硬を上回る攻撃を加えられていた。まともに直撃すれば身体をあっさりと貫通させる程の攻撃力。
「ふむっ。よくぞ受け止めた」
「今の……なに?」
ビシッと槍を構えたその姿勢を崩さないジェイドを見てニーナは踏み込めない。
「ぬぅん」
怖気づいたわけではない。攻撃力自体は確かに驚異的。下手をすれば殺されかねない。だがそれ以上に不思議なのは躱していたはずの槍の攻撃を受けていたこと。
確実に突き出された槍は躱していたはず。それなのにソレはそこにはなく、次には目の前に迫って来ていたのだから。
「…………むうぅぅぅっ!」
唸り声を上げながら先程の状況を分析する。正体がわからなければ次も同じ攻撃を受けてしまう。
反射神経。ただその一点。それだけで今の攻撃を咄嗟に受け止めることができたのだが、このまま仕掛けたところで結果は同じ。むしろ今の攻撃を何度も受けてしまえばそのうち闘気の配分を間違えた末に身体を貫かれるのは目に見えていた。
「どうしよっかなぁ」
何か打開策はないかと小さく息を吐く。
「…………」
「…………」
陽が沈みかけ、辺り一帯は焚かれた松明の火により照らし出されていた。
パチパチと薪が弾ける音と、風が平野の草を揺らす音がその場を占める。
それまで激しい攻防を見せていたニーナとジェイドなのだが、一転して微動だにしない二人。周囲の帝国兵たちはまるで口を開けない。自分達は今何を見せられているのか。まるで夢でも見ているかのような錯覚。その二人を見ながらゴクリと唾を鳴らす音が隣にいる兵にも聞こえる程の静寂が流れていた。
「……どうした?」
静寂が流れた後、仕掛けて来ないニーナに向かってジェイドが声を掛ける。
「ごめん。ちょっと待って」
チラッとニーナは背後にいるヨハンを見た。
「(お兄ちゃんなら何かわかったかな?)」
先程の攻撃にヨハンならどういう見解を抱くのだろうかと。
「――来ないのならば、こちらからいくぞっ!」
「え?」
強く地面を踏み抜いたジェイドの突進。
「そっちからは来ないんじゃなかったの!?」
ニーナ目掛けて真っ直ぐ迫って来る。
「気が変わったのでなっ!」
微妙にジェイドの声は高揚していた。
「くっ!」
高速で突き出されるジェイドの槍を躱そうとするのだが、やはり状況は同じ。本来あるはずの場所にその槍はなく、あるはずのない場所に槍が存在している。繰り出される幾度もの槍。
「っつううううっ!」
ニーナはなんとか致命傷を裂けているのだが、躱しきれずにいくつもの切り傷を負ってしまっていた。
「ぐっ、くぅっ!」
「ほらほらっ! どうした、そんなものかお主の力はッ!」
ジェイドの上ずったその声は明らかに嬉々としている。
「か弱い女の子をいたぶって、変態さんかなぁ」
「お主でか弱いようなら世の全ての理が捻じ曲がっておるわッ!」
バシュバシュ放たれ続ける槍。
「嬉しそうにしちゃってまぁ。けど……――」
なんとなくジェイドが行っているカラクリの正体がわかった。
「――……幻覚、だよね」
「左様」
問い掛けに対して隠す意図もなくジェイドはすぐさま肯定する。
「だが、わかったとてお主にこれを破れるのか?」
「問題はそこなんだよねぇ」
最初に突き出された槍が偽物、視界に捉える槍を誤認させるのだと。
仮に一撃目を幻覚だと仮定したとしても実際は違っていた。偽ではなく実体が伴っており、実体だと思うそれは偽である。どれもが本物にも見え、どれもが偽物にも見えた。
疑心暗鬼。
実体を伴わないただの幻覚、幻術の類であれば空気の変動や気の察知。気配である程度探知することができるのだが、困惑するのはそれがどれもに本物と同じ気配を放っている。
そのため躱すどころか防戦一方になってしまっていた。
「どうしよう」
頭を悩ませてしまう始末。
「今更お兄ちゃんに頼るのも……」
一人でいけるかもと言った手前、ここで引き下がるとなると全く以て情けない。ただでさえ今日は一日かけて迷惑ばかりかけてしまっている。
「……あっ!」
目の前の不確かな槍の嵐と合わせてヨハンのことも考えたことで不意に思い付いた。
ニヤリと口角を上げる。
「むっ?」
ジェイドはニーナの雰囲気が変わったことで突き出す槍を制止させ、バッと後ろに跳躍した。
「何を考えておる?」
何かしらの打開策を見つけたニーナの表情。ハッタリなどではない。
「ん? あっちから距離を取ってくれたの?」
どうやって一度距離を取り直そうかと考えていたのだが、ニーナからすればこのまま間合いを詰められていた方が思い付きを実践するのに困難を要することになる。期せずして状況が整った。
ジェイドの視線の先。ニーナは全身に闘気を張り巡らせる。
「なるほど。かなりの練度だ。さて、それをどうする?」
「良い感じだなぁ」
体内を巡る魔力がこれまで以上に滑らかで力強いのは目を覚ましていた時から感じていた。だからこそ竜人族の力を扱えるのを本能的に認識し、ここまでそれは事実その通り。
「ごめんなさい。それにありがとぅ……」
微かに漏れ出るように小さく呟く僅かの謝意と感謝。そのまま両手両足の先端に闘気の比重を多くさせる。
「いくよっ」
ニーナはグッと手を伸ばしてジェイドの足下が赤みを帯び、地面から炎を立ち上らせた。しかしジェイドはすぐさまその異変を察知して横に飛び退き躱す。
「この期に及んで魔法に頼るとはな……――」
何が起きるのかと期待していたのだが正直期待外れ。大魔導士級の超級魔法であるならば話は別なのだが通常の火柱。
「――……否」
しかしその考えをすぐさま否定した。
ジェイドが視線の先で捉えるニーナの表情は笑みを浮かべている。
「へへっ。覚悟、してよね」
妙なわくわく感。胸が躍る。
結果どうなるのかなどということはわからない。それでも抱く自信は紛れもない本物だった。
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