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禊の対価
第二百六十七話 魔族シトラス
しおりを挟む「まったくもう。この非常時に何を言ってるのよ!」
「……僕、何か言いましたっけ?」
プンプンと怒りを露わにしているカレンに対して困惑してしまった。
「知らないわよッ!」
わけもわからず怒られながらそのまま駆け足で部屋を出る。
「あっ、カレンさん!」
急ぎ足でカレンが先に出てしまったので慌てて後を追うのだが、カレンは部屋を出るなりピタッと立ち止まった。
「隠れるつもりはないみたいね」
「……はい」
そこにはサリー……サリナスの肉片を元に造られた複製体がいくつもある場所。その容器と容器の間にシトラスが堂々と立っている。
「どういうつもりかしら?」
「わかりません」
不穏な空気を纏っていることは変わらない。ここは先程の部屋よりもさらに広い空間。
「いい加減諦めろシトラス。お前はここで終わりだ」
「ふ、フフフッ。あーっはっはっはっは!」
「何がおかしい?」
確実に追い詰められているのはシトラスの方。どこに笑う余裕などあるのか疑問でならない。
「いーえいえ。確かにここが最後の場なのだと私も覚悟する必要があるのだとよーうやく理解しましてねぇ」
言い終えるシトラスの身体をドロドロとした黒い瘴気が包み込んでいった。
「カレンちゃん、気を付けて! アレはマズいよっ!」
「どういうことティア?」
その様子を察知したセレティアナが声を荒げる。
モクモクとシトラスの身体を包み込むその巨大な黒い瘴気。
「ぐっ……なんて強烈な殺気」
肌に痛い程ヒシヒシと伝わるその巨大な気配。もう既にシトラスの姿は瘴気に覆われているので目視できないのだが、気配だけははっきりと伝わって来た。
直後、パンッと破裂するかのように瘴気が晴れる。
「な……に、あれ……――」
目線の先の異様さを目にしてポカンと口を開けるカレン。
「あれがシトラスの本当の姿……?」
そこに姿を現したのは巨大な蜘蛛。赤と黒を斑模様にするその蜘蛛の異様さは大きさだけに留まらず不穏な六つの黄色い眼。
「あぶないッ!」
「ちょ――」
慌ててカレンを抱いてその場を飛び退いた。
巨大な蜘蛛、シトラスの大きな顎がカパッと開いたかと思えばそこから飛び出したのは白く太い糸。
物凄い速さで射出されたその糸が一直線にカレン目掛けて放たれたのだが、ヨハンの横っ飛びでなんとか回避することができる。
ヨハンとカレン、セレティアナが飛び退いたその場、地面にべちゃっと張り付くと同時にググッと土の塊を引っ張り上げて再び糸は土の塊を伴って顎の中に飛び込んでいった。
ガリッ、ゴリッ、と鈍い咀嚼音を鳴らす。
「カレンさん、アレに掴まればひとたまりもありません!」
カレンを脇に抱えたまま声を掛けた。
「み、見ればわかるわよっ!」
ブルっと寒気に襲われるその行為。咀嚼音が巨大蜘蛛の顎の力強さを物語っている。
「そ、そんなことより、は、早く下ろしなさいよ!」
直後、冷静になると同時に妙な照れがカレンを襲った。
「あっ、すいません」
「ふぅ」と小さく息を吐きながら、カレンはチラッとヨハンを見る。
「(意外に力強いのね。わたしより小さいのに)」
抱きかかえられた感触にひ弱さは微塵も感じなかった。
「(あれだけ戦えるのだから、それも当然かもしれないけど)」
男性に抱かれる経験などこれまでなかったので他と比べようもない。しかし、今はそんなことに気を回している暇もない。
「まぁいいわ」
「なにがですか?」
そのまま巨大蜘蛛と化したシトラスに目線を戻す。
「なんでもないわ」
「?」
「とにかく、アレがあいつの正体ってわけね」
キッと目つきを鋭くさえて巨大蜘蛛と化したシトラスを見た。冷静にその動向を観察する。
「…………なにかします」
シトラスは次には頭を振り、臀部の先端と顎の二か所から同時に周囲へ糸を撒き始めた。
壁や天井、培養液の入った容器など至るところにその糸を張り巡らせる。
「何をする気?」
巨大蜘蛛――シトラスはグッと身を屈めると即座に跳躍して、蜘蛛の糸の上に飛び乗った。
その糸の上を素早く、目まぐるしく動き回る。
「足場を作った!?」
「速いっ!」
「……大丈夫です。あれぐらいなら――」
とはいえ目で追えないわけではない。
ヨハンはグッと前に手を伸ばし、魔力を練り上げた。
「――見ててください」
そのまま光の矢を射るようにして射出する。
「!?」
パンッと勢いよく放たれたその光の矢は巨大蜘蛛、シトラスの足を貫通させた。
「ギッ!」
突如として迫って来た光の矢を視認したシトラスは僅かに苦悶の声を漏らす。
「やったの?」
「いえ。どうやら浅いみたいです」
光の矢が穿った蜘蛛の足からはドロッと紫色の液体が地面に垂れると、そのままサリナスの複製体が入った容器に落ちた。
「なっ!?」
落ちた先を見てカレンはゾッとする。
「気を付けてヨハン!」
再び光の矢を射ろうとシトラスを見上げているヨハンにカレンが声を掛けた。
「えっ?」
「あいつの血は溶解液よ! それもかなり強力な」
カレンの視線の先にはシトラスの血が垂れた容器。
血が掛かった場所はドロッと溶け始めている。それ程の液体。
「なら早く決着をつけないと!」
そのまま立て続けにパシュッと光の矢を放ち続けるのだが、張り巡らされた糸が邪魔をして威力と速度を損なったためにシトラスは容易にそれを躱した。
「くそっ!」
さらにこちら側の動きを制限させられる。
周囲を見回すと、シトラスが糸を吐き続けていることで動ける範囲が狭くなってきていた。
「……どうしよう」
なにか打開策はないかと思考を巡らせる。
魔族には光属性が一番効果的ではあるのだが、動き回るシトラスを捉えるだけの攻撃を持ち合わせていない。
「ドウシタッ! モウオワリカッ?」
その場でどす黒く響くシトラスの声。
「ナラバシネッ!」
「……仕方ないわね。わたしに任せなさい!」
ずいっとカレンが前に出る。
「カレンさん?」
「さっきの借りを返すわ」
「借り?……あぁ」
先程の借り、カレンを脇に抱えて回避した時の事なのだと。
「(どうしてあんなことを今思い出すのよ!)」
しかしどこか頬を赤らめているカレン。
「てぃ、ティア!」
「まかせてっ!」
雑念を振り払うかのように小さく左右に頭を振り、カレンはセレティアナに触れ魔力を流し込むと、途端にセレティアナの身体が白く光り輝き始めた。
「やっちゃうね!」
「ええ。遠慮なくいくわよっ。って言っても周りには気を付けてよね」
「モチロンだよ!」
これからする攻撃、その広範囲攻撃の調整を誤ってしまうと生き埋めになりかねない。微妙に調整する。そのままセレティアナはグイっと獅子の頭を上げて天井を見上げた。
「オオオオオオッン!」
激しいその獅子の咆哮。
雄々しく放たれるその雄叫び。それと同時に獅子の体毛全てが逆立ち、白く光るその毛先からは眩いばかりの光がいくつも放たれる。
「ナアッ!?」
ドンドンッと上空目掛けて放たれるその光はシトラスの逃げ場を無くすほどの広範囲に広がった激しい光弾。
「ギ――ギャアアア!」
回避する隙間もない程に張り巡らせられた光弾がいくつもシトラスの身体を貫いていった。
「逃げられるなら、全部攻撃すればいいのよ」
上を見上げるカレンのその自信満々な笑み。
「す……ごい」
「ぅうっ。ど、どう?」
直後、ハァ、ハァ、と息を切らせるカレン。
「大丈夫ですかカレンさん!」
どう見てもカレンは疲労困憊、満身創痍な様子を見せている。
「……はぁ、はぁ。今のって、わ、わりと、とっておき、なのよね…………」
「ふいぃぃぃっ」
シュッと即座に身体を縮めるセレティアナはすぐさま獅子から小さな姿、いつもの容姿に戻ってしまった。
「あれ? ティアも縮ん、じゃった?」
「いやぁ、カレンちゃんの魔力をがっつり使っちゃったからねぇ」
ふよふよと浮かぶセレティアナの横でカレンは静かに膝を着く。
「し、仕方ないわよ今は。そんなことより、アイツは?」
「はい……――」
俯いて荒い息を吐き続けるカレンの横でヨハンが上を見上げると、シトラスは八本の足の内、五本を欠損させていた。ドロドロと体液を流し続けている。
「グ、グウウゥゥッ…………、マ、マサカ、コレほどのチカラを隠しモッテいるとハ…………」
体液は地面に落ちる度に何度もジュッと音を立て続け、周囲を溶かしていた。
「カレンさん。こっちへ!」
「え、ええ」
満身創痍のカレンに変わり、ヨハンも周囲に魔法障壁を展開して溶解液が落ちて来るのを防ぐ。
溶解液はサリナスの複製体が入っている容器や、ニーナが入っている容器も含めてボタボタと落ちていた。
「――……もう身動き取れないみたいです」
「そう……なら良かったわ。早く止めを」
息を整えつつカレンがヨハンに声を掛ける。
「はい」
グッと魔力を練り上げ、白く光る矢を構えるとシトラスの頭部に狙いを定めた。
「シトラス……どうして……――」
シトラスの最期を見据えて考えを巡らせる。
意識を失くしているサリーをチラリと見て、最愛の人を生き返らせたいだけならばもっと他に何か方法がなかったのかと、僅かに過ったのだがすぐに首を振った。
「――……同情は、いらない」
シトラスの作った魔道具によってアイシャはあんなひどい目に遭っている。それにアイシャだけではない。カサンド帝国の至るところで同じような目に遭っている人達が大勢いた。
「早くしないとニーナも」
容器が溶け始めているニーナも気掛かりである。
迷いを振り切り、そのまま腕先に目一杯の魔力を込めてパッと光の矢を放った。
「グ……ギギ……――」
シトラスの眼前、間もなく矢がその頭部を捉えようとしたその瞬間、パリンと容器が割れる音が響く。
刹那の瞬間、容器から飛び出した影がシトラス目掛けて素早く動いた。
「えっ?」
光の矢とシトラスの間に割り込むように入った影がチィンと音を立てる。
そのままスタンと着地をするその影、身体からポタポタと緑色の液体、培養液を垂らす桃色の髪の少女を目にしてヨハンは思わず目を見開いた。
「どう、して……――」
「お父さんに、手を出すなッ!」
「――……ニー……ナ?」
まるで信じられないものを目にする。目を疑った。どうしてニーナがシトラスをかばったのか理解できない。
目の前のニーナは、その様子を変化させている。いつもの様子ではない。行動そのものも勿論なのだが、その見た目。黄色い眼球をして、黒目を縦長にしながら明らかな敵意を持ってヨハンを睨みつけていた。
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◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。
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