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エピソード エリザ・カトレア
第百七十三話 閑話 親心
しおりを挟むエリザの正面に立つカトレア卿は小さく溜め息を吐く。
「どうしてあのような小者にいいようにされていた」
「だって家名を出したらお父様に迷惑がかかるかと思ったから」
「だからといってあのまま連れられていたら……――」
カトレア卿が想像していることは明らかにふしだらなこと。それはエリザもわかっている。
あのまま連れていかれれば手籠めにされてしまいかねないかと脳裏を過るのだが、娘の前なので言葉にすることができずにいた。
エリザも父カールスが言わんとしていることは理解しているので小さく息を吐く。
「まぁジェニファーの名前を出してなんとかするつもりだったわよ?」
きょとんと間の抜けた顔をするカールスはすぐさま口元を震わせた。
「バカ者!こんなことでおいそれと王妃様の名前をだすなどとは!」
「だってしょうがないじゃない。私はもう家を出たのだから」
「……はぁ」
カールスは頭を抱えて小さく首を振る。
「だから言っただろう。あんなやつと一緒になるからこんなことで苦労をすることになるのだ」
「あんなやつってねぇ、お父様」
若干ムッとするのはカールスの物言い。
「アトムはちゃんとしているわ。約束を守らなかったのはお父様の方よ?」
エリザはカールスをキッと睨む。
「俺はお前の幸せを願ってだな」
「私の幸せは私が決めるわよ」
「だが現に今も苦労しそうになっていたではないか」
「まぁ、その時は――――」
エリザは手の平を上に向けて、ボッと火の玉を中空に漂わせ。
「助かったのは彼の方よ?」
ニコリと微笑んだ。
こんなことにはもう慣れている。強引な相手には強引な手を使うまで。この身体を預けるのはたった一人しかいない。
「まったくお前というやつは。子を産んで少しは落ち着いたかと思っていたのだがな」
「あら? 心外ね。母親としてはちゃんとヨハンを育てたわよ?」
落ち着いたとは自分でも思っている。
昔の自分が今の自分を知ればきっと身体を掻きむしる程むず痒くなる自信もある。
「(でも……)」
チラリとカールスの顔を見た。
ヨハンを生んで育てたことでもう一つわかったこともある。
「それにヨハンなんだけど、この間凄いことしたの知ってるの?」
「当然知っておる。俺を誰だと思っておるのだ?それに先日顔も見て来た」
「えっ!?」
ぶっきらぼうだが妙に柔らかなカールスのその口調。
「どうして?」
「単独で飛竜を討伐したという学生の名がヨハンだというから見に行ったのだ。貴族連中が騒いでおるし、王からもヨハンを貴族が囲い込まないようにきつく目を光らせておけという通達があったのでな」
突然のカールスの発言にエリザは驚きに目を丸くさせ、憮然としているカールスの姿をジッと見やる。
「(お父さん……どういうつもりなのかしら?)」
いくら国王の命だとしても、数いる貴族に目を光らせるのなど途方もない労力を割かれるのは確認しなくてもわかること。
実際ローファスからその話はカトレア卿に直接あったのだが、カールスは話の内容をそのままに事実の前後を若干変えていた。
「それにしても、お前の息子は聞けば相当無茶な戦い方をしたそうだな。そんな戦い方をしていれば命がいくつあっても足らんぞ。もう少し危機感とかを教えてやらんと。あの小僧に似んでもいいところが似てしまっておるではないか」
くどくどと口数が多くなり、お説教染みたことを口にしているカールスとそこで不意に目が合ったのだがすぐに逸らされてしまう。
「(あっ。へぇ……)」
気まずそうにしているカールスの姿を見て、エリザは理解した。
「(なるほどね。ヨハンを連れて来なかった私も悪かったけど、これでも気に掛けてくれているのね)」
俯き加減に小さく息を吐いて、微妙に頬が吊り上がった。
「ありがと。お父様」
顔を上げて、満面の笑みで笑いかける。
「な、なんだ急に」
突然笑顔を向けられたことで困惑するカールス。
先程カールスが口にした相手、あの小僧とは誰のことなのか。それがアトムのことを差しているのはわかる。
家にある幼い頃によくヨハンに読み聞かせしていた絵本。そのいくらかはスフィンクスとしての自分達の活動を創作物としてガルドフとこのカールスが創り上げているもの。エリザの婚姻をしぶしぶ認めることのその条件の一つ。娘の活動を知る人ぞ知る伝記として残すという。
その創作物は、厳密にはガルドフが名前を変えて作者として原案をあげており、カールスが知り合いの伝手を通じて出版に関わっているという役割分担をしているのだが、物語のその内容を見れば愛娘がこれまで如何に無茶な冒険をしてきたのかというのかがよくわかる内容。
同時にそれは、愛娘の旦那であるアトムの無鉄砲なところも嫌という程目にしてしまっていた。エリザを危険に曝したことなど一度や二度では済まない。
『この小僧はこんなこともしていたのか!?』
『ああ。そうじゃな。それがどうかしたか?』
創作に伴ってガルドフが仕上げた原稿に目を通しているカールス。
『この野郎!エリザをこんなに危険な目に遭わせやがって!』
『……儂もそこにおるのだが?』
『貴様よりこの野郎が一番悪いわッ!』
『やれやれじゃな』
新しい本を出版する度に繰り広げられるそのやり取りをエリザは知らない。
しかし、カールスも結婚に猛反対した手前、素直になることも適わず。悶々とする日々を過ごすことになってしまった。
楽しみなのは定期的に送られてくるエリザからの手紙。
ヨハンの成長が記されたその手紙をエリザの母が受け取り内容を聞かされる。表情を険しくさせて。
そんな時、いつもの手紙でヨハンが王都に来て冒険者学校に入学していたということは知っていたのだが、まさかの飛竜討伐。それも単独。
王都中に響き渡る名声。
貴族たちがこぞって話題にしている。
想像以上のその実力の高さは素直に誇らしかったのだが、孫だと言えないそのもどかしさに加えて、下手をすれば命を落としかねない状況に不安を覚えた。
冒険者学校の視察という名目で見学をして遠目に顔を見ていたことはあった。
それでも我慢できずに直接声を掛けに行ったのが飛竜討伐の翌日早朝に客室を訪れていたその出来事。
などという祖父の心境などということをエリザはもちろん、当のヨハンも知らない。
しかしそれでも娘のエリザにはカールスのいくらかの心境を推し量れた。自分自身も遅れながら男女の違いはあれど似た経験をしている。
「(私もヨハンを生んで初めて知ったわ。親の心子知らずとはよくいったものね)」
目の前の困惑する父カールスの姿を見ていると、思わず笑みがこぼれた。
「ふ、フンッ。そんなことよりも、どうしてここにおるのだ」
「あら? やっぱりローファスから聞いてなかったのね。私達、ちょっとだけまた冒険者としての活動をしているのよ?」
「何だとッ!?」
途端に表情を難しくさせたカールスはガッとエリザの両肩を掴む。
「どういうことだッ!? 引退したのだろうっ!?どうしてまた!?」
「ごめんなさい。守秘義務があるので言えないわ。それに言ったでしょ。引退じゃなくて休業よ」
「……そ、そうか。それはまぁいい。あの小僧も一緒にか?」
「何を当然のことを。当り前じゃない」
僅かにムスッとするエリザの顔を見てカールスは目を泳がせた。
「む、むぅ……」
パッとエリザの肩から手を離したあと、顎に手を送り考え込む。
「わかった。ま、ままま――」
「落ち着いてよ」
一体どうしたのかと思い首を傾げるのだが、カールスは冷静になろうと大きく息を吐いた。
「なに?」
「いや…………また、またいつでも帰って来るのだ。あの家はお前の生まれた家なのだから。母さんも会いたがっている」
「わかってるわ。明日にでも顔を出そうと思っていたところよ?」
そんなことでこれだけ慌てふためく必要などない。
「い、いや、だから、その…………あの小僧――」
エリザは父がアトムのことを小僧と口にする度に不快感が訪れるのだが、それはすぐに覆される。
「あ、アトムにも遊びに来るように言っておいてくれ」
顔を赤面させながらアトムの名前を口にした。
突然の父の変わりように目を丸くさせる。
「――プッ、あははははは」
それを見た途端、思わず笑いが漏れ出た。
「どうして笑う!?」
「そんなの笑うに決まってるじゃない。そんなお父様の姿を見れば」
目尻の涙を指の背で拭って、真っ直ぐに父の顔を見る。
先程の発言を未だに恥ずかしそうにしており、目を合わせようとしていない。
そうして改めて父の顔を見て、記憶の中の父の姿と重ねた。
「(そうよね。ヨハンもあれだけ大きくなった。私ももうオバサンというぐらいにはなって…………っていってもまだ若い子には負けないけど。でも、わかっていたけどお父さんも……歳を取るのよね)」
よく見ると白髪が以前より増えている。顔の皺も目立つ様になっていた。
それだけの年月が経過している。
「そんなことより、どうなんだ?」
それでもなんとかしてエリザと目を合わせた。
「(ふふ。仕方ないわね)」
どこか心の中に残っていたしこりがなくなる。
「わかったわ。もう喧嘩しないでよ?」
あの父が、あれだけアトムと大喧嘩をした父がこれだけ折れてくれたのだ。反対する必要などどこにもない。
「わ、わかっておる。ただし、あの小僧が生意気なことを言わなければだがな」
カールスは腕を組んで不貞腐れるように声を放った。
「それは保証できないわね。アレは私には止められないもの」
とはいえ、彼が父と同じようにして変わっているのか、それとも変わっていないのか。
「くそっ。その様子だとあの小僧は変わってないようだな」
憎々し気にアトムのことを口にする父の顔を見て当時のことを思い出した。
「(そう。変わっていないのよ。なにも。お父さんが変わればアトムもきっとまた歩み寄ってくれるわ……――)」
父の提示した内容、その全て乗り越えた結果の大喧嘩。
『くそ。どうすればエリザとのことを認めてもらえるんだよ』
アトムからすればただただその理不尽さに我慢できなかっただけ。当時はしっかりと歩み寄っていた。
『お父さんがああなったらあなたにはどうにもできないわ。いいわ。お母さんには言っておくから行きましょう』
『…………いいのか?』
『ええ。手紙も出すし、居場所も伝えるわよ。でもなにより、私の願いもあなたに付いて行くことよ?』
『……エリザ』
その時、そっと腕を組んだ時に向けられたアトムの目が忘れられない。それからしばらくはアトムに責任を感じさせないよう極力父の話はしないようにしていた。
今なら、何かが変わるかもしれない。
「(ううん。もう変わっているのよ)」
小さく笑いながら悪態を吐いている父を見る。
「――……それに、違うでしょお父様」
「ん?」
「小僧じゃなくて、ア・ト・ム。でしょ?」
「む、むぅ……」
この様子を見る限りではまだ時間は掛かりそうではあるのだが、それでも時間の経過と共に前に進んでいたのだと嬉しくなった。
「――……旦那様、そろそろお時間が」
それまで黙ってエリザとカールスのやりとりを見ていた侍女がそこで口を開く。
「あ、ああ。そういえばそうだな」
「ごめんなさいマリ。待たせたわね」
「いえ。お嬢様もお元気そうでなによりです」
侍女のマリは深々と頭を下げる。
「しばらく王都にいるみたいだから、また時間があったらお茶でもしましょうね」
「かしこまりました」
「もうっ。ほんとマリは業務に入っている時は固いんだから」
「仕事ですので」
カールス・カトレア卿の侍女はエリザの幼馴染。
当時は侍女見習いでエリザの身の回りの世話をしていた。
久しぶりに顔を見るのだが、変わらない程度のその関係。仕事以外の時は友達としての関係を築いている。
「じゃあまたね」
「はい。失礼します」
そうしてカールスとマリは廊下の奥に姿を消していった。
「そっか。アトムのことにしてもそうだけど、お父さんもヨハンのことを心配していてくれていたのね」
エリザは窓の外に見える夜空を見上げて、旅に出た息子の身を案じる。
「今頃どこにいるのかしら? 早く帰って来て大きくなった姿が見たいわね」
それ以上に思うのは、一体どれほど成長して戻って来るのかという期待が膨らんで仕方なかった。
◆ ◇ ◆
「なぁ、あの呑んだくれがヨハンの父ちゃんなんだよな?」
「……ええ」
「あれでほんとに伝説の冒険者なの?」
エレナに招待されるまま舞踏会を訪れていたレイン達は、会場でぐぅぐぅといびきをかいて寝てしまっているアトムの姿を見て苦笑いをしていた。
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