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聖女カタリナ、本気で行こうと思います!

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 穏やかな春風が吹く、午後のひととき。

「カタリナ様。ダンスの練習も今日で合格とさせて頂きます。これにて王太子妃教育は終了でございます」

 スラッとした長身に、切れ長の目を持つ教育係。アンネローゼ公爵令嬢。
 あたしは、その無表情さから鉄仮面と心の中で呼んでいる。

「そう? ありがとうございました、アンネローゼ様」

 むふふ。いつもと同じつまらなさそうな顔。

 そりゃあ、そうでしょうとも。

 下賤な生まれの女には貴族の優雅な教養は理解できないでしょう、とか言いたいことを言いまくっていたその口で、あたしのことを認めるのは癪に障るよね。

「アンネローゼ様のおかげで、語学もマナーもダンスも身につけることができましたわ」

「いえ、そんなことは。カタリナ様は優秀であられました。さすがは聖女だと感服致しました」

 よっしゃーー!

 鉄仮面教育係に勝った!!

 あたしはガッツポーズをグッと堪えて扇の下で微笑む。

 今日はなりたくもない聖女になって初めていいことがあった日だ。

 そう、あたしは3ヶ月前まで都からはるかに離れた田舎村の村娘だった。

 おまけに孤児だったから村長の家で召使いをしてたんだけど、教会からあたしが聖女だと信託が下ったーーとか言われて。

 何にも分からないうちに、あたしに一目惚れしたとかいう王太子の要望であっという間に王家に売り飛ばされ、今ここに至る。

 何でも聖女は王族と結婚せねばならないらしい。

 アホらしい迷信だとは思うが、あたしは毎日お腹いっぱい食べられれば幸せだし、そもそも選択権がないので、こうして王太子妃教育を受けているワケだ。

 だが、教育係として現れた鉄仮面こと公爵令嬢アンネローゼとは、まっったく合わなかった。

 というか、向こうがやたら嫌味ったらしいのだ。
 だからアンネローゼに認められるのは気分がいい。

 

「たった数ヶ月で、わたくしが何年もかけて学んだ全てを習得してしまわれるなんて……」

 うんうん。もっと言って?

「実は、最初はただ顔が良いだけの田舎娘だと軽んじておりましたの。ですが、わたくしの意地悪なスパルタ教育に何度でも立ち向かってこられる、その根性! 本当に感服致しましたわ」

「おまけに、一を教われば十を知るとはこのことか、と思わされる程の理解力! わたくし、カタリナ様を誤解しておりました。今までのご無礼をお許し下さいませ」

 ーーいや、褒めてくれるのは嬉しいけど、本当に鉄仮面のアンネローゼだよね。

 
 にこにこして、おまけにあたしの手まで握っちゃっうなんて仮面とれすぎじゃない?
 
 まぁ、まぁね。村長の家でやられてた暗いイジメに比べたら、アンネローゼは正しく厳しい人だよね。
 こっちも認めてくれるからやり甲斐があって頑張りすぎちゃった感はあるね。

 
「初めは、わたくしの婚約破棄の元凶となった癖にご自分の教育係をやらせるなど悪趣味な方、と思っておりました。ですが、カタリナ様はまさに王太子妃にふさわしい方でしたわ!」

 ん? ちょっと待って???

 わたくしの婚約破棄とか物騒すぎて聞き捨てならないんですけど。

「ん?」

 あ、いけない、思わず口に出しちゃった。

 だが、心底不思議そうにアンネローゼは首を傾げてこちらを見てくる。

「え? カタリナ様が、前の婚約者のわたくしを教育係に、と王太子殿下にお願いされたのですわよね」

「えぇぇ。知らないし! じゃなくて、存じ上げませんわ。ってか、アンネローゼ、様が前の婚約者、ですの? あたしがお願いってなん?!」

「落ち着いて下さいませ、カタリナ様。言葉遣いがめちゃくちゃですわ」

 ふぅ、と深い溜め息を吐くアンネローゼ。
 心持ち顔が強張っている。

 いけない、教育係モードに入ってしまったら、鉄仮面に逆戻りだ。

 鉄仮面になったこの人は、超絶怖いのだから。

 あたしは取り繕うように答えた。

「取り乱して申し訳ございませんでした。アンネローゼ様のお話し、全てが初めて聞くことでしたわ」

 そもそも王太子が婚約破棄してたとか、教育係の話とか初耳だし。


 アンネローゼの話を信じるなら、彼女は王太子の元婚約者で、そこに聖女だからと取って代わったあたしの教育係をやらされたってワケ?

 しかも、あたしがソレをお願いしたことになってんの!?

 いやいや、そんな女がいたら性格悪すぎてありえないんですけど。
 そりゃあ、アンネローゼも嫌味ったらしくなるわ。

「……カタリナ様、わたくしは王太子殿下からこの話を聞かされましたわ」

 
 王太子殿下? あの下まつげが?

 言っちゃあ悪いけど、あたしは王太子殿下が苦手である。週に一度のお茶会さえイヤイヤ行ってる。
 あの人、ぎりイケメンだけど下まつげが長すぎてキモいんだよね。
 しかもやたらと体に触ろうとしてくるから、かわしてる最中だよ?

 そんな奴にお願いなんかするわけないじゃん。何されるか分からないもん。

「アンネローゼ様、何か嫌な感じがしませんか。まるで誰かがワザと、、」


 ダダダッ ダダダッ バタン

 あたしが言い終わる前に品性の欠片も感じない足音と大きな音を立てて扉が開く。
 噂の王太子殿下だ。

「カタリナ! いるか!!」

「王太子殿下にご挨拶申し上げます」

 アンネローゼも同じ部屋にいると言うのに、殿下が声がけをしないもんだから、彼女一人だけカーテシーの姿勢を保たなきゃいけない。
 ほんっと貴族ってめんどくさい。

 とりあえず貼り付けた笑顔でも見せて、サッサとお引取り願おう。

 ニコッ

「本日はどのようなご用件で? 今日はお茶会の日ではありませんが、、」

「はっ。貴様はいつもそうだな。僕に気があるフリをするくせにすぐに追い返そうとする」

 
 は? 
 キザったらしく髪をかきあげても、ますますキモいよ?

 だいたい、いつあたしがあんたに気があるフリをしたのよ。
 淑女の微笑みってやつを勘違いした?
 これは別名、愛想笑いって言うんだよ。

「まぁ。殿下、何のお話しでしょう?」

「もういい! 貴様には愛想が尽きたっ。僕に相応しいのはもう一人の聖女、リリーだ! リリー、入りたまえっ」

 わざとらしいくらいにオドオドと入室してきた、リリーと呼ばれたピンク髪の少女はピタリと豊満な胸を王太子に貼りつける。

「彼女がリリー。昨日、異世界からやって来たもう一人の聖女だ! 聖女は二人もいらん!! よって貴様は死罪とする!」

 ん? 頭沸いてんの?

 聖女は国の危機を救うために、特別なギフトを神から与えられた存在だって習った。

 ってことは、仮にリリーとやらも聖女なら、聖女が二人も必要な危機がこの国にこれからやって来るんだよ?

 それなのに、あたしを死罪にしてどおすんの?!

 王太子の頭悪い発言にウンウン唸っていると、半歩後ろに下がっていたアンネローゼがスッと庇うようにあたしの前に出た。

「恐れながら! 恐れながら申し上げます。聖女を死罪など神の怒りを買いますわ。それにそのようなこと、国王陛下がお許しになるはずがありません!!」

 わぁお。

 あの貴族階級を重んじ、王族には口答えしませんって感じのアンネローゼが。
 今は聖女とは言え、馬鹿にしていた田舎娘のあたしのために王太子に歯向かうなんて。

ーーこの人、実は認めた相手にはめっちゃいい人なんじゃない?
 我ながら単純だとは思うんだけど、アンネローゼが好きになっちゃいそう。

「アンネローゼ、誰が貴様に発言を許したっ。いいか、よく聞け! 僕は神の怒りなど買わない。なぜなら聖女リリーと先ほど真実の愛で結ばれたからだ!」

 え、それって昨日会ったばかりのリリーと婚前交渉に及んだ、ってことですかね?
 

 引くわーー。

 会ったばかりの男と関係持てるリリーにも引くわーー。

 王太子の発言に恥じらうどころか、得意げに胸をはり、偉そうに話し出すリリー。

「そうです! それに先程、視察先の東国で国王陛下が病に倒れたと言う連絡がありました! だから、殿下は今、国王代理なんです。これから殿下の言うことは絶対なんですよ?」

 あ、それはちょっとヤバイ。
 善政の鏡みたいな国王陛下が動けないとなると、コイツらやりたい放題だろうし。
 てか王太子、ふんぞり返る前に病気の父王の心配しようよ。

「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」

 あたしは、小首を傾げて世間話でもするかのように、この物騒な会話に混じることにする。
 アンネローゼさえいなければ、お上品なマナーなんてかなぐり捨てて王太子を殴ってる所だが。

「なんだ! 言ってみろ。命乞いして、僕を満足させられると言うなら妾にしてやってもいいぞ」

「あ、それはあり得ないですね」

 下まつげ、お前は一旦黙っとけ。

 なんだと! とか、やっぱり死罪だ! とか、馬鹿みたいに喚いている王太子を無視してあたしはリリーに声をかける。

「リリー様は異世界からいらしたとのことですが。リリー様の世界でも神のギフトはありますの?」

 そう。ギフト。リリーのギフトが重要な要か何かであたしがサブなら一旦ここを離れよう。
 こんなのが次期君主でも、生まれ育ったこの国には愛着もある。
 出来ることはしたいと思う程度に、愛国心はあった。

 目障りなら、あたしとも婚約破棄すればいいだけじゃない。
 そして、あたしは必要な時に呼んでもらえればそれでいいだろうと提案しようとしたのだが。


 リリーは胸元を押し上げるように自分で両腕を抱き、子供のように首をイヤイヤと振り出したのだ。

「リリー、難しい話は、わかんないの。聖女は心根の美しい女性がなるんでしょ? だったら、リリーは聖女だよね?」

 え、難しい話だろうか。

 異世界人だけど言葉は通じてるよね?

 思わずあたしはアンネローゼと顔を見合わせた。
 だが、王太子はニヤニヤと嬉しそうにリリーの肩を抱くとウンウンと頷きながら語りだす。

「ああ! やはり女は無知な方が可愛いと言うものだ。カタリナ! アンネローゼ! 貴様らには可愛げと言うものが全くない」

「そればかりか口を開けば王太子教育が、とか言ってくるだろう。この僕を取り合えよ! お前らが仲違いするように、せっかくアンネローゼをカタリナの教育係にしてやったのに!」

 やっぱり、下まつげのしわざだったようだ。
 僕を取り合え! とか発想キモすぎだろ。

 王太子、お前はその地位以外、女が取り合う価値はないと思うぞ。

 もう殴るしかないか、と一歩踏み出した所をアンネローゼに止められた。
 王族を殴るのはダメらしい。

 仕方なく思いっきり睨んでやると王太子は少し怖気づいたがリリーは堂々としている。
 この女のどこに可愛げがあるんだか。

「ふ、ふん。だからここに国王代理の僕が宣言する! カタリナは死罪! アンネローゼは僕の発言を遮った罰で地下牢だ!」

「そうですわ! アンネローゼは悪役令嬢だからまだ必要だけど、カタリナって誰? って感じだし、モブは聖女なんかやってないでさっさと消えなさいよ」

 リリーの後半の呟きは意味不明だったが、あたしにはそれを確かめる術がなかった。

 なぜなら、アンネローゼが懐から守り刀を出して自分の首に当てていることに気付いたからだ。

「ちょ、アンネローゼ様?! なにして、、、」

 刃は、アンネローゼの首に一筋の血を流させている。

「殿下! 目を覚まして下さいませ。カタリナ様は聖女と言うだけではなく、次期王妃の器を持つ方ですわっ」

「死罪を取り消して頂けないなら、わたくしはこの場で自死致します! そうなれば父である公爵も黙ってはいないでしょう」

 ーー惚れた。

 こんな場面なのに、震えることも怯えることもせず、むしろ堂々たる気品をかもし出すアンネローゼに、あたしは惚れた。
 あたしが男だったら、この場で求婚してる。

「はっ。公爵家は王家を支えるのが使命だろうが! 貴様と違って公爵はわきまえてるさ。死にたいなら勝手に死ねよ!!」

 プツン

 あたしの中で何かが切れる音がした。

 はぁ?

 あたしのアンネローゼに何言ってくれちゃってんの??

 そう、そっちがその気ならあたしも本気でいくよ。

「アンネローゼ様。守り刀を納めて下さいませ。生粋のお嬢様にそんな物は似合いませんもの」

 アンネローゼの守り刀をそっと降ろさせ、あたしは王太子を見据える。

 ただし、目元はにこやかに。
 口元には色香を滲ませて。

 今までとはガラッと空気を変えたあたしに、王太子がうろたえていた。

「殿下。そんな恐ろしいことを仰るなんてひどいですわ。わたくしが素直になれない性格だとご存知でしょう?」

 王太子みたいな単純な男は、扱いやすい。
 女は自分達男よりも劣る存在だと見下しているからだ。

 一歩一歩、王太子とリリーの方に近づいてゆく。

「初めて会った時、殿下はわたくしを豊かな黒髪を持つ、妖艶な聖女だと褒めて下さいましたわよね? わたくし、本当はとても嬉しかったんですのよ」

 言葉とは裏腹に、王太子は顔と胸元しか見てなかったけどな。
 リリーの真似をして、両腕を抱き胸を少し押し上げ見せつけてやる。

 どう? ちゃんと比べてみなさいよ。
 リリーよりもあたしの方がいい女でしょう?

 案の定、ゴクっと唾を飲み込んだ王太子はリリーを抱き寄せていた手を離した。
 リリーは何事か喚いているが、奴はこちらに走ってくる。

「な、なんだ。いきなり! だがまぁ、分かればよいのだ。許してやろう」

 汗ばんだ気持ち悪い手をあたしの肩に乗せ、ニヤニヤしている王太子の顎をあたしは指ですくい上げてやる。

 途端に真っ赤になる所が、本当に扱いやすい
わ。

「嬉しいですわ、殿下」

 それだけ言って、あたしは王太子に口づけた。

 貧しい村の孤児。村長家の召使い。
 それだけで村の中で最下級の扱いになるのは確定だ。
 凶作になればいつ死んでもおかしくない身。

 そんなあたしが生き抜いて来れたのは、この抜きん出た容姿と、西国で踊り子をしていたと言う亡き母が授けてくれた男のあしらい方のおかげ。

 

 そうやって生きてきたあたしには、王太子みたいな男なんて赤子みたいなものだ。

 まぁ、あたしのファーストキスをこんな奴にくれてやるのは不本意だが。

「カタリナ様!!」

 普段は聞いたこともないような、アンネローゼの焦った声。
 僅かに野太い声に聞こえたのは、これでもあたしなりに動揺していたのかもしれない。

 口づけに思いを込めて、神に祈る。

 途端にあたしと下まつげの周りがきらめき出した。

「さぁ、楽しい時間の始まりですわよ。殿下」

 そう言ってあたしが見つめる先には、ポカンとした情けない顔をした、あたし(カタリナ)がいた。

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