オレ様御曹司の溺愛宣言

冬野まゆ

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1巻

1-1

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   プロローグ 出会いはビール片手に


 ビール片手にオフィスの廊下を歩いていた栗城瑞穂くりきみずほは、窓を叩く風の音に足を止める。
 窓の下へと目をやると、花を咲かせたばかりの桜の枝が大きくしなっているのが見えた。
 宵闇の中、外灯の明かりに浮かぶ桜の枝があまりに激しく揺れているので、せっかくの花が飛ばされてしまうのではないかと不安になる。
 どうか散りませんように。そう祈って桜を眺めていると、声をかけられた。

「あれ、先輩。まだ仕事してたんですか?」

 振り向くと同じ営業部の後輩、宮下杏奈みやしたあんなが立っていた。

「ああ、お疲れ」
「昼に会った時、社長のお供で会食に行くって言ってませんでした?」
「その予定だったんだけど、急な来客の予定が入ったとかで中止になったの。だから溜まった事務仕事してた」

 瑞穂は、手にしたビールの缶を軽く振る。
 本来なら職場に相応ふさわしくない品だが、ビール製造会社であるリーフブルワリーに勤める瑞穂にとって、これは大事な商品だ。
 とくに今手にしている商品には、特別な思い入れがある。

「そうなんですか。せっかく美味おいしいもの食べるチャンスだったのに、残念ですね」

 同情する杏奈に、瑞穂は「どっちも仕事よ」と、肩をすくめてみせた。

「社長のお供で食事に行くのも、書類整理も、仕事としての価値は同じ。宮下こそ、営業に出てそのまま直帰したのかと思ってた」

 瑞穂は今日、社内をあちこち動き回っていたので、同じ部署にいる杏奈とはすれ違いになっていた。行動を確認したわけではないが、昼以降に顔を見た記憶がないので、そう判断していた。

「そのつもりだったんですけど、忘れ物して。……せっかくだから、もう一件、営業に寄ってから帰ります」
「お疲れ様」

 労をねぎらう瑞穂のかたわらに、杏奈が歩み寄ってきた。
 そのまま瑞穂の視線の先を確かめるように、窓の外を眺める。

「外、風がすごかったですよ」

 大きくしなる枝を見て杏奈が言う。肩に軽く触れるショートボブの髪を指できながら「おかげでばさばさですよ」と、笑った。

「そうみたいね。だから、桜が散ってしまわないか心配で」
「桜は五分咲きを過ぎないと、花が散らないって言うから、大丈夫だと思いますよ」

 三月下旬の今日、例年より少し遅めの開花宣言がされた桜はまだ三分も咲いていない。
 それなら、この強風で花が飛ばされることはないだろう。

「そう。よかった」

 瑞穂がホッと息を吐くと、隣の杏奈が小さく笑った。

「仕事人間の先輩でも、桜の花が散るのは悲しいですか?」

 どこかからかいを含んだ杏奈の指摘に、瑞穂はキョトンとし、真面目な表情で頷いた。そして持っている缶の表面を愛おしげに撫でる。

「当たり前でしょ。お花見シーズンの前に桜が散ったら、ビールが売れないじゃない」

 ただでさえ昨今の飲酒業界で、ビールは第三のビールやアルコール度数の低い酎ハイ系に押されて人気が低迷している。
 花見や歓送迎会など飲酒の機会が増える時期には、是非とも売り上げを伸ばしたい。だからこそ、桜には頑張って少しでも長く咲いてもらわなくては困る。
 できることなら、ちょうど週末に冷えたビールが恋しくなるくらい暑くなり、そのタイミングで満開の花を咲かせてくれたらなによりだ。
 それは、ビール製造会社の社員として、当然の願いではないか。
 滔々とうとうと持論を述べる瑞穂に、杏奈が「先輩らしいです」と、クスクス笑う。そして小さく肩をすくめて付け足した。

「でも、残念です」
「残念?」
「一瞬、先輩にも桜をでる風情ふぜいの心があるのかと期待しました」

 ありえないとばかりに、今度は瑞穂が大袈裟おおげさに肩をすくめる。

「春夏秋冬、放っておいても季節はめぐるのよ。そんなものでる暇があるなら、仕事をするわ。季節は勝手にめぐるけど、商品は私たちが頑張らないと、お客様の手元に届かないんだから」

 迷いのない瑞穂の言葉に、杏奈が呆れた顔をした。

「相変わらず、仕事第一主義ですね。せっかく美人なのに勿体ない」
「どこが」
「だって色白で鼻筋が通ってるし、目もハッキリした綺麗な二重ふたえで、もっとバッチリメイクしてお洒落しゃれすれば、絶対にモテますよ!」

 杏奈の言葉を鼻で笑いつつ、瑞穂は窓ガラスに映る自分の姿を見た。
 そこには、切りそびれて長くなった前髪をヘアピンで留め、切れ長で冷たい印象を与える目元を眼鏡で誤魔化したキャリアウーマンの姿があるだけだ。
 女子としての甘さも可愛げもない代わりに、仕事に誇りを持ち、胸を張って働く自分を瑞穂は嫌いではなかった。
 杏奈の言う可愛いメイクが駄目とは思わないけど、自分には絶対に似合わない。瑞穂には今の自分がしっくりくるのだ。
 他人の目を気にすることなく、自分らしく生きていけるのは幸せなことだ。

「人それぞれ、その人に合った生き方があるわ。私には、この生き方がちょうどいいの」

 そう断言する瑞穂に、杏奈はもう一度「残念です」と、肩を落とした。

「でももし気が変わったら、私に相談してくださいね。女子力の上げ方を伝授しますから」
「ハイハイ、ありがと。気を付けて帰ってね」

 そんな日は一生来ないだろう。そう思いつつ、杏奈を見送った瑞穂は、手にしてるビールを目の高さまで待ち上げた。
 薄い黄金色こがねいろの缶の上下に、簡略化された鮮やかな緑色のホップと若葉の絵が描かれ、その間に二羽のうさぎがじゃれ合うように跳ねている。
 働く女性のご褒美ほうびビールというコンセプトのもとデザインされた図柄は、女性の頬が思わずゆるむ愛らしいデザインとなっている。さらに缶の表面にざらりとした加工をすることで、独特の手触りを生み出していた。
 是非、仕事で疲れた体と心を、このビールでいやしてほしいものだ。
 ゴールデンウィークに照準を合わせ数年かけて商品化にこぎつけた品は、味や香りも、ご褒美ほうびという言葉に相応ふさわしい仕上がりとなっている。
 膨大な手間暇をかけ、何人ものスタッフによって作り上げられた最高の商品。それをたくさんの人に知ってもらい、手にとってもらえるよう働きかけるのが、瑞穂たち営業部の仕事だ。
 営業は大事な仕事だし、やりがいを感じているが、できればいつか作り手の側にも回ってみたいという夢もあった。

「なんてね……」

 今は任された仕事をきっちり遂行すいこうすることが最優先事項だ。
 瑞穂は軽く宙に放った缶をしっかり受け止めて、営業部のオフィスに向かった。
 しかし、オフィスに入った瞬間、瑞穂の足が止まる。
 ――誰……?
 オフィス内に、しかも瑞穂のデスクの前に見知らぬ男が立っていた。
 長身で肩幅が広く、遠目にも上質なスーツを着ていることがわかる。背筋を伸ばし、左手をズボンのポケットに突っ込んだまま右手で書類を持つその後ろ姿から、なんだかひどくキザな印象を受けた。
 瑞穂の所属する営業部だけでなくリーフブルワリー社内に、こんなキザな後ろ姿の人はいない。
 ――もしかして、産業スパイっ!?
 瑞穂の脳裏に、ぱっとその言葉がひらめく。
 デスクに出しておいた書類は、すでに稼働し始めているプロジェクトに関するものなので、盗まれても大きな支障はない。だが、もし本当にそうなら、ここで逃がすわけにはいかない。
 他の人を呼びに行っている間に、逃げられてはことだ。
 瑞穂は頭の中で、素早くそう結論づける。
 咄嗟とっさに、なにか武器になるものはないかと周囲に視線を向けて、自分の手に缶ビールが握られているのに気付く。
 ――大事なサンプルだけど……
 産業スパイを捕らえるための、武器として役立っていただこう。
 これまた素早く考えをまとめた瑞穂は、足音を忍ばせゆっくりと男の背後へと歩み寄った。
 背後からそっとうかがうと、男はまさに今瑞穂が手にしている新商品に関する書類を読んでいた。
 ――間違いない。産業スパイだ!
 そう確信するけれど、さすがにいきなり殴りかかるわけにはいかない。
 そこで瑞穂が缶ビールを持った右手を上げつつ「あの……」と、声をかけると、男が勢いよく振り返った。
 振り向きざまに男が足の位置を変えたせいで、予想以上に相手の体が瑞穂に近付く。
 殴りかかるには近すぎる距離に迫った男の体から、深みのあるトワレの香りがただよう。
 慣れない上品な男の匂いに瑞穂がひるんでいると、男に右手首を捕らえられた。

「――っ!」

 焦る瑞穂がバランスを崩して倒れそうになると、男はすかさず右手を瑞穂の腰に回して体を支えてくれた。その拍子ひょうしに、彼が手にしていた書類が床に落ち、パサリと乾いた音を立てる。
 突然のことに硬直する瑞穂を気にすることなく、男は瑞穂の握る缶ビールを観察しながら口を開いた。

「威勢がいいね」

 瑞穂が体勢を立て直したのを確認して、男は腰に回している手を離したが、右手は捕らえたままだ。

「……」

 どうにか手を振り解こうともがく瑞穂に構うことなく、彼はいろんな角度から彼女の握りしめる缶を観察する。

「なるほど。これが新商品ってわけか」

 思う存分缶を観察した彼は、視線を瑞穂に向けた。
 そして意味深な笑みを浮かべて「で、君はこれが売れると思う?」と、問いかけてくる。

「売れますっ!」

 気持ちより先に口が動いた。瑞穂は笑みを浮かべる男を威嚇いかくするようににらみつける。

「離してください。警察を呼びますよ」
「ん?」

 瑞穂の発言に、男性は不思議そうに眉を動かした。

「貴方が読んでいたのは、我が社の新商品販売に関する重要情報です。部外者が勝手に目を通していいものではありません」

 声が震えないよう注意しながら、瑞穂は男をにらんだまま言葉を続ける。

「そもそも許可なくオフィスに入り込んでいる時点で不法侵入です。もし貴方が、違法な手段により入手したその情報をライバル企業に漏洩ろうえいするようなことがあれば、営業秘密侵害として訴えます。まずは名を名乗りなさい」

 この男が、努力することなくこそこそ会社の資料を漁り、卑怯ひきょうな手段で利益を上げる産業スパイなら許すわけにはいかない。
 毅然きぜんとした態度を見せる瑞穂の姿に、男性が納得したように頷く。

「ああ、ごめん。俺は……」
千賀観せんがみさんっ!」

 その時、彼の言葉をさえぎるように、瑞穂のよく知る名前を口にする声が聞こえた。
 振り向くと、瑞穂の伯父であり、このリーフブルワリーの社長である栗城平助へいすけが、青ざめた表情で駆け寄ってくる。
 ――千賀観?
「千賀観」とは、このリーフブルワリーの親会社であるセンガホールディングスの社長の苗字ではないか。
 だが瑞穂の知る千賀観社長は、還暦どころか古希こきも過ぎていそうな老紳士だ。
 社内報などで見かけたことのある千賀観社長の顔を思い出しながら、改めて自分の手首を握る男の顔を見つめた。
 形よく整えられている眉に、意志の強さを感じる。その下の二重ふたえの目は、どこか野性的な荒々しさと力強さがあった。
 少し薄い唇と、鼻筋の通った高い鼻も、彼の容姿の良さを引き立てている。
 モデル並みに端整な顔立ちをしていながら、ひどく挑戦的な印象を受けた。

「瑞穂、千賀観さんに失礼だぞ。早く手を離さないかっ!」

 ぽかんとして男の顔を見上げていると、駆け寄ってきた平助に強く叱責しっせきされる。
 手をつかんでいるのは、彼の方なのに。

「伯父さん……」

 普段は公私の区別をハッキリさせている瑞穂だが、戸惑いからつい慣れ親しんだ呼び方をしてしまう。そんな瑞穂に、「伯父さん?」と、呟いた男がつかんでいた手を離した。

「失礼」

 口角を上げて瑞穂に謝罪した男は、蒼白な顔をする平助に顔を向ける。

「少しオフィスを見学していたら、彼女が新商品のサンプルを見せてくれたんです」
「そう、でしたか……」

 なんだかこの状況と彼の説明が微妙に違うが、平助はホッとした顔を見せた。

「ご連絡をいただき、お待ちしておりました。もっと早く教えていただければ、娘の梨香りかも一緒にご挨拶あいさつをさせていただきましたのに」

 梨香とは、瑞穂とおない年の従姉妹いとこで、同じくこのリーフブルワリーで働いている。ただし見た目も性格も、仕事一筋の瑞穂とは真逆のタイプだ。

「申し訳ない。急に時間がいたもので。下見を兼ねて、栗城社長にご挨拶あいさつをしたいと思いまして」

 なるほど。今日の会食予定が急に変更になったのは、彼を待つためだったのか。
 そう納得していた瑞穂に、千賀観と呼ばれた男が視線を向け右手を差し出してくる。

「改めて。千賀観慶斗けいとと言います」
「千賀観さん……」

 つい苗字に反応してしまう瑞穂に、平助が「千賀観社長のお孫さんだ」と、耳打ちしてきた。
 ――社長の孫……
 だとしたら、平助の過剰反応も理解できる。でも、それならそれで、どうして千賀観社長の孫がここにいるのかがわからない。
 センガホールディングスといえば、飲料事業を中心にサプリメントや食品の製造販売をする大企業だ。さらに現在では、保険代理、不動産業、商業施設の運営など多角経営をおこなっている。リーフブルワリーは、センガホールディングスの飲料事業を担う子会社の一つだ。
 社長を務める平助には悪いが、リーフブルワリーはセンガホールディングスの末端企業。創業者一族の子息が、わざわざ挨拶あいさつのために訪問する理由が思いつかない。
 納得がいかないまま瑞穂が差し出された手を握ると、これからよろしくと微笑まれた。

「はい?」
「まだ内々の話だが、千賀観さんは四月から我が社に出向することになっているんだ」

 怪訝けげんな顔をする瑞穂に、平助が説明する。

「出向……ですか?」
「社長の判断です。系列会社に出向き社会を学ぶようにと。世間知らずの若輩者ですが、お役に立てるよう努力します」

 にこやかに話す慶斗の瞳に、強い野心を感じる。
 ――学びにくるっていうより、社長の伯父さんに取って代わりそうだ。
 慶斗の真意を探るようにじっと見つめていると、平助がとんでもないと首を横に振る。

「なにをおっしゃいますか。千賀観さんの手腕を見込んだ社長が直々じきじきに、近年売り上げが低迷してる我が社の業績立て直しを任されたのではありませんか。千賀観さんが次期社長候補と噂されているのは、皆が承知していることです」

 平助の言葉を否定せず、慶斗は目を伏せる。
 その姿に、伯父の言葉がただの社交辞令ではないと思った。
 ――なるほど……
 社長直々じきじきの命により、リーフブルワリーの業績立て直しのため本社から出向してくる慶斗。
 しかも社長の孫で次期社長と噂のある王子様とくれば、伯父が自身の予定を変えてまで丁重ていちょうに扱うのも納得がいく。
 平助は何度も頭を下げながら早口に瑞穂が自分のめいであり、営業部で仕事をしていることを説明した。
 ――だからって……伯父さん、腰が低すぎる。
 平助に気付かれないよう小さく息をらすと、慶斗と目が合ってしまった。
 慶斗は真面目な顔をして、瑞穂に問いかけてくる。

「ところで、さっきの話の続きだけど、君はそのビールが売れると思う?」

 慶斗が試すような視線を瑞穂の持つ缶ビールに向けてきた。
 新商品がはなから売れないと決めつけているみたいな彼の視線にムッとする。

「売れます。私たち営業が、必ず売ってみせます」
凜々りりしいね」

 断言する瑞穂に慶斗が微笑み、視線を平助へと移す。

「いい社員をお持ちだ。自社の商品に自信を持ち、強気で勝負に出られる営業は、会社の財産ですよ」
「ええ。この栗城は、仕事熱心で、若いながらも弊社の売り上げ向上に貢献しており……」

 慶斗の機嫌を損ねたくないのか、平助は素早く彼の意見に賛同し瑞穂をめる。
 ご機嫌取りに徹する社長の下に出向してきたところで、彼に一体なにが学べるというのだろうか。
 そんなことを思いつつ慶斗を見ると、彼も同じタイミングで瑞穂を見てきた。視線が合った慶斗が、茶目っ気のある表情を見せて言う。

「頼りになる、武闘派の営業ですね」
「ん? 武闘派?」

 不思議そうに首をかしげる平助の横で、瑞穂が顔をしかめる。
 いざという時は缶で殴ろうとしていたことに、気付かれていたらしい。
 でも彼の正体を知らなかったあの状況では、警戒しても仕方ないと思う。

「貴方が何者かは承知しました。しかし、いくら訪問の約束があったとはいえ、まだ弊社の社員でない以上、勝手に社内を散策し、許可なく人のデスクにある資料を読むのはいかがなものかと思います」

 殴らなくてよかったとは思うが、そもそも彼が一人で勝手に社内を散策したりせず、平助の案内を受けていれば誤解は生じなかったのだ。
 それなのに、からかいまじりに「武闘派の営業」と呼ばれることには、納得がいかない。
 相手の正体を知ってなお、毅然きぜんとした態度を取る瑞穂の隣で平助がみるみる青ざめる。

「瑞穂っ、……しっ、失礼だろう……っ」

 平助は青い顔で口をパクパクさせていた。
 対する慶斗は一瞬目を丸くした後、すぐに真面目な表情をして瑞穂を見る。

「なるほど。失礼した。……君の営業成績は、きっとその真摯な態度に信頼が寄せられているからだろうね」
「……」

 怒られるかと思ったのに、あっさり謝られると拍子ひょうし抜けしてしまう。
 その思いのまま彼の表情をうかがうと、これで満足かいと問うように微笑みかけられた。
 ――なんか偉そう……
 彼が身にまとう雰囲気のせいか、謝罪の言葉を口にされてもどこか高圧的なものを感じてしまう。でも謝られた以上、瑞穂が彼に言うことはもうない。
 そんな瑞穂の心を読み取ったみたいに、再び慶斗が右手を差し出してくる。

「では、改めて四月からよろしく」

 瑞穂はこちらに差し出された、指の長い大きな手を握り返す。

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 瑞穂がそう挨拶あいさつをすると、慶斗がニヤリと強気な表情を見せた。
 ――王子様って言うより、冒険家みたい……
 彼の眼差しは強く、一切の迷いがなかった。
 この王子様は、世間知らずのお坊ちゃんという甘やかされた存在ではないだろう。
 ――まあ、仕事ができるなら、なんでもいいけど。
 彼がセンガホールディングスの創業者一族かどうかなんて関係ない。
 仕事のできる人が来てくれるのであれば、出向だろうと新人だろうと大歓迎だ。
 そんなことを考えながら、瑞穂は彼の手を離した。



   1 一目惚れから始まる関係


 金曜日の午後。外回りを終えた瑞穂がリーフブルワリー本社のある総合オフィスビルに入ろうとした時、かばんの中でスマホが鳴った。
 見ると、商品開発部主任である峯崎保みねざきたもつからのメールだ。
 働く女子のご褒美ほうびビールをコンセプトにした新商品売り出しのため、少し前まで彼とはマメに連絡を取り合っていたが、発売日を過ぎて半月ほど経ってからのメールに、何事かとメールを開く。内容は、新商品の滑り出しが好調であることへのお礼だった。
 普段は職人気質で寡黙かもくな彼のおめの言葉に、つい頬がゆるんでしまう。
 今回の新作ビール発売に向けて、瑞穂はかなり早い段階から営業の領域を超えて関わらせてもらっていた。以前から峯崎と面識があったこともあり、働く女子の一人として意見を求められたからだ。
 お互いの意見を出し合い、なにもないところから一つの商品を形にしていくという作業は、大変だったけれど学ぶことも多く楽しかった。
 そんなことを思い出しつつメールを読み進めていくと、瑞穂の意見が随分参考になったから商品開発部に異動させてほしいと社長に打診したが断られた、という言葉で締めくくられていた。
 もちろんお世辞なのだろうけど、職人気質で仕事に厳しい峯崎に、ここまで言われるのは悪い気はしない。
 ――また、あんな仕事ができたらいいな……
 峯崎は、瑞穂たち営業部が売り込みに尽力してくれたおかげでビールが売れたと、メールに書いてきた。でも瑞穂からしてみれば、美味おいしいと自信を持って売り込める商品を託してもらえたことを感謝している。
 スマホ片手に頬をゆるめていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。顔を上げると、杏奈がオフィスビルから出てくるのが見える。

「お疲れ。今から外回り?」

 スマホをかばんにしまい、瑞穂が軽く手を挙げた。

「先輩、おかえりなさい」

 駆け寄ってくる杏奈の笑顔が、心なしいつもより輝いて見える。
 それを証明するように、杏奈が弾んだ声で言う。

「聞いてくださいよ! さっき、廊下で王子様とすれ違ったんです」
「ああ……」

 その一言で、全てが理解できた。
 四月に本社から出向してきた千賀観慶斗は、長身で端整なルックスと、センガホールディングス社長の孫で次期社長候補という肩書きから、女子社員の間では密かに「王子様」と、呼ばれている。
 瑞穂ですら初対面の際、咄嗟とっさに「王子様」という言葉が思い浮かんだくらいだ。

「近くにいくと、すごくいい匂いがするんです」

 嬉々ききとした表情で話す杏奈だが、すぐにむくれた表情をして不満をこぼす。


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