傲慢王子は月夜に愛を囁く

冬野まゆ

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1巻

1-3

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 あの日、寿々花の恋人として尚樹が紹介された。
 堂々とした振る舞いで周囲からの祝福を受ける尚樹の姿に、いつしか彼こそが芦田谷廣茂が娘の婿にと選んだ男に間違いない、という話になっていた。
 もちろん、芦田谷家の男性陣の表情を見れば、それが大いなる勘違いであることがわかる。

「鷹尾さんに、してやられましたね」

 あの日の剛志の顔を思い出し、つい笑ってしまう。
 そんな涼子の顔を見て、剛志はため息を漏らした。

「当然のごとく、親父殿は彼をこころよく思ってはいないが、喜ぶ妹の手前、正面切って反対もできずにいる」
「はあ」

 あの芦田谷会長にも力業ちからわざで解決できない問題があるのかと、変に感心してしまう。
 寿々花の婚約者である鷹尾尚樹は、わかりやすいイケメンであると同時に、一代で財を成したIT系企業の社長でもある。やんちゃで人好きのする性格をしていると思うのだが、どうも芦田谷家の面々とはそりが合わないらしい。
 ただ涼子としては、彼のような気骨ある男性でないと、この一族とは渡り合えないと考えている。

「だからといって、諸手もろてを挙げて二人の関係を認める気も、進んで奴を娘の婿と認める気も毛頭ない」

 あれこれ思考をめぐらす涼子に構うことなく話を続ける剛志は、不満げな顔をしている。その表情からして、彼も二人の結婚に反対しているのかもしれない。

「まさか私に、二人の関係を邪魔しろとでも言う気ですか?」

 この話が自分にどう関係してくるのか推理した涼子は、露骨に警戒心を向ける。

「寿々花さんが、生涯独身でいれば満足なんですか?」

 もしそうなら、妹の人生をなんだと思っているんだ。
 今度はどんな説教をしてやろうかと口を開こうとしたが、それより先に剛志が首を横に振る。

「結婚しても独身のままでも、俺としては、寿々花が幸せならどちらでも構わん」

 面倒くさそうに息を吐いた剛志は、涼子に視線を向けてくる。

「……なんですか」

 頬杖をつき半眼で見つめられると、涼子という存在を値踏みされているようで落ち着かない。
 居心地が悪そうに身じろぎする涼子に、剛志が言った。

「大体そんなこと頼んだところで、君は引き受けたりしないだろう?」

 大きく頷くと、剛志は肩をすくめて話を続ける。

「そんな無駄な交渉はしない。それに親父殿がどんな横槍を入れようと、あの男なら障害を障害とも思わず、易々やすやすと結婚までこぎ着けるだろう」
「じゃあ……?」

 自分になにをして欲しいというのだろう。
 ちっとも話が見えてこなくて、眉間みけんしわを寄せる。そんな涼子に、剛志がことさら大きなため息を吐いた。

「二人が上手うまくいったせいで、少々面倒事に巻き込まれて迷惑している」
「……?」

 首をかしげる涼子に、剛志は物憂ものうげに語る。

「パーティーの翌日から、気の早い取り巻きどもがいそいそと婚約祝いを持ってきた。あちらとしては、いち早く祝辞を届けることで、父のご機嫌を取るつもりだったのだろうが……」

 その時のことを思い出しているらしく、剛志は斜め上を見上げ口角を下げる。

「そもそも、この婚約を認めていない父は『上の兄弟が結婚しないうちは、寿々花の結婚を認める気はない』と、祝いを持ってきた奴らに当たり散らした。……それをどう解釈したのかわからないが、取り巻きの間では、父が俺たち兄弟の見合い相手を探しているという話になり、我が家に見合い話が山のように届く事態となっている」

 もとはただの思いつきだったはずが、持ち込まれる見合い話に芦田谷会長の気が変わったらしい。二人の息子に「ちょうどいいから結婚したらどうだ?」と言い出したのだという。
 過去に離婚経験のある兄のたけるには、それを理由に持ち込まれる見合い全てを押し付けられ、妹には複雑な眼差しでことの成り行きを見守られているそうだ。

「それは、お気の毒様で……」

 剛志が心底嫌そうな顔をしているので、一応形だけは同情するフリをしておく。
 そんな涼子を指さし、剛志は目を細めてニンマリと笑う。

「そこで、俺は恋をすることにした」
「はい?」
「好きな女性がいる。まだ付き合ってはいないが、今はその女性のことしか考えられない……と、家族に説明しておいた。幸い、外泊した直後だったから、それなりに信憑性しんぴょうせいがあったようだ」

 剛志が自分を指さす意味を理解して、涼子が悲鳴に近い声を上げた。

「冗談ッ!」
自惚うぬぼれるな。俺が、君に惚れるわけがないだろう。もちろん付き合いたいとも思わない。さっきも言ったが、俺はグルメだ」

 なにか苦いものでも呑まされたような顔をして、剛志が指をヒラヒラさせる。
 つまり涼子など、恋愛対象にもならないということだ。
 口説くどかれても迷惑だが、ここまで言われるのも、それはそれでムカつくものがある。
 ムッと眉根を寄せる涼子に構うことなく、剛志は話を続けていく。

「言っておくが、これはただの時間稼ぎだ」
「時間稼ぎ?」

 言葉をなぞる涼子に、剛志が軽くあごを動かす。

「妹の恋人はなかなかしたたかだ。妹が望むのであれば、父がどう難癖をつけようが、あの男はその希望を叶える。そうなれば、父も俺の結婚話なんて忘れるだろう。俺としては、それまで適当な口実を作って見合い話をかわしたいだけだ」

 涼子が嫌そうな顔をする。

「だからって、なんで私が……」
「手頃な存在だからだ」
「手頃?」
「そう。家族に嘘を信じ込ませるコツは、嘘にほどよく真実を交ぜ込むことだ。その点を踏まえ、このタイミングで一夜を共にした君はちょうどいい」

 親指で中指を弾いて指を鳴らす剛志は、その指先を涼子に向けて言う。

「それに俺は、恋愛感情なんてものに人生を振り回されるのはごめんだ。恋人の演技を頼んだだけの相手に、下手へたに好意を持たれても迷惑だからな。その点でも、君は俺を好きになることはないだろうから、ちょうどいいんだ」

 普通なら自惚うぬぼれた発言に聞こえるかもしれない。だが、確かに剛志が恋人役を頼めば、喜んで引き受ける女性は山ほどいるだろう。そして演技とわかっていても、この男が相手では、あわよくばと女性が考えてしまう可能性は高い。
 その点、涼子ならそういった心配は皆無だ。
 己の身の丈に合った恋をしたいと願う涼子が、恋愛対象に求めるのは地位でも容姿でもない。話や価値観が合い、生活水準が近いこと。
 後はできれば酒好きで、一日の終わりのご褒美ほうびとして、一緒に晩酌ばんしゃくを楽しめる人であればいい。
 比奈のような覚悟があれば別だが、住む世界の違う人と恋をしても、苦労するのは目に見えている。それがわかっていて、わざわざ目の前の規格外な御曹司に熱を上げたりはしない。
 ついでに言えば、彼はストーカー気質の傲慢な王子様である。
 そんな面倒くさそうな男、涼子の好みであるはずがない。

「確かに、私が芦田谷さんに好意を持つなんてあり得ないですね」

 さっき散々ムカつく発言をされたお返しに、涼子が力強く同意する。
 好きになるはずがないのはお互い様なのに、剛志の方も、そこまで断言されると面白くない感情が湧くらしい。どこか不満げな表情を見せた。
 見目うるわしく育ちのよい王子様は、ここまで明確に拒絶された経験がないのだろうか。
 でもそんなのこちらの知ったことではない。
 涼子はふてくされた剛志の表情をさかなに、焼酎に口を付ける。
 グラスを手にしたまま剛志のくだらない話に付き合ったせいで、氷が溶けて焼酎が若干薄まってしまった。その味の変化もまた楽しみつつ、涼子は剛志に確認する。

「芦田谷さん、今お幾つですか?」
「三十七だが?」
「恋人は、いないんですよね?」
「いれば、こんなくだらん茶番をくわだてたりするわけないだろ」

 その「くだらない茶番」に巻き込まれても迷惑なだけだ。
 年齢と恋人の有無うむを確認した涼子は、焼酎をもう一口飲みアドバイスを口にする。

「じゃあ、これをいい機会と思って、素直に結婚したらいいんじゃないですか? 芦田谷さんの立場なら、選びたい放題でしょ。容姿が好みの人を適当に見繕みつくろってお見合いしていけば、そのうち性格的にも妥協できる相手に辿たどり着きますよ」
「冷めた結婚観だな……」

 涼子だって同性の友だち相手になら、恋愛や結婚について夢を語ることはある。だけど剛志相手に、そういった話をするつもりはない。

「芦田谷さんと、関わりたくないだけです」

 間髪かんはつれずに返した涼子に、剛志がニヤリと笑う。

「一夜を共にした仲なのに、冷たいな」
「あれは……」

 もう、十分深く関わっているじゃないか。と、剛志がからかうような視線を向けてくる。
 そんな剛志に、涼子は無表情をよそおって返す。

「あの夜、なにもなかったはずです」
「そうだったかな?」

 はぐらかす剛志の口調はいつになく楽しそうだ。その話し方で、こちらをおどしたり試したりしているのではなく、ただからかっているだけだとわかる。
 妹のいる彼としては、自然に出てくる悪戯いたずらごころなのかもしれないが、長女として育った涼子としては反応しにくい。
 それにもともと、剛志に見つめられると、何故か過剰に防衛本能が働いてしまう。だからつい、必要以上にキツく返してしまっていた。

「芦田谷さんのものが、恐ろしく粗末だというなら自信はないですけど」

 涼しい顔で嫌味を言うと、一瞬、剛志が固まる。でもすぐに涼子の言わんとすることを察して、「なにもなかった。同じ部屋にも寝ていない」と認めた。
 ――御曹司、意外にピュアだな。
 散々挑発するような態度を取っていた剛志が、気まずそうに視線を逸らす姿に、そんな感想を抱く。
 学生時代は体育会系だったし、父子家庭のためバカでお調子者な弟の母親代わりをしていた涼子にとっては、軽い冗談のつもりだったのだが。
 それなのに、そんな反応をされるとこちらまで恥ずかしくなり、思わず話題を戻した。

「でも本当に、結婚について考えるいい機会にしてみたらどうですか?」

 芦田谷会長が乗り気なのも、そういったことを踏まえてのことなのではないか。
 涼子の意見に、剛志が視線を逸らしたままお茶を飲む。その表情が物憂ものうげで、なにか無神経な発言をしてしまったのだろうかと不安になる。
 だが涼子へ視線を戻し、前髪を掻き上げる剛志の表情はさっきまでと変わらない強気なものに戻っていた。

「こちらにも、都合というものがある」
「そうですか……」

 何気ない仕草でも様になる分、さっき一瞬見せた表情は、同情を引くための演技だったのではないかと思えてしまう。そのせいで、一瞬抱いた不安が消えていく。
 心配して損したと、軽く唇を尖らせる涼子がグラスを傾けると、からになっているグラスの中で氷が鳴る。
 下ろしたてのボトルにはまだ十分焼酎が残っているが、話に気を取られグラスがからになっていたことに気付かなかった。そんな涼子の仕草を、違う意味にとらえた剛志が言う。

「味に飽きたなら、他のものを頼むといい。だが外で飲む時はほどほどにしておかないと、そのうち本当にたちの悪い男に連れ去られるぞ」

 何気なく付け足された言葉から、もしかしたらあの日、そうなりかけたところを助けてもらったのかもしれないと思った。

「……」

 だとしたら、危ないところを救ってもらった自分は、剛志に借りがあることになる。
 ――あの部屋、スイートルームだよね。
 休みの間に、つい気になって自分がいたホテルの料金を確認した。そして、一泊に支払うには桁違いの額に一人悲鳴を上げたのだ。
 しかも着替えまで用意してもらったのに、思えば自分は一言のお礼も言っていない。

「……」

 そこまで世話になったのだから、ちゃんとお礼を言うべきなのだろうか。
 お品書き越しにチラリと剛志の様子をうかがえば、彼は頬杖をついたまま、やれやれと言いたげにため息を漏らしている。
 もし剛志が、この前の件のお礼として協力を要請してきたのであれば、涼子は断れなかっただろう。でも彼は、それを交渉の材料に使う気はないらしい。
 つまり彼にとって、この前のことは完全な善意による行為だったということだ。

「飲みたい酒は決まったか?」

 涼子の視線に気付いて、剛志が問いかけてくる。
 そう言っていただけるなら、遠慮なく注文させていただこう。
 仲居を呼び新たな酒を注文した涼子は、ふすまが閉まるのを待って剛志に視線を向けた。

「……さっきの話、引き受けてあげてもいいですよ」
「急にどうした?」

 剛志が驚いた様子で目をまたたかせる。
 そんな彼に涼子は視線を彷徨さまよわせた。自分が素直な性格をしていない自覚はある。
 人に甘えるのは下手へただし、ここまで散々言いたい放題だった相手に、急にしおらしくお礼を言うのも気恥ずかしい。
 だが、いろいろ不満を感じる相手ではあるが、助けてくれた相手の窮地きゅうちを見て見ぬフリするほど、恩知らずでもなかった。
 頭の中で考えをめぐらした涼子は、澄ました表情で剛志に視線を戻した。

「冷静に考えると、美味おいしいお酒を堪能できるなら、悪くない話だと思って」

 茶番に付き合う本当の理由を口にする代わりに、したたかな笑みを浮かべる。そんな涼子の表情を見て、剛志は納得した様子で頷いた。

「では契約成立だな。今日は思う存分、美味おいしい酒を楽しんでくれ」

 そうして涼子の出した交換条件は、剛志に快諾されたのだった。



   2 王子たちのたくら


 翌日。涼子は通勤中に空を見上げて、不思議な感覚に襲われた。
 朝目覚めて、いつもどおりに身支度をして出勤する自分は、平凡な会社員だ。
 昨夜、日本エネルギー産業の重責をになう男と食事をしたことも、そんな彼と奇妙な契約を交わしたことも、夏空の下で思い出してみると、その全てが嘘っぽく思えてくる。

「――っ!」

 いつもより遅い足取りでぼんやり歩いていた涼子は、突然、肩と背中に強い衝撃を受けた。
 それと同時に、鼻にかかる甘い声が聞こえてくる。

「柳原先輩っ」

 体をひねって確認すると、両肩にぶら下がるようにして掴まる佐倉の姿があった。

「……おはよう」

 内心、朝から面倒な人に捕まったとげんなりしつつ、肩を大きくひねって佐倉の手を解く。
 手を払われた佐倉は、嬉々とした表情で涼子の前に回り込むと、予想どおりの質問を投げかけてきた。

「先輩、昨日のイケメン王子様は誰ですか?」

 ――絶対に聞かれると思った。
 涼子は肩を落とし、面倒くさそうに息を吐く。
 普段から時間に余裕を持って行動する涼子とは違い、いつもギリギリに出社する佐倉と偶然会うとは思えない。たぶんこの質問をするために、涼子を待ち伏せしていたのだろう。
 それはそれでわずらわしいのだけど、空気を読まない佐倉に、オフィスで質問攻めにされるよりはまだマシかもしれない。
 そう気持ちを立て直しながら、涼子は素っ気なく返す。

「友だちのお兄さん。飲み会で迷惑かけたから、そのお詫びの話をしたくて待ってただけよ」

 言葉のニュアンスでは、飲んで迷惑をかけたのが剛志のように聞こえるが、そこはあえて勘違いしてもらおう。酔った勢いで、あの男と一夜を共にしたなんて言えるわけがない。

「じゃあ、お礼に食事をご馳走になったんですか?」
「まさか。少し話しただけよ」
「え~ホントですかぁ?」

 甘えるような声で確認してくる佐倉に、涼子は涼しい顔で頷き、歩き出そうとした。でもそれをはばむように、佐倉は再び涼子の前に回り込んできた。

「じゃあ、ちょうどいいから私に紹介してください」
「はい?」

 なにがどうちょうどいいのだろう。
 不思議そうな顔をする涼子に、佐倉が微笑む。

「職場の先輩の紹介って、いろいろちょうどよくないですか? 無難だけど運命的だし、あの人も王子様っぽくて、ママもきっと喜びます」

 意味がわからない。
 これ以上相手をするのは面倒だから、どうにか無視して会社に行けないだろうか。そんなことを真剣に考える涼子に、佐倉は言う。

「ママに、素敵な王子様と結婚してねって、お願いされているんです。だから、彼を私に紹介してください」
「はい?」

 理解不可能。母親が望んでいるからって、思い描くままの人生が手に入ると何故思えるのだ。
 どんなに可愛くても、ここまで会話の成立しない佐倉は、友だちにも紹介することを躊躇ためらう。まして、友だちの兄という微妙な立ち位置の人になど、進んで紹介できるわけがない。

「遠慮しとく」

 きっぱり断って、佐倉の脇をすり抜ける。
 背後で「ええっ」と、悲鳴のような声が聞こえてきたかと思うと、すぐに佐倉が追いかけてきた。

「なんでそんな意地悪するんですか」
「意地悪って……」

 逆に聞きたい。何故たいして親しくもない先輩に、当然のような顔をして、そんなことを頼めるのか。呆れる涼子の隣を歩く佐倉は、昨日の剛志を思い出しているのか、両手を組んでうっとりと虚空を見つめている。

「あの人、イケメンでリッチそう……」
「車好きで、無理して高い車に乗っているだけよ」

 佐倉の妄想が加速する前に、今度は明確な嘘で話をさえぎった。
 剛志の苗字や素性を知られると、流れで寿々花の素性まで知られてしまう可能性がある。
 目立つことを嫌う寿々花は、ごく親しい人以外には自分の素性を隠しているので、佐倉に知られるわけにはいかない。
 会話を終わらせるべく、歩調を速めて会社に向かう。そんな涼子にまとわり付くようにして、佐倉がしつこく話しかけてくる。

「どのくらいお金があるかは、付き合ってみて自分で確かめます。いくらイケメンでも、お金がない人はママ的にNGですから。だから先輩は、紹介だけしてくれればいいんです」

 ――この情熱とねばり強さを、是非とも仕事に回して欲しい。
 そっと眉間みけんを押さえた涼子は、不意にひらめいた。

「佐倉さんが仕事を頑張ったら、考えてもいいわ」

 それは、勉強が嫌いだった弟の拓海たくみに使ったのと同じ手だ。
 このねばり強さを仕事に向けてくれるのならば、涼子だってご褒美ほうびの一つくらい考えなくもない。
 剛志には嫌がられるだろうけど、頑張って交渉くらいはしてみせよう。
 そもそも、一瞬見ただけの剛志に、佐倉が本気で思いを寄せているとは思えない。
 おそらくあの見た目から、自分に都合のいい理想の王子様像を描いているだけだろう。
 だが希望を持つことで、佐倉が仕事にやる気を持ってくれるなら、それもよしだ。

「……」
「佐倉さんがやる気を見せてくれたら、私も紹介することを考える」

 不満げな佐倉にそう微笑んで、涼子は足取り軽く会社へと向かった。


     ◇ ◇ ◇


 オフィスの席で業務をこなしていた剛志は、ノックもなくドアが開く気配にそっとため息を吐く。

「ノックぐらいしてくださいよ」

 そうたしなめつつ顔を上げると、悪びれる様子もなく兄の猛が「したさ。お前が聞いてなかったんだろう」と、平然と嘘を吐く。
 彼が簡単に謝るような人でないことは承知しているので、剛志はそれ以上触れない。剛志の見守る先で、猛は当然のように来客用のソファーに腰を下ろした。
 自分より二つ上の兄は、背が高く骨太でガタイがよい。どちらかといえば母親似の剛志とは違い、父親と瓜二つと揶揄やゆされることのある猛は、その所作にも表情にも父親譲りの自信との強さがにじみ出ている。

「明日の会議資料だ。目を通しておいてくれ」

 そう言いつつ猛が手にしていたタブレットを操作すると、すぐに手元で開いているパソコンがメールの着信を告げた。
 届いたメールのファイルを確認して、剛志は半眼になる。
 メールのやり取りだけで済む話のために、わざわざ彼がここに来る必要はない。それを口実に、別の話をしようとしているのは明白だ。
 それを裏付けるように、用が済んだはずの猛に立ち上がる気配はない。
 それどころか、気を利かせ飲み物を運んできた秘書に退室を命じた。

「他にもなにか?」

 諦めた剛志が話をうながすと、猛がニッと口角を持ち上げて笑う。

「明日の金曜日は、私の食事会に付き合え」

 口調としては軽いが、有無うむを言わせぬ迫力がある。と同時に、悪戯いたずらを画策する子供のような雰囲気をただよわせている。そんな兄の様子に、剛志はそっと眉を動かす。

「仕事ですか?」
「ある意味、仕事絡みだな」

 その言葉で、兄のたくらみを察する。
 食事にかこつけて、見合いの真似事でも画策しているに違いない。
 仕事絡みと表現するならば、見合い相手はあけぼのエネルギーと繋がりのある企業の令嬢といったところだろう。
 そんなものに、付き合う気はない。
 人に面倒を押し付ける前に、同じ独身である猛が見合いをすればいいではないか。
 先方としては、芦田谷家と姻戚関係を結べれば、相手は長男でも次男でも構わないはずだ。

生憎あいにくと、明日はデートの約束があるので」

 剛志は、澄ました顔でそう返す。
 別に涼子と会う約束をしているわけではないが、それは今から取り付ければいいだけのことだ。
 ――彼女も、美味うまい酒と料理を振る舞えば文句はないだろう。
 涼子とはそういう契約を取り交わしたのだから。
 そんなことを考えていると、猛からいぶかるような視線を向けられた。
 自分たちの間には、互いのプライベートは探らない、という暗黙のルールが成立している。だが、猛がその気になれば、剛志が誰と会っているかなどすぐに知られてしまうはずだ。
 面倒くさいと息を吐く剛志に、猛が言う。

「お前の結婚を、親父殿が希望している」

 芦田谷家において、父である廣茂の発言は絶対だ。
 世間的な肩書きで言えば、剛志はあけぼのエネルギーの専務であり、その地位に見合うだけの権力も行動力も持っている。
 だが家庭内の序列で言えば、の強い父兄の下になるため、どうしても発言力が弱い。
 別に家族と揉めたいわけじゃないので、普段はそれでも構わないのだが……
 たとえ家族と喧嘩してでも、死守したい領域というものはある。

「今は気になる女性がいますので」

 ここ数日繰り返している言い訳に、猛が白々しいと言いたげに大きく息を吐き、膝を叩いて立ち上がった。

「明日の件は、適当に断っておいてやる。だが、芦田谷家の嫁選びと、ただの戯事ざれごとを履き違えるなよ」

 芦田谷家の将来の長らしい猛の発言が、剛志の古傷を刺激する。
 だからつい、部屋を出ていこうとする猛を呼び止めてしまう。

「兄さん、たとえ家族でも二度目はないですよ」

 ――あんな思い、二度とごめんだ。
 さっきまでの柔和な感じを払拭ふっしょくし、鋭い眼差しで兄を牽制けんせいする。そんな剛志に、猛も鋭い眼差しを返した。


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