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第四章
◆チャプター37
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アイアンランドの市街西部に浅く掘られた塹壕から身を乗り出して煙草を吸うレベッカの瞳には、地面に何十も開いた摺り鉢状の砲弾穴や車体が大きく裂けて真っ黒に焦げたJS‐2重戦車の残骸群が映し出されている。
「狼の世だ。羊の皮を被った、狼達の世」
レベッカは更にその向こうにある壁だけが焼け落ち、シュールレアリズム的な墓場のように列を作った煙突や外郭から塹壕内に視線を移す。
そこには、彼女が指揮することになった長耳種達の姿がある。
汚染された水を飲んでしまったために腹痛に苦しむエルフAは、まだ生暖かい糞を外に投げ捨てている。勿論、その姿は周囲の全員に目撃されていた。
ほとんどが灰緑の顔色にも関わらず、一人だけ薄く赤み帯びた顔のエルフBは誰とも目を合わせない。彼は空腹に耐えられなくなって人肉を――薄切りにして茹でた死体の尻肉を『これはラクダの肉だ』と自分に言い聞かせて――食べた。
エルフCと同Dは情報収集用の捕虜を捕まえにくる挺身斥候班に怯えながら、つい最近死んだばかりの軍馬が鼠や野犬に荒らされるよりも早くそれらの腹肉を抉り出そうと試みている。
狼の世。まさに羊の皮を被った、狼達の世である!
「君達は敗戦した。ヒトラーは我々を騙したのだ」
レベッカがサーディン缶をポケットから取り出した時、塹壕前面に立ち込めるミルクのように濃い霧の向こうから、投降を呼び掛けるキーボルク大隊の放送が聞こえ始めた。
「私もドイツ兵として勇敢に戦ったが、その果てに上層部の大嘘と自らの誤りに気付いた。ソフィア・マリューコヴァは我々にも手を差し伸べてくれる。彼女は狂人ではない。温かな食事を提供し、故郷に帰してくれる」
食べ終えたレベッカが残る油を指で拭って口に入れてから缶を投げ捨てた時、視界端に放送を真に受けたエルフが塹壕から飛び出していく姿が見えた。
「オカッチやめろ!」
「戻れ! あんなの大嘘だぞ!」
仲間達は口々に制止の叫びを上げるが、馬肉を数切れ浮かべただけのスープを三日に一度だけ食らい、両目を血走らせて昆虫や猫を探していることさえあった彼は姿が見えなくなるまで振り返りもしなかった。
「ん?」
塹壕の中に腰を下ろして体力を温存していたレベッカがディーゼルエンジンの轟音と履帯の軋音で鼓膜を叩かれたのは、それからちょうど七分後である。
「敵だ!」
大きく右目を見開いて立ち上がるのに前後して濃霧が晴れ、
「助けて! 助け……」
慌ただしく火器類の安全装置を外す彼女達の前に、全力疾走で走り戻ってくるオカッチと戦車の横隊が現れる。
勿論味方ではなくキーボルク大隊の戦車が!
「対戦車戦闘!」
T‐34/85中戦車の七・六二ミリ機銃で背中と膝裏を撃たれたオカッチが前のめりに死ぬ様子など気にも留めず、レベッカは塹壕のやや後方に配置された八十八ミリ高射砲へ叫ぶ。
「後続する歩兵を殺れ。陣地に一人も入れるな!」
続く大声で、タイヤ跡が血管宜しく走る泥海を進む戦車が、何度も踏み潰され、大地と半ば一体化したような死体の上を進む姿を茫然と見つめていたエルフらは我に返る。
すぐに三脚架に乗せられたMG42機関銃が火を噴いて傭兵が何人も倒れるが、彼らの前を進むJS‐3重戦車は早々に射点を特定、『ヒトラーの電動鋸』を扱うフログゥをどういう訳か被っていたカウボーイハットごと粉砕する。
「もう嫌だ!」
水平射撃で一両を擱座させるも、もう一両からの榴弾で操作していたマヒルとロビンごと八十八ミリ高射砲がバラバラに吹き飛ぶ地獄絵図を目の当たりにしたアンサイはヘルメットを地面に叩き付ける。
そして、首を刎ねられた鶏のように塹壕から飛び出した。
「よせ!」
すぐ隣でそれを見たレベッカが制止するのと、次の大口径砲弾を装填し終えたヨシフ・スターリン3が第二射を放つのはほぼ同時。
着弾――十数秒の時が過ぎる。
「……ァッ」
激しく耳鳴りがする中で意識を取り戻したレベッカはうつ伏せに倒れたまま、浅い塹壕を踏み越えた敵戦車が下半身を丸々失ったアンサイの死体を踏み潰して進んでいく光景を目撃する。
「そろそろ出掛ける時間だ」
レベッカは激しく咳き込みながらもすぐ目の前に転がっていた、円錐を前後に二つ繋いだ形の弾頭を持つ一メートル程の筒を掴む。
パンツァーファウストだ!
「私は死ぬために。諸君は生きるために」
よろめきつつ立ち上がり、敵弾の風切り音が鳴り響く世界で安全装置を解除、簡素な照準器に排気煙を巻き上げて進むJS‐3重戦車の無防備な背面を捉える。
「どちらの籤の方がいいのか、知るのは神の他にいない」
プラトンの『ソクラテスの弁明』を言い終えたレベッカが上部の発射レバーに力を込めるや否や、凄まじい轟音と共に筒から弾頭が発射された。
そして重さ約三キロの鉄拳は重戦車の砲塔後部に命中、日系アメリカ人傭兵のユリエ・アベを含む中の乗員全員を死亡に追い込んだ。
注1 ドイツ製の使い捨て式対戦車無反動砲。
「狼の世だ。羊の皮を被った、狼達の世」
レベッカは更にその向こうにある壁だけが焼け落ち、シュールレアリズム的な墓場のように列を作った煙突や外郭から塹壕内に視線を移す。
そこには、彼女が指揮することになった長耳種達の姿がある。
汚染された水を飲んでしまったために腹痛に苦しむエルフAは、まだ生暖かい糞を外に投げ捨てている。勿論、その姿は周囲の全員に目撃されていた。
ほとんどが灰緑の顔色にも関わらず、一人だけ薄く赤み帯びた顔のエルフBは誰とも目を合わせない。彼は空腹に耐えられなくなって人肉を――薄切りにして茹でた死体の尻肉を『これはラクダの肉だ』と自分に言い聞かせて――食べた。
エルフCと同Dは情報収集用の捕虜を捕まえにくる挺身斥候班に怯えながら、つい最近死んだばかりの軍馬が鼠や野犬に荒らされるよりも早くそれらの腹肉を抉り出そうと試みている。
狼の世。まさに羊の皮を被った、狼達の世である!
「君達は敗戦した。ヒトラーは我々を騙したのだ」
レベッカがサーディン缶をポケットから取り出した時、塹壕前面に立ち込めるミルクのように濃い霧の向こうから、投降を呼び掛けるキーボルク大隊の放送が聞こえ始めた。
「私もドイツ兵として勇敢に戦ったが、その果てに上層部の大嘘と自らの誤りに気付いた。ソフィア・マリューコヴァは我々にも手を差し伸べてくれる。彼女は狂人ではない。温かな食事を提供し、故郷に帰してくれる」
食べ終えたレベッカが残る油を指で拭って口に入れてから缶を投げ捨てた時、視界端に放送を真に受けたエルフが塹壕から飛び出していく姿が見えた。
「オカッチやめろ!」
「戻れ! あんなの大嘘だぞ!」
仲間達は口々に制止の叫びを上げるが、馬肉を数切れ浮かべただけのスープを三日に一度だけ食らい、両目を血走らせて昆虫や猫を探していることさえあった彼は姿が見えなくなるまで振り返りもしなかった。
「ん?」
塹壕の中に腰を下ろして体力を温存していたレベッカがディーゼルエンジンの轟音と履帯の軋音で鼓膜を叩かれたのは、それからちょうど七分後である。
「敵だ!」
大きく右目を見開いて立ち上がるのに前後して濃霧が晴れ、
「助けて! 助け……」
慌ただしく火器類の安全装置を外す彼女達の前に、全力疾走で走り戻ってくるオカッチと戦車の横隊が現れる。
勿論味方ではなくキーボルク大隊の戦車が!
「対戦車戦闘!」
T‐34/85中戦車の七・六二ミリ機銃で背中と膝裏を撃たれたオカッチが前のめりに死ぬ様子など気にも留めず、レベッカは塹壕のやや後方に配置された八十八ミリ高射砲へ叫ぶ。
「後続する歩兵を殺れ。陣地に一人も入れるな!」
続く大声で、タイヤ跡が血管宜しく走る泥海を進む戦車が、何度も踏み潰され、大地と半ば一体化したような死体の上を進む姿を茫然と見つめていたエルフらは我に返る。
すぐに三脚架に乗せられたMG42機関銃が火を噴いて傭兵が何人も倒れるが、彼らの前を進むJS‐3重戦車は早々に射点を特定、『ヒトラーの電動鋸』を扱うフログゥをどういう訳か被っていたカウボーイハットごと粉砕する。
「もう嫌だ!」
水平射撃で一両を擱座させるも、もう一両からの榴弾で操作していたマヒルとロビンごと八十八ミリ高射砲がバラバラに吹き飛ぶ地獄絵図を目の当たりにしたアンサイはヘルメットを地面に叩き付ける。
そして、首を刎ねられた鶏のように塹壕から飛び出した。
「よせ!」
すぐ隣でそれを見たレベッカが制止するのと、次の大口径砲弾を装填し終えたヨシフ・スターリン3が第二射を放つのはほぼ同時。
着弾――十数秒の時が過ぎる。
「……ァッ」
激しく耳鳴りがする中で意識を取り戻したレベッカはうつ伏せに倒れたまま、浅い塹壕を踏み越えた敵戦車が下半身を丸々失ったアンサイの死体を踏み潰して進んでいく光景を目撃する。
「そろそろ出掛ける時間だ」
レベッカは激しく咳き込みながらもすぐ目の前に転がっていた、円錐を前後に二つ繋いだ形の弾頭を持つ一メートル程の筒を掴む。
パンツァーファウストだ!
「私は死ぬために。諸君は生きるために」
よろめきつつ立ち上がり、敵弾の風切り音が鳴り響く世界で安全装置を解除、簡素な照準器に排気煙を巻き上げて進むJS‐3重戦車の無防備な背面を捉える。
「どちらの籤の方がいいのか、知るのは神の他にいない」
プラトンの『ソクラテスの弁明』を言い終えたレベッカが上部の発射レバーに力を込めるや否や、凄まじい轟音と共に筒から弾頭が発射された。
そして重さ約三キロの鉄拳は重戦車の砲塔後部に命中、日系アメリカ人傭兵のユリエ・アベを含む中の乗員全員を死亡に追い込んだ。
注1 ドイツ製の使い捨て式対戦車無反動砲。
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