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第二章
◆チャプター11
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一九四八年九月二十四日。
ケセン・ヌ・マは形式上ナチスの都市ではあったが、同組織の一大軍閥であるノヴォ・ソフィアが拠点にもしているこの場所は、その独特な出自や本国からの距離故に極めて高い独立性を有していた。
『規律を守れない者は出て行け』
この言葉が各所に書かれた東側は活気に溢れ、夜になっても数え切れない数の電動ファシスト自転車やマジックヒトラー号が慌ただしく行き交っている。
一方でラビと呼ばれるユダヤ教の宗教的指導者が堂々と歩道を進み、表通りに面した場所には新しいシナゴーグも建設中という、他ではまず有り得ない光景も広がっていた。
そして『鮫林寺』こと、二年前に組織丸ごと第三帝国に寝返った武装要塞国家アイアンランドの中核メンバー達が優雅に暮らす旧ダウンタウン――二本の川に挟まれている――には、幾つもの高層ビルが立ち並んでいる。
「火星にぃ……っ! 火星に農場ができちゃうぅぅぅううっ!」
そんな清濁入り混じる地の中枢、首長兼大管区指導者が住む摩天楼の最上階に絶頂の響きが木霊する。
「失礼します」
それから数時間後、今も変わらない上官との情交で叫びを上げていた少女は、月光に照らされた廊下を通って王室に再び足を踏み入れていた。
「ごめんなさい。今片付けるわね」
頭に猫耳を付け、筋肉質な肢体の要所を黒いマイクロビキニだけで覆っているアノニマが現れると、眼鏡を掛けて読書していた同種は山積みの書籍を執務机の右端に纏める。
「ありがと」
改造したソ連軍の将校用制服から浮いた腹筋と肉感的な太腿を露出させている彼女こそソフィア・マリューコヴァ。
アイアンランドの支配者時代には東西双方への傭兵派遣業で凄まじき富を得、更には誰もが不可能だと考えていたスペクターによる国家運営、生存圏の確立、経済基盤の絶対的安定化までも実現させ、それらを経た現在はケセン・ヌ・マを揺るぎなく統治している精神的超人であった。
「どうぞ」
切り分けたハムチーズトーストとサラダ。
硬め仕上げのゆで卵が半分。
スプーン一・二五杯分の砂糖及び粉ミルク入りコーヒー。
「良かった」
そんな重要人物が夜食として机に置かれたトレイ上にある夜食の内、一つ目をすぐ口に運ぶ様子は銀髪の少女の表情を緩ませた。
「えっ?」
「いえ……」
スペクター全体から見ても非常に高い戦闘能力を持ち、言わば弁護士のような存在として今日に至るまで内外の敵々からソフィアを守り続けてきたアノニマは、続いて黒液に口を付けてからカップを金属板上に戻した彼女に紅瞳を向けられて思わず頬を染めてしまう。
「前は中々食べてくれませんでしたから……」
枕が足元で曲がり、シーツも酷く乱れたベッドの上に力なく横たわりながら、バスローブから肩口や臀部をだらしなく覗かせて自分に生返事を返す上官の姿はアノニマの記憶に新しい。
ソフィアを心底愛する『匿名』の女性形はずっと、朝昼晩全く同じメニューを彼女の自室まで運ぶ度、レジェンドが内側から食い破られないよう現在進行形の対応すべき事項を自然な形で差し出し続けてきた。
「そうね……」
黒い長髪の保有者は席を立ち、明暗が絶望的なまでに広がった窓外を見やる。
「あの頃はそんな余裕もなかった」
ソ連軍在籍時代にも事実上の独立武装勢力を率いていたソフィアの胸中から、とある理由に起因する強い怒りと恨みがようやく消えたのは、東部戦線における戦いによって元は敵であった者達に自分の呪われた生を認めさせ、納得行く形でその傘下に加わり、あの『鮫の日』を経てここピッツバーグを完全平定してからおよそ数か月後だった。
「何かを楽しんだりすることなんて自分には無理だと思っていた」
立ち上がって防弾ガラスに背を預けたソフィアは、先程纏めた書籍の背表紙に視線を送った。
「次のステージに進めたんでしょうね」
そこには以前見向きもしなかったバイロンやシェリーの詩集がある。
彼女は従う者を積極的に登用して東側での生活を保証し、一方で反抗する者を片っ端から壁向こうの西側送りにする多忙な日々の中で尚も燻る負の情念も全て霧散させた時、憎悪に囚われていた頃の自分は内面の成長が停滞していたことと、本や映画がそれを解決してくれることの両方に気付いたからだ。
「だから今の私にとって全てはイエスなの。今は生きるのが楽しい」
「とても良いことだと思います」
机上に置かれている旧友達との記念写真を見つめた年若い大佐に対し、彼女とチェコ製執務机を挟んで向かい側に立つアノニマは揺るぎない本心を口にする。
そして銀髪の亡霊がいつの間にか空になったカップに視線を伸ばすと、
「あっ、お代わりもらっていい?」
小さく頷いたソフィアは相思相愛の部下に微笑みを返す。
コーヒーなんて眠気を一時的に解消する液体程度にしか思っていなかったから、以前は一杯飲めばそれで終わりだった。
でも今は二杯目を飲んでもいいんじゃないかとソフィアは考えている。
その選択もまた、イエスなのだから。
ケセン・ヌ・マは形式上ナチスの都市ではあったが、同組織の一大軍閥であるノヴォ・ソフィアが拠点にもしているこの場所は、その独特な出自や本国からの距離故に極めて高い独立性を有していた。
『規律を守れない者は出て行け』
この言葉が各所に書かれた東側は活気に溢れ、夜になっても数え切れない数の電動ファシスト自転車やマジックヒトラー号が慌ただしく行き交っている。
一方でラビと呼ばれるユダヤ教の宗教的指導者が堂々と歩道を進み、表通りに面した場所には新しいシナゴーグも建設中という、他ではまず有り得ない光景も広がっていた。
そして『鮫林寺』こと、二年前に組織丸ごと第三帝国に寝返った武装要塞国家アイアンランドの中核メンバー達が優雅に暮らす旧ダウンタウン――二本の川に挟まれている――には、幾つもの高層ビルが立ち並んでいる。
「火星にぃ……っ! 火星に農場ができちゃうぅぅぅううっ!」
そんな清濁入り混じる地の中枢、首長兼大管区指導者が住む摩天楼の最上階に絶頂の響きが木霊する。
「失礼します」
それから数時間後、今も変わらない上官との情交で叫びを上げていた少女は、月光に照らされた廊下を通って王室に再び足を踏み入れていた。
「ごめんなさい。今片付けるわね」
頭に猫耳を付け、筋肉質な肢体の要所を黒いマイクロビキニだけで覆っているアノニマが現れると、眼鏡を掛けて読書していた同種は山積みの書籍を執務机の右端に纏める。
「ありがと」
改造したソ連軍の将校用制服から浮いた腹筋と肉感的な太腿を露出させている彼女こそソフィア・マリューコヴァ。
アイアンランドの支配者時代には東西双方への傭兵派遣業で凄まじき富を得、更には誰もが不可能だと考えていたスペクターによる国家運営、生存圏の確立、経済基盤の絶対的安定化までも実現させ、それらを経た現在はケセン・ヌ・マを揺るぎなく統治している精神的超人であった。
「どうぞ」
切り分けたハムチーズトーストとサラダ。
硬め仕上げのゆで卵が半分。
スプーン一・二五杯分の砂糖及び粉ミルク入りコーヒー。
「良かった」
そんな重要人物が夜食として机に置かれたトレイ上にある夜食の内、一つ目をすぐ口に運ぶ様子は銀髪の少女の表情を緩ませた。
「えっ?」
「いえ……」
スペクター全体から見ても非常に高い戦闘能力を持ち、言わば弁護士のような存在として今日に至るまで内外の敵々からソフィアを守り続けてきたアノニマは、続いて黒液に口を付けてからカップを金属板上に戻した彼女に紅瞳を向けられて思わず頬を染めてしまう。
「前は中々食べてくれませんでしたから……」
枕が足元で曲がり、シーツも酷く乱れたベッドの上に力なく横たわりながら、バスローブから肩口や臀部をだらしなく覗かせて自分に生返事を返す上官の姿はアノニマの記憶に新しい。
ソフィアを心底愛する『匿名』の女性形はずっと、朝昼晩全く同じメニューを彼女の自室まで運ぶ度、レジェンドが内側から食い破られないよう現在進行形の対応すべき事項を自然な形で差し出し続けてきた。
「そうね……」
黒い長髪の保有者は席を立ち、明暗が絶望的なまでに広がった窓外を見やる。
「あの頃はそんな余裕もなかった」
ソ連軍在籍時代にも事実上の独立武装勢力を率いていたソフィアの胸中から、とある理由に起因する強い怒りと恨みがようやく消えたのは、東部戦線における戦いによって元は敵であった者達に自分の呪われた生を認めさせ、納得行く形でその傘下に加わり、あの『鮫の日』を経てここピッツバーグを完全平定してからおよそ数か月後だった。
「何かを楽しんだりすることなんて自分には無理だと思っていた」
立ち上がって防弾ガラスに背を預けたソフィアは、先程纏めた書籍の背表紙に視線を送った。
「次のステージに進めたんでしょうね」
そこには以前見向きもしなかったバイロンやシェリーの詩集がある。
彼女は従う者を積極的に登用して東側での生活を保証し、一方で反抗する者を片っ端から壁向こうの西側送りにする多忙な日々の中で尚も燻る負の情念も全て霧散させた時、憎悪に囚われていた頃の自分は内面の成長が停滞していたことと、本や映画がそれを解決してくれることの両方に気付いたからだ。
「だから今の私にとって全てはイエスなの。今は生きるのが楽しい」
「とても良いことだと思います」
机上に置かれている旧友達との記念写真を見つめた年若い大佐に対し、彼女とチェコ製執務机を挟んで向かい側に立つアノニマは揺るぎない本心を口にする。
そして銀髪の亡霊がいつの間にか空になったカップに視線を伸ばすと、
「あっ、お代わりもらっていい?」
小さく頷いたソフィアは相思相愛の部下に微笑みを返す。
コーヒーなんて眠気を一時的に解消する液体程度にしか思っていなかったから、以前は一杯飲めばそれで終わりだった。
でも今は二杯目を飲んでもいいんじゃないかとソフィアは考えている。
その選択もまた、イエスなのだから。
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