小さな生存戦略

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地獄への旅立ち

不明存在

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 陽歌は隔絶館で起きた事件のことで警察署に呼ばれていたが、その最中にある提案を受ける。それはある犯罪心理学者が行うというテストへの参加だ。
「犯罪被害者が犯罪心理学者からテスト?」
「ああ、どうも府中成政という人物からの依頼らしい」
 村雨は怪訝な表情を見せる。以前、金湧警察の不祥事に巻き込まれた陽歌にどうにか安心して事情聴取してもらえる様に愛花もこの場には来ていた。
「人数が多いな……」
「軽度の触法少年も含めているらしいな」
 参加者はやたらに多く、ただ手抜き警察に嫌疑をかけられただけの陽歌が混ざるには不適切ともいえる。年齢層にも非常にばらつきが多い。サンプルというのは多い方がいいというものなのだが、あまりにも無秩序だ。
「これは……ダメなまとめブログか何かか?」
 ただその内容を目を通した村雨は頭を抱える。既出の問題、それもネット上に転がっているものばかりだ。これでは一般人に偽装したいサイコパスは隠れられるし、サイコパスぶりたい一般人はサイコパスになれてしまう。サイコパスの傾向を洗って干して、それを特定する設問を新規に設定せねばならない。
(ふふ、サイコパス診断テストか……。お墨付きをもらえれば俺もサイコパスの仲間入りだ!)
 その中に、江戸川一政は紛れていた。ぱっと見ればデブの小学生だが、彼はサイコパスに憧れていた。単なる早めの中二病、と思われたが実際に飼育小屋の兎を殺して送致されている。動物虐待は殺人への入り口なので早めに対処する必要がある。
(テストかぁ)
 陽歌はテスト慣れしていないので緊張していた。村雨は正解のある問題ではないと言っていたが、今までのテストが正解しかないため想像もつかない。早速問題に目を通す。
『あなたはドライブの途中でヒッチハイクをしている女性を見つけたので、目的地の自宅まで届けてあげることにしました。しかしその女性の態度は無礼かつ不愉快であなたは女性を懲らしめてやりたくなりました。しかしあなたは紳士的な態度で女性を自宅まで送り届け、そのままなにもせずにその場を後にしました。なぜでしょうか』
(これは……)
 陽歌は『もう関わりたくないから』と至極真っ当な回答をした。よく考えれば、否よく考えなくとも一番スムーズで平穏な対応は嫌いな相手を避けることだ。総出で攻撃を、ましてや子供を外見や出生を理由にして仕掛けるのはもう何等かの脳機能異常の類なのだ。
(これだ!)
 江戸川は『家まで送り届けて現場の下見をしたかったから』と記した。これはネット上で扱っている問題なのでサイコパスを装うのが容易だ。
『いまから提示する四つのワードから物語を連想してください』
 提示されたのは『燃えている家、女の子、消防車、女の子を抱える消防隊員』の四つ。陽歌は当然の様に、逃げ遅れた女の子を家から消防隊員が助けたのだろうと思った。一方で江戸川は『自分で火をつけて英雄に扱いされようとする消防隊員』という回答をする。サイコパスは犯罪をする側の回答をする傾向が強い。江戸川は答えの丸暗記でそれを理解はしていないが。
『あなたの母親はとても口うるさい女性で、毎日事あるごとに喚いて怒鳴り散らしていました。ある日、そのうるささに耐えられなくなったあなたはとうとう母親を手にかけてしまいました。その後警察が現場に到着しましたが、発見された母親は執拗に口だけが傷つけられていました。なぜあなたは母親の口を執拗に傷つけたのでしょうか』
「……」
 陽歌はその設問に答えられなかった。この文章がまるで自分の姉を指している様で、筆が動かせなかったのだ。一般的にはその口うるささ故に口へ恨みが溜まっていたからと答える。サイコパスはまだうるさく罵られていると感じたからと答えるそうだ。サイコパスの中には無機物がまるで生きているかのような行動をとる幻覚を見る人もいるんだとか。
『あなたは1Kのアパートで人を殺めてしまいました。遺体はどこに隠しますか?』
 江戸川は迷うことなく『ベッドの上』と回答する。かつて殺人犯に同様の質問をした時に『俺なら死ぬ時はベッドの方がいいから』と答えたという話がある。一方、陽歌は答えに困った。なぜなら、殺す時は自身の非力さを考慮して自殺や事故に見せかけるから。あと1Kがわかっていない。なので適当に『ゴミ箱』と書いた。
『多数の凶悪犯罪を犯したあなたはある日、警察に悪事がバレて逮捕されてしまいました。あなたは取り調べに対してまだ警察が把握していない犯罪も自身の立場が悪くなる情報さえ包み隠さず話ました。なぜでしょうか』
(これは……)
 陽歌はとりあえず、『どうせボロが出るから』と答える。一般人は罪の軽減を狙ったり警察がどこまで把握しているかわからないからという理由がある。彼としては家族の殺害に関して、死なないことが優先で捕まってもいいと思っていた節がある。
 一方で江戸川は『自分がやったことに誇りを持っており自慢したかったから』と答えた。この通り、サイコパスは共感性が薄いので殺した相手やその遺族がどうのとかは考えない。陽歌がいじめっこを殺したのも、復讐であり遺族を苦しめる目的も含んでいる。
 そういう意味では共感性がありながらそれを理解して利用し、踏みにじっている陽歌の方が恐ろしいまである。
『囚人として数年間の刑期を終えたあなたは今日刑期を終え、社会復帰を果たしました。さて、まずは何をしますか?』
 この質問に陽歌は当然、『仕事を探す』と答える。これは一般に近い回答だ。一方江戸川は『周囲の適当な民家に侵入して住民を殺し、生活に必要なものを手に入れる』と答えた。もうここまでくると共感性や罪悪感がどうのという次元ではない。ナチュラルに無法者だ。
『あなたは友人と共に罠だらけの部屋に閉じ込められてしまいました。しかし、脱出しようとした友人はギロチンの罠にかかり負傷してしまいました。さてどこを負傷したでしょう』
 陽歌はギロチンということで首と反射的に思ったが、負傷という言葉なので死んでいないことはわかった。首を切られたら死ぬのでそれ以外と考え、腕と答えることにした。腕を斬られたことはないのだが、なぜか彼はべっとりとした冷や汗が噴き出してしまう。鮭の件といい、自分でも理解できない好き嫌いがあるような気はする。 
 サイコパスは心臓から離れた末端を答えるらしいが、ネットで拾ってきたテストなんて精度の保証ができないものである。なので江戸川もこの答えは知っていたが猟奇性に欠けるとして、『目』と答えた。ギロチンって言ってんだろうが国語力ねーのか。
『クリスマス当日、プレゼントを心待ちにしていた男の子の下にサンタがやってきてサッカーボールと自転車をプレゼントしました。しかし男の子はうれしがらないばかりか悲しそうな表情をしました。なぜでしょうか』
「ん?」
 陽歌にはこの設問の意図がわからなかった。彼は誰かから贈り物をされるという経験がなく、それは当然うれしいものだと思っていた。なのでわからないとだけ記す。一般人は好きじゃないから、別のものが欲しかったからと答える。
 江戸川は男の子に脚がなかったから、とサイコパスの回答をしようとしたがパンチが足りないと考え、男の子の家族でボールと自転車ができていたからと答えた。お前会話通じねぇな。
『ある家で家族が皆殺しにされる事件がありました。現場のリビングには夫婦と子供の遺体が残されていた他、犯人は犯行後すぐに逃走せず一日以上この家に滞在していることがわかりました。なぜ犯人は長時間現場に留まっていたのでしょうか』
 これもまた陽歌に理解できなかった。かく乱や証拠隠滅なら短時間に済ませるべきであり、一日以上いるのは新たな証拠の発生を招く。犯罪に詳しくない一般人は徹底的な証拠隠滅が目的と答えるのだが、陽歌は『残りの家族が帰ってきたら殺そうと思ったから』と別の角度で一般人がする回答をした。江戸川はしれっと『しばらくの間一家団欒を楽しもうと思ったから』とテンプレサイコパス回答をかます。このテストやっぱ不備あるよ、作った人の頭に。
『猟奇殺人鬼のあなたはとある家族をターゲットにし五人家族のうち、母、父、娘、息子の四人だけを殺害し生後まもない赤ちゃんだけは生かしたまま現場を去りました。なぜ赤ちゃんだけは殺さなかったのでしょうか』
 陽歌はシンプルに『赤ちゃんには恨みがなかったから』と記す。彼は殺人をする際、必ず目的があってやっている。殺人は手段であり目的ではないのだ。なので殺すということは当然恨みかなにかがあり、赤ちゃんにはそういうのがないからと考えた。一般的には赤ちゃんを殺すのは気が引けた、時間が足りなかったと答える。やっぱりというか江戸川は『赤ちゃんは目撃者にならないから』という犯罪者側の視点で答える。犯罪者側の視点なのは陽歌も同じはずではある。
『あなたの家に強盗がやってきました。あなたは武器を持っておらず、隠れることしかできません。どこに隠れ、なぜそこを選びましたか』
(キタ! キター!)
 この質問を見た時、江戸川は大喜びした。サイコパス診断の例題みたいな問題だからである。そこはもう手垢まみれの『簡単な物陰に隠れて反撃する』という回答を出す。陽歌は玄関の物陰を選び、侵入して奥に向かうと同時に入れ替わりで逃げるという策を出した。
『ある少女が父親に虐待されていました。それを見かねた教師が自宅を訪れ、虐待をやめる様に父親を説得しました。しかし父親は怒り、教師にまで暴力をふるいます。それを見ていた少女は隙をみて包丁を取り出し、なんと教師を刺してしまいました。父親を殺せば虐待は終わるのに自身を助けてくれる教師を刺したのはなぜでしょう』
「……」
 陽歌にはすぐ答えられなかった。自分だったら絶対それはしない。もしこの設問通り見かねてくれる教師がいるなら、どれほどよかったか。逆だったからこそ、家族を殺すしかなかった。かつて自分を助けてくれた紬も殺され、復讐をすることになった。だから答えは『意味がわからない』、だけである。
 一般的には父親に逆らう勇気がない、それ以上に学校が嫌いという答えがあるサイコパスは暴力を受けることに存在意義を見出していたから、という理解しがたい答えを出すらしい。
 イキリ散らかすためにサイコパスになろうとしている江戸川には暴力を受けるというのが耐えがたく、ここは答えを変えた。『油断していて殺しやすそうだったから』と。なんかナイフ舐めてそうだなお前な。
『お互いを親友と認め合うAとBがいました。二人は孤児として生まれたが必死に勉強し協力して事業を起こし、その結果大成功を収めました。しかしお金持ちになったAはBを突然殺害してしまいました。なぜでしょうか』
 これまた陽歌にとって理解できない問題であった。いくら喧嘩したり方針が違っても、殺すことはない。自分が親友と呼べるのは小鷹と雲雀であり、その二人に置き換えてもいくら口論しても殺す気にはなれなかった。もし事業に成功してすごい嫌な奴を通り越して社員を馬車馬の様にこき使い不正を呼吸よりしたとしても、過去のことがよぎって殺すことは出来ないだろう。そしてそうならないと信じている。
 一般的には方針の違いや事業、資産の独占が目的になる。やはり江戸川は自分の過去を知っているからと答えた。
『あなたは前代未聞の凶悪大量殺人を犯し、逮捕され死刑されることとなりました。あなたは自身の死刑執行人に対して一通の手紙を宛てました。どんな内容の手紙だったでしょうか』
 陽歌はシンプルに『自分の臓器を移植に使ってくれ』と記した。もうそこまでいくとそれしかやることがない。彼の根本は温和で標準的なのだ。一般的には罪の懺悔や執行の方法を希望してくる。サイコパスは自分の方がふさわしいと優位性を誇示してくる傾向にあり、江戸川もそう書いた。
『あなたには破局寸前の恋人がいます。ある日、あなたは誰にも悟られず恋人を殺害することに成功しました。その葬儀であなたは人目をはばからず号泣しました。なぜでしょうか』
 これは一般的に殺したことを後悔したり殺したことがバレない様にという回答が多くされる。一方でサイコパスは自分が注目されること、悲劇の主人公になった自分に酔いしれていることが多い。陽歌はつい『また最悪の選択をしてしまったから』とその前に殺しをしたことを読み取れる回答をしてしまう。彼の集中力は限界だ。一方江戸川は『うれし泣き』と答えた。お前そういうとこやぞ。
『あなたの目の前には戦時中に怪我をした軍人がいます。どこを怪我しているでしょうか』
 この質問は脚や腕などわかりやすい部位もしくは自分で大きな怪我をしたことのある場所を選ぶ傾向がある。陽歌も自分が顔に目立つ怪我を負ったので顔と答えた。サイコパスは目玉や心臓など致命傷になりうる部位を答えるのでそれを知っている江戸川は目と答える。というかこれも定番で本物サイコパスは警戒して答え知ってるだろうしで判定にならない。

 こうしてテストは順調に進み、幕を閉じた。意味はあまりないだろう。
「お疲れ」
「あ……村雨さ……ん?」
 慣れない作業を長時間やったせいで、陽歌は知恵熱を出していた。頭痛がし、顔も赤くなっていた。
「少し休んでいくといい。つーか小学校の授業って45分だろ。長いんだよこのテスト、120分とか大人でもキツイわ」
 愛花もテストの配分に苦言を呈するほどであった。彼女は机で突っ伏す白髪の少年を揺さぶって起こす。
「遊人、時間だぞ」
「んあ?」
 彼は直江遊人。愛花の義理の弟であり病弱な少年だ。この試験時間は陽歌と遊人、二人の虚弱な子供には厳しいものがあった。愛花がここにいたのは陽歌の心配もあったが、遊人のこともある。
「一体何を基準に試験対象を選定しているんだ?」
 これには当然、村雨も疑問を抱く。試験の光景を見てもその基準は一切見えてこない。とにかくサンプルが欲しいなら愛花や村雨も含めればいいし、この署には隔絶館の関係で真壁ヒナタやジャン、池波など同事件の生存者も来るはずだ。
「やれやれ、学者ごっこに付き合わされて君も大変だろう」
 村雨もこの実験を仕掛けた府中という学者の論文を検索し、その内容を読んだが民俗学専攻の門外漢から言わせても非常に稚拙としか言いようがなかった。これではそのうち、各地で禁止にまで至ったスタンフォード監獄実験をやりかねない勢いではあると考えていた。この場にいないのも徹底しており、直に府中へ文句を言うことはできない。
「正直さっさと提携を切りたいところだが、警察の仕事は基本手遅れだ。何か起きないと動かない」
「厄介だな」
 しかし重大な事件がなければ警察は動かない。だが重大な事件が起きるということは人が傷ついたということ。それを避けたいところではあるのだが、どうにか小さい事件を引っ張って提携を切りたいところ。ただ愛花も村雨もそんな暇ではない。

 この試験結果を以て、府中は江戸川一政をマークした。しかし彼は気づいていない。最も恐ろしいのは狂人ごっこをする人間ではなく、すべてを理解した上で行動する犯罪者である。その存在である浅野陽歌をみすみす見過ごし、サイコパスイキリをしたいだけの江戸川にお墨付きを与えただけとなった。
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