小さな生存戦略

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地獄への旅立ち

クローズドサークルクラッシャー結

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 隔絶館と言われた施設に警察が無事到着し、現場検証と陽歌たちの保護が行われた。メイドが犯行を認めた上で物証も見つかったので彼らの拘束は短かった。
「君もなかなか、ツイていないな」
「はは……まぁ……」
 金湧警察の体制がすっかり刷新され、警察官もまともな人間に代わっていた。旧警察に拘束された直後に殺人事件に巻き込まれるというのは、さしもの陽歌も乾いた笑いしか出なかった。彼の言う通り、ツイていないのかそれとも悪しきモノが憑いているのか。
「何かあったら相談に来てくれよ」
「はい、ありがとうございます」
 陽歌は見た目が一瞬で判別できる程度に目立つ上、金湧警察が変わるきっかけとなっただけに外部から来た警察官たちにも気にかけられているところはあった。ただ、相談する気はなかった。自身の意思で殺人に手を染めた以上、彼らの力を借りる資格は失ったと陽歌は考えている。
 保護者であるヒナタと一緒に解放され、帰宅することとなった。そんなに遠くはないのだが、ヒナタが車で自宅まで送ってくれることになった。
 さすがに殺人事件の後だけあり、車内の空気は重かった。
「……あの、ごめんね」
「え? あー、いえ……ヒナタさんが悪いんじゃ……」
 ヒナタは謝罪する。元はと言えば彼女の誘いに乗りあの館に行くこととなった。巻き込んだことに負い目があるのだろうか。ただ、同僚が同僚を殺そうとしていたなどというのは予想できるはずもない。彼女に一切の責任はないのだが、そう思ってしまうというのはとにかくヒナタが善良な人間であることも意味している。
「でも……家族が亡くなったって後に殺人事件なんて……」
 ただ問題はもう一つある。陽歌は家族を亡くしたばかりということに、表向きはなっているのだ。傍から見れば傷をさらにえぐっているようなものだ。ただその実態は虐待していた相手に反撃したわけで、ヒナタが幸福な家族像しか持っていないのかと考えると、陽歌は暗澹たる気持ちになる。
「……あー、いやでも……うん、幸い何も見ませんでしたし」
 どうにかヒナタの重荷を軽減しようとするが、陽歌には気の利いた言葉が出てこない。家族の死に傷ついていないと言っても、それが本音とは思ってもらえないだろうことは明白。加えてここまでの彼女の行為を無碍にするような気もして言い出せない。
「ごめんね……私が誘わなきゃ……」
 ヒナタは強く責任を感じており、運転しながらすすり泣いてしまう。
「悪いのは事件を起こした人ですよ。誰のせいでもない」
 事実としてあの場を惨劇に変えたのはメイドであり、責任はすべて彼女にある。だがそう簡単に割り切れないのが人間である。ヒナタは同僚を一度に二人失ったことで、精神的に弱っているのだろう。
 車は陽歌の家に到着するが、車内の重たく湿った空気は変わることがなかった。
「ありがとうございました。誘ってくれたことも」
 陽歌は礼を言い、車を降りる。そこでようやく、なんとかヒナタに気持ちを伝えることができた。
「え?」
「こういうの、誘ってもらえることが初めてで……。結果がどうあれ、それ自体がうれしかったんです。ですから、ありがとうございます」
 その結果がどうなったか、よりも陽歌にとっては自分に何かをしてくれたことの方が大事だった。あの場では、池波は自分たちを楽しませるために蕎麦を用意してくれた。グレースはデジタルデトックスのことを真剣に考え、水素水やスムージーを出してくれた。そういう自分のためにしてもらえることが、とてもうれしい。
 陽歌にとってはそれだけで十分であった。

   @

 帰宅した陽歌はベッドに寝転がり、後に控えた修学旅行のことを考えていた。
「あんま練習にならなかったかも」
 そう、最初は外泊の練習として誘いを受けたのであった。それがもうそれどころではない事態になってしまい、若干困っていた。全く無意味かといえば違うのだが、想定してた通りでもない。
「んん……」
 知らず知らず気を張っていたのか、すべてが終わり眠気が押し寄せる。陽歌は重くなる瞼に抵抗することなく、睡魔に身を委ねる。後のことは後で考えればいい。結論を急いでも、碌なことにならないのだ。それこそ、今回のメイドの様に。

 眠りの中で彼の脳裏に浮かぶのは、あの時のメイドの姿。初めて見た女性の裸体は陽歌にとってあまりに刺激が強く、記憶の領域に焼き付いてしまった様だ。着物を着ている時は全く分からなかったが、共に入浴している時はその豊満なスタイルが目についてしまう。
 戸締りの確認と称し、バスタオル一枚を体に巻くだけというあまりに無防備な姿であの館を徘徊している様子は、ただそれだけなのになんだかとてもいけないことをしているようで、心が穏やかではいられなかった。もしかすると、大人の世界では些細なことなのかもしれないが、子供の世界さえ満足に生きていない陽歌にとってはしこりの様にあの光景は残ってしまった。
 目が覚めると、彼は自己嫌悪に陥る。なぜ、殺された人たちのことではなくそんなことが頭を占めるのか、理由がわからなくて。陽歌には成長と共に訪れるものを教え、導く存在がいなかった。
 陽歌は歪な形の痕跡に翻弄され、大きな見落としをしていることに気づかなかった。
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