小さな生存戦略

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地獄への旅立ち

クローズドサークルクラッシャー承③

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「私は……、渡辺さんを呼び戻してきますね」
 メイドは一人で部屋に戻ったグレースを連れ戻しに行った。とりあえず他は念のため、食堂に集まっている。別に誰かを疑っているわけでないが、こんなことがあった以上全員で固まって安全を確保したいのだ。
 だが能動的に警察や助けを呼びに行くことはできない。重苦しい空気だけが流れる。クローズドサークルも創作だから楽しめるのであって、現実ではただ逃げ場のない空間に殺人犯と一緒というだけだ。この場合、ネットの接続がないため時間を潰す道具もなくただ沈黙だけが続く。
「ん?」
 そんな中、バターの香ばしい匂いが香る。ジャンがフライパンでポップコーンを炒め、いそいそとスクリーンとプロジェクターを用意していた。陽歌は何しているのかと怪訝な目で彼を見る。
「ジャンさん?」
「こう暗くっちゃいけないネー。とりあえず映画でも見て落ち着くネ」
 人が死んでいる時に……と思うだろうが今は本当にできることがない。事件性がある以上勝手に長谷川を弔ってしまうわけにもいかないので、ただ助けを待つしかない状態だ。なのでどう過ごしても一緒。空気の悪化だけは防がないといけない。陽歌はたしかに、と納得した。
「そうだな、このままこうしていてもどうしようもない」
 村雨はその場にある映画のブルーレイを確認する。しかしどうにも微妙な映画ばかりだ。
「キノコ男に武器人間……チョイスが……」
 人死にのある映画は避けたいところだったが、そもそものラインナップがB級を通り越してZにまで足を踏み込んでいる。陽歌にとってはそんなもの、詳しくないので空気さえ悪くなりそうなタイトルだけ避ければよかった。

 結局映画は見たが、まぁいたたまれない空気にはなった。それでもあの疑心暗鬼満ちた状態よりはマシではあったが。陽歌は映画がわからぬ。それでもジャンの思いやりは伝わった。映画の内容はともかくだ。
「すまない、戻ったぞ」
「あ、グレースさん」
 映画が終わるころにグレースが戻ってきていた。なんだが妙にすっきりした様子だ。一方でメイドの姿がない。
「あれ……?」
 それを訝しんだ陽歌にグレースが慌てて説明する。
「あ、あー! 彼女は少し用事があって、後で来る」
 いろいろと気になるところがあったのだが、陽歌はスルーした。しばらくするとメイドも着物の帯を整えながらやってくる。
「すみません、遅れました」
 ちゃんと戻ってきたのでまぁいいかと陽歌はやり過ごした。食事もジャンがこの状況下でしっかり作ってくれたが、ちゃんと食べることができたのは陽歌と村雨だけであった。長谷川の死体を見ていない、彼との親交が深くないという違いが他の人々とはあった。
「ジャンさん、タッパーありますか。せっかくおいしいので、捨ててしまうのは無体と思ってね」
「……ボクも」
 村雨は残った料理を持って帰りたいと提案する。陽歌もそれに追随する。特別食いしん坊、というわけではないのだが、初めて他人が自分に作ってくれたものを無碍にしたくない気持ちがあった。
「ありがたいネー。痛まない様に詰めて冷蔵庫入れておくヨー。盛り付けも料理人の腕の見せ所ネ、楽しみにしとくヨ」
 ジャンは喜んで、残った料理を詰める。この中で誰が長谷川を殺したのか、また殺人が起きるのか否か。淀んでひりついた空気の中でも静かに幸福はあった。

 風呂は男性陣、女性陣で分かれてかつ同時に入ることになった。ここにきて男女で浴場が分かれていることに利点が生まれた。知らない大人三人と風呂に入るわけだが、陽歌にとってはどうということではなかった。むしろ、これもちょうどいい修学旅行の予行練習だ。もうそれどころではないかもしれないがさすがに修学旅行で死人は出まい。この緊張を乗り越えれれば、全員敵の中で遠くへ行くことになっても大丈夫そうだと彼は楽観視していた。
 しかし広い湯舟に四人だけ、それも距離がそこそこ。池波とグレースの同じ職場ペアならともかく、陽歌と村雨の来客ペアはお互いと職場ペア双方との距離が遠い。ここに来て初めて出会っただけに距離感は近くならない。長く働いていても一緒に風呂へ入る機会はないだろう。
「すまない……」
「へ?」
 池波は陽歌と村雨に謝罪した。陽歌はなんのことかわからず素っ頓狂な声を出してしまったが、村雨の方はその意図を察した。
「謝ることはない。人が人を殺すなど、この平和な環境では通常起こりえない、予想しえないものだ。我々に同族をためらいなく殺せる異常者の行動を予想しろというのは荷が重いのではないか?」
「……」
 その言葉は意図せず、陽歌にも突き刺さっていた。殺す、というのは何も直に殺すばかりではない。いじめて追い込んで、自殺させることもその一つ。そして直接殺す、長谷川を殺したのと同じ分類で陽歌は既に、6人もの命を奪っている。人殺しを目の当たりにし、自分もまた人殺しなのだ。
「ぁ……」
 考え込んでいると、村雨が陽歌に近づいていた。彼は思わず、先ほどの発言もあって驚愕のあまり反応が遅れる。
「君のおかげで助かったよ。君がみんなを落ち着ける案をくれなければ、混乱はより深まっていた」
「あ、ああ……」
 なんのことかと思えば、先ほどのことだった。陽歌もあの案を村雨に言ってもらえねば、ただ流されるだけであった。
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