小さな生存戦略

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地獄への旅立ち

fire ball

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 これは浅野陽歌が隔絶館の事件に巻き込まれる直前のことである。

 直江愛花は金湧警察の不祥事を調べる際、彼らの捜査ミスを精査する中で浅野陽歌という人物に関する情報も集めることになった。現在の金湧署は多くの警察官が処分された結果、それはもうひどいドタバタの中にあった。陽歌が退院する頃には再建されてマシになるだろうが、どこまで再生できるかが肝だ。
 ある場所へ持ち込む資料をまとめる傍ら、浅野陽歌についても得た情報をいろいろと調べているところであった。彼女の机は資料が山と積み重なっており、今にも整頓を要する状態だ。愛花の所属は管轄超越捜査部という、警察の弱点でもあった管轄を跨いだ事件への対応をメインとする場所。言うなればFBI的なものだ。
 特殊部門故に功績や出世からは遠いが、そもそも愛花自身が市民の安全さえ守られれば自身の実績などどうでもいいというスタンスであるため、ここにいる。この部には似たような性格の警察官が多い。
「浅野陽歌、10歳。一緒に暮らしていたのは両親でなく姉とその夫だったのか」
 外見だけならば普通の家族に見えたが、彼と暮らしていたのは両親ではなく姉夫婦。実際の両親は彼を養子に迎え入れた浅野仁平とさとという人物らしく、血の繋がった親子ではない。しかし陽歌本人の実父母が不明なのだ。証言では姉夫婦が『あれは犯罪者の子供だ』と言っていたが、真相がわからない。
(一応仁平が警察OBだが、年齢からして彼が生まれる前に退職している……。これは関係ないか?)
 警察官が犯人の子供を引き取ることはあまりないだろうか。基本的に親族やしかるべき施設に預ける。なのでおそらく、今後決定的な証拠が出ない限りは姉の妄想でそう言っていたというのが定説になる。あの珍しい髪色と瞳色は生まれつきという情報はあったが、原因については詳細が出てこない。ただ健康上の問題はないというだけの話である。
「浅野仁平か……調べる必要があるな」
 当面の捜査方針として、浅野仁平に関する情報も洗うことにした愛花。管轄超越捜査部はこういう時に便利だ。各地にある警察の情報も公的に調べられる。特に今回は被疑者となった浅野陽歌の奇怪な状況の調査にも繋がっている。
「さて、行くか」
 愛花が証拠資料を持って向かったのは部内に設置された鑑識。そこには愛花の腐れ縁である女性解剖医がいる。
「癒野ー。持ってきたよ」
「ん、おー。待ってたよ」
 白衣にタイトスカートという、女医のテンプレートみたいな服装をした明るい髪の女性、癒野優。彼女はPCの大画面に数々の他殺体を写しながら、焼肉弁当を食べていた。
「げ、焼死体見ながらそれ食べるのかよ……」
「たまたま当たっちゃってねぇ。ついてないよね」
 さらっと流されているが、解剖医が一生に見る遺体の数は限られている。癒野は変人だが死者の声を聴く自身の仕事に誇りを持っており、腕を磨くため隙あらば過去の資料を見ている。真摯なんだか偏屈なんだか分からないタイプの人間だ。
「それは飛ばしな」
「まぁ、大したことないし。慣れよ慣れ」
「私だって初めてホトケさん見た時は少し食欲なくなったけどさ……癒野は割と最初からこの調子だよね」
 人体に接する仕事の人間はオペの後に焼肉を食べるなど、そうでない人間からは信じられない行動に出ることもある。人間とは慣れる生き物といえばそれまでだが、癒野は慣れる前からこんな感じなのだ。
「金湧の件、持ってきたよ」
「うんうん、じゃあ見ていこっか」
 癒野は食事を終え、愛花が持ってきた資料を手に取る。金湧の件は地方局単位とはいえ報道もされ、法曹関係者や警察関係者の間ではかなりの問題になっている。警察官が未成年を逮捕令状なしで拘束したのだ。警察は信頼回復に動いているという状態だ。その一つが、捏造とされた証拠の精査。
「最近は厄介だな。ディープフェイクってのもあるんだったか?」
「そうそう、ネットミーム喋らせているうちはいいんだけどね」
 近年は技術の発展により、実際の演説映像から音声を改変して虚構の主張をさせるなどフェイクの拡散も巧妙になっている。日本では最近、首相にネットミームとなっている文章を喋らせるという動画も出ている。あれが政治的に意味のある文章ならば、混乱も発生するだろう。幸い馬鹿の馬鹿だったのでそういう技術もあると周知でき、予防接種みたいなことになっただけだ。
 警察関係者は証拠の捏造にディープフェイクが使われていないか、と気にしているところがある。
「これね、再検証の結果は確かにあの子の髪よ」
「意外だな、これは本当だったんだ」
 癒野は証拠となった毛髪に言及する。DNAを再鑑定した結果、浅野陽歌の毛髪であると確認ができた。この髪は駅での転落事故の際に採取されたものとされている。
「珍しいよね。染色の痕跡はなし。伸ばしたりすると桜色の下地が出る髪。しばらく伸ばしたりするとピンクのグラデーションやインナーカラーができるんじゃない?」
「そんなに珍しいのか」
 癒野から見ても陽歌の髪は珍しいものらしい。たしか虹彩の色も桜色という滅多に見ない色合いになっていた。
「まぁ、こんなもの長時間拘束すればいくらでも手に入る。そもそも駅構内は風が吹く。普通は吹き飛ぶはずだ。警察……それも鑑識が着く頃にはとっくに吹き飛んでいるだろう。現に屋外の採光窓の件では採取されていない」
 自分に言い聞かせるかの様に呟く愛花。そんな彼女へ癒野はある資料を指で叩いて強調する。
「これは……何かな?」
「……」
 監視カメラの映像、その中から陽歌の映っている場所を切り抜いたものだ。調査の結果ディープフェイクではないようだ。そして、逮捕状の申請時には二件あった転落事故に対して二つの映像しか出ていない。
「なぜ、見つかるんだ……」
 追加調査では周辺の監視カメラから、現場を離れる陽歌の姿が発見されている。話によると浅野陽歌は通学にバスしか使っていないので、ここにいるのはおかしい。
「ま、金湧さんが証拠捏造してはちゃめちゃやったおかげでどれが捏造でそうでないか分からなくなって証拠不十分になっちゃったからねぇ」
「……」
 愛花は押し黙るしかなかった。ガイシャをまとめると、放火事件で亡くなった子を虐めていたのが転落事故や採光窓の事故で死んだ三人というのが分かってきた。放火事件ではほとんど証拠が挙がっていない。金湧警察は面倒そうな事件をまとめて処理しようとした、とみることはできる。
「採光窓もさ、周囲の汗や指紋の解析からこの子が犯人かもってさ。どこまでが捏造だろうね」
 採光窓の事故も証拠が出ている。本当に証拠がないのは裏山の放火だけだ。さすがに金湧警察がダメ組織だとしても、指紋や汗の解析ができる人間まで捏造に加担するとは思えない。そこまでに捏造させれば関わる人間が増えすぎて、嘘にもほころびが出る。実際に、再検証ができたのも上から破棄命令が出た証拠類を残していた人間がいたおかげなのだから。
「これは……余裕があったら調べるか」
 証拠の空白が発生している放火事件。そして被害者の人間関係。陽歌と放火の被害者は仲が良かったらしい。放火で亡くなった子の復讐として三件の事件を起こしたと考えると、妙に納得がいってしまう。
「なんで陽歌くんが狙われたんだろうね」
「これか、家族を亡くした件か」
 証拠には陽歌を金湧署がマークしていた理由として、ある事件の記録が残っていた。陽歌の家族、姉夫婦と子供が一家心中した事件。
「目張り、してなかったんだね」
「ああ」
 一家は木炭で一酸化炭素中毒になっていた。こういう死に方をする場合、車に乗ってその中で炭を焚き、ドアを目張りするのが一般的である。とはいえ最近の住宅は密閉性が高いので、一酸化炭素の危険も高まっている。ストーブが一酸化炭素中毒を引き起こすと回収を呼びかけるCMを見た人も多いだろう。
 さらにこの件は不自然なことが多い。一酸化炭素を出すためにストーブを不完全燃焼させた上で木炭を使った。その木炭もフライパンの上で燃やすという、妙な行動をしていた。バーベキューグリルがあるのでそれを使えばいいはず。
「……」
 愛花は陽歌の無実を立証したいと思って調査をしていた。しかし、調べれば調べるほと陽歌が怪しく見えてしまう。警察官としては陽歌に肩入れして全て金湧署の捏造としてしまうことは可能だができない。
「とりあえず浅野仁平を調べる」
「そっか」
 警察というのは常に人を疑う仕事である。その試練に直江愛花は直面していた。
(それが本当なら私が捕まえてやるから安心しろ)
「あんな約束、しなけりゃよかったな」
 陽歌は自分が人を殺したと言った。まさかとその時は思ったが、本当の可能性がどんどん増えていく。罪を抱える方が苦しいタイプだから、捕まえた方が彼のためなのかもしれない。
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