小さな生存戦略

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恩返しと怨返し

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 人間というのはわずかな水たまりさえあれば殺せる。ためらいさえなければ殺すことそのものは容易なのだ。
 陽歌は金沸駅に来ていた。ここは通学に用いられる利用者の多い駅であるが、快速までしか停まらず特別快速は通過するという駅であった。今は登校時間であり、彼は珍しく早めの電車でこの駅に降りた。奴らはどの時間にこの駅へ来るのか、そんなものはとっくにリサーチ済みである。彼は電車を待つフリをしてホームに立っている。
 最近気づいたことだが、スマートフォンというのはカメラが二つ付いているらしい。表と裏、正直一個でいいのではないかと思うのであった。実際に使ってみたが画面側のカメラは写り方を見つつ自分を撮ることしかできない非常に無意味なものであった。
 しかし、今回は役に立った。スマホを見ているフリをして、後方を確認できる。そして、目標がこの駅に降りたことを確認できる。視認より不確実だが目標は多い。一人を確実に、というわけではないのだからこの程度でもよいのだ。
「いた」
 目標を陽歌は見定める。同じ小学校の児童。それだけで十分だ。ラッシュというほどではないが人が多いので注視せねば見逃してしまうが、逆に自身も紛れることができる。
スマホをポケットにしまい、その児童を追いかける。このホームは階段で地上から上がる様になっている。エスカレーターやエレベーターは混むので下りなら階段を使った方が楽といった形。それ故に陽歌がここを犯行現場として選んだ。
 よりによって学校の最寄り駅が犯行にうってつけとはとんだ因果だと陽歌はほくそ笑んだ。
 あとは簡単だ。後ろから標的の背を思い切り押すだけ。ためらいなくやればなんてことはない作業。殺意を持った犯行が案外殺せない一方で、ただのいたずらが多くの命を奪う理由がこのためらいにある。だが、こんな奴にかけてやる温情もためらいも陽歌は持ち合わせていなかった。背を押し、転倒して階段から踏み外した瞬間を見ることさえなく彼はそそくさと先へ進む。
 陽歌が改札を出る頃にはつんざくような悲鳴が朝の平穏を壊していた。
(まずは一人。先は長いけど……されなきゃわかんないよね)

   @

 これよりしばらく前のことである。
「そうだ、仲間を増やそう」
 陽歌はある発想に至る。いじめられっ子を集めて固まれば、個々に動くより安全かもしれない。そういう狡い人間は孤立している者を狙う。
「誰かいないかな」
 翌日、陽歌は自分以外の孤立した者を探して歩くことにした。しかしこの学校には自分以外に単独で動いているものはいない。人間という社会性を重視した生き物の悪いところが詰みあがったかのような奴しかこの町にはいない。集団でつるんでは虎視眈々とはぐれた人間を探す。この町では一人でいることがすなわち、いじめていい奴の証なのだ。
「ここなら……」
 屋上に来てみた。ここは本来出入りが禁じられているが、鍵はおろかビニール紐での封鎖さえしていない。少しドアを開けてみたが、いつものいじめっ子グループが陣取っておりとてもめぼしいものがあるとは言えなかった。
 リーダーは採光窓を覆うドームに腰かけていた。こんなところにいじめられっ子が寄るはずもない。
「どうしよっかな……」
 朝の時間には全くめぼしいメンバーが見つからず、あきらめてホームルームに参加する。
「えー、来年度に修学旅行があります」
 陽歌も来年六年生。修学旅行が待っているが、積立が足りないので行くことはできないだろう。修学旅行があるから準備しておけよという通達であったが、それ以上の意味を持っていた。行けない行事のことなど考えても仕方ないが、この間はおそらく自分だけ学校に残って自習とかになりそうだ。いじめてくる奴がいない中で出席日数を稼げるのは大きい。

   @

 昼休みにも捜索は続いた。学校一つ見るのに朝の時間だけでは足りないので入念に調査を続ける。始業前の時間に発見できたのは電車で通学する児童もいること程度で役に立たなさそうな情報だ。
「ん?」
 廊下を歩いていると何か騒々しさを感じた。下の学年の児童が集まって何かをしている。よくその様子を見ると、中央に女の子がいる。集団に暴力を受けている様子であった。陽歌は周囲を見渡し、使えるものはないか探した。
 目的の同志を見つけたのはうれしかったが、正直なところいない方がよほどマシなものではある。しかし、いたのではどうにかするしかない。
「あった」
 放置された箒を陽歌は手にし、声を上げて児童たちに襲い掛かる。実際に攻撃する気はなく、脅かして解散させるだけが目的であるが。
「ふぅ」
 出しなれない大声で喉を傷め、咳払いをしながら陽歌はその場を立ち去ろうとする。いじめられていたのが誰かについてはあまり見ていなかった。すっかり目的がすっぽ抜けた、というより頭が救出に傾いて元々の目的を忘れてしまった。
「あの……」
 その時、後ろから声を掛けられて陽歌は驚きのあまり飛び跳ねて距離を取。普段から攻撃されているため、この様にただ声をかけるという要件に体が慣れておらず、不明な反応を起こした。
「あの……?」
「え? あ、ああ」
 声をかけたのはさっきまでいじめられていた児童。女の子の様だ。もちろん、名前も学年も知らない。たぶん下級生くらいの判別しかできないのだが、陽歌も学年内では小柄なので並ぶと女の子の方が背丈は高い。
「助けてくれて……ありがとう」
「え、あ、あー……あぁ……」
 陽歌は彼女の顔を見られていないのでどんな表情をしているのかはわからない。またこんな対応も珍しいので彼も反応がいろいろと狂ってしまった。陽歌はどうにか彼女が立ち去る前に顔だけ確認する。この学校の中なら整っている方であった。
 この学校、ひいてはこの町でそう見えるということは、性根がまともなのだ。人相といって心持ちは一部顔に現れる。大半が自分より弱い相手ないし大っぴらにいじめていい相手を見つけるととても人間のそれとは思えない不気味な笑みをにたにた浮かべる。あの連中にいじめられるということはまともであるが故にこうしたおぞましい感性に馴染めない者なのかもしれない。
「はぁーっ、なんでもうちょっと普通の返事できないかな……」
 陽歌は一人廊下に残され、溜息をつく。大人なら愛花など数人、もっと普通に反応を返せていた。子供では何が違うのだろうか。そんな意味のないことを考える。
「ん?」
 ふと、彼は脳裏に昔のことが思い浮かぶ。そういえば、こんな自分にも手を差し伸べてくれた人がいたのだと。
「どうなったかな……」
 そのうち二人は親の都合で引っ越してしまい、もう一人はどうなったのか。なぜこんな大事な記憶が今まで出てこなかったのだろうか。おそらく自身のことで手一杯になっていたが故なのだろうが、それを陽歌が知る由はない。

   @

 放課後、陽歌は引っ越していないはずの一人と再会すべく家を訪ねることにした。両親がいない間に家へ上げてもらい、そこで休息を取ったりした。最近は当人が登校して来ないのもあって機会はないが、家の位置は覚えている。
 私にはこれしかできないけど、と言ってゆっくり眠ることのできる時間と場所をくれた。家にも学校にも居場所がない陽歌にはこのわずかな時間が何よりも助けになった。学校で怪我をすると、保健室から絆創膏やらを持ってきて手当もしてくれる。
 二人の友人が引っ越していなくなってからの陽歌を支えたのが紬だ。さすがにあの狂気をも感じる連中に割って入ることはできないが、それでもあれに加わらないだけで陽歌は助かっていた。
 テレビかなんかではよく、いじめを見て見ぬフリをするのも加害者などという言説が流行っている。陽歌には正直、子供にできることは限られているし大人に相談して解決できないならもうそれは子供に解決できないということを痛いくらい実感した以上、あまりにも暴論で大人による責任転嫁にしか聞こえなかった。なので加担しない時点で紬は相当に自分を助けてくれたと陽歌は思っていた。そこからさらに助けてくれるのはもうありがたさしかない。
 いつもなんだか申し訳なさそうにしていたが、ちょっとお菓子をくれるだけでも助かる。紬には感謝の気持ちが大きく、何度も伝えていた。近況があそこまで苦しくなったのも紬の支援がなくなった結果なので、今もってその感謝の念は強まる一方だ。
 クラスは違うが、手持ちの適当なプリントを届けに来たと言えばいいだろう。その人物、八神紬の両親も陽歌の噂は聞いており避けさせようとはしていたらしい。
「よいしょ」
 ピンポンとチャイムを押して出てくるのを待つ。他人の家族の生活習慣や仕事などわかるはずもないので、だれが出るかなんか知らない。
「あんたか……」
 出てきたのは紬の父親。陽歌はよく知らないので多分、という一言が加わる。
「あの、このプリント……紬ちゃんに渡す様にって」
 陽歌が用事を告げると、父親は愕然とした様子を見せる。怒りとも悲しみともとれる、曖昧な表情であった。
「あんた……何も聞いてないのか?」
「え?」
 紬に何かがあった、それは確かだった。しかし陽歌は何も聞いていない。父親がそういうのならば、本来学校単位で通達があるかもしれないほどの出来事なのだ。彼の脳裏に最悪の想定が浮かぶ。
「紬は自殺したよ……いじめを苦にな」
「え……」
 紬の死、まさかとは思っていたがそんなはずはないと願った理由によるものだった。いじめを苦にした自殺、支える家族がいてもこうなってしまうのかと陽歌はそこまで紬を追い詰めて自分が一切知ることができないほど平然としているあの学校そのものに身震いした。
「帰ってくれ」
 父親は玄関を閉めてしまう。陽歌はその場で立ち尽くす。紬が死んでしまったという悲しみ、それを引き起こした学校の連中への怒りと憎しみ。二つがぶつかって動くことができなかった。
(殺す……あいつら、殺してやる……)
 家族を殺すより難しいかもしれないが、陽歌の中に強い殺意が沸いた。
(でも……)
 しかし愛花のことが、殺された美容師のお姉さんのことが脳裏をよぎり、すぐには行動に移せない。あの時は殺すしか自分が生き残る術はなかったが、今は違う。正攻法で証拠集めをすれば、紬をいじめた奴全員をしょっ引ける可能性はある。

   @

 下校時間となった。今日この金沸駅で起きた『事故』の捜査は行われていない。事件ならばまだ警察官がおり、現場も封鎖されているであろう。これは次の段階をするためであり、なおかつ警察がどう動いているかを知るためであった。
「なるほど、これなら……」
 陽歌は状況を理解した。場合によっては手段を変更する予定であったが、予想通りの無能さで助かった。他の管轄ではこうも行くまい。最初の殺人は失敗して捕まっても目標を達成できるため考慮しなかったが、今回は捕まるにしてもすべて終わらせてからだ。
「……」
 電光掲示板には通過列車も表示される。ホームの傍を仕切りもなく高速で通過するため安全を確保する必要がある。それが今回は殺人の一助となる。今はまさに帰宅時間。人も多い。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中。何もかもがちょうどいい。
『まもなく、通過列車が一番線にまいります。黄色い線の内側でお待ちください』
 案内のアナウンスが流れる。電車は線路という定まった進路を取るため、そしてその進行を妨げるものが極端にないため、時速120キロ近くという自動車ならば高速でさえも出せない速度を出せる。
 それは即ち、走っている車以上に急には止まれないことを指す。陽歌はホームに立つ児童の背を押し、線路に突き落とした。利用客はざわめき、立ち去る陽歌を見ていなかった。彼はそそくさとホームを降り、券売機で購入した切符を改札に入れて立ち去る。
 この町の住民は人喰い虎の尾を踏んだことにまだ気づいていない。
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