小さな生存戦略

級長

文字の大きさ
上 下
5 / 31
最初の戦略編

計算外の禍根

しおりを挟む
 あの後、帰っていいとは言われたが気が引けてしまい陽歌は帰ることが出来なかった。見様見真似で焼香をし、結局最後までいることになってしまった。葬儀と初七日をセットで済ませるコースは大人でもキツイものがあるのだが、陽歌は居眠りでもしたら何を言われるのか分からないのでどうにか耐えた。そうして火葬から納骨まで全ての工程が終わった。
「おい」
「あ、はい」
 帰る寸前、陽歌は親類から声を掛けられた。どうせろくでもないことは予感していたが、無視するわけにはいかない。
「あの家は上物を取っ払って土地売るからな」
「はい……え?」
 適当に聞き流していたら、とんでもないことを言い出した。家を売り払う。そうされると陽歌には住む場所が無くなる。思い出の家がなくなって悲しい、というより身に迫った困難に意識が傾く。
「あの、僕は……」
 おそらくそれが出来るということは遺産の相続権を貰っており、法律的にはそれと同時に陽歌の養育義務も引き継ぐはずである。が彼はその辺りを上手く切り出すことが出来なかった。それを抜きにしても住居を失うのならどうすればいいのかという話になる。
 家族からの殺意とも取れる虐待から逃れるのに頭がいっぱいで、その辺まで考えていなかった。
「お前、無断での遅刻と早退ばっかしてるみたいだな」
「その……それは……」
 親戚は厳しくその件を糾弾する。いじめに遭っており、家でも食事を摂れないので給食だけなんとか食べに来るという状況が続いているのは確かだ。だが、語気を強めて言われると陽歌は自然と委縮してしまう。正当な理由があっても、それを告げることが出来ない。尤も、彼らがそれを理由として認めるかは別の話だが。
「最近は不登校系なんとかとか言ってるガキもいるらしいが……そんな甘ったれたことはうちじゃ許さんからな! お前の様な問題児を矯正する廿日単語はつかヨットスクールというものがある。お前の態度が変わらないならそこにぶち込んでやるからな」
「……」
 そこがどんな場所かはさておき、予想もしていなかった展開となってしまった。冷静に考えれば児童養護施設行きが妥当なのだろうが、そんな妙な場所に行くかもしれないとまでは考えていなかった。家族を殺したのも当面の問題を解決するためであったが、一つ潰すとまるでもぐら叩きのように違うものが沸いて出る。

 帰宅後、陽歌は図書館から借りたパソコンの指南書を元にネットで廿日ヨットスクールについて検索した。今の環境よりマシならば、冒険家の代名詞であるヨットに乗れることは悪くないとも思っていた。だが、調べれば調べるだけマズイものだということが分かるだけだ。
「これは……」
 そのスクールでは日常的に体罰が繰り返されており、過去には死者も出ているそうだ。加えて創設者や指導員が逮捕され服役していたとのこと。だが、彼らは出所後まるで反省することもなく同じ様なことをしているそうだ。通称、現代の子捨て山とも言われており、細やかなケアを放棄した親が子供を丸投げ、本来は療育が必要な障害児も投げ込みあわよくば殺してもらおうと考えているらしい。
「絶対避けないと……」
 陽歌はここへ行くのだけは勘弁だと思った。おそらく親戚一同は遺産を得つつ、自分を合法的に始末しようと画策している。
「いや、とにかく学校へ行けばいいんだ。気にすることじゃない」
 陽歌は学校へさえ行けばなんとかなると信じ、翌日の学校へ向けて準備する。甥のランドセルは一緒に火葬されてしまって手元にないが、筆記用具やノートが確保できたのは幸運だった。
 それまではチラシの裏や落とし物箱から確保したものでお茶を濁す有様だったので、まともに授業が受けられるだけで快適さが違うはず。服もサイズが合わないが甥のものが残っている。
(少しは風当たりが柔らかくなるといいけど……)
 問題は同級生や教師の態度。まさか自分が犯人とはバレていないだろうが、さすがに家族が死んだ人間にそこまで厳しく当たることはないと信じたい。
「よし、頑張るぞ」
 目指すは脱廿日ヨットスクールルート。陽歌は覚悟を決めて学校へ行くことにした。

 翌日、家を出た陽歌はバスに乗って学校へ向かう。定期券の期間が残っており、今までにない快適な通学であった。防寒着もしっかり着込んでいるので、とても暖かい。今までは極寒の中、もしくは灼熱の照り返しの中を長時間歩いていたので登校さえ億劫という言葉では済まされないところがあったが、これなら毎日困難無く登校できる。
 朝ごはんもしっかり食べて、かなり体調がいい。これなら何とか授業にも集中できそうだ。物理的に軽い足取りで陽歌は校門を潜る。
 その時、不意に横から衝撃が襲い掛かる。咄嗟に腕で防いだためどうにか致命傷は免れたが、防御に使った腕の感覚が痛み一色で塗りつぶされる。
「っ……?」
 陽歌は地面に転がりながら辺りを確認する。そこには同級生たちが手にバッドやら武器になるものを持ってぞろぞろと集まっていた。
(これは、一体……)
 突然のことに陽歌は混乱した。いつも以上に憎悪の表情を浮かべ、次々に武器で殴打を加える。
太陽ソーラーの仇だ!」
「なんでお前が生きてんだよ……!」
 彼らは甥である太陽の復讐に燃えていた。間違っていないがとんだ言いがかりである。四方八方から囲まれて攻撃されては逃げる術もなく、陽歌は頭を守りながら耐えるしかなかった。厚手の長袖で身体を覆っているにも関わらず、いつも以上に一撃が重い。
「た、助け……」
 通りすがった教員に助けを求めるも、見事に無視されてしまう。結局殴打はチャイムが鳴るまで続き、陽歌は全身の痛みで蹲ったまま動けなくなっていた。なんとか起き上がりたいが、腹や腕に激痛が走り意識を保つのがやっとになっていた。
 這う様に教室へ向かうと、既に授業が始まっていた。遠慮して後ろから教室へ入るも、即座に担任が陽歌を見つける。
「おい貴様! 遅刻だぞ!」
「す、すみま……」
 ボロボロで立つのもやっとという状態の陽歌を見ても、担任は心配など一切しない。それどころか詰め寄って、顔を拳で殴り付ける。全身が痛むため、大人の力で殴られても最早誤差の範疇になりつつあった。
「ったく、なんでお前だけ生き残ってんだよ! お前が苦労を掛けるからみんな死んだんじゃないのか?」
 真相は陽歌が殺したのであるが、家族を失った生徒に掛けるものではない罵倒を担任は浴びせる。

 その後も何とか授業に出席を続けるも、教師は罵声を浴びせ、休み時間の度に同級生は殴りかかる。いつも以上に暴力が苛烈さを増している。それでも、ちゃんと出席したという実績を作らないととんでもないところへ投げ込まれるため陽歌は耐えた。
 給食の時間になると、給食費を滞納している彼に食べさせない為担任が近づいて教室から追い出そうとする。しかし、何も対策をしない陽歌ではない。
「おい」
「あ、あの……給食費……」
 ちゃんと今月分の給食費を封筒に入れて用意してきたのだ。今となってはちゃんと朝晩も食べられるので必要のないことだが、一応と持って来た。
 担任はそれをひったくると、陽歌の首根っこを掴んでいつもの様に教室から追い出す。
「あ、あの……」
「これだけで足りると思うな! 今までの分もちゃんと払ってもらうからな!」
 相変わらず養育者を失って先が見えない生徒への配慮が無い言葉を吐き捨てる。廊下に投げ出され、陽歌は途方に暮れるしかなかった。
(こんな状態でちゃんと通えるのかな……)
 元来ならとっとと逃げだした方が安全だが、それをやると今度はもっと危ない状況が待っている。いや流石にこの状態もしばらくすれば収まるだろう。そう陽歌は考えた。

 ただほとぼりが冷めるのを待つだけではいけない。まずは自分がいじめられる理由を潰していこうと陽歌は思った。まず見た目のみすぼらしさは解消しているはず。甥の太陽が着ていたものだが衣服もまともなものが着れる様になり、風呂にも入れるので匂いも以前よりはマシなはず。足りない文具も同様に調達している。ないものを言っても仕方ないがさすがにランドセルまで借りるのは気が引けた。それでも少なくとも問題は解決した様にも思えていた。
「でもダメなんだよねぇ……」
 なぜそれでもダメなのか。陽歌は自宅の鏡を見て考え込む。髪色や瞳色ばかりはどうすることも出来ない。しかし、こうして見ていると髪が伸び放題になっていることに気づいた。最近、いろいろあって髪を切っていないのを忘れていた。
「切ろっと」
 普段は適当なハサミで適当に切る。今回もキッチンのハサミを使う。べたべたしているといけないので、水で洗おうと蛇口を捻ったが何も出てこない。
「あれ?」
 そういえばなんか『督促状』とかいうのが来てたなぁと陽歌は思い出す。どうもライフライン系の支払いを踏み倒していたのか、そんなものが三枚近くポストに入っていた。
 仕方ないのでそのまま伸びた髪に入れてみたが、どうもふにゃっと刃の間に入り込んで切れない。
「……」
 よく考えれば今となってはこんな深夜にこっそり自分で切る必要は無かったと陽歌は思い出す。普通は美容室というとこで切ってもらうものだという知識はあった。
「んにゃ?」
 突然電気が切れて暗くなり、流石の陽歌も驚きに素っ頓狂な声を上げる。しばらくすると目が慣れて差し込む街灯や月明かりで状況を確認できるようになるが、ブレーカーに異常はない。
「督促状かぁ……」
 これからこの家に住む為に、どうもやることがそれなりにある様だ。陽歌は今後の予定を立て、今日は寝ることにした。

 翌日、どうにか水道、ガス、電気の料金を支払って陽歌は美容室に向かっていた。姉や義兄の財布から抜き取った現金も度重なる支払いで底を尽きつつあった。通帳を持って銀行に事情を説明すれば何とかしてもらえると思ったが、肝心の通帳が自分名義も含めて親族に持っていかれたらしく見当たらない。
「お金は本当どうしよう……」
 欲を言えばサイズ的にも相手の心象的にも甥のお下がりではなく自分用の服が欲しかったが、そんな余裕はなさそうだ。
「とりあえず髪っと……」
 姉の財布にあったポイントカードから得た情報を元に、美容室を見つける。やけにカードが多く、どこに行けばいいのか分からなかったが、家から一番近そうな場所を選んだ。
そろそろと恐る恐る中に入る。こういうとこに入るのは初めてなのでどうしても緊張する。
「あら、いらっしゃい」
 若い女性の店員が優しげに声を掛けてくるので陽歌はほっと胸を撫でおろす。しかしその気を抜いた一瞬に、針金のハンガーが投げつけられる。顔面にぶつかったが、幸い殆ど勢いは死んでいて大した怪我にはならなかった。
「うわっ」
「あんた出禁って言ったでしょ!」
 ハンガーを投げたのは奥にいた中年女。入るのも初めてなのに出禁とはどういうことか、陽歌はわけもわからず茫然としていた。
「ちょっと、何してんですか!」
 女性店員が間に入り、中年女に怒る。
「そいつは代金踏み倒しで有名な奴んとこのガキだよ!」
「え……」
 中年女から訳を聞いた陽歌は絶句する。電気やガス、水道だけでなくそんなとこも未払いだったのか。陽歌の目立つ外見が災いし、本来無関係なのに結び付けられてしまったということらしい。
「子供は関係ないじゃない! それにその人最近亡くなったって……」
「とにかく、こいつとは関わりたくないんだ! うちの経営に響くからな!」
 陽歌を置いて店員二人が喧嘩してしまった。彼はこのまま帰るべきか、それとも残るべきか悩んだ。こんな風に悪名が知れ渡っているとなると、他の店も追い出される可能性がある。自分の姿を見ても気味悪がらすに歓迎してくれた人は貴重で、ここを逃すと髪が切れないかもしれない。
「なぁあにが経営ですか! そんな態度だからとっくにこのお店閑古鳥が鳴いてんですよぉおお!」
「なんだとぉ……表に出ろ! 思い知らせてやる!」
「やってやろうじゃないですか!」
 とうとう二人は陽歌を置いて決闘にまで発展。中年女が先に店を出ると、女性店員は扉を閉めて鍵を掛けた。
「これでよし、と。騒がしくしてごめんねー」
 中年女が何とも言えない絶望的な表情で店内を覗いている。邪魔者もいなくなったところで、陽歌は座席に案内された。
「あの……」
「いいのいいの。あのおばさん態度が悪くてお客さん悉く逃がしてるから少しお灸を据えないと」
 テキパキと女性店員は櫛で髪を梳き、ハサミで整えていく。
「女の子にとって髪は命だからね。綺麗にしてあげるね」
 ナチュラルに性別を間違えられているが、陽歌は訂正する余裕が無かった。顔剃りで肌を傷つけてしまった時の備えに用意されていたワセリンで、顔の傷もケアして貰った。
「……」
 一瞬、頭の一部を見た店員の手が止まる。やはり髪の色なのかと陽歌は少し気持ちが沈んだ。
「……綺麗な色ね」
「え?」
 しかし、その予想に反した言葉が飛び出たので混乱が生じる。
「私は好きよ。あなたの髪」
「……」
 今まで否定的な感情しか向けて来られなかったものを急に肯定され、陽歌は反応に困った。思い返せば、自分の存在は常に否定されてきた。何をどうしても認めてもらえず、それが当たり前になっていた。寂しいとか辛いという言葉は知っている。自分が認められないのが辛いことらしいのも本で読んだ。
 だが、実感として得られなかったのだ。

 髪も綺麗に整えてもらい、すっきりして陽歌はレジの前に立つ。しかしそこで問題が起きた。
「あ……」
 とうとう現金が底を尽いてしまい、子供料金のカットとシャンプー代も支払えない状態になっていた。なるべく節約したつもりだったが、急に生じたライフライン系の支払いが大きな痛手になってしまった様だ。
「……」
 予想出来なったトラブルに陽歌は冷や汗をかき、固まってしまう。現金以外での支払いは出来ただろうか。そういえばクレジットカードは使えるのか。レジの傍に貼ってあるシールには様々な支払い方法が書いてあるが、どれ一つ理解できない。
「いろいろ大変でしょ? お金はいいよ。また来て」
 そんな彼を見かねたのか、元々お金を取る気がなかったのか、店員は助け船を出す。
「あ……ありがとう……ございます」
 陽歌はこんな人達ともっと早く会いたかったと思いながら、頭を下げて店を出る。もしかしたら自分が知らないだけで、助けてくれる人がいたのだろうか。殺人などしなくても、済む方法があったかもしれない。様々な思いが去来するも、全ては手遅れ。
 大きな感謝と僅かな後悔と共に、陽歌は先へ進むしかなかった。
しおりを挟む

処理中です...