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ダンジョンで飯なんか食ってる場合か

メモリアルクエスト:アメディスの落日

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 アメディスは変わった。ヒューゲストキャノンの三発目以降は発射されることがなかった。周囲の国が封鎖を辞め、撃たれない様に物資支援を行ってくれる様になったのだ。国民の生活も豊かになり、街に活気が溢れる様になった。
「ちょっといいもの食べられる様になった」
 未だ配給制は続いているが、物々交換に流しても問題ない程度にテーネは貰える様になった。元々自分で消費しないラム酒などは交換に出している。実は彼、酒は苦くて口に合わない。交換をしている市場で、ラム酒を適当な品物と交換する。まだ物欲が生えるほど定住生活に慣れていないので、自分が使わないものを誰かの役に立てられればそれで充分だ。
「お兄さん、お兄さん。うちの娘、嫁にどうだい?」
「えぇっと……そのボク、お嫁さんもらうほど甲斐性は……」
 街に出ると、その特徴的な烙印から一発で国の重要人物であると周囲に知られていることが分かる。家族が娘を連れてたまに結婚の申し込みをしにくるのだが、テーネとしてはそこまで責任を持てるほど自分に自信がなかった。
 自分と結婚して、幸せになんぞなれるのだろうか。子供も魔の加護を引き継いでしまう。なので断っているが、来る家族来る家族、娘もまんざらでなさそうなのだ。
(参ったなぁ……)
 元々、謙虚な性格から物々交換の会場で出会った人の評判もよく、おまけにアメディスの英雄と来た。安心して暮らせるのはいいが、こうも言い寄られると困ってしまう。環境が変わり過ぎなのだ。
「クラリスさん……」
 結婚、というワードが聞こえるとふと、クラリスのことが浮かんでしまう。たしかこの国でできるかは不明だが娼婦をこれから出すであろう稼ぎに匹敵する金額で買い、娶る身請けという制度もあるそうだ。彼女次第だが魔の加護を持つ子を産むかもしれないことについては責任を取るつもりではある。

「ふぅ……」
 交換を終え、汗を流す為にシャワールームへ向かう。まだ改修が間に合わず、水しか出ないので居座る人は少ない。その為、自室以外で一人になれる貴重な場所である。水だけのシャワーも嫌いではない。
「ん?」
 だが女のなまめかしい声が聞こえて一気に警戒を強める。たしか、男女共用ではあるがこのスペースに女性の居住者はいなかったはず。もし新たに入ったのだとしても、シャワーを浴びるだけでこんな湿った声は出ない。義手へ意識を向け、慎重にシャワールームへ入る。すると、中に学者の男と見知らぬ女がいた。
「お、テーネじゃないか」
「な、なにしてるんですか!?」
 共用なので女性がいることについては強く言えないが、女性の裸を見てしまった気恥ずかしさから顔を赤くして彼は目線を反らす。ただシャワーを共用しているだけではなく、妙に密着している。食料事情から痩せてはいるが、顔立ちは整った美人さんだ。
 その意味が分からないほど、テーネも幼くはない。ただこの人は娼館にいなかったなぁぐらいは理解できる。
「何って、ヒューゲストキャノンの完成以降妙にモテる様になってね。まさに入れ食いさ、はは」
「だ、大丈夫なんですか? その、責任と家庭とか……」
 テーネはその心配が真っ先に浮かぶ程度に真面目だ。命の危機に長年晒されても、その生真面目な性格は変わることが無かった。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
「いいのよ。優秀な人の子供が出来ればうちも楽出来るかもだし。坊やもする?」
 女性もそれでいいらしい。この美人に面と向かって素面の時に誘われては、テーネも顔から湯気が出るのではないかと思うほど熱くなって水を被らずにはいられない。そういう国なのはわかっていたが臆面もなく出されると困惑してしまう。
「ふふ、可愛いのね」
「おいおい、俺の相手をしてくれよ。妬けちゃうだろ?」
「あ……んっ」
 満月も遠いのに、彼は悶々とした気持ちを抱えてそそくさと水浴びを済ませてシャワールームを出る。生活に余裕が出たのはいいことだ、と自分に言い聞かせつつ。
「あ」
 しかし不意に彼の脚は娼館へ向かっていた。結婚の話が出たこと、学者の男とのやり取りでどうしてもクラリスを考えねばならなかった。
『褒美をやりたいがあいにく渡せる物はなくてな。好きな女を妻にする権利くらいしか』
 キャノンが完成し発射に成功した時、王にそう言われたのを思い出す。ただ結婚というのは相手の意思を尊重するものなので、その場では軽率に決めず考えさせてくださいとだけ返答した。
「あら、テーネ。ありがとうね、あなたのおかげでみんな、生活がよくなったみたい」
 店に入るとクラリスが出迎えた。国民全員がそれを実感する程度にはアメディスが変わりつつあった。
「なら、よかった」
 こればかりは本心でほほ笑んだ。国の善悪など彼にはわからないし、そんなものが不変であるとも思わない。だから自分を歓迎してくれた国の民がいい暮らしができると嬉しい。それだけだ。
「そうだ、最近お風呂が使える様になったの、ここ。試してくれる?」
「あ……はい」
 クラリスは最近使える様になった設備へテーネを連れていく。湯舟というのはお湯の維持が大変で存在こそしたが使われていなかった。魔法石が外から入ってきたおかげで再び稼働できた様だ。
「ふぅ……」
「……」
 石を削った湯舟にお湯が張られており、そこにクラリスとテーネは浸かる。
「花びら浮かべたらもっとえっちな感じにできるんだけどなー。それはまだ先かな」
 正直なところテーネはクラリスの裸など何度も見てきた。ただ湯で上気した顔や濡れた肌はいつもと感じが違う。
「久しぶりって感じ。テーネは?」
「そうですね、かなり久しぶりです」
 テーネも湯舟に浸かる経験はしたことがあるがそれも遠い昔。クラリスはやはり娼館で、なのだろうかと考える。自分が来る前、そして彼女がここに来る前の娼館。なんだか仕事の都合当たり前なのだが少しもやもやした気持ちをテーネは抱えていた。
「私のこと、話していい?」
「はい」
 クラリスは自分の過去をテーネに明かす。今まで聞いたことも聞こうともしなかったことだ。
「私、自慢じゃないけどすっごい貴族の家に生まれたの。だけど私のお父様、権力争いで負けちゃった。お父様を追いやった人は私のこと気に入ってたみたいでさ、情婦にされたの」
 権力争いで勝った側が負けた家の娘を手籠めにするという話は聞いたことがある。辛酸をなめさせられた相手の娘を穢すことで勝利の証とする。何度聞いても反吐が出る下品な習慣だ。
「汚されて嫌なこと死ぬほどされて、飽きられて売り飛ばされてこんなところまできてさ、もうどうでもよくなっちゃってた」
 そんなことを経験すれば、もう人生そのものを諦めてしまうだろう。テーネだって死の恐怖がなければ今頃自ら命を絶っている。
「アメディスの人達は優しかった。でも、貴族はそんな人たちが苦しんでいても見て見ぬフリ。そんな時、あなたが来た」
 貴族であったから、それをどうにかする力があると知っているからこそクラリスは貴族に憤っていた。なんでアメディスが軍事国家になりこうなっているのかをテーネは知らないが国民まで干上がらせる必要はないはずだ。ヒューゲストキャノンも最近完成したばかりで、建築中の対処も可能なはず。
「魔の加護を持つとバスターが殺そうとするし町にだって入れない。私よりずっと苦しい思いをしてきた人が、魔の加護の呪いに苦しんだ後も私を気遣ってくれる。閨は私にとって、もはや苦痛を通り越して何も感じないものになっていた。それを変えたのはあなた」
 クラリスの告白。テーネが変えたのは国という大きな単位だけではなかった。それを彼女から聞くことになる。テーネが臆病と生真面目の象徴として持ち続けた石ころのようなものはクラリスにとって光そのものだった。悲劇に見舞われても魔道に落ちぬ精神こそが。
「テーネが魔の加護を持つ子供を、他の子に産ませる可能性を作らないために私だけを指名していたのは知ってるの」
「え……?」
「言わなくてもわかる。そうだろうなって」
 クラリスの貴族時代に受けた教育とテーネの態度をすり合わせると簡単に予想ができた。
「そしてあなたが国中の女から好きな人を妻にできるのも、知ってる。でも私じゃなくていい。だって私はもう、十分もらえたから」
 クラリスは負い目を感じることなく、好きに選んでほしいと思って話をした。だがテーネはそんなクラリスならと決めるに至っていた。
「ボクは、クラリスさんがいいです。責任とかじゃなくて。だって、すごく……安心するから」
「……ありがとう。謹んで、受けます」
 劇的な恋愛はなかった。だが日常の中で確かにテーネとクラリスはお互い心地よい相手なのだ。二人はしばらく湯舟で睦み合った。満月の魔性に振り回されることなく穏やかな時間が流れる。魔の加護が影響しない中、肌を重ねるとテーネは確かにクラリスを好きだと感じることができた。
「湯冷めしないうちにお部屋、行こ?」
「はい」
「今日のは全部、自由恋愛だから」
 娼館によっては場所を貸すだけで娼婦とのやり取りはあくまで自由恋愛という建前を持つ場所もある。だがアメディスでは明確に娼婦の行いに報酬を支払う。これはクラリスの本心で建前などみじんもない。

   @

「えー、全ての桁の数字を足して3の段の数字になる場合、その数字は3で割ることが出来ます。掛け算は9×9まで暗記するのが基本ですが、それ以降も応用を利かせれば即座に暗算できるようになります」
 ヒューゲストキャノンの発射はテーネに相変わらず委ねられているが、発射の機会は当分ない。すると各敵国への軌道計算も済んでしまって当然仕事もないので、彼は学校を開いて子供達に数学を教えている。
 今までは子供も労働力としなければならなかったが、今はその必要がなくなりつつある。今後を考え、人材育成に回せる余裕が出て来た。まだ校舎はなく、青空教室だが子供達はよく学んでいる。教師もいないが、教えられる者が何とか持ち回りでやっている。
「先生、ここどうやるの?」
「ああ、ここはね。間違えた計算式は消さない方がいいよ、あとでどこ間違えたか確認できますから」
 その中でもテーネは分かるまで付き合ってくれる上、教え方も丁寧だと評判がよかった。それが結婚話の多さを加速させているのだが。彼は決して天才ではない。趣味の範囲でやっていた数学にのめり込んだだけの、物好きな少年に過ぎない。幸い、過去にしっかり学習する機会があったため独学でやっていた頃よりは難しい問題を教えられるまでになった。
 他の子供達と同じ条件から、単に好奇心が勝るだけの状態で数学を修めていたため彼らの分からない部分を理解した上で教えることが出来る。
「テーネ先生、そろそろ」
「あ、来たんだ。『チューシャ』」
 授業をしていると、白衣を着た集団がやってくる。外の国から医療品が届けられ、それが子供達に回ってきたのだ。病気を事前に防ぐ『ワクチン』というものらしいが、聞きなれない言葉に子供達は不安そうな顔を見せる。
「先生、チューシャってなに?」
「うーん、ボクも初めて聞くなぁ」
 長らく旅をしてきたテーネにも効いたことのないものである。むしろ、旅をして定住することがないからこそ技術革新には疎いところがある。
「国の偉い人が試しているから、大丈夫だよ」
 毒物が送られてきていないか試すため、兵士が事前に使用して安全を確かめている。それによれば問題はない様だ。研究所でもワクチンというものの解析が行われており、あからさまな毒物ではないことだけは確証がある。
「じゃあ、先生が実験台になるね」
 子供達を安心させるため、彼はいの一番に名乗りを上げる。白衣の男達が鞄から取り出したのは、針の付いた器具と瓶だ。その明らかに異質な様子にテーネは青ざめる。
「何それ?」
「先生?」
 子供達を怖がらせない様に、必死に堪えている。白衣の男が瓶に針を刺し、容器を引っ張って中の薬剤を容器に吸い込む。針を上に向け、容器の部品を押し込んで薬剤を針から垂らす。
「針から液が……」
「これは注射器といって、体内に薬剤を入れる最新の医療器具です」
「へ、へぇ……」
 どういう仕組みなのか分からないが、テーネは子供達の為に必死で強がった。こんな細い針にどうやって薬剤が通っているのか。体内に入れるとは、飲むとかではないのか。と色々な思考が去来する。
(た、確か針から毒を注入する魔物がいたかな……)
 魔物の構造を応用した器具なのだろう。兵士が試したのなら大丈夫か、と思い勇気を出してテーネは注射を受けることにする。
「では腕を出してください」
「は、はい」
 右利きなので咄嗟に義手の方の袖を捲ってしまったが、こっちではないとすぐに左へ替える。
「はいチクっとしますよー」
 こんな小さな針など、今までの怪我からすれば大したことないのだろうがどうしても身構えてしまう。腕に針が通ると、チクりとした痛みが脳へびりっと伝わる。
「おぉふ……」
 腕を切断された経験のある先生がこんななのか……と子供達は震えていた。終わったあと、テーネは涙目になりながらなんとかフォローする。
「ほ、ほら、戦ってる時って集中しているから案外気にならないっていうか、今はそうじゃないから緊張したっていうか……」
「ほら、テーネ先生って蜂とか蛇にもビビってたし」
 外で授業をしていると、たまに飛んでくるミツバチに恐れおののいてしまいそれもバッチリ見られている。普段から特別臆病な面があると知られていたおかげで子供達も彼の脅え具合に反してすんなりと注射を受けてくれた。

「えっと、次の課題は……」
 テーネは授業が終わると、研究所で子供達の集団ごとの習得度を確認しながら次の授業を準備する。正直、一人でヒューゲストキャノンの調整をしているより数段やりがいもあるし、楽しい。満月の日だけは休まねばならないが、こうしてこの国で子供達に数学を教えながら暮らせればそれでいいかなと思いつつある。
「……っ」
 沈む日を見て、少しテーネは昂る気持ちを抑える。クラリスとは正式に結婚したが挙式はまだだ。国王は国威発揚のために盛大に執り行おうとしていたがテーネとしてはまだ国民の生活の再建を優先したかった。その心意気に答えた国王は二人にある贈り物をするので、初夜を楽しむ様にと返すのであった。
「ただいま」
 いつもの宿舎にテーネは戻ってくる。元々一人部屋として作られている場所だが、今は妻であるクラリスと一緒に生活している。夫婦の新居を約束してくれたが、この狭い空間もすっかり愛の巣になっており離れがたい。
「おかえりなさい」
 クラリスは部屋のベッドに腰かけており、彼が帰ってくるなり立ち上がる。その姿にテーネは思わず目を奪われた。黒いナイトドレス、それが国王からの贈り物であった。普段の粗末な国民服と異なり肩紐で吊っただけの衣服は大胆に、それでいて黒の彩りがクラリスの白い肌を際立たせる。丈も短く食生活の改善で増えた肉付きなどもはっきり見えた。
「……、あ、あー……」
 テーネは一瞬フリーズする。彼女の裸など見慣れているはずだった。だがこれはなんだか違う。胸の奥から湧き上がってくるのは満月の時に支配される、どす黒い肉欲ではない。似てはいるが途方もない愛おしさがあった。
「き、綺麗……だ、です……」
 いつも魔の加護がもたらす呪いのはけ口にしていることが申し訳なくなってきた。
「不束者ですが、これからよろしくね。テーネ」
「はい」
 二人は将来を約束し、同じ床で眠る。お互いに欲望のまま肌を重ね、力尽きてもなお朦朧とする意識は互いを求めあう。毎夜こうして夫婦の営みを繰り返すのが二人の日常になっていた。クラリスは娼館で働くことはもうない。正真正銘、テーネだけのものになったのだ。

「テーネ、よいか?」
「門番長?」
 ある日テーネは門番長に呼び出される。国防担当の中では地位の高い人物であり、彼に呼び出されるということはかなりの重要案件だ。今までは国の状態が状態だけに避難通路の整備などであったが、最近はまるで違う。
「国王もいらっしゃる。王城へ来てくれ」
「はい。今すぐ」
 彼は少し後ろ髪を引かれる様な気分になりつつ、研究所を後にした。ちょうど今、子供達に教えるための教材を用意していたところなのだ。
 王城の会議室には、国の重役、といっても彼にとっては見知った面々が集まっていた。地図に駒の様なものを乗せ、いつになく真剣で重苦しい空気が流れる。
「来てくれたか。斥候からの情報によると、他の国が増援を呼んで我が国の侵攻を試みているらしい」
「なんですって?」
 国王は状況をテーネに伝える。やはりこのままアメディスを野放しにはしてくれなかった。あのヒューゲストキャノンの脅威は周辺国のさらに隣国にもあると判断され、より大きな連合が生まれようとしていた。
「どうする? 敵国全部に撃ち込むか?」
 門番長は殲滅を打診するが、ことはそう単純ではない。
「いえ、今は周辺国がキャノンに脅えて供給してくれている物資でなんとか成り立っています。それを絶った上で敵がさらに増えるのは避けなければ……」
「ではどうする?」
 老人が尋ねる。門番長と仲の悪い彼だが、その提案を即座に突っぱねない程度には状況が切羽詰まっている。
「今は増援の国が早急の侵攻を主張し、周辺国は慎重な対応をしようとしていて意見が割れている。この隙に対策を立てるぞ」
 いざ増援を要請したものの、反撃で自分の国が危険に晒されるかもしれないと連合の中でも対立が起きている。少し離れている増援の国にとっては周囲の国が多少滅んでも自分達がババを引く前に処理したいところだ。
 なにせ、ヒューゲストキャノンの発射はまだ二回。数時間感覚で大国を滅ぼせる兵器であることは確かだが、自分達の国にまで届くかはまだ分からない。一方、物資を寄越して撃たれない様にしている国の多くが滅ぼされた国よりアメディスに近く、確実に射程へ収まっている。
 かつてアメディスを包囲した国同士でも、その立地から意見がまとまっていない。だが、どこかが腹を括れば一気に状況は変わる。
「たしか、ヒューゲストキャノンには最初に撃つべき座標の式があったな」
 国王はふと、設計図に記された謎の数式を思い出す。あれは研究所でも意味を理解出来なかったため、放置している。結果、それに従わなくてもキャノンの運用は問題なく出来ているのだが。
「もしかしてあれはヒューゲストキャノンが真の力を発揮する為のもの、もしくは全世界にその威力を示す為のものではないか?」
「世界に威力を……?」
 国王の意見にテーネは少し思い当たるところがあった。というのもあの式通りに発射すれば、例えアメディスが地図の端でも対角線上の端を軽く超える距離まで砲弾が届く計算だ。
「たしかに、あの式通りなら理論上世界のあらゆるところを砲撃可能ですが……」
「それなら、射程外だから今の内に攻撃しようとしている国にも牽制出来るな!」
 彼の一言で会議は少し明るくなった。どの国も標的に出来る、という事実の提示が出来れば状況も変わるはずだ。
「あの、ですがちょっと心配なこともあって……」
 だが、テーネにはそれをやることに懸念があった。彼が見せたのは、芋の様な置物。資料に紛れていた、出土品の一つだ。
「それは?」
「これは設計図と一緒に出土したものです。この模様とあの世界地図の模様を見比べて下さい」
 置物の模様は、壁掛けされた世界地図に記された大陸に似ている。この世界地図はテーネが散々、最初に撃つべき座標の式を解くために書き込みをしたものだった。
「ヒューゲストキャノンの設計図が出土したのはここ、そしてアメディスはここ。決して近いとは言えません。そしてこのキャノンはどこで作られて運用されるかが不明なのに、この式には固定の数値が入れられている。これでは、この式を書いた当人にも着弾の予測は出来ません。今計算しているボクにもある条件を前提にしないと予測が出来ないんです」
「ある条件?」
 彼はまずありえないこと、と念を押してそれを伝える。
「これはボクの心配し過ぎ、まさかそんなことありえないと一笑に付してくれれば幸いなんですけど、ここに世界球体説を当てはめると話は変わるんです」
 世界球体説、この芋みたいな置物はそれを前提にした世界の模型だ。
「世界球体説では世界は球体、丸でありそのため、真っすぐ進めばいずれ元の場所に戻ってくるんです。その前提で式を解くと、固定の数値が初めから入っている理由も分かるんです」
「まさか……」
 老人は概ね、その答えを察した。テーネもそれに応じて、自分の仮説を続ける。
「はい、この式は世界をぐるっと一周して元の場所……ヒューゲストキャノンの場所に戻ってくる式なんです。だからどこでキャノンが建造されても、固定値でよかったんです」
 自爆させるための罠。それがあの数式の答え。だが、会議に集まった者の大半が信じていなかった。
「まさか、世界球体説自体がオカルトではないのか?」
「もしそうだとしても、一周して少し余る程度に式を組み直せばいいのではないか?」
 世界を一周するなら、それより少し長く飛ばす。それもテーネは既に計算していた。
「はい、理論上は可能ですがキャノンがそれだけの威力を出せるのかは不明です」
 つまりは賭けだ。それを踏まえてテーネは現実的な案を持っていた。
「なので、新たに増援となった国の中から一番遠い国を標的にするのが最適かと」
「いや、それではダメだ」
 だが、国王は反対する。長い間、国民に苦労を掛けてきたからこその判断でもある。
「あれを撃つのにも、莫大な資金がいる。一番遠い国を撃てば、脅威に感じた更に遠い国々がまた新たな連合となるだけだ。それを繰り返すのは、血を吐きながら続ける遠駆けに過ぎん。可能な限り、一発で脅威を示すべきだ」
「国王様……」
 そして国王は珍しく強い口調でテーネに命じた。
「あの式の通りにヒューゲストキャノンを放て。これは王命だ。逆らえば……分かるな?」
「はい」
 その意図を彼も汲み取る。十中八九、世界球体説を前提にした理論はありえない。だが万が一それが当たってしまった場合、全ての責任は取る。そういうことだ。

 とはいえ、自分の引き金でこの国の運命が決まる。その重圧は他国へ撃ち込む時とは比べ物にならないほどテーネを襲った。失敗、否成功してしまえばこの国は間違いなく滅びる。そうすれば、子供達も巻き添えだ。
 会議が終わった後も動くことが出来ず、テーブルに突っ伏して自分に暗示をかける。
「大丈夫……世界球体説なんてありえない……ありえない……」
 絶対ありえない。そう思ってはいるがどうしても砲弾がアメディスを撃ち抜く光景を拭えない。声は震え、歯の根が合わない。学ぶということは世界の解像度が増すということ。それは、良い意味でも悪い意味でも。
「テーネ」
「……っ!」
 声を掛けられ、彼は咄嗟に起き上がる。そこには学者の男、老人、門番長と見慣れた顔があった。
「少し提案がある。子供達にヒューゲストキャノンが発射されるところを国の外から見せたいんだ」
「え?」
 彼らは意外な案を持って来た。次にキャノンを撃つ時、それは例の式に従って撃つ時だ。
「何もなきゃただのピクニックだ。もしなんかあったら……子供達だけでも助けられる」
「まさか頭でっかちのジジイと同じ意見になる日が来るなんてな」
 普段はいがみ合っている二人も、揃ってテーネの意見を重く受け止めている様だ。
「みんな……ありがとう」
 テーネは三人の想いに感謝し、深く頭を下げた。思えば、こうして誰かに感謝できる様なことをされるのも久しぶりだ。
「おいおいよせよ、何もないかもしれねーんだからさ」
「そ、そうだね……」
 今、テーネに出来るのは世界が丸くないことを願うだけだった。何せ、今クラリスは動けないのだから。

   @

「発射!」
 数日後、再びヒューゲストキャノンが火を噴いた。標的は新たにアメディスの包囲に加わった国の中で、最も遠くに位置するもの。例の座標へ攻撃を仕掛ける前に、まずはしっかり牽制をしておきたい。
「今までこのヒューゲストキャノンで撃破した国は、人口約一万人のハレダス帝国、八千人のクモリィ王国、そして今回はかなりの大国、レイダナ共和国、人口約一万五千人。前二回はいずれも生存者の確認が出来なかったので、今回も生き残りはいないでしょう」
「うん、それは感じる」
 テーネは人斬りの加護、正確には人を殺す為に与えられた魔の加護を持つ。バスターの様に鍛えられていない人間を殺しても、既に高いレベルを持つ彼にはあまり恩恵がないのだが、大量に殺したことにより力が増す感覚は確かにあった。
(ていうかこんな大雑把な兵器でもカウントされるんだ……)
 むしろ、殆ど他人がおぜん立てした様な内容でも加護を増すことが出来るということに驚きがあった。前例がないわけではないが、直に手を汚していないのに、という引っ掛かりはどうも抜けない。

「またキャノン撃ったね」
「やっぱりすごいなぁ」
 青空教室へテーネが行くと、子供達の話題はキャノンで持ち切りだった。やはり、子供というものは無邪気にああいう強そうなのに憧れるのだ。
「アレがあったらうちの国無敵だよね先生?」
「うん、でもね、先生はあれが無くてもいい様になってほしいなって思うんだ」
 確かにヒューゲストキャノンは無敵に等しいが、テーネとしてはあれに頼った国政もいつか限界が来るのではないかと思っていた。だからこそ、こうして学校で子供達に勉強を教える。
「なんで?」
「あれ作るってる時、みんなお腹空いて大変だったでしょ? 一回撃つ度に直したり弾作ったりでまた沢山お金が掛かるからさ、みんなはもちろん、みんなの弟や妹がまたお腹空いたりしない様にあれを撃つためにお金使わなくていい日が来るといいよね」
「そうかなぁ?」
 まだ子供には分からない世界の話。それでいいのかもしれない。キャノンはこの子達が大きくなる頃には使わなくなる、それが理想だ。
「それに、先生の奥さん今お腹に赤ちゃんいて、音すっごい大きいから身体に響かないかなーって心配に」
 クラリスは臨月が近く、魔の加護の影響か病院のベッドから動くことができない。あまり魔の加護を持つ者の子供など情報が残っていないので万全を期す意味もあるが、普通の妊娠より歩行に難があるのは確かだ。
「そうだ、他の先生から聞いてると思うけど、今度国の外からキャノンの発射を見ようって思ってさ。みんな来てくれるかな? 次の発射は世界の端まで届くくらいだから、ぜひ見て欲しくって」
「わーい、ピクニックだー!」
 外で食事を楽しむという余裕すらなかったアメディス。子供達は唐突であるがピクニックの提案に大喜びだった。そう、何事もなければただのピクニック。テーネは自分にそう言い聞かせた。
(何人連れていけるかな……)
 青空教室の教員総動員でも連れていける子供の数は限られている。ここで勉強しているのは、幼過ぎずかといって一般的な成人年齢である14未満の半端な歳の子供達。
 貧しいこの国では子供だけで見ると乳児が一番多く、学校に来る年代が一番少ない。それより年上の大人たちはヒューゲストキャノンの建造で貧しくなる前に生まれている。
(多分、勉強しに来ている子は全員連れ出せるけど……)
「テーネ先生? どこか悪いの?」
 その親兄弟は、と考えるうちに表情が曇っていたのか、子供が心配そうにのぞき込む。彼は咄嗟に取り繕う。
「あ、ううん。先生が発射するからさ……みんなに見られるとちょっと緊張しちゃうなー、はは……」
 国の一大イベントにすれば、もっと多くの人を救えるかもしれない。だがそれはこの様な小さい疑心を積み重ねることとなり、国そのものに混乱を招く。子供達をピクニックだと言って連れ出すのが、出来うる最低限の備えだ。
「みんなってさ、将来何になりたいとかあるかな?」
 少し、気を紛らわせる為に話を変えた。もし最悪の予想が当たれば、子供達は助けられるが国も家族も無くなる。そうなった時の為の話でもある。
「立派な兵士!」
「偉い学者さん!」
「テーネ先生みたいな優しい先生」
 子供達は口々に夢を語る。その中に自分を目標にする子もおり、テーネは少し照れ臭かった。だが、彼らと同じ歳の頃、テーネに夢はなかった。蔵の本で学んだ数学に興じ、いつもと同じ一日が大人になっても続くものだと思っていた。それでよかった。
「先生はなかったなぁ。住んでたのが凄く田舎でさ、薪を運んだり水を汲んだりして、どこの村とも争わずに平和だったよ」
 田舎であるが故に、村同士の争いもなく弱い魔物にびくびくする程度の安穏とした環境だった。周りの大人と同じで、大きくなったら自分達で食べていくための畑仕事や酪農、薪割りをして暮らす様になる。適当な村の女性と結婚し、子供を作ってそのまま毎日が過ぎていく。そんな風にテーネは思っていた。
「でもね、色々あってさ。魔の加護を受けているんだけど、別に人をたくさん殺してやりたいとか悪いことして儲けようとかは考えたことないんだ。死にたくないって思ったらいつの間にか加護を貰ってて」
 だが、魔の加護を受けてから。否、その前に起きた事件から彼の運命は狂った。
「魔の加護ってね、魔物と同じ扱いになるんだ。だから町には入れないし、道を歩いていたらバスターに命を狙われる。こんなんなら死んだ方が楽なんだけどね、死ぬのが怖くて今まで何とか生きてきたんだ」
 優しいテーネ先生に隠された壮絶な過去を聞き、子供達もいつになく真剣な表情だ。
「でもそうしたらここに着いた。外の国からしたら貧しいし大変だろうけど、命を狙われないだけで凄く安心できる場所だよ、ここは。だからみんなも、生きてさえいれば何かいいことがあるかもしれない。死んだら終わりだからね」
 もしかすると、この言葉は呪いになるかもしれない。死んだ方がマシな状況というのは、いくらでもある。それはテーネ自身も経験してきたことだ。生きていればいいことがあるなんていうのは幻想で、ここに来るまでに辛いことの方が多かった。そしてアメディスにも危機が迫っている。
 でも、これは伝えなければならないと思った。例え欺瞞であっても、自己満足であっても。

「テーネ、やっぱり心配? この子のこと」
 クラリスの病室まで上の空で来てしまった。病院のベッドにはお腹の膨らんだ、身重のクラリスがいた。
「……うん。君のことも」
 テーネはキャノンのもろもろを見抜かれない様に、気丈にふるまった。今はヒューゲストキャノンのことが気がかりだが、やはり最大の懸念は自分の子供であった。初めから解くことのできない、魔の加護を持たせてこの世に送り出してしまう。その加護を持つことの苦しみは嫌というほど知っている。だがアメディスが発展すれば、そんなこともなくなるだろう。
 だが国というものがいつまでも長続きするかわからないことなど、テーネはとっくに知ってる。アメディスが無くなればこの子も自分と同じ苦しみを味わい続ける。孤独で安住などない世界そのものを。
「う、ぅぅ……!」
「クラリス!」
「もうすぐ生まれるみたい……」
 テーネを追い込む様に、クラリスの陣痛が始まる。急いでスタッフが招集され、分娩室へと向かうこととなった。テーネも付き添い、出産に立ち会う。彼女の手を取り痛みを軽減できるように少しでも力を貸す。義手の右腕は下げておく。クラリスが力一杯握ったら彼女が怪我してしまうかもしれないからだ。
「クラリス……」
 出産の痛みは人によるという。だがクラリスが激痛に耐えているのは一目瞭然であった。長らく栄養不良で母体の状態が悪いのもあるだろう。そして魔の加護を持つ子は、普通より堅強に育っていた。それこそ母体を壊してでも出ようとするほど。
「女の子か、お父さんによく似ておる」
 出産は無事に終わる。生まれたのはテーネによく似た顔立ちの女の子。
「ほんと……あなたにそっくり」
「目はクラリスにそっくりだね」
 二人は互いにそっくりな場所を娘から探す。生まれた時から既に、テーネと同じ位置に烙印がある。これが魔の加護を持つものから生まれた子供の宿命。
「退院はいつですか?」
「少し時間が掛かる」
 彼は産婆に退院の日取りを聞いた。ヒューゲストキャノンの件もあるのでクラリスたちもあのピクニックに参加できればいいなとは思っていた。
「今すぐ動くのは母体にも赤子にも負担だ。壁の外の丘ぐらいの近場でも持つかどうかというところだ」
「……」
 まるで産婆はテーネの意思を読んだかの様に答える。もしなんともなければ悪戯にクラリスたちへ負荷をかけるだけ。それも命に係わるレベルで。分娩台には出産の影響で出た血の痕跡がある。今でこそ命に別状がないが、この量の失血をしたばかりで歩行にも影響がある負傷をした人間を歩かせることなどできない。
(ヒューゲストキャノンの発射延期は求めたけど、やっぱだめだ)
 テーネもあの式での発射は延期する様に要請していた。だが国王は受け入れなかった。彼はテーネの意見も尊重してはいたが、時間が遅れればアメディスそのものが窮地に陥る。
 式の変更も不可能だ。ヒューゲストキャノンの全容は作ったアメディスでも把握し切れていない。そもそも発想自体が前代未聞で設計図の通り組み立てて説明書の通り撃つしかない状態だ。それこそ芋引いて式を弄れば危険を招く可能性も否定できない。
「テーネ?」
「あ、うん、なんでもない」
 テーネはクラリスの声で思考から現実へ戻る。今はあれが何でもないことを信じるしかない。

 そうしてついに、設計図に記された式での砲撃が行われる日となった。テーネはいつもの様に砲撃の指揮に就く。
(そろそろみんな出発したかな?)
 砲撃を見るという趣旨から、もうとっくに子供達は遠くからヒューゲストキャノンが見える位置にいるだろう。
「では、発射します!」
 どうか予想が外れます様に、万が一当たっても計算をミスしてアメディスを反れます様に。そんな願いと共に砲身へ魔力を込め、点火する。相変わらず、砲口の輝きに遅れて身体を揺らす轟音が響く。
「どうなった?」
「まだ分かりません。では、ボクは子供達との約束があるので」
 テーネは国王の質問もそこそこに、そそくさと去っていく。傍目から見ると子供想いの教師だが、実際には泥船から逃げ出しているだけだ。
 国の中を駆け抜け、門を抜けて子供達の待つ場所を目指す。アメディスの近くにある小高い丘が、一番ヒューゲストキャノンを見ることが出来る。人斬りの加護のおかげで、普通は門から数十分かけて歩く距離をあっと言う間に辿り着く。国の中心からここまで全速力であったが、全く息は切れない。
「あ、先生だー!」
「すごーい! 足速ーい!」
 スッと合流した彼を見て、子供達は憧憬の目で見る。老人と門番長が状況を伝えてくれる。
「外から見るヒューゲストキャノン、あれは他の国が脅威に感じるのも納得だ」
「そんなことより、とりあえず勉強しに来てた子らは全員来てるぞ」
 課題の管理用に青空教室の子供達は名簿を作っていた。それで全員がいることを把握出来た。まさかこんな形で使うことになるとはだれも思っていなかっただろう。
「先生が撃ったのあれ?」
「うん、そうだよ」
 嘘を言っても仕方ないので、正直に答える。もしこれで予想した通りにアメディスが滅べば、きっと恨まれる。それでいい。復讐でも生きる意味になれば。
「先生、熱いうちに食べて欲しかったんだけど……」
 一人の女の子が家で作ってきたと思われる料理を差し出す。パンを炙ってピクルスを挟んだだけのものだが、そのひと手間がとても嬉しい。自分の為に、ということが何よりだ。
「ありがとう。先生猫舌だから、このくらいがちょうどいいよ」
 猫舌というのは本当だ。村で暮らしていた頃はそんなこともなかったが、温かいものを食べなくなっていくうちに舌の使い方が下手になったらしい。
 それからテーネは子供達に色々な話をした。これまで自分が旅をしてきた中で見たもののことを。

 お姫様のいる城で暮らして、そこで義手を作ってもらって数学を学んだこと。人間動物園で展示されていた時の話。見世物小屋で働いた時、猛獣用の首輪を模したチョーカーを貰いそれを今も大事に身に着けていること。人間の身体が要塞になっている国なんかもあった。
「凄いね、世界中旅したんだ」
「うん、でもなかなか安心して暮らせる場所はなくてさ」
 全く平穏な時が無かったわけではない。だが、どういう運命のいたずらか破滅が待ち受けている。アメディスもこうなってしまうのか、という不安がずっと胸の奥にあった。
「アメディスがあるじゃない! だって先生、あのキャノン作ったんだし英雄だよ!」
「ボクは撃てる様にしただけだよ。作ってくれたのは、みんなのお父さんやお母さん」
 その苦悩を知ってか知らずか、子供達は無邪気に語る。テーネは努めて明るく振舞った。見た目以上に歳を取り、変な部分だけ大人になっていく。本質は不条理に日常を奪われた13の頃から対して変わっていないのだが。
「でも英雄かー、なんだから照れるなー……」
「頭も良くて強いんだから英雄だよ!」
 本職は研究者で通っているが、国の広報では強さの方にも触れられている。国威発揚には文武両道でありながら謙虚な性格で愛らしい性格のテーネはちょうどいいヒーローだ。ちょうど妻も娘もいる、国のモデルケースとしてはピッタリの英雄家族に彼は意図せずなっていた
「不意打ちばっかだからあんま強くないかも……。それにボクって数学以外はからっきしだし」
 プロパガンダも嘘は言っていないが、弱みも言っていない。
「昔高い崖から落とされて高いとこダメになったし、ムカデとか苦手だし……」
 しかしそんな弱点も裏を返せば身近さになってしまう。
「めっちゃ注射怖がってたね。先生が凄い顔するから怖かったけど、思ったより痛くなかったよ」
「いやー、腕取れたことあったら誤差だと思ったんだけどね」
 授業は短い時間で必要なことを教えるから、こうした雑談はあまりしたことがなかった。子供達と話したり、お昼寝をしてゆっくりと過ごす。休日も一人で次の課題を作ったりしているので、なかなかこういう機会はなかった。
(どうか、何事もありませんように)
 このピクニックが楽しい思い出で終わることをテーネは願い続けた。そして日が暮れ、そろそろ帰る時間となった。一応、計算では日没の頃に世界を一周して着弾の予定だった。
「これはもしかしてもしかするかもな」
「だといいけど……」
 学者の男はテーネの予想が外れたと踏んだが、まだ油断は出来ない。何せ、前人未踏の距離なのだ。計算が少しでも狂えば、何時間も予想はズレる。
「あ、ほら固まって動くんだぞ」
 子供達が数人、先走って集団を離れる。やはり子供というのは元気が一番だ。アメディスは鉄壁に守られているが、きっと窮屈なのだろう。テーネはにこやかにその様子を見ていたが、ふと耳に何か死の音が届いた。
「これは……」
 音のする方を見ると、なんとヒューゲストキャノンの砲身が向くのとは反対から一筋の光がアメディスに迫っていたではないか。
「あ……危ない! 伏せて!」
 何が起ころうとしているのか、大人たちは即座に察する。集団で固まっている子供達を伏せさせるが、離れている子供達には誰も手が届かない。
「っ……!」
 そこは当然、テーネが向かう。力の入れすぎで脚が砕けるのも構わず、殆ど飛翔するも同然に一歩で子供達の下へ行く。だがそれと同時に破滅の光がアメディスに降り注いだ。発射の時とは比べ物にならない閃光、熱、そして空気を揺るがす音。テーネは子供達に覆いかぶさる形となり、飛んで来る瓦礫から身を挺して彼らを守る。
「っ、がっ……!」
 人命を奪うには一つで十分なサイズの、硬く尖った破片がいくつも彼にぶつかる。勢いのまま吹き飛ばされそうになるが、痛みに声を出すことさえ我慢して踏みとどまった。
 永遠にも思える時間が過ぎた。
「はっ……はぁっ……う、ぐぅうぅぅぅ……」
 安全が確認できるまで、彼は子供達を守った。頭からは血が流れ、背中に大きく鋭い破片がいくつも突き刺さっている。意識が遠のきそうになったが、それは現実から目を背ける様な気がして出来なかった。
「みんな、無事か?」
 幸い、怪我人はテーネ以外いなかった。だが、全員が目前の光景に閉口する。アメディスの国は、その象徴たるヒューゲストキャノンさえ残さずに吹き飛んでいた。文字通り、跡形もなく。残っているのは大地を穿った穴だけだ。
「これは……」
「あ……ぁぁ……」
 その光景を見たテーネはその場に崩れる。そして、咆哮とも悲鳴とも取れる叫びをあげた。彼の胸には、もっと強く反対していれば、キャノンの運用に手を貸さなければ、いくつもの後悔が深く突き刺さる。傷の痛みよりも、子供達の親を死なせてしまったこと、あの国ですれ違ったり物々交換をした人々を殺してしまったこと、そしてクラリスと自分たちの娘を自分の手でころしたという事実が全身を引き裂いていた。



「これからどうする?」
「どの国にも降伏は出来んじゃろ。わしらの命と引き換えにしても、その後の保証が出来ん」
 すっかり夜も更け、門番長と老人は今後のことを話し合っていた。アメディスはキャノンを作っている段階で周辺国と友好関係などなく、頼れる場所がない。あてもなく彷徨い歩くのも、子供達の体力から難しいだろう。
「……」
 テーネは放心したまま消えた国を見ていた。そんな彼を子供達は心配そうに見つめる。キャノンを撃ったのは彼、つまり自分達の家族を殺したのもテーネだ。だが、彼の姿を見ればそれが本懐でないことくらい子供でも理解出来た。そしてなによりテーネも家族を失ったことを知っている。
「テーネ先生、痛くない?」
「先生は悪くないよ」
 少ない語彙でどうにか、心を伝えて元気付けようとする。しかしその悉くが届かない。意図はともかくこれでは傷口に塩を塗りこじ開けるようなものだ。
「おい、あれ」
「なんと……」
 その時、集団の足音が聞こえて門番長と老人は身構える。その音は鉄が鳴る様なものも含んでおり、ただの旅団が通りすがったとは思えない物々しさだった。やはりというべきか、複数の国の兵士が集まった連合軍が彼らの近くまでやってきていた。
「チッ、国が滅んだ頃合いに子供達を狙ってきたか」
 門番長が前に出て応戦しようとする。だが先にテーネが彼らに近寄り、武器を捨てて宣言する。
「……あのヒューゲストキャノンを設計し、発射したのはボクだ。だから子供達だけは……」
 あれほど死を恐れたテーネであったが、強いショックを受けたのか半ば自暴自棄になって身代わりになろうとしていた。兵士の一人が剣を手に、彼へ迫った。首を取り、戦果にするつもりだ。だが、それを盾で門番長が突き飛ばす。
「テーネ!」
 兵士たちが剣を抜き、構える。状況は一触即発だ。門番長は叫び、彼を鼓舞する。
「お前が命を差し出してもこいつらは子供達を見逃すものか! 戦え!」
 その言葉を受け、少しテーネは動く。確かに、自分が全ての罪を背負って殺されてもその後、子供達が安全に避難できる保証も生活を送れる根拠もない。だが、罪はどこかで償わなければならない。今戦えるのは門番長と負傷した自分だけ。二人して戦っても、勝ち目はない。
「でも……ボクにはそんな資格が……せめてボクの命で、少しでも……」
 それに、子供達に恩を着せるなんてことは出来ない。このまま出来る限りなにもせずに死ぬ、そうして兵士たちの留飲を下げ、子供達が生き残る確率を上げる。それが一番の償いだ。そう信じていた。
「お前は死ぬのが怖くて他人を殺してでも生き残ってきたんだろう!? 死ぬのが怖いのはこいつらもだ! だがこいつらはお前と違って戦う力がない! お前が戦え!」
 死の恐怖、それまでテーネを突き動かしてきたものが、子供達にも迫っている。そして、それを祓えるのは今、自分だけなのだ。その事実が、テーネを再び立ち上がらせた。腰に帯びていた剣を抜き、その刃を輝かせる。
「エスパド・ブラシュ」
 その輝きは今までにないほどで、天にまで虹色の光が届く。あまりの眩さに敵兵は後退するが、あまり長くは続かなかった。
「が、は……」
 思ったよりダメージが重く、既に限界を迎えていた。テーネは剣を落として倒れてしまった。気を失わない様にするのでもはや精一杯。指一本動かすことが出来ない。
「クソッ! やる気になったがとっくに戦闘不能かよ!」
 この不利な状況でも、門番長は諦めなかった。周囲の兵士が一斉に襲い掛かる。ここまでかと思われたその時、上から何者かが手斧を振り下ろして地面を砕く。
「おわっ!」
 その人物は着地と共にターンし、土煙を掃う。雄々しい金髪の少女、テーネは彼女に見覚えがあった。珍しく、自分の命を狙わず停戦を試みた人物なので記憶に残っていたのだ。
「ネメアクラウン、ギルドマスター、ネアだ。この戦い、待ってもらうよ」
「バスター? なんでバスターが人間の戦争に?」
 門番長はバスターの介入に驚いた。バスターとは魔物を討つ存在。人間をその力で傷つければ罪人の烙印を受ける。
「アメディスが魔の加護持ちも募集してたから、念の為バスターに依頼してた国があってね。それで光を見たから駆け付けたってわけ」
 魔の加護の募集があったからテーネもアメディスに来た。敵国も同じく、その対策は考えていたのだ。
「貴様……依頼した我が国を裏切るのか?」
 兵士の一人が抗議するも、逆にネアは頬を膨らませて怒りを露わにする。
「私の仕事は魔の加護を持つ者を倒すこと。でもさすがに敵国民といえど子供を殺すのは見過ごせないよ!」
「あんた……俺達の味方なのか?」
 明確に意思を表すネア。門番長は一応、確認を取る。
「子供達を守るって意味では。バスターは倒す者ではなく、護る者だからね!」
 方針の違いから、依頼主へ反発したということだ。だが、バスターは呪いに近いレベルで魔物以外への攻撃が禁止されている。当然それは兵士たちも知るところで、ネアの反抗はまるで意に介すつもりがない。
「バスターなど我々に攻撃出来ない! 犯罪者になるつもりなら別だが、そうなれば堂々と討伐できよう!」
「さすがになすすべ無しじゃ、バスターが人間の犯罪者から自分や他人を守れないでしょ。あるんだよ、例外が」
 ネアも無策ではなかった。多くのバスターが加護を示す様に、腕を掲げて加護の紋章を空中に浮かべる。
「我にバーバリアンの加護を与えし神よ、罪なき子らを守る為に人へ刃を振るうことを許したまえ!」
 その言葉と共に、ネアは赤い光に包まれる。そして、おもむろに近くの兵士を蹴り飛ばす。
「ぐはっ!」
「何? そんなことをすれば烙印が……」
 通常、この程度の負傷をさせるだけでも烙印を受ける。だが今のネアには何も起こらない。
「なんだそれは……」
「何って、神に許しを貰ったんだよ。君達をボコボコにしていいってね」
 バスターが人間に抵抗する手段は存在する。それが、この加護を与える神への申請だ。そうでなければ烙印を逆手にバスターに対して人間がやりたい放題。見かけた狼藉者から他人を守ることも出来ない。
「く、くそ……退け! 退けぇ!」
 バスターが敵に回り、兵士たちは慌てて逃げ出した。一応の危機はどうにか去ったというわけだ。

 その後、子供達はネアの提案で遠くの国へ避難することになった。彼女の仲間達が駆けつけ、馬車などで安全に連れて行ってくれるそうだ。門番長達も付いていくので、テーネは後のことを任せて傷も癒えないうちにネメアクラウンのキャラバンを抜けた。
「行っちゃうんだ」
 それを待ち構えていたかの様に、後ろからネアが声をかける。彼女に戦う意思はない。仲間の仇であるはずだが、時間が空いてそんなことを忘れてしまったのか。
「仲間の敵討ちでもしたいの?」
「まさか。殺していれば殺される、戦場の常よ。悲しいとは思うけど、あなたを恨むのは筋違いね」
 そんなことより、とネアは話を進める。
「子供達、とても心配してたよ? 何も言わずに行っちゃっていいの?」
「ボクは魔の加護を持っている。これから行く国について行ったら、話がややこしくなる」
 本当は最後まで見届けるのが責任なのだろうが、残念ながらそれは出来ない。魔の加護が状況を混乱させるだけだ。
「そう。今度会う時は敵同士かもしれないから、その時は恨みっこなしでね。貸しもしたつもりないから、本気で殺しに来ていいよ」
「うん、じゃ、子供達のことだけ、よろしく」
 テーネは子供達を任せ、夜の闇へ消えていく。望むか望まざるか、その意志に関わりなく魔の契約をした者としての咎を背負い続ける者。その旅路はこれからも果てしなく長いだろう。
「クラリス……カノン……」
 得るものはなく失ったものだけが荷物になっていくだけの旅であった。
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