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84懇願

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 宿の女将に追い出されるように外に出ると、宿場町の荒々しい自警団の男たちがそこらじゅうにいた。
 警棒を持ち、早く広場へ行け!さっさと歩け!と命令し、家族から母親を引き離し、抵抗する恋人たちを引き離していた。

 他の宿でもエマと同じように追い出されたのだろう。荷物を持った暗い表情の女性たちが何人も広場に向かって歩いている。

 全くの犯罪者扱い。酷い光景だ。

 さまざまな事情で港に向かっていた多くの人たちが予想もできなかった理不尽に巻き込まれている。

 皇太后ジェシカやジークヴァルトたちがエマを捜すためにこんなやり方を命じたとは思えない。だが、権力をかさにきた下の者たちはより残酷さを増して追い立てていた。
 この状況を一刻も早く終わらせるには王都に戻っている場合じゃない。
 エマが名乗り出るしかない。

(ジークヴァルト様は今一体どんな気持ちで私を捜しているんだろう。)

 暗い寝室でジークヴァルトから向けられたわった冷たい視線を思い出し怖気付おじけづきそうになったが、振り払うように足早に広場を目指した。

 広場へ向かう石橋の上までやってくると、遠目にたくさんの篝火が焚かれ人々が無秩序に集まっているのがみえた。

(そういえば、誰になんて名乗り出れば……)

 ふと思いエマは躊躇ためらって足を止めた。

 するとそんなエマを自警団の男が目ざとく見つけ、「お前、何している!さっさと行け!」と怒鳴ると背中を強く突き飛ばした。

 男の力で不意に突かれたエマは鞄を投げ出し前のめりに倒れ込む。
 勢いでついた両のてのひらと片頬に擦った痛みが襲った。
 すぐに動けなかった。
 うめき声を漏らしながらなんとか顔だけ男の方へ向けると、何かを拾い素早くズボンのポケットにじ込むのが見えた。

 エマはスカートのポケットにいつも持っていた巾着がないことにすぐに気づいた。
 うようにして男の足に取り縋る。

「それ、返して下さい!!
大事なものなんです!
返して下さいっ!!」

 大声でとりすがるエマの言い分にばつの悪さを感じた男は激昂げっこうし足を振ってエマを振り払った。

「この女、俺が何か盗んだっていうのか!」

 焼け焦げて使い物にならなくても、人にはゴミにしか見えなくても、エマにはたった一つ残された思い出。

 でも、力では決してかなわない。悔しい。
 返して!返して!と声を上げることしかエマには出来なかった。

 やがて周りが騒ぎに注目し始めると、男はひるみポケットから握り込んだモノを「何も盗ってねえよ!うるせえっ!!」と怒鳴り夜の暗さにまぎれ川へ放り投げた。

 それは、確かにエマの携帯電話が入った小さな巾着だった。
 結び目が解け、ひらひらと紐を揺らしながら暗闇に落ちていった。

 小さくぽちゃんと水音がなる。

 慌てて欄干に縋り下をのぞくが流れる暗い水しか見えなかった。
 両岸は石造りの護岸になっていて降りることもできそうにない。
 出来たとしても、水は凍てつく冷たさだろう。

 暗くて、深さも分からず、近づけない。もう、どうしようもなかった。

 放心して下を覗くエマのそばにふっと人が立った。
 さっきの男かとゾッとして慌てて身をひき見上げる。

 欄干に手をかけていたのはーーー

「ジーク、ヴァルト…様」

 ジークヴァルトはコートを脱ぐと欄干に片足を乗りあげ、躊躇いなく川に飛び込もうとした。

 咄嗟とっさに腕を掴む。

「何してるんですかっ?!やめて下さいっ!!」

「あれは君が大切な物だと言っていた」

(っ?!)

「だからって!とにかく、降りて下さい!!」

 飛び込もうとするジークヴァルトをエマが渾身こんしんの力で引き止めると、バランスを崩して二人して橋の上にへたり込む。

「何してるんですかっ!?
飛び込むなんてっ!死んでしまいますよっ!」

「あれはエマの宝なのだろ?」

 チューセック村の焼けた小屋で見つけた丸焦げになった携帯電話を確かにそんなふうに言った。
 でも、そんな些細なことを覚えていてくれて嬉しいなんて全然思わない。
 むしろ、ジークヴァルトがあんなモノのために平然と冷たく暗い川に身を投げ出そうとしていることが酷く悲しかった。

「やめて下さいっ!もうやめて!!
あなたがこんなことしなくていいんです!
ごめんなさいっ!!
あなたを苦しませてごめなさいっ!!
こんなことしなくていいんです。
逃げてごめんなさい。
もう縛られなくていいですから!
もうあなたの迷惑にはならないから!」

(私があなたをこんなに追い詰めていたなんて…
もうヤダ……苦しい…。)

「エ…マ…?なぜ君が謝るんだ?
悪いのは俺だ。
エマに酷いことをしたのは俺だ。
どう詫びればいいのかっ。
許してくれとは言わない。
だが、謝罪はさせて欲しい。
本当に、申し訳なかったっ!」

 両膝をつくジークヴァルトの着ているシャツは襟がよれてへたっている。昨夜エマの部屋に来た時と同じ格好じゃないだろうか。
 髪は無造作に結ばれて、剣も差さしていない。

(こんななりふり構わず私を捜して…
このまま私といたらこの人は義務に本心が押し潰されてだめになる。)

「あなたはそんな人じゃ…ないじゃない。
高貴で立派な人なのに…こんな」

 ジークヴァルトは無様な今の格好を言われたのだろうと恥じるように視線を逸らす。

「君を捜すために屋敷を飛び出してきたからこんななりだ。
慌てていたから…」

「違うの!そうじゃないの!
ごめんなさい。こんなことさせて。
そんな顔をさせて。
あなたを追い詰めたから昨夜はあんなことを…
王都へ戻ります。
皇太后ジェシカにホランヴェルス家の保護は要らないとはっきり言います。
私…もう二度とあなたを悩ませる存在にはなりません。
もうあなたとは関わらない」

「関わらない?」

「はい」

「…それで君は…エマはどうするんだ?」

「ジェシーの言うように伯爵家を継ぐのも悪くないかも知れませんね」

「そして君は他の男を婿にとるのか?」

「え…」

 残酷な問いだと思ったが、ジークヴァルトが安心するならとエマは努めて穏やかに言った。

「そうですね。いつかは、そうなるかも知れませんね。
だから、ジークヴァルト様は想う方と…。
その時は笑っておめでとう…って、言いますから」

「嫌だ」

「…え」

「許さなくていいと言ったが、やっぱり……………嫌だっ!
俺はトリスタンに嫉妬をしてエマを傷つけた愚か者だ。
どれだけなじってくれてもいいっ!
俺は君にび続けるっ。
だが、お願いだ、関わらないなんて言わないでくれ。
勝手なことを言っていることはわかっている。
だが、許してほしい、頼むからっ」

 エマの肩を掴むのをぎりぎりで我慢し、両の手を拳にしながら必死で懇願する姿にさすがのエマも気づいた。

(ルーのお兄さんに嫉妬……?嫉妬……って。
そんなのまるで…まるで…)

 エマはたまらずうつむいた。

「エマ、どうしたんだ?エマ?
また俺が間違ったんだな。
許さなくていいって言ったのに。
すまない」

「こん…、ま…で…」

「何?なんていった?エマ?頼むもう一度言ってくれないか」

「こんなの、まるで…あなたが私を…好きみたいじゃない…」

 まさかと思いつつ恐る恐る口にしてみる。

「っ?!好きみたいではない!!好きなんだっ!」

 ジークヴァルトの叫びにエマは思わず反論した。

「だ、だって、ジークヴァルト様は魔女である私をホランヴェルス家が保護をする義務を負っているから、だからっ、私に優しかっただけで…」

「違うっ!
どうしてそんなふうに考えた?
俺はずっと君が好きだった。
春の舞踏会でエマが男爵の婚約者を助けた姿を見たときからずっとだ!
最初からエマに惹かれていた!
そのあと酷い誤解をしてしまったが、赦してくれた時は本当に嬉しかった。
君が命を狙われていると知った時は胸が潰れるかと思うほど心配した。
君と屋敷で過ごすことがどれほど嬉しかったか。
行動で示しているつもりだった。この気持ちはエマに届いていると思っていた。
なのに君は口づけを暴力だと…
昨日の夕方、帰りの馬車で見てしまったから…君とトリスタンが一緒に大通りの店にはいるのを。
だから俺はっ!」

 ジークヴァルトの告白にエマは驚きで言葉が出なかった。

(最初から?春の舞踏会って…もしも、そうなら…)

 ジークヴァルトは初めて謁見の間で会ったときにはもうエマを好きだったことになる。

 忘れもしない。
 謁見の間の壇上を見上げた時、高貴なアイスブルーの瞳は冷たくエマをさげすんでいたのに。
 ルイス王子に招かれた昼食会へ向かう廊下で、背に流された蒼銀の髪を見つめながらこんな完璧な人が現実に存在するのかと立場の違いを思い知ったのに。

したたかな女だって、すごく怖い目をして言い捨てたじゃないっ!
あんなに冷たかったのに!
なのに、あの時はもうーーー本心では、私に惹かれていた?
どこの誰かも分からない平民の私を?
上級貴族でそれも公爵家のジークヴァルト様が?
なら、今までの優しさは全部『私』のため…本当に?)

 どきどきと胸が高鳴るのを感じた。

「私に…気持ちが届いてる?って……そんなのっ、そんなの、分かるわけないじゃないっ!!
あなたの気持ちを言われたことも、私の気持ちを聞かれたこともないのにっ!」

 文句を言いながらも、心が嬉しいと言っている。

 あまりの気恥ずかしさに、どんな顔をしてジークヴァルトを見ればいいのか分からなくなり顔をふいっと背けた。

 エマの乱れた髪がふわりと揺れて片頬があらわになった。
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