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80失踪

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 ジークヴァルトは目覚めると何故か絨毯の上に倒れ込んでいた。

 慌てて起き上がればズキリと二日酔いの酷い頭痛が襲ってくる。

(昨夜は確か…)

 足がもつれそうになりながら自室までかけ戻り、走ったことでさらに酔いに呑まれ絨毯につまずくと膝から崩れ落ち突っ伏してしまったのだ。

 そして、酩酊する脳内でエマをベッドに押し付け罵った場面がぐるぐると何度も駆け巡り、本当にあれは現実だったのか?悪夢か?俺はなんて事をしてしまったんだっ!と虚実入り乱れ堂々巡りを繰り返し、ついには正常な思考を取り戻すことなく混乱と動揺のまま強制的に暗闇に引きずり込まれ視界が暗転した。

 いったい何時間意識がなかったのか。窓越しに見える空は白みはじめていた。

 絨毯に座り込んだまま頭を抱える。
 昨日のあれは確かに己がしでかしたことだ。自分をどう罰すればいいのか、何をどう謝ればいいのか…。

(いまエマはいったいどうしているのか…)

 とにかく放置したエマが気がかりでならない。
 だが、今のジークヴァルトは彼女にとって恐怖の対象でしかないだろう。
 夜が明ければメイドが彼女の部屋へ支度に向かうはず、ならばメイドから様子を聞いたうえで。

(違うっ、違う!
俺自身が誠心誠意彼女に向き合い謝罪もできないでどうするっ!)

 ジークヴァルトは意を決してエマの部屋へとむかった。

✳︎
 恐る恐るドアをコンと一度ノックし「エマ…」とか細い声で呼びかけてみる。

 ドアの向こうの様子に耳をすますが何も聞き取れなかった。
 ジークヴァルトはエマを驚かせないよう音に細心の注意をはらいながら今度は三度ノックをした。

(……返事がない。)

 次にドアノブに手をかけたが躊躇い手を離す。
 もう一度ドア越しに出来るだけ穏やかな口調で、

「エマ、俺だ。
顔を見るのが嫌なら見なくていい。
ただ昨夜のことを…
謝らせてくれないだろうか。
……エマ?」

と、問いかけ耳をそばだてるが何も聞こえない。
 完全に無視を決め込まれているのか。

「……」

 ジークヴァルトは勇気を出してドアノブに手をかけそっと扉を開けた。
 薄く開いた隙間から寝室の扉が見え、中途半端に開いたままになっていた。
 ジークヴァルトは「入るからな」と何度も声をかけながら室内に入り、恐る恐る寝室を覗く。

 が、そこにエマの姿はなかった。

「エマ…、エマ、エマ?」

 室内を見回すが人の気配を感じない。
 嫌な予感がした。

 目についたドアというドアを手当たり次第に開けながらエマを呼ぶがどこにもいない。

「エマ……」

 放心したように呟いてからジークヴァルトは弾かれたように顔を上げ、踵を返し廊下へ飛び出した。

(読書棟か?!)

 するとちょうど執事長ジェームズとエマ付きのメイド二人が血相をかえて階段を駆け上がってくるのと鉢合わせた。

 ジェームズはジークヴァルトがいることに一瞬驚きの表情をしたが、すぐに手にあったものを押し付ける。

「ちょうど今、裏門の門番がこれをっ!
これはエマ様がいつもつけておられたものでは?!」

と、息を切らせる。

 ジークヴァルトの手にあったのは彼がエマにプレゼントしたあのペンダントだった。

「裏門が開いており、これと同じ門番の外套がなくなっているとっ。
エマ様に何かあったのかと慌ててこちらに…」

 ゴツくて黒い外套を持ちながらそう言いかけたジェームズの視線はジークヴァルトの後ろの開け放たれた扉に向いていた。

「まさか、エマ様がいらっしゃらないのですか!?」

 ペンダントを握りしめ髪を毟るように頭を抱えながらジークヴァルトは頷く。

 エマ付きのメイドらがジークヴァルトの脇を素早くすり抜け部屋へ向かう。

「昨日いったい何があったのです…」

 肩を落とすジークヴァルトに近づいたジェームズが未だ漂う強いアルコール臭に気づいた。
 ここまでの臭気はジェームズが知るジークヴァルトの許容量を明らかに超えていた。

「っ?!……貴方はいったいエマ様に何をしたのですかっ!」

 主人に対してあるまじき大声で問うジェームズに、

「…暴走した。嫉妬で酔いにまかせて…
途中で正気になったが動揺でエマを放って自室に逃げ…それから意識がとんだ。
ジェームズ…俺を殴ってくれっ」

と、ペンダントを握りしめながら項垂れる。

 ジェームズは悔しさ憐れみ怒りの入り混じった声で、

「何ということを!何ということをっ!
いまここで殴り倒したことろでそんなものは貴方の自己満足の懲罰でしょうっ!
そんな願いは御免被りますっ」

と突き放す。

 ジェームズの言う通りだ。

(酒の勢いで浴びせられた暴言や与えられた恐怖はどれほど彼女の心を傷つけただろうか。
こんなところでジェームズに殴られてもただの自己満足だ。)

 部屋を確認したメイドらが言うには、持ち出されたものはエマの持ち物だけで他には全く手をつけられていなかった。

 手元のロケットペンダントを開けてみれば、中にはエマが護身用につくった昏睡用の丸薬が数粒入っていた。
 ペンダントを置いておいたのは門番の外套を盗った詫びだろうか。
 いや違う、エマを止められなかった門番を咎めるなと言うことだろう。
 実際この薬を門番に使ったのかどうかは分からないが、ジークヴァルトへのエマからのメッセージだ。

 この期に及んで門番にさえ気遣いが出来るエマが外套を盗んででもジークヴァルトから買い与えられた物は一切拒否し、恐怖と失望だけを持って出て行ってしまった。

(俺が無様に意識を失っている間に、暗闇の中へたった一人で。)

 ジークヴァルトは締め付けられる胸の痛みで膝が崩れそうになるがなんとか堪えた。

「エマを捜すっ」

 許されたいから捜すのではない。若い娘があてもなく一人で飛び出して危険でないわけがない。
 後でどんな非難や罵りも甘んじて受けよう。謝罪も聞きたくない顔も見たくないと言うなら二度と近づかない。

 ただ、いまは彼女の身の上だけが心配だ。

「屋敷の者を総動員して使いを出せ。
スーラからエマが懇意にしていた街の者たち、友人、知人、エマが知る場所全ての情報を聞き出せ。
スーラの甥のロイ、オースト国大使館のルシエンヌ、さらにはロイの友人ハビ子爵家のアルベルトどんな些細な繋がりでも全て当たれ。
本家の父上にも連絡しろ。公爵家の者たちも主要な街道沿いを手分けして捜すように。
俺は王宮へ行き警備隊の動員と国境の検問強化の許可をルイス王子にとってくる」

「本家の旦那様にお知らせするのですか?!それに検問強化?!」

 ジェームズが、驚くのは無理もない。
 いくらジークヴァルトが次期宰相でホランヴェルス家が高い地位にあるとはいえ、私的に女性一人を捜すには度を超えた無茶だ。

「使えるものは全て使う。
なんなら公爵家の私兵を使うことにも父上に否やはないはずだ。
なぜなら……、
エマは、皇太后様の縁戚の娘だからだ。
皇太后様が行方をずっと気にかけておられた女性だ。
昨日の茶会で皇太后様が直々にエマだと確認された」

 ジェームズが目を剥く。

 ジークヴァルトはジェームズの手にあった外套を掴み取り羽織ると黒いそれは見た目通りゴツく重かった。エマが着ればくるぶしくらいまでの長さがあるだろう。

「本家へはお前が行ってくれ」

 驚きからまだ立ち直っていないジェームズにそう言うと階段をかけ降り屋敷を飛び出した。


 後に残されたジェームズ。
 耳を疑うような話に聞き返すこともできずその背中をただ見送った。

 エマの失踪は公爵家の存亡がかかった一大事ではないか。
 ジェームズはぞっとした。皇太后ゆかりの娘エマの重要性と価値に。
 この国の貴族社会の一大事どころか、兄弟姉妹がいないルイス王子の血族として諸外国の注目の的になるのは必至。

 だが、主人にはそんなことは関係ない。エマに対してそんな打算的な考えは微塵もなく純粋に心から大切に思い心配しているからこそなりふり構わずあらゆる方法を使って捜そうとしている。

「エマ様、どうかご無事で」
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