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ーーー………ツ!!

 頭の中が真っ白になった。
 目は瞬きを忘れ、呼吸をすることも忘れた。
 心臓が早鐘を打ちはじめ、忘れていた呼吸を吐くと血が一気に足元に下がり唇が渇く。
 本を持つ手が震え、目眩めまいがした。

「エマ」

 皇太后だった。
 顔を上げたエマを真っ直ぐに見据え、「娘」ではなく明瞭にエマと名前を呼んだ。

「お読みなさい、エマ」

 エマは唇が震えないように深く息を吐き心を落ち着かせると、ソレを読んだ。

A snake came crawling, it bit a man.
Then Woden took nine glory-twigs,
Smote the serpent so that it flew into nine parts.
There apple brought this pass against poison,
That she nevermore would enter her house.

 エマの声が流れるような抑揚でコンサバトリーに響き渡った。

 あまりの静寂に顔を上げると、まるで静止画のようにみんなの動きが止まっていた。

 独り皇太后が満足気に頷く。

「素晴らしい。
ルイス、お前の勝ちね。
その娘を『魔女』と認めましょう。
希望通り、ホージ侯爵家との縁談はなかったことに」

 皇太后のあまりにあっさりとした了承に、ルイス王子は喜びよりも戸惑いの方が大きく、ぎこちなく頷いた。

 だが、この決定に我に返り激しく反発したのはホージ侯爵だ。

「皇太后様っ!何をおっしゃっているのですかっ!
こんなことっ、あるはずがございません!!
優秀な学者でさえ読めないものが、こんな小娘に読めるなど、ありえません!
また何かいんちきをしているのです!
所詮誰にも読めないもの、嘘でも分からないではないですか!
あらかじめそれらしく聞こえるように作ってきたものをそらんじているだけに違いありません!
皇太后様はマリアンヌを『魔女』とお認めになったではありませんか!
今さら白紙になどと、あんまりではありませんかっ!
皇太后様っ!だまされてはなりませんぞっ!!」

 ホージ侯爵の剣幕に皇太后が何度目かのため息をついた。

「なかなか話が進まないわねえ。
お前が問題点をつぶそうと言ったのでしょう?」

 先程とは一転して冷たく突き放すような言い方にホージ侯爵は「皇太后…様?」とたじろぐ。マリアンヌは皇太后に、

「う、嘘…ですよね?どうしてですか?私は『魔女』で、ルイス様は私と結婚すれば幸せになれるっていいましたよね?」

と弱々しくすがるようにうったえるが、皇太后が何も応えずにいると一転声を張り上げた。

「皇太后様が私を見つけさせたんですよね?!
私は『魔女』の教えを受けるはずだったんですっ!本当です!私が本物っ!
皇太后様が私を『魔女』だっていったんじゃないっ!今さらあんな女に騙されないでよっ!」

 興奮したマリアンヌが乱暴に立ち上がった拍子にティーカップが倒れ、真っ白なテーブルクロスに紅茶のシミが広がった。

 恫喝にも似た抗議に対して皇太后の後ろに立っていた宰相デーヴィッドが踏み出そうとするのを、皇太后は軽く手をあげて制した。

 そして、突然こう言った。

「おやおや、親子そろって。
騙しているのはお前たちでしょう?
ねぇ、木こりの娘さん」

 誰の反応も待たず皇太后は続けた。

「マリアンヌ、お前の本当の素性は最初から知っている。
借金から逃れるために山から山へ点々と移動していた木こりの親子。
その木こりの親子は捨て置かれた小屋を見つけて住み着くと、すぐに麓の酒場で木こりが目撃されるようになった。
せまい村だからよそ者は目立つ。
調べればすぐにわかることよ」

 マリアンヌは、みるみる顔面蒼白になり唇を震わせた。

「それから、侯爵。
何故、お前にその娘の後見を命じてルイスとの縁談をチラつかせたと思う?
世継ぎの王子の未来の義父の元には懇意にしたい貴族や商人が集まるからですよ。
五年もあれば、お前の取り巻きもずいぶん増えたみたいね。長い根を張って末端まで。
お前は『魔女』捜しの道中の辺境地で幻覚作用のある毒草のことを知り、持ち帰ったわよね?
ルイス、手筈てはずは?」

 突然の指名にルイス王子の背筋がピンと伸びる。

「はっ!本日、ホージ侯爵邸並びに侯爵と関わりのある全ての貴族、商人ら、その他の関係箇所への一斉摘発命令をだしましたっ。
毒草は侯爵家の馬車に隠してこの離宮の温室に一旦運ばれてから密売されています。
また、温室及び念のため離宮内の他の建物も調べさせて頂きます。
全てご存知でしたね?」

「もちろんよ。
毒草を売りやすくするために知らぬふりをしていたのよ。
隠しようもない酷い副作用は使用者を見つけだすマーキングがわりになりますからね。好奇心で買うような不届ふとどき者を捜し出すも簡単になるでしょ?
中には若い役人もいるらしいけれど、国の行政にそんなやからは不要ですからね。
あんなものに関わる者はその他のことでもだらしないものよ、自業自得。
とにかく、根っこの端まで全て駆除なさい。
これで大掃除出来れば、この国ももっと風通しがよくなるでしょうから」

「かしこまりました。
………やはり、皇太后はこちら側でいらっしゃった」

「お前は私の意図に気づくのが遅いっ」

「申し訳ありません。
城址の森でジークヴァルトに薬を売ろうとした売人は皇太后の密偵ですね?
彼が持っていた手帳には白い錠剤を売る相手を詳しく指示してありました。軍部が使う暗号で。
そんな先を『れる』のは…いえ、最初から全てを『視て』おられた」

 皇太后とルイス王子との会話を聞いていて、エマの脳裏には唐突にドリスとの会話が蘇った。
 エマがこの世界に来た時に交わされた会話が…

(確かお婆ちゃんはこう言っていた…)

ーーー「師匠は自分が異界からきたことを教えてくれた。自分がイングランドという国に生きていて、気づけばこの世界の魔女の前に立っていた」

ーーー「私がこの歳までに知り合った魔女は一人だけ、それもかなり以前に師匠の紹介で会った高齢の『占い』の魔女とその後継者だけだ。今はその後継者が魔女を継いで…」

(継いで…それからお婆ちゃんはなんて言った?
そう、)

ーーー「…機会があれば合わせてあげるよ。
なかなか気軽には会えないがね」

(そう、お婆ちゃんは確かにそう言っていた。
……なかなか会えない『占い』の魔女。
ホージ侯爵が辺境地で偶然毒草を見つけ持ち帰ったんじゃない。
この人がそうなるように仕向けたんだ。
侯爵の野心をあぶり出すために。
お婆ちゃんと知り合いなら私のことも『視て』知っている。多分、ずっと以前から。
ひょっとすると私がこの世界に飛ばされて来ることすら知っていたのかも。
だから私が英語で書かれた『魔女の秘伝』を読めることも知っていた。
あの詩が英語だと認識できるのなら、この人もこの異世界に飛ばされてきた人なのかも?!
なら、今までのこと全てがこの人の思惑通りだった…?)

「もたもたしているからあせらそうと思ってね。大ヒントをあげたのよ。
泣いて嫌がる侍医に無理矢理作らせたかいがあったわね。
私の意図になかなか気づかないどころか、私が彼ら側かもですって?
そこは、そんなはずあり得ないって否定するところでしょう!
全く薄情な孫だこと。
もし、これでも気づかない愚か者だったら次代はどうしようかと本気で思ったわよ」

「申し訳ございません。
幼少の頃より皇太后は私にお厳しく、私を嫌っておられるようなので…いや、国を守るという立場は同じですね」

「んまっ!お前はあの時のことを忘れたの?!」

「は?あの時…とは…」

 皇太后はルイス王子の言葉を遮るように手をあげた。

「ルイス、その話は後にしましょう。
侯爵、お前たちはここまでだ」

 ホージ侯爵の額から冷や汗が流れ、ぎょろりとした大きな目は見開かれ瞳が泳いでいた。

「こ、皇太后様、お教え下さい。
『魔女』捜しとは一体何だったのですか。
何故私だったのです。
何故あの場所だったのです。
あんな植物ものを見つけなければ私は…私は…
あの本は…あの本は何故あの小屋に、」

「ホージ侯爵。
お前は、それを知り得る立場でも身分でもない」

 皇太后にきっぱりと言い捨てられたホージ侯爵は自分の思惑が全てついえてしまい、貴族としての立場すら完全に失った。
 
「この国を好きにできると思ったのかい?」

「そ、そんなことはっ、そんな大それたことはっ滅相もございませんっ!!」

「ふふ、今さら。
それから、これは大切なことだから言っておく。
エマは卑しくも下賤でもありませんよ」

「その娘は一体…」

「お黙り。
何度もーー先ほど・・・も、彼女を殺そうとした罪、覚悟なさい」

 皇太后から言い渡されると宰相デイヴィッドの指示でホージ侯爵とマリアンヌは衛兵たちに引き立てられた。

 ホージ侯爵が完全に項垂うなだれる一方でマリアンヌは後ろ手にされた拘束から逃れようと肩を激しく揺すった。

「嫌だ!離せっ!!
何であたしがこんな目にあわなきゃなんないんだよ!
どうしてあたしのこと知ってた癖に何にも言わなかったんだよ!
ちょっと嘘ついただけじゃないか!
あんな生活から抜け出したかったんだ!
チャンスをものにして何が悪いのさ!チャンスがきたら誰だって同じことをするだろ?!そのためにいっぱい勉強もした!
幸せ掴みにいって何が悪いのさっ!誰だってそうするだろ!そうしなきゃ誰かに取られちまう!
あたしは何にも悪いことしてない!
あたしは何にも悪くない!」

 令嬢の体裁もかなぐり捨て、クセの強い髪を乱して叫ぶマリアンヌの姿にテューセック村で嘘をついてエマを飼い葉小屋へ向かわせた娘の姿が重なった。
 村長の息子にエマを襲わせ、死ぬより悲惨なめにあわせようと企てたのは彼女だと気付いた。王都に帰ってからも路地へエマを誘い込んだのは彼女だ。
 ここでエマが全てを訴えればマリアンヌの罪はさらに重くなる。
 だが、エマは彼女を否定しきれなかった。
 なぜなら、悲惨な状況からなりふり構わず必死に這い上がって何が悪いという気持ちをマリアンヌは利用されたのだ。皇太后に。

 連れて行かれる二人を平然と見送る皇太后。
 間違いなく、皇太后はドリスが言っていた年老いた魔女の跡を継いだーー『占い』の魔女。
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