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68大胆な提案
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グローシュ兄妹を乗せた馬車が去ってしまうと、ジークヴァルトはいっきに気まずくなった。
エマにまとわりつく彼らを牽制するために親密さを演出したことを彼女はどう思っただろうか。
遠慮がちに半歩間をとり、様子をうかがう。
しばらくの沈黙にたえられず声をかけると、二人同時だった。
最悪無視をされると覚悟していたのに急に力を得た。お茶に誘うとエマは素直に従ってくれた。
玄関を入ると当たり前にジェームズが控えていた。この執事長にはいつも助けられる。
「応接室にお茶を運んでくれ」
「かしこまりました」
*
当家の応接室は特別な客を迎える時にだけ使う。
ルイス王子の時は王族だから、そしてルシエンヌ嬢は一応隣国の公爵令嬢だから敬意を払う意味で開けさせた。
300年ほど前の当主が妻の願いで作らせた部屋だ。
傷みやすい布製品などは新調しつつも様式はそのままに代々受け継いできた。
現在の貴族様式が確立された原点であり、重要な文化財としての価値がある。
この屋敷は百年を超えるが、建て替えるときにはこの応接室だけは移築して残された。
(そういえばエマが初めてこの部屋に来た時、ここを興味深そうに見渡していたな。
あの時のことを考えると、いまエマがこうしてここにいることが信じられない。
さて、何から話せばいいのか…)
二人がソファに腰掛けると、少しの沈黙が流れた。
ジェームズが紅茶を注ぎテーブルにティーカップをそっと置くと、エマには小さな菓子の乗った皿も置いた。
「エマ様、こちらをお試し下さい。
一度デザートにお出ししたのを気に入られたのでコックがアレンジしたそうです」
すすめられるままエマがそれを口にすると、「美味しいです」と顔をほころばせた。
ジェームズが場をなごましてくれたのでまたもや助かった。
「エマは甘いものが好きなのだな。気に入ったのならよかった。他にも好きなものがあれば教えてくれ。いつでも作らせるから。
……エマ、俺が出かけていたのは例の薬の件でだ」
ジークヴァルトが話し出すと、ジェームズはそっと部屋を出て行った。
✳︎
今朝、王宮の執務室に入室したジークヴァルトは、ルイス王子の顔を見ただけで昨日の庭園での騒動を知っていると分かった。
「ジークヴァルト、あの場にどれだけの目があったと思っている?」
とルイス王子は開口一番あきれた。
「なら、説明する手間が省けたな」
「……それで?」
ジークヴァルトの全く取り繕わない態度にルイス王子はからかうのをやめたようだ。
ジークヴァルトは早朝に屋敷を出た後、まずエレノアに会いにいった。
夜は灯りのもと極彩色の華やかさで彩られる花街は、日が昇る頃には色褪せてしまう。
娼婦たちも同じだ。
皆化粧を落とし、くたびれ果てて眠りにつく時間だ。
ジークヴァルトの来訪にエレノアはしばらくしてから姿をあらわした。
美しく着飾った姿しか見たことがなかったエレノアが髪を一つに束ね、簡素なワンピースの上にショールを羽織っただけの姿だった。化粧は辛うじて口紅だけが引かれていた。
深く頭を下げてから席に着いたが、顔を俯けジークヴァルトを見れないでいた。
ジークヴァルトは余計なことは何も言わなかった。労りの言葉をかけることもしなかった。ましてや詰ることも。
ただ薬の入手に関することのみを聞いた。
エレノアも情報提供者としての最後の役目を全うした―――
「エレノアは意に沿わない身受け話が決まってから気が滅入り一人になりたい時は城址の森へ行っていたらしい。
そこで、声をかけてきたのがこの薬の売人の男だ」
ジークヴァルトは問題の錠剤とエマが書き留めた成分に関するメモをルイス王子に渡した。
「城址の森、あの古城跡にある森か。
あそこは鬱蒼としているから良からぬことに使うにはうってつけか」
「この件を報告するのを俺に会う最後にしようと思っていたらしい。
だが、エマの噂を耳にしてしまい、さらに昨日偶然俺たちの姿を見てしまって……」
「服毒」
「ああ」
この騒ぎで身受け話しは無くなったと楼主が言っていた。そして、そんな娼婦の末路は推してはかれるというものだ。
ジークヴァルトはその場でエレノアを三華楼から解放するよう金銭で話をつけ、それを彼女の今までの働きに対する報酬とした。
「世間は好き勝手噂するよ?
君の場合は三華楼の華を手折ったと武勇伝になるんだろうけどね。
かえってまたご婦人方からの人気が上がるんじゃないか?」
「知ったことかっ」
「それで?今後は?」
「この薬の売人を捕まえて口を割らせる。
販売ルートもまだ枝葉に分かれてはいないはずだ。今なら大元に辿り着ける可能性が高い。
今までの調べで分かっているのは、毒草の売人とそれらに関わっている貴族らとの相関関係、そしてその貴族らと繋がるホージ侯爵と生み出される金に擦り寄る貴族たちだ。
街でエマを襲った奴らもホージ侯爵邸での毒草栽培を吐いた。
だが、侯爵を厳しく見張っているが、薬の製造まで行っている様子は全くなかった。
では、何処で誰が…
ホージ侯爵やマリアンヌ嬢も息を潜めているが、奴らは皇太后様のお力を盾に一気に型をつけてくるだろう。
皇太后様との茶会まえに調べ尽くしておきたい」
「では急がなくてはならないね。
茶会の日程が決まったよ。
十日後だ」
✳︎
「十日後…ですか」
「ああ、時間がない。
だが、そう簡単に捕えられるものでもないかならな」
「そうですよね。普通は時間をかけて人物を特定して行動パターンを把握してから待ち伏せなり追跡なりですよね」
エマは腕を組みながらうーんと考えこんでいる。
こんな楽しくない内容であっても普通に会話ができていることにジークヴァルトは安堵した。
(俺の不用意な言動であんなに気分を害したのに、いつも通り振る舞い歩み寄ってくれている。
俺も卑屈になっていてはいけないな。
それに、エマの過去にはもう触れまい。
俺には今の彼女が大切なのだから。
だが、もし一生を共に生きてくれてエマが話してもいいと思った時がくれば聞いてみたい。)
「あ、そうだ。ジークヴァルト様っ」
真剣に思案するエマの顔をじっと見ていたジークヴァルトに向かってエマが急に身を乗り出した。
狼狽するジークヴァルトに構わずエマはずいっと顔を近づけてくる。
「私たちがその売人を捕まえましょう!」
「っ!?」
翌日の午後、エマの格好はえらく可愛らしいドレス姿だった。
あれからエマの大胆な提案に、
「売人を捕まえる?何を言い出すんだ。君にそんな危険なことはさせられない」
と首を振ったが、
「毒草の件で協力した時点ですでに危険に巻き込まれています」
と切り返され、反論につまった。
そして、エマはすぐにジェームズにも協力を求めた。
「城址の森で調べたいことがあるので、訳ありカップルに変装したいです」と。
エマが言うには、「そういうカップルのほうが森でうろうろしていても怪しまれないと思います。
それに、もしかすると売人から近づいて来るかも知れませんし」とのことだ。
そんなに簡単に売人が接触してくるとは思えないが、ジークヴァルトも納得する部分があるので結局頷いた。
ジェームズから変装を任されたメイドたちはみょうに張り切った。
あまり品がいいとは言えない可愛らしいドレスは、テューセック村からの帰りのホテルで買った既製品の中にあったものらしい。
かたやジークヴァルトは、付け髭をつけ長い髪を纏めて帽子を被り渋い色のジャケットを羽織ると実年齢よりずいぶ老けて見えた。
年の差15歳差くらいの訳ありカップルの出来上がりだ。
もうすぐ夕方という時間帯に城址の森に着いた。
そして、馬車を降り散歩道から外れ、二人は腕を組んで細い道を森の中へと向かった。
エマにまとわりつく彼らを牽制するために親密さを演出したことを彼女はどう思っただろうか。
遠慮がちに半歩間をとり、様子をうかがう。
しばらくの沈黙にたえられず声をかけると、二人同時だった。
最悪無視をされると覚悟していたのに急に力を得た。お茶に誘うとエマは素直に従ってくれた。
玄関を入ると当たり前にジェームズが控えていた。この執事長にはいつも助けられる。
「応接室にお茶を運んでくれ」
「かしこまりました」
*
当家の応接室は特別な客を迎える時にだけ使う。
ルイス王子の時は王族だから、そしてルシエンヌ嬢は一応隣国の公爵令嬢だから敬意を払う意味で開けさせた。
300年ほど前の当主が妻の願いで作らせた部屋だ。
傷みやすい布製品などは新調しつつも様式はそのままに代々受け継いできた。
現在の貴族様式が確立された原点であり、重要な文化財としての価値がある。
この屋敷は百年を超えるが、建て替えるときにはこの応接室だけは移築して残された。
(そういえばエマが初めてこの部屋に来た時、ここを興味深そうに見渡していたな。
あの時のことを考えると、いまエマがこうしてここにいることが信じられない。
さて、何から話せばいいのか…)
二人がソファに腰掛けると、少しの沈黙が流れた。
ジェームズが紅茶を注ぎテーブルにティーカップをそっと置くと、エマには小さな菓子の乗った皿も置いた。
「エマ様、こちらをお試し下さい。
一度デザートにお出ししたのを気に入られたのでコックがアレンジしたそうです」
すすめられるままエマがそれを口にすると、「美味しいです」と顔をほころばせた。
ジェームズが場をなごましてくれたのでまたもや助かった。
「エマは甘いものが好きなのだな。気に入ったのならよかった。他にも好きなものがあれば教えてくれ。いつでも作らせるから。
……エマ、俺が出かけていたのは例の薬の件でだ」
ジークヴァルトが話し出すと、ジェームズはそっと部屋を出て行った。
✳︎
今朝、王宮の執務室に入室したジークヴァルトは、ルイス王子の顔を見ただけで昨日の庭園での騒動を知っていると分かった。
「ジークヴァルト、あの場にどれだけの目があったと思っている?」
とルイス王子は開口一番あきれた。
「なら、説明する手間が省けたな」
「……それで?」
ジークヴァルトの全く取り繕わない態度にルイス王子はからかうのをやめたようだ。
ジークヴァルトは早朝に屋敷を出た後、まずエレノアに会いにいった。
夜は灯りのもと極彩色の華やかさで彩られる花街は、日が昇る頃には色褪せてしまう。
娼婦たちも同じだ。
皆化粧を落とし、くたびれ果てて眠りにつく時間だ。
ジークヴァルトの来訪にエレノアはしばらくしてから姿をあらわした。
美しく着飾った姿しか見たことがなかったエレノアが髪を一つに束ね、簡素なワンピースの上にショールを羽織っただけの姿だった。化粧は辛うじて口紅だけが引かれていた。
深く頭を下げてから席に着いたが、顔を俯けジークヴァルトを見れないでいた。
ジークヴァルトは余計なことは何も言わなかった。労りの言葉をかけることもしなかった。ましてや詰ることも。
ただ薬の入手に関することのみを聞いた。
エレノアも情報提供者としての最後の役目を全うした―――
「エレノアは意に沿わない身受け話が決まってから気が滅入り一人になりたい時は城址の森へ行っていたらしい。
そこで、声をかけてきたのがこの薬の売人の男だ」
ジークヴァルトは問題の錠剤とエマが書き留めた成分に関するメモをルイス王子に渡した。
「城址の森、あの古城跡にある森か。
あそこは鬱蒼としているから良からぬことに使うにはうってつけか」
「この件を報告するのを俺に会う最後にしようと思っていたらしい。
だが、エマの噂を耳にしてしまい、さらに昨日偶然俺たちの姿を見てしまって……」
「服毒」
「ああ」
この騒ぎで身受け話しは無くなったと楼主が言っていた。そして、そんな娼婦の末路は推してはかれるというものだ。
ジークヴァルトはその場でエレノアを三華楼から解放するよう金銭で話をつけ、それを彼女の今までの働きに対する報酬とした。
「世間は好き勝手噂するよ?
君の場合は三華楼の華を手折ったと武勇伝になるんだろうけどね。
かえってまたご婦人方からの人気が上がるんじゃないか?」
「知ったことかっ」
「それで?今後は?」
「この薬の売人を捕まえて口を割らせる。
販売ルートもまだ枝葉に分かれてはいないはずだ。今なら大元に辿り着ける可能性が高い。
今までの調べで分かっているのは、毒草の売人とそれらに関わっている貴族らとの相関関係、そしてその貴族らと繋がるホージ侯爵と生み出される金に擦り寄る貴族たちだ。
街でエマを襲った奴らもホージ侯爵邸での毒草栽培を吐いた。
だが、侯爵を厳しく見張っているが、薬の製造まで行っている様子は全くなかった。
では、何処で誰が…
ホージ侯爵やマリアンヌ嬢も息を潜めているが、奴らは皇太后様のお力を盾に一気に型をつけてくるだろう。
皇太后様との茶会まえに調べ尽くしておきたい」
「では急がなくてはならないね。
茶会の日程が決まったよ。
十日後だ」
✳︎
「十日後…ですか」
「ああ、時間がない。
だが、そう簡単に捕えられるものでもないかならな」
「そうですよね。普通は時間をかけて人物を特定して行動パターンを把握してから待ち伏せなり追跡なりですよね」
エマは腕を組みながらうーんと考えこんでいる。
こんな楽しくない内容であっても普通に会話ができていることにジークヴァルトは安堵した。
(俺の不用意な言動であんなに気分を害したのに、いつも通り振る舞い歩み寄ってくれている。
俺も卑屈になっていてはいけないな。
それに、エマの過去にはもう触れまい。
俺には今の彼女が大切なのだから。
だが、もし一生を共に生きてくれてエマが話してもいいと思った時がくれば聞いてみたい。)
「あ、そうだ。ジークヴァルト様っ」
真剣に思案するエマの顔をじっと見ていたジークヴァルトに向かってエマが急に身を乗り出した。
狼狽するジークヴァルトに構わずエマはずいっと顔を近づけてくる。
「私たちがその売人を捕まえましょう!」
「っ!?」
翌日の午後、エマの格好はえらく可愛らしいドレス姿だった。
あれからエマの大胆な提案に、
「売人を捕まえる?何を言い出すんだ。君にそんな危険なことはさせられない」
と首を振ったが、
「毒草の件で協力した時点ですでに危険に巻き込まれています」
と切り返され、反論につまった。
そして、エマはすぐにジェームズにも協力を求めた。
「城址の森で調べたいことがあるので、訳ありカップルに変装したいです」と。
エマが言うには、「そういうカップルのほうが森でうろうろしていても怪しまれないと思います。
それに、もしかすると売人から近づいて来るかも知れませんし」とのことだ。
そんなに簡単に売人が接触してくるとは思えないが、ジークヴァルトも納得する部分があるので結局頷いた。
ジェームズから変装を任されたメイドたちはみょうに張り切った。
あまり品がいいとは言えない可愛らしいドレスは、テューセック村からの帰りのホテルで買った既製品の中にあったものらしい。
かたやジークヴァルトは、付け髭をつけ長い髪を纏めて帽子を被り渋い色のジャケットを羽織ると実年齢よりずいぶ老けて見えた。
年の差15歳差くらいの訳ありカップルの出来上がりだ。
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