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58提案

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 ホージ侯爵家令嬢マリアンヌは、頭を抱えるように髪に指を差し込み自室の机上のランプの炎を見つめていた。
 癖が強く量の多い掻きむしった髪は好き放題に跳ね上がっている。

 部屋はカーテンで締め切られ、およそ貴族の令嬢の私室とは思えない陰気な雰囲気がただよっていた。

 マリアンヌはテューセック村で村長の息子ハンスをけしかけ、エマを襲わせた。
 ハンスが想いを遂げるのを見届ければ騒ぎ立てエマが隠しだて出来ないようにしてやろうと思っていたのだ。
 だが、あの山火事と賊騒ぎがおこった。賊は義父の命令でエマを始末しにきたのだろう。
 なんと言うタイミングの悪さ!

 マリアンヌは騒ぎに紛れて、急いで村をあとにした。

「カトリーヌがなんであそこに…
あいつ下級貴族に下げ渡されたって」

 カトリーヌが村にきた真相などマリアンヌがいくら考えても分かるわけはなかった。

「ああ!くそっ!お義父様が送った賊はどうなったんだ?ぜんぶ兵隊にやられた?」

 行きと同じように馬がつぶれるまで馬車を走らせ乗り換えマリアンヌが屋敷に戻ったとき、賊らはまだ侯爵家に報告に来ている様子がなかった。
 全員やられてしまったか、失敗して逃げたか。
 どっちにしてもエマは無事だということだ。

「それに、すれ違ったあの集団…あれは確かにルイス様だった…」

 マリアンヌが村から逃走する途中、前から猛然と駆けて来る騎馬の集団があった。
 馬を駆る姿は明らかに手慣れた様子だった。
 とっさに彼らに見つかってはいけないと思った。
 慌てて周りを見回すが、隠れられる物陰はない。だから道の脇の低い草の陰に伏せて身を潜めた。

 マリアンヌは月明かりだけを頼りに目を凝らした。
 すると、どんどんと馬が近づくにつれ、マリアンヌは驚きで目を見開いた。
 心の中で「うそっ!うそっ!嘘だっ!」と何度も叫んだ。

 こちらに向かってやってくる数騎の集団はフードを被っていて顔が見えたわけじゃない。
 でもマリアンヌには分かった。だって、大好きな人だから。
 すっと通った鼻筋や顎の輪郭、フードからわずかに見えた髪の色だけでわかる。
 あの美しい金色の人を見間違うはずはなかった。

 騎馬の集団は暗がりのなか道端に転がる何かには目もくれず、一瞬で走り去ってしまった。
 たが、地面に伏せて目だけを上げるマリアンヌには、その一瞬が止まって見えたのだった。


「ルイス…様…。あの人が来るなんて、うそだ…。
わざわざこんなとこまで?エマのために?あの人がエマのためにあんなに急いで?
うそ、嫌だ、嫌だっ!
あ……エマが魔女だってバレた…のか?!」

 ほぼ不眠不休で移動した疲れとエマを陥れ損なった悔しさ、そしてルイス王子にエマが『魔女』だと知れてしまったかも知れない不安が一気に押し寄せた。

「ルイス様の側で生きるのはあたしなんだからっ!
あの美しい人と同じ世界で同じ景色見て生きるのはあたしなんだからっ!
あの女、ぜったい始末してやるっ」



 テューセック村を発って二泊、 車窓こらの景色が徐々に見慣れたものになってきた。午後には王都に着きそうだ。

 馬車移動にもだいぶ慣れてきた…と、言うより恐縮して縮こまっているのが疲れてきただけだ。
 クッションにもたれ外をぼんやり眺めていると、また胸元に手がいく。
 ジークヴァルトからもらったペンダントは無くさないようにずっと首に掛けて服の内側にしまっている。でも、これをもらってから無意識にこんなことを何度か繰り返している。

 取り出して目の前にぶら下げてみると、ちりばめられた宝石が光を反射してきらきらと輝く。

 これをもらってからのその後がどうなったかと言うと…

 エマはこれ以上ジークヴァルトからの勧めを受けないように話を変えようと、ルイス王子の言った「僕も買って帰ろうかな」の言葉を拾った。

「ご側室様方にですか?」

 そうエマがたずねると、ルイス王子は鼻を鳴らしてソファにどかっと座り、

「もう彼女たちはいないよ。あとの二人も下げ渡した。
カトリーヌ嬢同様好きにしろと言ったら、すぐに好いた男を連れてきたよ。
三人が三人ともちゃっかりしていて、びっくりしたさ」

と、おどけるように肩をすくめた。

 驚くエマにジークヴァルトは分かりやすく説明してくれた。

「ミーナ・フォン・グラン侯爵令嬢は、品種改良をきっかけに知り合った貴族の三男の植物学者と婚約。ジーナ・フォン・クルド子爵令嬢は爵位はないが、親交のあった有名な音楽家と婚約した」

「三人とも持っている能力を遺憾無く発揮し、国に尽くすと誓って意気揚々と出て行ったよ。
あのまま後宮に留めるのは国の損失だからね」

 そう言うルイス王子にエマは

「そうなんですか…本当に…よかったです」

と、カトリーヌの笑顔からミーナとジーナの幸せな顔を想像し心から微笑んだが、それじゃ、プレゼントは誰に買っていくつもりだったのかという疑問は残った。
 でも、そこまで立ち入って聞く気もないエマは、話が途切れたのをいい機会だと「そろそろ出発の準備をして参ります」と言って部屋を出ることに成功した。

 部屋を出ると廊下では美人メイド達が控えていた。
 彼女たちは、通り過ぎるエマの胸に光るペンダントを見て意味ありげに視線を示し合わせる。
 エマは不思議に思いしばらく行って振り向くと、彼女たちはジークヴァルトたちが残る部屋をノックし、いそいそと入っていった。そして、すぐに中から彼女達のきゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえてきた。

 多分、おねだりの声だ。
 商人が売り込みに来ていたのはエマ以外みんな知っていたのだろう。こういう貴族用ホテルではメイド達への心付けが当たり前なのかも知れないし、それを気前よくするのも貴族の見栄なのかも知れない。

 あのプレゼントの数々は確かに素敵だった。
 エマも以前からお出かけ用の服や可愛いバッグを欲しいと思っていたし、そういうものは大好きだ。

 でも、成り行きとはいえ馬車やホテルを提供してもらっているし、何より、大量の高価なプレゼントをもらう理由がない。

 首にかかるこのペンダントも、ジークヴァルトのペースに流されてしまったとため息が出るが今更突っ返すこともできない。
 あんな優しい顔をして「君に似合うと思う」なんて…ジークヴァルトはずるいと思う。

 でも、メイド達のああいう声を聞いていると、素直に喜ばずかたくなに何も要らないと断るエマを、ジークヴァルトは随分な頑固者だと思っただろう。

 エマはふんと顔を逸らすとスタスタと足早に自分の部屋へと向かった。


 二泊目の昨夜も、もちろん貴族用のホテルだった。
 ちなみに王都に近いということでメイド達の美人度もぐんと上がっていた。
 
 思わぬ提案は夕食の時にあった。

「エマにはしばらくうちの屋敷にいてもらおうと思う」

 エマの向かいに座るジークヴァルトが、ワインを一口ゆっくりと飲み下すとそう言った。

「え…?」

 説明の足りないジークヴァルトにかわって、ルイス王子が教えてくれた。

「エマには皇太后と会ってもらいたいんだ。
皇太后に僕が見つけた『魔女』に会ってもらうという茶会を申し入れるつもりだ。
エマには身の安全のためにジークヴァルトのところで保護させてもらうよ」

 エマはとっさに、嫌だなと思った。だから、とにかく断ろうとよく考えもせず言葉が口をついて出た。

「ご心配を頂いて、ありがとうございます。
でも、やっぱり私、結構です。
気をつけますから大丈夫、大丈夫ですよ」

 何の根拠もないエマの言葉にジークヴァルトが眉間に皺を寄せる。
 預けていた椅子の背から身を乗り出し、聞きわけのない子供をさとすようにゆっくりと、

「エマ、君はスーラたちの命をまた危険に晒すつもりか?」

と、言った。

 こんな不機嫌な顔を見るのは久しぶりだ。

「もちろん、彼らへの警備は充分してある。
だが、君が彼らのそばにいることで巻き込む危険性はより高まる。
君は賊が押し入った店の惨状を見ていないからそんなことを言えるんだ。
村まで追っていくような奴らだぞ?
奴らを見ただろ?
我々が間に合わなければどうなっていたと思う?
奴らは君を知った以上もう放ってはおかない。
賢い君ならそんなこと分かるだろ?」

「ジークヴァルト、エマが素直にうんと言わないからって焦りすぎだよ。
そんな言い方は脅しているようなものだ」

 ルイス王子にたしなめられたジークヴァルトが小さく咳払いし、背を椅子にもどした。

「…すまない、エマ。言い過ぎた。だが、俺は心配なんだ。どうか、言う通りにして欲しい」

 ジークヴァルトの言うことはもっともだ。落ち着いて考えれば簡単に分かることなのに。

(この人の厚意にどうしてか反発しちゃう。
そうよね、今の話しは身の安全のためのただの措置なんだから)

 エマは努めてすっきりした表情で顔を上げ、

「謝らないで下さい。その通りだと思います。
浅はかなことを言って申し訳ありませんでした。
ジークヴァルト様、お世話になります。
よろしくお願いいたします」

と、頭を下げたーーー


 馬車の揺れに合わせて目の前でペンダントが揺れ、宝石がキラキラと輝く。

(最初が成り上がりを企む『害が有る』強かな女。品のない下劣な視線を俺に向けるなって、すっごく怖い目で見られたし。
それから『害が無い』ただの小娘。そして『魔女』に昇格したら、ジークヴァルト様って急にグイグイくるよね。)

 貴族女性並みの扱いに加えて、テリトリーに入れたらとたんに気を許すタイプなんだろうか。

(そういえば自分のこと「俺」って言うようになったし。
それに名前で呼べって言うし、至近距離ですっごく優しく微笑むし…
超高級図鑑も、盗られたのに大したことないって笑ってるし。
あの人、あんな感じの人だったんだ)

 薄い水色の輝く宝石をじっと眺めていると、ジークヴァルトがエマのうなじに触れたことを不意に思い出した。

 あの時、ゾクリと痺れるような感覚が背筋に伝わった。その感覚がまざまざと蘇る。
 そして、それが決して嫌じゃなかった。

(しばらく一緒に暮らすのかぁ。
もっとビジネスライクでいいんだけどなぁ。)

 あんなジークヴァルトの顔や態度を毎日みせられるのかと思うと、それが嫌じゃないと思う自分が嫌で、エマは打ち消すように首を振るとペンダントをまた胸元にしまった。
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