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「おや、誰だろうね」
スーラがドアに向かい、「はい、はい、どちらさま?」とノブに手をかける。
(あれ?このパターン、前にもあったよーな。アルベルト様が来て…)
エマの脳裏に、朝食を食べ損ね強引に馬車に乗せられた嫌な記憶がよみがえる。
思わずキッチンへ身を隠そうと足を向けたが、一瞬早くドアが開いてしまった。
逃げるような姿勢のまま振り向いたエマは、そのまま固まる。
そこには正真正銘のこの国の世継ぎの王子様ルイス王子と冷えた眼差しの公爵家御嫡男様ジークヴァルトが、何故か下級貴族青年のような服装で立っていた。
(ーーーーッ?!)
エマは声にならない悲鳴をあげた。
「失礼。我々はアルベルトの同僚で、王宮警備隊員のルイスとジークヴァルトと言いう。春の舞踏会でエマと知り合ってね。今日は非番で近くを通ったので寄ってみたのだが」
偽名も使わず、淡々とルイス王子が説明する。
いきなり只ならない美丈夫な二人の青年を目の前にして、「ああ、そうですか、はいはい」と言える人がいるだろうか?
案の定、扉を開けた体勢でスーラも固まっている。
だが、さすがはスーラ。ギギギとなんとか首を回してエマに顔を向け、本当に知り合いなのかと目でうったえてくる。
首を横に振りたかったがそんなこと出来るはずない。
いつまでも二人を戸口に立たせておくわけにいかない。エマは断腸の思いで首を縦にふった。
それを見たスーラはぎこちなく首を戻した。
「ど、どーぞ、お入りください」
二人を招き入れたスーラだったが、慌ててエマの元にくるとずいっと顔をよせる。
「本当に知り合いかい?大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫です。本当に知った方々です。ここは任せてください」
「…そうかい。分かったよ」
ヒソヒソと早口に言葉を交わすと、スーラはエマの脇腹を軽く肘で小突く。そして意味深な笑いとウィンクをエマに残して、適当に昼食を取るからとダイニングを出ていってしまった。
ルイス王子とジークヴァルトが中に入ってくるとダイニングルームが狭く感じられた。二人とも長身だからというだけでなく、雰囲気や存在感の大きさが部屋を狭く感じさせている。
興味深かそうに部屋を見回していたルイス王子がダイニングの椅子に腰掛ける。普通なら家人に断りもない勝手な振る舞いだが、彼の場合許可を取る方がおかしいだろう。
だが、ジークヴァルトはルイス王子を護るように斜め後ろに立ったままだ。
「いい匂いだね。昼食?」
何の前置きもなくルイス王子が突っ立っているエマに顔をむける。
「は、はいっ」
「そうなんだ。僕たちまだなんだ」
そう言って笑顔を向ける王子様に「だから?」などと誰が言えるだろうか。
「………よろしければいかがでしょうか?」
「いいのかい?ありがとう!」
*
出来たてのパングラタンと野菜とベーコンのミネストローネ、果実水を恐る恐るそっと置く。
ジークヴァルトの分も用意した。口をつけるはずはないと分かっているが。
「たいへん熱いのでお気をつけてお召し上がりください」
(ああ、本当にこんなもの出していいのかなあ。こんなもん王子様に出すな!って投げつけられたらどうしよう。)
それに、気になるのが二階の自室にあるもこもこ草だ。幻覚作用のある植物を元気いっぱい育てているなんて、見つかれば完全にアウトだ。
悪女どころか完全に犯罪者だ。
毒性はほぼないくらいまでおさえてあるのでもしも持ち出されても害はないが、そんなことは問題じゃない。
つい先日までは、あの毒草のことを王子たちは調べているだろうかと心配していた。
だが、いまはタイミングが悪過ぎる。
どうか見つかりませんようにっ!と心中で祈り、後ろめたさが半端ない。
盆を胸に抱きながら恐々としているエマをよそに、ルイス王子はお皿やマグカップ、そこに盛り付けられた昼食を珍しそうに眺めてから、「これは、きみが作ったの?」と顔をあげる。
「はい。牛乳でホワイトソースを作って、チーズをかけて焼いてあります。具材は手近な食材で作ったものです…」
「君は食さないのかい?」
「私は……もう済みましたので」
昼食は三人分しか用意していない。彼らに差し出したのは自分たちの分だ。だからエマの昼食はない。
でも、もう昼食は済んだというのが一番穏便に済むはずだ。
それに、ここが自宅だからといって高貴な彼らと同席するべきでないことぐらいわかる。
だが、ルイス王子は「君はここに座って」と自分の前の椅子をさす。
エマはどうしようかとここまで無言のジークヴァルトの様子をちらりと見た。
ジークヴァルトは特に興味を引かれた様子もなく、腕組みをしながらテーブルに置かれた昼食を見下ろしていた。
ここへ来たのもどうせルイス王子の無理強いで嫌々なのだろう。
「彼は気にしなくていいよ。僕がいいと言っている」
そう言われれば座るしかない。
「では、失礼いたします」
(ああ、この人たち一体何しにここへ来たんだろう。聞く勇気なんてない。
宰相補佐様は嫌々来たって顔に書いてあるし。
王子様はなんで私に絡むの!?もう二度と会うことないと思ってたのにっ。
とにかく、粗相のないようにして、さっさと食べて、はやく帰ってもらわないとっ!)
ルイス王子がスプーンを手に取り、グラタンを掬うと熱々のホワイトソースがとろりと流れ、湯気がたつ。
「美味しそうだ」と微笑むと、ずっと無言だったジークヴァルトが「殿下」と呼んだ。
「いま止めるのも、『殿下』と呼ぶのもどうかと思う」とルイス王子が口を尖らすがジークヴァルトはそれを無視する。
「得体の知れないモノを不用意に口にするのはどうかと思います。何かあっても知りませんよ」
ジークヴァルトは、エマが置いた昼食を無視し、エマの作ったものを食べようとするルイス王子にまるで「よくそんなモノが食べられるな」と言っているようだった。
エマはきゅっと唇を噛んだ。
お茶や料理の野菜、調味料、香辛料に至るまで、働くスーラたちの口に入るものは体に良い影響があるようにエマがいつも『力』を加えている。
なのに、人を害するものを出したと疑われることは、知らぬこととはいえ魔女のプライドとして引き下がれない。
ジークヴァルトが自分を姑息な手段で成り上がろうとする悪女と疑っているなら、ここで王子の害になる物を入れることはかえって損なことだ。
つまり、エマに何か一言難癖をつけないと気がすまないということだ。
言うにことかいてそれはないだろうとエマは思う。
『魔女』云々を差し置いても、人として黙って俯いていることなどできない。
「あの、お言葉ですが」
はっきりと抗議を滲ませる口調で口を開いたエマに、ルイス王子とジークヴァルトは視線を向ける。
エマはジークヴァルトの目をしっかりと見据える。
ジークヴァルトをきちんと見たのはあの謁見の間以来だ。そして、今までで一番近くで目を合わすことになった。
銀の長い睫毛に縁取られた涼やかな目元に、アイスブルーの美しい瞳に向かって、
「お体に害のある『得体の知れないモノ』など入っておりません」
と、はっきり言い切った。
ジークヴァルトは表情を変えないままエマから視線を外さない。
「ジークヴァルト、君が悪い。彼女に失礼だ。エマ、すまないね」
二人の睨み合いに、ルイス王子がジークヴァルトをたしなめる。
そして、手の付けられていないパングラタンが乗る皿とスプーンをエマの前に置き直した。
「これは君が食べなさい。
我々が来たから君たちの分を出してくれたのだろう?
エマは優しいね。
こんな失礼なヤツにくれてやることはないよ」
驚いて顔をむけたエマにルイス王子は微笑むと、掬いかけのスプーンを口に運び「城ではこんな熱いものは出てこないからね」と、フーフー息を吹きかけて冷ましながら嬉しそうに「美味しい、美味しい」と言って食べた。
一方エマは食べなさいと言われたからといって、一旦人に出した料理を「そうですか」と当人の目の前で食べれるものではない。
一度視線を外してしまえばジークヴァルトの様子を伺うことも出来ず、居心地悪く冷めていくグラタンを見つめていた。
ルイス王子はそんなエマに特に何も言わなかった。
熱いグラタンを上品に息を吹きかけ冷ましながら食べ、あっと言う間に果実水まで綺麗に飲み干した。
この気まずい雰囲気のなかでもマイペースでいられるのは並の人間には無理だろう。さすが王子様だ。
「ふう、ご馳走さま。とても美味しかったよ」
エマは慌てて「お粗末さまでした」と頭を下げた。
「ジークヴァルト、エマがせっかく出してくれたんだ。果実水ぐらい飲んだらどうだい?」
ルイス王子が視線で飲めと命じると、ジークヴァルトはゆっくりと腕組みを解き、立ったままマグカップを持つと一口口をつけ、そしてゴクゴクと飲み干した。
エマは目を見張った。
結局、ルイス王子はそれだけで腰を上げた。
エマが戸外に出て深くお辞儀をして送り出すと、ルイス王子が「また来る」と言い残す。また来るーーの言葉をエマが反芻し、「えっ?!」と驚き顔を上げた時には二人はもう馬上だった。
去って行った二人を茫然と見送った。
しばらく去った方向を眺めていた。
やがて家に入ると、綺麗に食べられた食器と冷めたパングラタンそして空のマグカップが目に入り、さっきまでのことは白昼夢でなかったと実感する。
エマは今更緊張してブラウスの胸元にそっと手を置く。
テーブルに置かれた食器類一つ一つに目をやり、ジークヴァルトのマグカップにそっと触れた。
そして、彼に食べてもらえなかった冷めてチーズが硬くなったパングラタンをいたずらに指で押さえると、ふふっと笑みがこぼれた。
「ほんとになんなのよ、あの人たち。何しに来たの?」
ルイス王子はエマが自分の昼食を差し出したことに気を配ってくれた。
でも、今エマを微笑ませるのは無言で果実水を飲み干したジークヴァルトだった。
こんな些細な出来事が、どれほどエマの心を温かくしたか。
「グラタン、温っめなおそっと」
エマは冷めた皿を持ちパタパタとキッチンへ急いだ。
スーラがドアに向かい、「はい、はい、どちらさま?」とノブに手をかける。
(あれ?このパターン、前にもあったよーな。アルベルト様が来て…)
エマの脳裏に、朝食を食べ損ね強引に馬車に乗せられた嫌な記憶がよみがえる。
思わずキッチンへ身を隠そうと足を向けたが、一瞬早くドアが開いてしまった。
逃げるような姿勢のまま振り向いたエマは、そのまま固まる。
そこには正真正銘のこの国の世継ぎの王子様ルイス王子と冷えた眼差しの公爵家御嫡男様ジークヴァルトが、何故か下級貴族青年のような服装で立っていた。
(ーーーーッ?!)
エマは声にならない悲鳴をあげた。
「失礼。我々はアルベルトの同僚で、王宮警備隊員のルイスとジークヴァルトと言いう。春の舞踏会でエマと知り合ってね。今日は非番で近くを通ったので寄ってみたのだが」
偽名も使わず、淡々とルイス王子が説明する。
いきなり只ならない美丈夫な二人の青年を目の前にして、「ああ、そうですか、はいはい」と言える人がいるだろうか?
案の定、扉を開けた体勢でスーラも固まっている。
だが、さすがはスーラ。ギギギとなんとか首を回してエマに顔を向け、本当に知り合いなのかと目でうったえてくる。
首を横に振りたかったがそんなこと出来るはずない。
いつまでも二人を戸口に立たせておくわけにいかない。エマは断腸の思いで首を縦にふった。
それを見たスーラはぎこちなく首を戻した。
「ど、どーぞ、お入りください」
二人を招き入れたスーラだったが、慌ててエマの元にくるとずいっと顔をよせる。
「本当に知り合いかい?大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫です。本当に知った方々です。ここは任せてください」
「…そうかい。分かったよ」
ヒソヒソと早口に言葉を交わすと、スーラはエマの脇腹を軽く肘で小突く。そして意味深な笑いとウィンクをエマに残して、適当に昼食を取るからとダイニングを出ていってしまった。
ルイス王子とジークヴァルトが中に入ってくるとダイニングルームが狭く感じられた。二人とも長身だからというだけでなく、雰囲気や存在感の大きさが部屋を狭く感じさせている。
興味深かそうに部屋を見回していたルイス王子がダイニングの椅子に腰掛ける。普通なら家人に断りもない勝手な振る舞いだが、彼の場合許可を取る方がおかしいだろう。
だが、ジークヴァルトはルイス王子を護るように斜め後ろに立ったままだ。
「いい匂いだね。昼食?」
何の前置きもなくルイス王子が突っ立っているエマに顔をむける。
「は、はいっ」
「そうなんだ。僕たちまだなんだ」
そう言って笑顔を向ける王子様に「だから?」などと誰が言えるだろうか。
「………よろしければいかがでしょうか?」
「いいのかい?ありがとう!」
*
出来たてのパングラタンと野菜とベーコンのミネストローネ、果実水を恐る恐るそっと置く。
ジークヴァルトの分も用意した。口をつけるはずはないと分かっているが。
「たいへん熱いのでお気をつけてお召し上がりください」
(ああ、本当にこんなもの出していいのかなあ。こんなもん王子様に出すな!って投げつけられたらどうしよう。)
それに、気になるのが二階の自室にあるもこもこ草だ。幻覚作用のある植物を元気いっぱい育てているなんて、見つかれば完全にアウトだ。
悪女どころか完全に犯罪者だ。
毒性はほぼないくらいまでおさえてあるのでもしも持ち出されても害はないが、そんなことは問題じゃない。
つい先日までは、あの毒草のことを王子たちは調べているだろうかと心配していた。
だが、いまはタイミングが悪過ぎる。
どうか見つかりませんようにっ!と心中で祈り、後ろめたさが半端ない。
盆を胸に抱きながら恐々としているエマをよそに、ルイス王子はお皿やマグカップ、そこに盛り付けられた昼食を珍しそうに眺めてから、「これは、きみが作ったの?」と顔をあげる。
「はい。牛乳でホワイトソースを作って、チーズをかけて焼いてあります。具材は手近な食材で作ったものです…」
「君は食さないのかい?」
「私は……もう済みましたので」
昼食は三人分しか用意していない。彼らに差し出したのは自分たちの分だ。だからエマの昼食はない。
でも、もう昼食は済んだというのが一番穏便に済むはずだ。
それに、ここが自宅だからといって高貴な彼らと同席するべきでないことぐらいわかる。
だが、ルイス王子は「君はここに座って」と自分の前の椅子をさす。
エマはどうしようかとここまで無言のジークヴァルトの様子をちらりと見た。
ジークヴァルトは特に興味を引かれた様子もなく、腕組みをしながらテーブルに置かれた昼食を見下ろしていた。
ここへ来たのもどうせルイス王子の無理強いで嫌々なのだろう。
「彼は気にしなくていいよ。僕がいいと言っている」
そう言われれば座るしかない。
「では、失礼いたします」
(ああ、この人たち一体何しにここへ来たんだろう。聞く勇気なんてない。
宰相補佐様は嫌々来たって顔に書いてあるし。
王子様はなんで私に絡むの!?もう二度と会うことないと思ってたのにっ。
とにかく、粗相のないようにして、さっさと食べて、はやく帰ってもらわないとっ!)
ルイス王子がスプーンを手に取り、グラタンを掬うと熱々のホワイトソースがとろりと流れ、湯気がたつ。
「美味しそうだ」と微笑むと、ずっと無言だったジークヴァルトが「殿下」と呼んだ。
「いま止めるのも、『殿下』と呼ぶのもどうかと思う」とルイス王子が口を尖らすがジークヴァルトはそれを無視する。
「得体の知れないモノを不用意に口にするのはどうかと思います。何かあっても知りませんよ」
ジークヴァルトは、エマが置いた昼食を無視し、エマの作ったものを食べようとするルイス王子にまるで「よくそんなモノが食べられるな」と言っているようだった。
エマはきゅっと唇を噛んだ。
お茶や料理の野菜、調味料、香辛料に至るまで、働くスーラたちの口に入るものは体に良い影響があるようにエマがいつも『力』を加えている。
なのに、人を害するものを出したと疑われることは、知らぬこととはいえ魔女のプライドとして引き下がれない。
ジークヴァルトが自分を姑息な手段で成り上がろうとする悪女と疑っているなら、ここで王子の害になる物を入れることはかえって損なことだ。
つまり、エマに何か一言難癖をつけないと気がすまないということだ。
言うにことかいてそれはないだろうとエマは思う。
『魔女』云々を差し置いても、人として黙って俯いていることなどできない。
「あの、お言葉ですが」
はっきりと抗議を滲ませる口調で口を開いたエマに、ルイス王子とジークヴァルトは視線を向ける。
エマはジークヴァルトの目をしっかりと見据える。
ジークヴァルトをきちんと見たのはあの謁見の間以来だ。そして、今までで一番近くで目を合わすことになった。
銀の長い睫毛に縁取られた涼やかな目元に、アイスブルーの美しい瞳に向かって、
「お体に害のある『得体の知れないモノ』など入っておりません」
と、はっきり言い切った。
ジークヴァルトは表情を変えないままエマから視線を外さない。
「ジークヴァルト、君が悪い。彼女に失礼だ。エマ、すまないね」
二人の睨み合いに、ルイス王子がジークヴァルトをたしなめる。
そして、手の付けられていないパングラタンが乗る皿とスプーンをエマの前に置き直した。
「これは君が食べなさい。
我々が来たから君たちの分を出してくれたのだろう?
エマは優しいね。
こんな失礼なヤツにくれてやることはないよ」
驚いて顔をむけたエマにルイス王子は微笑むと、掬いかけのスプーンを口に運び「城ではこんな熱いものは出てこないからね」と、フーフー息を吹きかけて冷ましながら嬉しそうに「美味しい、美味しい」と言って食べた。
一方エマは食べなさいと言われたからといって、一旦人に出した料理を「そうですか」と当人の目の前で食べれるものではない。
一度視線を外してしまえばジークヴァルトの様子を伺うことも出来ず、居心地悪く冷めていくグラタンを見つめていた。
ルイス王子はそんなエマに特に何も言わなかった。
熱いグラタンを上品に息を吹きかけ冷ましながら食べ、あっと言う間に果実水まで綺麗に飲み干した。
この気まずい雰囲気のなかでもマイペースでいられるのは並の人間には無理だろう。さすが王子様だ。
「ふう、ご馳走さま。とても美味しかったよ」
エマは慌てて「お粗末さまでした」と頭を下げた。
「ジークヴァルト、エマがせっかく出してくれたんだ。果実水ぐらい飲んだらどうだい?」
ルイス王子が視線で飲めと命じると、ジークヴァルトはゆっくりと腕組みを解き、立ったままマグカップを持つと一口口をつけ、そしてゴクゴクと飲み干した。
エマは目を見張った。
結局、ルイス王子はそれだけで腰を上げた。
エマが戸外に出て深くお辞儀をして送り出すと、ルイス王子が「また来る」と言い残す。また来るーーの言葉をエマが反芻し、「えっ?!」と驚き顔を上げた時には二人はもう馬上だった。
去って行った二人を茫然と見送った。
しばらく去った方向を眺めていた。
やがて家に入ると、綺麗に食べられた食器と冷めたパングラタンそして空のマグカップが目に入り、さっきまでのことは白昼夢でなかったと実感する。
エマは今更緊張してブラウスの胸元にそっと手を置く。
テーブルに置かれた食器類一つ一つに目をやり、ジークヴァルトのマグカップにそっと触れた。
そして、彼に食べてもらえなかった冷めてチーズが硬くなったパングラタンをいたずらに指で押さえると、ふふっと笑みがこぼれた。
「ほんとになんなのよ、あの人たち。何しに来たの?」
ルイス王子はエマが自分の昼食を差し出したことに気を配ってくれた。
でも、今エマを微笑ませるのは無言で果実水を飲み干したジークヴァルトだった。
こんな些細な出来事が、どれほどエマの心を温かくしたか。
「グラタン、温っめなおそっと」
エマは冷めた皿を持ちパタパタとキッチンへ急いだ。
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