20 / 88
20ジークヴァルトの嫌悪
しおりを挟む
舞踏会のあの日、噴水近くで貴族同士の諍いがあったと知り、ジークヴァルトはルイス王子と共にテラスへ出たーーー
婚約者の突然の異変に、医師を早くと叫ぶ男爵を周りの者たちは遠巻きにただ見ていた。
そんな中、ひとりの娘が人垣の中から二人に駆け寄った。明らかに平民の娘がこの非常時に何をしでかすのかとジークヴァルトは眉をひそめ苛立った。
娘は躊躇いなく地面に膝を付つくと令嬢に目線を合わせ声をかけた。
すると、令嬢は娘に縋り付く。無意識だろう令嬢の手は娘のドレスを乱暴に掴み、綺麗に結われた髪に当たり乱れる。だが、娘は動じない。
ただ穏やかに安心させるように令嬢に声をかけ、だが的確に指示を出し落ち着かせていった。
男爵に抱き上げられた令嬢を見上げる娘の、優しい榛色の髪が一房象牙色の白い肌にかかり揺れていた。
鼻筋はスッと通り、艶のある形の良い唇は微笑んでいる。
幼い顔立ちのように思えたが、髪と同じ榛色の瞳をした凛とした涼やかな目元で品のある成人した女性だと分かった。その目元が微笑みとともに細められた。
ジークヴァルトは娘の姿に見入ってしまっていた。
普段ジークヴァルトは何かに気持ちを大きく揺さぶられることはない。
ルイス王子からも「無感動なやつだ」とよく言われていた。
だが、垣間見えた娘の聡明さと令嬢を見上げたときの娘の微笑みに、ジークヴァルトは鼓動の高鳴りすら覚えてしまっていた。
ルイス王子が娘に褒美を与えると言った時、ジークヴァルトは彼女と会って話す機会が得られたと心が浮き立った。
だが、城へ呼び出すべく素性を調べるとーーージークヴァルトは一気に興味を失し、そして落胆している自分に気づいた。
調べられた娘の身の上はジークヴァルトが一番嫌悪するものだった。
身寄りを亡くしてすぐに王都へ来た当日に庁舎の戸籍係で対応した青年の親族の店に世話になっていた。
一日に何人も対応する庁舎の役人にわざわざ親族を紹介させるとは、口の回る随分と世渡り上手な娘ではないか。
報告書には当然戸籍係ロイ・ミドルのことも調べられてあった。
役人ロイ・ミルドはなかなか頭の切れる青年だ。
王立大学卒業後一級公務員に合格し、研修期間のため現在は王都の庁舎で戸籍係をしている。
公務員は、身分に関わらず門戸が開かれているが、特に一級公務員は難関試験を突破した成績、人物とも優秀者のみがなれる。
王都の庁舎や地方の役所には二級三級と多数雇用されているが、一級公務員は研修期間終了後、王国中枢の部署へと配属されることが決まっている。
さらに身分は一代限りの準貴族とみなされ、年俸も破格だ。研修期間が終われば貴族の居住地区にある豪華な職員官舎への入居資格も得られる。
ロイのような独身の一級公務員は結婚の相手として憧れの的だ。
そのロイ・ミルドの紹介で早々に職と居住を得ると、娘は程なくしてあの舞踏会へ参加することになる。
適当な役人に強請って若い娘たちが舞踏会に参加することはよくあること。
若い娘たちの目当ては、次男以下の青年貴族だ。
家督にあまり関わらない彼らとの結婚は比較的許容されている。特に王宮警備隊員は人気で、待遇も良く充分裕福な生活ができる。
彼らもまた若い娘たちの憧れの的だ。
そして、舞踏会で紹介されたロイの友人アルベルト・フォン・ハビは、ハビ子爵家次男で王宮警備隊の隊員。
王都の独身女性が諸手を上げて結婚相手にと望む男たちを、娘は強かに右と左に置いていることになる。
そして、偶然起こったあの騒動。苦しむ令嬢を助け、ついにルイス王子の目にとまることになった。
ジークヴァルトが最も嫌悪する行為は、己の欲のために誰かを踏み台にし利用すること。
報告書は真実は語らず、事実だけを語った。
ジークヴァルトの娘に対する疑念は膨らんでいった。
そして、謁見当日。
娘が顔を上げたとき疑念はさらに深まった。
ジークヴァルトを上位貴族と見るや好意的な視線を向けてきたのだ。
女性からの好意が分からぬほどの経験不足でもない。
平民の村娘があのような場所に引っ張り出されれば、普通は立っていることもままならない程平静ではいられないはず。
それを男を値踏みする余裕があるなど、よほどの強かさだ。
ロイ・ミルドにも向けられただろう視線をはねつけるようにきつく睨めば慌てて目を逸らした。
そして、この疑念を直接確かめようと控えの部屋に行った時、その必要もなく疑念は確信に変わった。
子爵家次男アルベルト・フォン・ハビに昼食会などどうすればいいのかと縋り付かん勢いで詰め寄り、上目遣いで熱い視線を送って媚びれば彼は親しげに娘の肩に手を置き慰めていた。
結局、昼食会では申し分ない所作だった。
動揺する姿は彼の庇護欲を誘うための演技だったか。アルベルト・フォン・ハビもすっかり娘の手中というわけだ。
ジークヴァルトが心動かされたあの姿は、周囲の貴族の目に止まるための計算ずくのものだった。
やはり助けを必要とする苦しむ弱者をも踏み台にしたのだ。
強かな裏の顔があるなど残念でならなかった。
あの微笑みにまんまと騙されたことが歯がゆかった。
ジークヴァルトの勝手な期待だったのだが、裏切りを受けたように悔しかった。
だからこそ、ことさら嫌悪の感情を向けてしまうのかも知れない。
婚約者の突然の異変に、医師を早くと叫ぶ男爵を周りの者たちは遠巻きにただ見ていた。
そんな中、ひとりの娘が人垣の中から二人に駆け寄った。明らかに平民の娘がこの非常時に何をしでかすのかとジークヴァルトは眉をひそめ苛立った。
娘は躊躇いなく地面に膝を付つくと令嬢に目線を合わせ声をかけた。
すると、令嬢は娘に縋り付く。無意識だろう令嬢の手は娘のドレスを乱暴に掴み、綺麗に結われた髪に当たり乱れる。だが、娘は動じない。
ただ穏やかに安心させるように令嬢に声をかけ、だが的確に指示を出し落ち着かせていった。
男爵に抱き上げられた令嬢を見上げる娘の、優しい榛色の髪が一房象牙色の白い肌にかかり揺れていた。
鼻筋はスッと通り、艶のある形の良い唇は微笑んでいる。
幼い顔立ちのように思えたが、髪と同じ榛色の瞳をした凛とした涼やかな目元で品のある成人した女性だと分かった。その目元が微笑みとともに細められた。
ジークヴァルトは娘の姿に見入ってしまっていた。
普段ジークヴァルトは何かに気持ちを大きく揺さぶられることはない。
ルイス王子からも「無感動なやつだ」とよく言われていた。
だが、垣間見えた娘の聡明さと令嬢を見上げたときの娘の微笑みに、ジークヴァルトは鼓動の高鳴りすら覚えてしまっていた。
ルイス王子が娘に褒美を与えると言った時、ジークヴァルトは彼女と会って話す機会が得られたと心が浮き立った。
だが、城へ呼び出すべく素性を調べるとーーージークヴァルトは一気に興味を失し、そして落胆している自分に気づいた。
調べられた娘の身の上はジークヴァルトが一番嫌悪するものだった。
身寄りを亡くしてすぐに王都へ来た当日に庁舎の戸籍係で対応した青年の親族の店に世話になっていた。
一日に何人も対応する庁舎の役人にわざわざ親族を紹介させるとは、口の回る随分と世渡り上手な娘ではないか。
報告書には当然戸籍係ロイ・ミドルのことも調べられてあった。
役人ロイ・ミルドはなかなか頭の切れる青年だ。
王立大学卒業後一級公務員に合格し、研修期間のため現在は王都の庁舎で戸籍係をしている。
公務員は、身分に関わらず門戸が開かれているが、特に一級公務員は難関試験を突破した成績、人物とも優秀者のみがなれる。
王都の庁舎や地方の役所には二級三級と多数雇用されているが、一級公務員は研修期間終了後、王国中枢の部署へと配属されることが決まっている。
さらに身分は一代限りの準貴族とみなされ、年俸も破格だ。研修期間が終われば貴族の居住地区にある豪華な職員官舎への入居資格も得られる。
ロイのような独身の一級公務員は結婚の相手として憧れの的だ。
そのロイ・ミルドの紹介で早々に職と居住を得ると、娘は程なくしてあの舞踏会へ参加することになる。
適当な役人に強請って若い娘たちが舞踏会に参加することはよくあること。
若い娘たちの目当ては、次男以下の青年貴族だ。
家督にあまり関わらない彼らとの結婚は比較的許容されている。特に王宮警備隊員は人気で、待遇も良く充分裕福な生活ができる。
彼らもまた若い娘たちの憧れの的だ。
そして、舞踏会で紹介されたロイの友人アルベルト・フォン・ハビは、ハビ子爵家次男で王宮警備隊の隊員。
王都の独身女性が諸手を上げて結婚相手にと望む男たちを、娘は強かに右と左に置いていることになる。
そして、偶然起こったあの騒動。苦しむ令嬢を助け、ついにルイス王子の目にとまることになった。
ジークヴァルトが最も嫌悪する行為は、己の欲のために誰かを踏み台にし利用すること。
報告書は真実は語らず、事実だけを語った。
ジークヴァルトの娘に対する疑念は膨らんでいった。
そして、謁見当日。
娘が顔を上げたとき疑念はさらに深まった。
ジークヴァルトを上位貴族と見るや好意的な視線を向けてきたのだ。
女性からの好意が分からぬほどの経験不足でもない。
平民の村娘があのような場所に引っ張り出されれば、普通は立っていることもままならない程平静ではいられないはず。
それを男を値踏みする余裕があるなど、よほどの強かさだ。
ロイ・ミルドにも向けられただろう視線をはねつけるようにきつく睨めば慌てて目を逸らした。
そして、この疑念を直接確かめようと控えの部屋に行った時、その必要もなく疑念は確信に変わった。
子爵家次男アルベルト・フォン・ハビに昼食会などどうすればいいのかと縋り付かん勢いで詰め寄り、上目遣いで熱い視線を送って媚びれば彼は親しげに娘の肩に手を置き慰めていた。
結局、昼食会では申し分ない所作だった。
動揺する姿は彼の庇護欲を誘うための演技だったか。アルベルト・フォン・ハビもすっかり娘の手中というわけだ。
ジークヴァルトが心動かされたあの姿は、周囲の貴族の目に止まるための計算ずくのものだった。
やはり助けを必要とする苦しむ弱者をも踏み台にしたのだ。
強かな裏の顔があるなど残念でならなかった。
あの微笑みにまんまと騙されたことが歯がゆかった。
ジークヴァルトの勝手な期待だったのだが、裏切りを受けたように悔しかった。
だからこそ、ことさら嫌悪の感情を向けてしまうのかも知れない。
2
お気に入りに追加
515
あなたにおすすめの小説
捕まり癒やされし異世界
波間柏
恋愛
飲んでものまれるな。
飲まれて異世界に飛んでしまい手遅れだが、そう固く決意した大学生 野々村 未来の異世界生活。
異世界から来た者は何か能力をもつはずが、彼女は何もなかった。ただ、とある声を聞き閃いた。
「これ、売れる」と。
自分の中では砂糖多めなお話です。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
【完結・全7話】囚われ姫の結婚の約束
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・婚約破棄・ざまぁ】
(2024.4.3 HOTランキング94位ありがとうございます。)
一人の騎士が、魔物に攫われていたお姫様を10年ぶりに救出した!
それは国を挙げてのビッグニュースだった!
……が、当の救い出されたお姫様にとっては、あんまりいい話ではなかったみたい。
お姫様は『姫を助け出した者と姫を結婚させる』という王様の約束が気に入らないらしい。
「あんな貧乏騎士なんて、自分にはふさわしくないわ!」とか何とか(※ワガママ!怒)。
『このお姫様、絶対に地雷!』 やめた方がいい……!!
非テンプレ、ハッピーエンドです──(笑)
設定ゆるいです。
お気軽に読みに来ていただけたらありがたいです。(お手柔らかによろしくお願いいたします汗)
小説家になろう様でも公開しています。
個別ルート配信前にサ終した乙女ゲームの推しと、転生した私
猫屋ちゃき
恋愛
ある日主人公は、自分が前世で好きだったスマホで遊べる乙女ゲーム「マジカルラブアカデミー」通称「マジラカ」の世界に転生していることに気づく。
そして、推しが生きていることに感激する。
主人公の推しは、攻略キャラのひとりでありながら、そのルート配信前に運営のサービスが終了してしまったという不遇キャラ。
おまけに、他の攻略キャラルートだと必ず闇落ちしてヒロインたちに討たれるという悲しき運命を背負っている。
なぜ自分がこの世界に生まれ変わったのかはわからないが、どうせなら自分の手で推しを幸せにしようと決意する。
だが、幸せまでの道のりは、一筋縄ではいかなくて……
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのにいつのまにか溺愛ルートに入りそうです⁉︎
sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。
遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら
自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に
スカウトされて異世界召喚に応じる。
その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に
第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に
かまい倒されながら癒し子任務をする話。
時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。
初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。
2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜
清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。
クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。
(過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…)
そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。
移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。
また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。
「俺は君を愛する資格を得たい」
(皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?)
これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる