【完結】恋につける薬は、なし

ちよのまつこ

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16身の程知らずな田舎娘

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 真っ直ぐの長い廊下を、男性の後ろについて歩く。

 八頭身の長身のそのひとは長い足でスタスタと歩き、その後ろをエマがちょこちょこと早足で付いていく。

 目の前で揺れる男性の癖のある長い髪をみながら一生懸命足を動かす。

 蒼みがかった銀色の髪は背中に流され、肩は頼り甲斐のあるしっかりとした幅があり、背筋はスッと伸びている。
 腕はゆるく振られ、仕立ての良い服の袖口からのぞく軽く握られた白い手、だがその指は華奢ではなかった。
 服越しにも体が程よく鍛えられているのがわかる。その手に剣を持てば鍛えられた筋肉が躍動し、さぞ腕が立つのだろうと想像をする。

(名前はたしかジークヴェ…ジークヴァ…ああ、ちゃんと聞いておくんだった。アルベルト様が早口で言うからっ!
実際いるんだぁ、こんな人。
背も高くて顔もいい、地位も名誉も財力もあって、賢そうだし。
それにこの貫禄…高貴な貴族って生まれながらにこういう雰囲気オーラがあるものなのかな………。
そ、それにしても、仮にも女性なんだからもう少しゆっくり歩いて欲しい。)

「お前は、」

「は、はいっ!?」

 不意に声をかけられ飛び上がるほど驚いて素っ頓狂な声が出てしまった。
 幾分歩調を緩め、肩越しに振り返った横顔の輪郭も素晴らしく整っていた。

(うわぁ、横顔もすごく素敵…)

「……大叔母に引き取られる以前はどこにいた」

「え…」

 エマの足が止まると、男性も向き直る。

 エマのことはやはりすでに調べてあるようだ。
 でも、今そんなことを聞かれるとは思っていなかった。

 ドリスの元に来たのは13歳の時、それから5年間で学んだ中には近隣諸国の地理も頭に入っている。
 だから、出身地のことを聞かれても、どこの国のどの地方から来たくらいは考えてあった。

 エマが逡巡していたのは二、三秒ほど。
 用意してあった答えを口にしようとすると、男性は冷たい目をさらに細め、

「それは嘘だな」

と言った。

「…っ?!」

 言う前から否定された。
 過去を偽るやましさなど、この男性にはお見通しだった。

 冷然とした視線に見下ろされ、エマは膝が震えそうになるのをなんとか耐えた。

「王都に出てきたその日に庁舎の役人を使って住居と職を得、舞踏会では役人の友人の子爵家次男か。それに奴は王宮警備隊だ。
ずいぶん手際がいい。
舞踏会では手頃な貴族をもう二、三人見繕うはずだったか?」

「……え」

「あの舞踏会は、参加するために適当な若い役人を使う娘たちが多いからな。
春の大祭前とは、またいい時期に王都へ来たものだ。
男爵の婚約者のことは確かに偶然だった。だがお前はその好機を見逃さなかった。
皆の前で令嬢を救い、男爵に恩を売るつもりだったか?」

「…お……ん」

「だが、思いがけず釣れたのは世継ぎの王子。
まんまと城まで来たか。
大した強運だな。
お前ごときの嘘の過去など聞く気はないし、どうでもいいから言わなくていい。
だが、品のない下劣な視線を私に向けるな。子爵家次男までにしておけ。
望みすぎると身を滅ぼすぞ」

 理解が追いつかず立ち尽くすエマ。

 だが、そんなエマを気にもとめず男性は淡々と言い切ると、再び歩き出してしまった。

 エマは咄嗟に男性の背にむかって手を伸ばし「違っ…」と言いかけてハッとした。
 自分は一体何を口走ろうとしたのか、と。今日初めて会ったこのひとに、本当は異世界だの魔女だの…と言うつもりなのか、と。

  胸が苦しくて息苦しい。

 もしも、他の誰かに同じことを言われたなら悔しさや怒りが湧いただろう。
 酷い誤解をしてくれたと悪態をついて、そう思うなら勝手に思っておけばいいと涼しい顔も出来ていただろう。

 でも、今はーーー哀しみがこみ上げてくる。

 エマは歩み去る男性の背を見つめた。

 謁見の間で一目見て体に緊張がはしった。それは、彼の持つ雰囲気に圧倒されたからだと思っていた。

(でもそうじゃない、私ーーー見惚れてたんだ。
私もうこのひとのことを…
いつから?……多分、初めて声を聞いた時から……考えるよりも早く顔を上げてた。
あの時からもうこのひとのことを…
でも、このひとは見上げる私の視線に、よこしまなものを感じた。
私自身さえ自覚していなかった想いをーーー)

 いま彼の目に映るエマは、春の大祭を狙って王都に出てきたしたたかな女。
 その日のうちにロイに親戚の店を紹介させ、ロイを使って舞踏会に参加した。
 そこで貴族のアルベルトも紹介させ、偶然起こったアクシデントをも利用して男爵に恩を売ろうとした。
 結果、世継ぎの王子の目に止まり、そして着飾ってのこのこやってきた身の程知らずな田舎娘。

 謁見の間で彼から冷たく見下ろされたのは無遠慮に見たからではなく、そんな者からのそんな視線を嫌悪し侮蔑していたから。

(このひとが言ったことは全部事実。
偽らなければならない過去があって、ロイさんに出会って、舞踏会に行って、アルベルト様に会った…
違うんです、そうじゃないんです、て言ってどう説明するっていうの?
なにより、私の真実なんてこの人にとってどうでもいいことなのに。)

 こんなに魅力的なひと、取り入ろうと擦り寄られる経験はうんざりするくらいあるのだろう。

(ああそっか、部屋へ迎えにきた時の冷たいまでの素っ気なさ。
アルベルト様と話していたのをそういう目で見てたからだ。
道理で歩くのにも全く気遣いがないはず…。
それに、男爵の婚約者を助けたのは恩を売るためかって…その言い方はかなりつらい…)

 瞳がだんだん涙で曇りそうになるのを何度も何度も瞬きをして我慢した。

 エマは初めて抱いた淡い想いを心の中に押し込めることにした。
 こんな高貴なひととは今日限りにもう会うこともないからと、自分の想いから目を背けた。

 そして、声に出して反論できなくても、あの時あの婚約者に手を差し伸べた気持ちにやましさはなかった。
 そう自分の心に矜恃を持つと、しっかりと顔を上げ裾を踏んで転ばないようスカートをギュと握り締め、小走りに男性を追いかけた。
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