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8敬愛

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 ルーの生活空間はシンプルだった。
 リビング・ダイニングには本や書類などがあちこちに積み上げられ、ダイニングテーブルの一角だけ食事用と思われる場所が空けられてあった。
 奥にあるもう一部屋は質素な書斎机が置いてあったが、机の上にも薬草の瓶や調剤用の道具がいくつも並べられ、たくさんの本や書類が積み重ねられていた。

 ルーはダイニングテーブルの本や書類を適当に重ね、エマの座る場所を作ってくれた。

「散らかっていてすまない。そこへ座って」

 いまお茶をいれるからと用意をするルーの背中に「お構いなく」と声をかけてエマは椅子に座った。

 とてもじゃないが、女性の暮らしには見えない。

(ルーってやっぱり本当は男性なんじゃないの?)

 仕事一色の生活をするルーに感心しつつ、自分で思いついた冗談のくせに、ルーと二人っきりの状況が男性といるような妙な錯覚を起こさせ、エマはそわそわと落ち着かなかった。

「エマ」

「はっはい!」

「どうかした?」

「ん?何でもないよ。大丈夫。それにしても、本や書類がたくさんあるんだね。ここの店主さんも一緒に住んでるの?」

 一人で住むには少し広めのリビング・ダイニングを見回す。

 ルーはエマの前に「どうぞ」とマグカップを置き自分もテーブルについた。マグカップから立ち昇るハーブティーの香りが鼻腔をくすぐる。

(いい香り…)

 コクリと一口飲み下すと、ほうとため息が出る美味しさだ。
 目の前には美しいルーがお茶を飲んでいる姿。眼福…至福…としばし現実から旅立ってしまった。

「店主は一緒に住んでいない。月に一、ニ度様子を見に来る程度だよ。体が丈夫なうちに旅やら何やらと楽しんでおきたいらしい。
この店は後を継ぐ者もいないし、好きにしていいと言われている」

 現実に引き戻されたエマはお茶をもう一口飲み「へえ、そうなんだ」と相槌をうった。

(あぶない、見とれてる場合じゃなかった…)

「エマ、少し私の話しを聞いて欲しい」

 エマはカップをテーブルの上に置き、促すようにルーを見た。

「私は隣国オーストの者だ。私の本名はルシエンヌ・デ・グローシュ。父は先王の第二王子、現王の同母弟で臣籍に降下し公爵位を賜りグローシュ家を立て、兄王の宰相をしている。私には三つ上に兄がいて父の後を継ぐべく宰相補佐をしている。ちなみにまだ独身だ。そして、ここからが本題なのだが、」

 遮る間もなく、いきなり聞かされてしまったルーの秘密はやっぱり聞いてはいけない程予想の範疇を越えてきた。
 エマは目を見張り固まっていた。だが、ルーはそのまま淡々と話し続ける。

「私が八歳の時に母が病になってね。王宮の医師にも見せたが原因がわからなくてもうどうしようもなかった。
段々弱っていく母を見ていることしかできなかった。父と母は貴族としては珍しく恋愛結婚だったから、父の憔悴ぶりも子供心に辛かった。
そんな時、街で薬草屋でもないのによく効く薬を作る老婆がいるという噂を父が聞きつけて、背に腹は変えられないとその老婆に母を診てくれるよう頼んだんだ。
母を診た老婆は翌日小さな丸薬を一日一粒飲ませるようにと言って薬を置いていった。
最初、父は怪しんで池の魚に毒味をさせたが変化がないので、思い切って母に飲ませてみた。すると母はみるみる元気になり一週間経つ頃には全快していたんだ。
薬の効果が出始めた二日後にもう一度老婆を呼ぼうとしたが、彼女はもう街からいなくなっていた。父はあの人は『魔女』だったのだろうと言っていた。
母は今でも元気にしているよ。あの『魔女』のおかげだ。両親とも一度でも感謝の言葉を言いたいと言っていた」

 ルーはそこで話を一旦区切ると、お茶をコクリと飲んだ。

「エマ、私はあの時の『魔女』の姿が忘れられなくてね。
母の部屋をそっと覗いた時の後ろ姿しかみていないが、小柄な何処にでもいるような質素な身なりの老婆だった。でも彼女は誰もが匙を投げた母を救ってくれた。
その時から私は彼女の弟子になるのが夢になった。大きくなったら彼女を探して旅に出ようと女ながらに剣も鍛えた。もちろん薬草の勉強も。
だが、私は所詮公爵家の娘なのだ。十三歳の時社交界にデビューさせられ、その後は縁談の話ばかりだった。両親は好いた相手を見つければいいと言ってくれたが、周りがそれを許さない。
好きな相手もなにも、そもそも私は他にやりたいことがあるのに誰もそれをわかってくれない。
そして、とうとう十五歳の時家を出たんだ。街で『魔女』が住んでいた場所を訪ね、彼女が隣国、この国へ行くと言っていた一言を頼りに三年前ここへ来て、調合の腕前が噂になってる老婆がいないか薬草屋を訪ね歩いた。そして、この薬草屋の主人と知り合って今に至るというわけだ」

 ルーは話に聞き入るエマをじっと見つめると言葉を待った。


 ルーには聞かれると思っていた。
 もし、これが他の薬草屋の店員なら、適当なことを言って誤魔化していただろう。
 だが、初対面以来何度かこの店を訪れ、本来の店主には一度も会ったことはなく、いつ来てもルーがいた。ルーは休みなく働いているというよりは、薬草を扱うことが彼女の日常の一部になっているのだ。
 彼女は薬草や治療に真剣に向き合って日々を過ごしている。
 絶対年上だと思っていたルーはエマと同じ歳だった。
 この若く美しい人が世間の楽しみを謳歌もせず、何故黙々と仕事に取り組んでいるのだろうと思っていた。
 彼女には自分も真摯に向き合うべきだとエマは思った。

「その『魔女』の名前は…?」

「父にはドリと名乗ったそうだ」

(ドリ…ドリス、『お婆ちゃん』だ。
ルーのお母さんの薬を作ってすぐに姿を消したのは、薬の効果に『魔女』と気づかれる前に逃げたんだ。
でも…お婆ちゃん、ルーならいいよね?)

 エマは目を閉じ、そうドリスに問いかけると、

「ドリ…ドリスは『魔女』で、私の師匠です」

 ルーはヒュッと息を吸い、絞り出すように「そうか」というと言うと、両手で顔を覆って肩を震わせた。

 それからエマはドリスのことを話した。ドリスの死はルーを身内の死のように悲しませた。村での暮らしぶりも話して聞かせた。
 だがドリスとの約束通り、魔女に関わることは何も言えないとその一点は口を噤んだ。
 ルーはひどく残念な表情をしていたが、無理強いなどすることなく「秘密であって当然だ」と引き下がった。

 帰り際、ルーはエマを呼び止めた。

「エマ、手を」

 ルーが右手を差し出し待っているので、エマは何気に自分の手を差し出した。

 ルーはその手をスッと掴むと片膝を折り、恭しくエマの手の甲に触れるだけのキスをそっと落とした。

 中性的な魅力のある美しいルーにいきなり騎士紛いのとこをされ、エマの体温はいっきに上昇した。

「『魔女』の貴女に私の敬愛を捧げる。エマ、顔が真っ赤だ」

 真っ赤になって口をパクパクさせるエマを見て、ルーは、ははははと楽しげに笑った。
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