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トイレのトマリさん

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「ススム、トイレ行かないか?」
 一時限目が終わり休憩になると、クラスメイトの昼馬ショウから連れションに誘われた。クラスの中では仲が良いほうで、彼とはよくつるんでいる。
 せっかくの誘いだが、自分の腹具合は良好だった。
「わるい。今はでそうにねえわ」
「そうか……じゃあ二限目の終わりは?」
「え、いやわかんねえけど」
「三限目、いや昼休みなら?」
「なんだよ? 予定詰めてくんなよ!?」
 ショウは大柄な体格のよい男で、顔もかくばって威圧感がある。そんな彼に詰め寄られると、やはり圧迫感を感じるのだ。
「これはお前を思ってのことだぞ。早いとこ、俺とトイレに行っておけ」
「俺を案じてる台詞じゃねえよ! 別の思惑しか感じない!」
 俺の疑念に、ショウは頬をかきながら答える。
「実はな、お前をトイレに連れていくことで、懸賞金がもらえるんだ」
「なんだその怪しげな制度!?」
「けっこうな額でな。お前を狙ってるやつが多い」
 ショウは顎で俺の背後をさす。つられて振り返ると、ぎらぎらとした目つきのクラスメイトたちが俺を見つめていた。彼らの視線はまさしく狩人のそれだ。
 背筋に寒気が走り、額に汗が垂れる。心なしか、便意をもよおしてきた。
「うん、行く。なんか、小さいほうが漏れちゃいそう」
「ああ、済ましておけ」
 俺はショウと一緒に教室をあとにした。引き戸を閉めるさい「先を越されたか」というつぶやきが、複数聞こえてきた。


 身構えていたが、男子トイレに変わった様子はなかった。青色のタイル張りの小さな部屋で、小便器が三つと大便用の個室が二つ、そして掃除用具入れが一つと、どれも変わり映えしない。
 ショウも特に不審な動きはせず、小便器の前に立った。
 もしかしたら、さっきのはショウなりの冗談だったのかもしれない。一人でトイレに行くのが気恥ずかしかったのだろう。
 俺も用を済ますため、大便用の個室を開ける。昔から小便器で用を足すのが苦手で、いつも個室を使っているのだ。
 木製の扉はなんの抵抗もなく開き、俺はためらいなく一歩踏み出した。
 洋式の便器に、夕鶴トマリが座っていた。彼女は目を瞑り、見上げるようにして口を開けている。
 思わず扉を閉めた。
「ショウ、ショウ! と、トマリが、トマリがいた!」
「なに? おいおい、ここは男子トイレだぞ」
「いやでも」
「いくら仲が良いからって、妙な幻見るなよ」
 振り返りもせずあしらわれ、俺も口をつむぐ。確かにここは男子トイレだ。女のトマリがいるはずはない。
 意を決して、もう一度扉を開ける。トマリは先ほどの体勢に加え、手の平を受け皿のようにして口元へ添えていた。
「やっぱりいるよ! ほら、見ろって、おい!」
「わかった、わかった――なんだよ、いないぞ」
「そんなっ」
 俺がショウから個室に向き直るも、そこには洋式の便器があるだけだった。慌てて近寄るも、その個室に誰かがいた痕跡はない。
「まったく、途中で止まったじゃないか。そんなにその個室が気になるなら、もう一つの方へ行けばいい」
「う、うん。わるい、邪魔して……」
 意気消沈して、俺は隣の個室を開ける。どういうことだろう。本当に俺は幻を見ていたのだろうか。
 扉が開ききるのも待たず、俺の体は抵抗もできない勢いで個室に引きずり込まれた。目を白黒させていると、誰かが俺に抱き着いているのが分かる。俺の胸板にシャツ越しでも伝わる、甘美な感触が感じ取れた。
 丸っこい頬と小さな唇が、俺の顔に密接している。見慣れた顔、やはりトマリだ。
「トマリ? どういうつもり!?」 
「どうってぇ、ススムちゃんが入ってきたんじゃん」
「いやいや、連れ込まれたよ! ものすごい力だったよ!」
「おいススム、トイレで騒ぐなよ」
 俺の悲鳴を聞き、ショウがのんきに注意してくる。
「ショウ、助けてくれ! トマリに捕まった!」
「まだ幻見てるのか? 俺、先に出とくぞ」
「待て待て、トマリの声聞こえただろ?」
「そんなところに夕鶴様がいるわけないって」
「様付け!? おい、お前買収されただろ? トマリに懸賞金もらうんだろ!?」
 ショウは俺の必死の呼びかけに応じず、「じゃあな」とだけ言ってそれっきり返事をしなかった。恐らくトイレから出て行ったのだろう。


「ススムちゃん、二人っきりだね……」
「な、なにをするつもりだ?」
「もう、ここですることなんて一つだよぉ」
 トマリは膝を曲げて便器に腰をおろすと、自身の顔を俺の股間の前へもってくる。そのまま目を細めて「んふふ」と笑い、上目遣いに口を開いた。唾液が糸を引いて、上顎から下顎へと落ちていく。
「お、ト、イ、レ、済まそ?」
 俺の返事も聞かず、トマリは俺のズボンに手をかけた。よどみない手つきでジッパーを下げ、下着ごとズボンを掴んで膝まで下ろす。露出した俺のブツは包皮をかぶったまま、わずかに上を向いていた。
「はぁい、ススムちゃん。おしっこ出してねぇ」
 割れ物でも扱うかのごとく、トマリが俺のブツを三本の指でつまむ。そうして自分の下顎を突き出し、尿道口が口内へ向くよう調節した。
 幼児の排泄を手伝うかのような手つきに、今更ながら羞恥心がこみ上げてきた。
「どうしたのぉ? もう出していいよぉ?」
 催促の代わりか、トマリの舌が寄せて返る波のごとく動く。おいでおいでと舌で誘ってくる。しかしその動きは俺に対して逆効果でしかない。股間に血がめぐり、反りが大きくなっていく。ついには完全に勃起してしまった。
 こうなるといくら指でつまもうと、下へ向けて排尿はできない。
「出しづらくなっちゃったねぇ……でもぉ、私がお手伝いしてあげる」
 トマリは少しだけ腰を浮かせると、前傾してお辞儀の姿勢をとった。そして先ほどまで俺を誘っていた口で、亀頭をぱっくんと覆ってしまった。
「はぁい、これでだしてもだいじょうぶ」
 くぐもった声がトマリの頬を震わせ、微弱な振動を俺の秘部に伝える。どろりとした唾が彼女の口の端から洩れだし、俺の肌へとつたってきた。
 今まで経験してきたフェラとは違う、技術もなにもない、ただ咥えるだけの行為。しかしこれも、口を使った献身的な奉仕だった。
「わたしを、おトイレがわりに、してぇ?」
 その懇願が引き金だった。膀胱がゆるみ、勃起して狭くなった尿道を黄色い液体が昇っていく。
 生き物が油断する瞬間の一つ、排泄行為を信頼できる他者にゆだねている。その信頼できる存在に、排泄物を処理させる。安心感と背徳感、二重の快楽が理性を溶かす。
 頭の中は真っ白になり、吐精に似た快感を尿道から感じるのを味わった。
 細い穴から液体が通る音、こくりこくりと小刻みに喉を鳴らす音、その二つが同時に終わる。
「――ごちそうさま。ススムちゃん」
 少しばかり苦しかったのか、そう言ったトマリの瞳はうるんでいた。


 トイレから出ると、廊下でショウが待っていた。
「早く戻らないと、授業が始まるぞ」
「お、お前な……」
「人が来ないよう、見張ってたんだ。文句はなしな」
 なにか文句を言ってやる前に、ショウに先手を打たれる。俺がなにも言えなくなっているところに、トマリがショウへ詰め寄った。
「昼馬くん、ご苦労様。これ、お礼ねぇ」
「どうも。夕鶴様」
 トマリがショウに封筒を渡す。ショウはそれをうやうやしく受け取った。
「やっぱり買収されてんじゃねえかっ!」
 ショウとの関係は見直したほうがいいのかもしれない。
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