冬の一陽

聿竹年萬

文字の大きさ
上 下
43 / 71
少年期 港町小旅行編

(45)理解と実践は異なる由

しおりを挟む
 フィンが替えの制服に着替えると二人は早速出掛けて行った。日はまだ高いがロンゴミニアドと比べ、カーライルの店の多くは幾分早くに店仕舞いをする。その分を見越してのことであった。


 ドロシーの手にはいつも、赤く染められた革の手帳があった。長年使っているのか少し色は褪せているが、彼女が普段選ぶような類の色ではない手帳である。鮮やかな赤をした手帳のスピンにはシロツメクサを象ったチャームが付いている。


 先生はいつもフィンを様々な場所へ連れていく。この手帳を見ながら、確かめながら様々な「オススメのお店」を捜し歩く。手帳を頼りに辿り着いてみると随分前に閉店していた、ということも珍しくはなかった。古い情報が記載されているのかとも思われるが、フィンにはその情報が手帳の内に更新されていないらしいことが気にかかっていた。また、幸いにして伺った店が開いていると先生はいつも喜ぶというよりは安堵するような具合であったのがいつも印象深かった。


 今回も手帳を頼りに一軒の服屋にたどり着いた。観光客の行きかう通りとは少し離れた場所で、店内に人がひしめき合うということもなかった。店内に並べられた品々は落ち着いた色合いのものも多いが決して地味ということはなく、控えめな装飾の施されていた。


 どうやらある程度の裕福さを持った家の子供向けの服屋であるらしく、他の客の多くは装いも派手さのともなわない上品な仕立てであった。あるいは給仕服の人もあったが、おおよそ上等のものであるように見受けられた。




「やっぱり服を改めて買うのって勿体無いと思うんです。どうせ一年もすれば背丈も伸びて着られなくなるような服を買っても……」


 店内に入ってすぐにドロシーにおずおずとそう提案した。店の中に並ぶあらゆるものが自らに分不相応と思われてならなかった。ましてや自分なんかのためにすぐにダメになる服を買わせることがいかにも申し訳なく思われた。
 まだ故郷にいたころ、「どうせ一年もすれば背も伸びて着れなくなるようなものにお金をかける意味はないでしょ?」との母の言葉に兄の古着ばかりを身に着けていた。あの鹿革のケープは村長の奥さんが端切れで作ってくれたもので、言うなればあれだけがフィンのための衣服でもあった。自分の家では兄の服だけが兄のために買われていた。


 フィンは母の言うことは全く正しいと考えていた。すぐに使えなくなる消耗品にあまり予算を充てても意味はないと理解していた。兄が使っていた物がまだ使えるのであれば、それを用いるのが実に合理的であった。


「……装いを新たにする、ということは日々の生活において大切なものでもあるのですよ」


 先生の言葉にフィンは聞き入る。新しい、自分のための衣服を貰えることは確かに嬉しかった記憶がある。
 こうして日々を先生と共にするようになるにあたり、制服を与えられた時も胸が高鳴ったのを覚えている。ロンゴミニアドの大学の教授ドロシーの弟子として受け入れられたような気持ちを一層強めたのであった。


 しかし、それは制服という属性を示す衣服であったからこそとフィンは思っていたし、やはりどこかで合理的ではないような気配を覚えていた。彼の口からは彼の母が繰り返し言い聞かせてきた説明の模倣なのである。


 フィンの中に申し訳なさが満たされようとしていた。無駄な買い物、すべきでもない買い物をしようとする行為への罪悪感があった。


「今この時期のこの場所に今の体型のフィンはこのひとときしかありません。その時々に装いを替えてその時々を楽しむことは、きっと貴方の成長にとって代えがたいものになると私は思っています」


 ドロシーは赤い手帳の表紙を撫でながら言葉を続ける。彼女の言葉はいつだってフィンの中に淀もうとする澱を止めてくれる。


 ゆったりとした足取りではありながら容赦のない力強さでフィンを店の奥の方へと誘導する。


 畳まれているもの、掛けられているもの、意匠様々の衣服がフィンの視界いっぱいに広がる。 


「一年もすれば背丈が伸びて着られなくなるのは確かにその通りです。けれど成長して着られなくなるだなんて大変結構なことじゃないですか。今を楽しむために着飾ることを私は推奨しますし心から歓迎しますよ」


 ドロシーが耳にかかっていた髪を手でかきあげる。目を細めて微笑む彼女の顔は、幼さい造形ながらやはり大人びて見えた。その落差が訳も分からずフィンの胸を苦しくさせる。

「私なんかとは違って、ひとときひとときが一等大切なんですから。フィンは……」

 そう少しばかり寂しげに口にしてうつむき気味に息を落とす師の顔は言いように悩むほどにフィンの目を惹き付けて離さなかった。少年は、この人のこの表情をいつまでも見ていたい、などと想像してしまった。


「先生! どんな風に服を選べばいいんでしょう」


 フィンは弾むような声で師に問い掛けた。単純なもので彼女の思いのたけを知ってしまえば最早楽しみ以外の感情はなくなっており、ドロシーとの言うなればプライベートな買い物が嬉しくて仕方なかった。


 とはいえ辺境の方田舎出身であり、衣服の購入の経験も少なくセンスがないことを自覚していたフィンはその手解きを師に早速求める形となった。


 しかしながらその問いへの答えはつれないものであった。
 先生の表情が俄かに曇って見えた。

「私は服飾のセンスはありませんよ?」


 その後、店員さんの甚大なる助力によって上等な衣服を一式揃えるに至った。師の店員への感謝の念はいかほど大きかったかは推して知るべし、であった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...