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少年期 港町小旅行編
(45)理解と実践は異なる由
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フィンが替えの制服に着替えると二人は早速出掛けて行った。日はまだ高いがロンゴミニアドと比べ、カーライルの店の多くは幾分早くに店仕舞いをする。その分を見越してのことであった。
ドロシーの手にはいつも、赤く染められた革の手帳があった。長年使っているのか少し色は褪せているが、彼女が普段選ぶような類の色ではない手帳である。鮮やかな赤をした手帳のスピンにはシロツメクサを象ったチャームが付いている。
先生はいつもフィンを様々な場所へ連れていく。この手帳を見ながら、確かめながら様々な「オススメのお店」を捜し歩く。手帳を頼りに辿り着いてみると随分前に閉店していた、ということも珍しくはなかった。古い情報が記載されているのかとも思われるが、フィンにはその情報が手帳の内に更新されていないらしいことが気にかかっていた。また、幸いにして伺った店が開いていると先生はいつも喜ぶというよりは安堵するような具合であったのがいつも印象深かった。
今回も手帳を頼りに一軒の服屋にたどり着いた。観光客の行きかう通りとは少し離れた場所で、店内に人がひしめき合うということもなかった。店内に並べられた品々は落ち着いた色合いのものも多いが決して地味ということはなく、控えめな装飾の施されていた。
どうやらある程度の裕福さを持った家の子供向けの服屋であるらしく、他の客の多くは装いも派手さのともなわない上品な仕立てであった。あるいは給仕服の人もあったが、おおよそ上等のものであるように見受けられた。
「やっぱり服を改めて買うのって勿体無いと思うんです。どうせ一年もすれば背丈も伸びて着られなくなるような服を買っても……」
店内に入ってすぐにドロシーにおずおずとそう提案した。店の中に並ぶあらゆるものが自らに分不相応と思われてならなかった。ましてや自分なんかのためにすぐにダメになる服を買わせることがいかにも申し訳なく思われた。
まだ故郷にいたころ、「どうせ一年もすれば背も伸びて着れなくなるようなものにお金をかける意味はないでしょ?」との母の言葉に兄の古着ばかりを身に着けていた。あの鹿革のケープは村長の奥さんが端切れで作ってくれたもので、言うなればあれだけがフィンのための衣服でもあった。自分の家では兄の服だけが兄のために買われていた。
フィンは母の言うことは全く正しいと考えていた。すぐに使えなくなる消耗品にあまり予算を充てても意味はないと理解していた。兄が使っていた物がまだ使えるのであれば、それを用いるのが実に合理的であった。
「……装いを新たにする、ということは日々の生活において大切なものでもあるのですよ」
先生の言葉にフィンは聞き入る。新しい、自分のための衣服を貰えることは確かに嬉しかった記憶がある。
こうして日々を先生と共にするようになるにあたり、制服を与えられた時も胸が高鳴ったのを覚えている。ロンゴミニアドの大学の教授ドロシーの弟子として受け入れられたような気持ちを一層強めたのであった。
しかし、それは制服という属性を示す衣服であったからこそとフィンは思っていたし、やはりどこかで合理的ではないような気配を覚えていた。彼の口からは彼の母が繰り返し言い聞かせてきた説明の模倣なのである。
フィンの中に申し訳なさが満たされようとしていた。無駄な買い物、すべきでもない買い物をしようとする行為への罪悪感があった。
「今この時期のこの場所に今の体型のフィンはこのひとときしかありません。その時々に装いを替えてその時々を楽しむことは、きっと貴方の成長にとって代えがたいものになると私は思っています」
ドロシーは赤い手帳の表紙を撫でながら言葉を続ける。彼女の言葉はいつだってフィンの中に淀もうとする澱を止めてくれる。
ゆったりとした足取りではありながら容赦のない力強さでフィンを店の奥の方へと誘導する。
畳まれているもの、掛けられているもの、意匠様々の衣服がフィンの視界いっぱいに広がる。
「一年もすれば背丈が伸びて着られなくなるのは確かにその通りです。けれど成長して着られなくなるだなんて大変結構なことじゃないですか。今を楽しむために着飾ることを私は推奨しますし心から歓迎しますよ」
ドロシーが耳にかかっていた髪を手でかきあげる。目を細めて微笑む彼女の顔は、幼さい造形ながらやはり大人びて見えた。その落差が訳も分からずフィンの胸を苦しくさせる。
「私なんかとは違って、ひとときひとときが一等大切なんですから。フィンは……」
そう少しばかり寂しげに口にしてうつむき気味に息を落とす師の顔は言いように悩むほどにフィンの目を惹き付けて離さなかった。少年は、この人のこの表情をいつまでも見ていたい、などと想像してしまった。
「先生! どんな風に服を選べばいいんでしょう」
フィンは弾むような声で師に問い掛けた。単純なもので彼女の思いのたけを知ってしまえば最早楽しみ以外の感情はなくなっており、ドロシーとの言うなればプライベートな買い物が嬉しくて仕方なかった。
とはいえ辺境の方田舎出身であり、衣服の購入の経験も少なくセンスがないことを自覚していたフィンはその手解きを師に早速求める形となった。
しかしながらその問いへの答えはつれないものであった。
先生の表情が俄かに曇って見えた。
「私は服飾のセンスはありませんよ?」
その後、店員さんの甚大なる助力によって上等な衣服を一式揃えるに至った。師の店員への感謝の念はいかほど大きかったかは推して知るべし、であった。
ドロシーの手にはいつも、赤く染められた革の手帳があった。長年使っているのか少し色は褪せているが、彼女が普段選ぶような類の色ではない手帳である。鮮やかな赤をした手帳のスピンにはシロツメクサを象ったチャームが付いている。
先生はいつもフィンを様々な場所へ連れていく。この手帳を見ながら、確かめながら様々な「オススメのお店」を捜し歩く。手帳を頼りに辿り着いてみると随分前に閉店していた、ということも珍しくはなかった。古い情報が記載されているのかとも思われるが、フィンにはその情報が手帳の内に更新されていないらしいことが気にかかっていた。また、幸いにして伺った店が開いていると先生はいつも喜ぶというよりは安堵するような具合であったのがいつも印象深かった。
今回も手帳を頼りに一軒の服屋にたどり着いた。観光客の行きかう通りとは少し離れた場所で、店内に人がひしめき合うということもなかった。店内に並べられた品々は落ち着いた色合いのものも多いが決して地味ということはなく、控えめな装飾の施されていた。
どうやらある程度の裕福さを持った家の子供向けの服屋であるらしく、他の客の多くは装いも派手さのともなわない上品な仕立てであった。あるいは給仕服の人もあったが、おおよそ上等のものであるように見受けられた。
「やっぱり服を改めて買うのって勿体無いと思うんです。どうせ一年もすれば背丈も伸びて着られなくなるような服を買っても……」
店内に入ってすぐにドロシーにおずおずとそう提案した。店の中に並ぶあらゆるものが自らに分不相応と思われてならなかった。ましてや自分なんかのためにすぐにダメになる服を買わせることがいかにも申し訳なく思われた。
まだ故郷にいたころ、「どうせ一年もすれば背も伸びて着れなくなるようなものにお金をかける意味はないでしょ?」との母の言葉に兄の古着ばかりを身に着けていた。あの鹿革のケープは村長の奥さんが端切れで作ってくれたもので、言うなればあれだけがフィンのための衣服でもあった。自分の家では兄の服だけが兄のために買われていた。
フィンは母の言うことは全く正しいと考えていた。すぐに使えなくなる消耗品にあまり予算を充てても意味はないと理解していた。兄が使っていた物がまだ使えるのであれば、それを用いるのが実に合理的であった。
「……装いを新たにする、ということは日々の生活において大切なものでもあるのですよ」
先生の言葉にフィンは聞き入る。新しい、自分のための衣服を貰えることは確かに嬉しかった記憶がある。
こうして日々を先生と共にするようになるにあたり、制服を与えられた時も胸が高鳴ったのを覚えている。ロンゴミニアドの大学の教授ドロシーの弟子として受け入れられたような気持ちを一層強めたのであった。
しかし、それは制服という属性を示す衣服であったからこそとフィンは思っていたし、やはりどこかで合理的ではないような気配を覚えていた。彼の口からは彼の母が繰り返し言い聞かせてきた説明の模倣なのである。
フィンの中に申し訳なさが満たされようとしていた。無駄な買い物、すべきでもない買い物をしようとする行為への罪悪感があった。
「今この時期のこの場所に今の体型のフィンはこのひとときしかありません。その時々に装いを替えてその時々を楽しむことは、きっと貴方の成長にとって代えがたいものになると私は思っています」
ドロシーは赤い手帳の表紙を撫でながら言葉を続ける。彼女の言葉はいつだってフィンの中に淀もうとする澱を止めてくれる。
ゆったりとした足取りではありながら容赦のない力強さでフィンを店の奥の方へと誘導する。
畳まれているもの、掛けられているもの、意匠様々の衣服がフィンの視界いっぱいに広がる。
「一年もすれば背丈が伸びて着られなくなるのは確かにその通りです。けれど成長して着られなくなるだなんて大変結構なことじゃないですか。今を楽しむために着飾ることを私は推奨しますし心から歓迎しますよ」
ドロシーが耳にかかっていた髪を手でかきあげる。目を細めて微笑む彼女の顔は、幼さい造形ながらやはり大人びて見えた。その落差が訳も分からずフィンの胸を苦しくさせる。
「私なんかとは違って、ひとときひとときが一等大切なんですから。フィンは……」
そう少しばかり寂しげに口にしてうつむき気味に息を落とす師の顔は言いように悩むほどにフィンの目を惹き付けて離さなかった。少年は、この人のこの表情をいつまでも見ていたい、などと想像してしまった。
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フィンは弾むような声で師に問い掛けた。単純なもので彼女の思いのたけを知ってしまえば最早楽しみ以外の感情はなくなっており、ドロシーとの言うなればプライベートな買い物が嬉しくて仕方なかった。
とはいえ辺境の方田舎出身であり、衣服の購入の経験も少なくセンスがないことを自覚していたフィンはその手解きを師に早速求める形となった。
しかしながらその問いへの答えはつれないものであった。
先生の表情が俄かに曇って見えた。
「私は服飾のセンスはありませんよ?」
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