「女神回収プログラム」短編集

兄と罪、罪と弟【57】～【67】に付随する話

忒畝が初めて羅暁《ラトキ》城に行ったときの話

-------------------前書き-------------------

【５９】兄と罪、罪と弟　で羅凍ラトウが思い出していた日の話です。

幼いころの忒畝トクセ視点の話になっています。

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　天井が高い。──それが第一印象だった。

　やっと歩けるようになったころ、父に手を引かれて歩いていた。開放感の溢れる空間。左右は『廊下』というのが相応しくないと思えるほど、幅が広いまま道が繋がっている。
　各所で並んで客人を迎える使用人たち。
　目の前には左右から回り込めるようになっている階段があった。
「忒畝トクセ、大丈夫？」
　父に声をかけられて、視線を向ける。父は微笑んでいて、少し屈んで忒畝トクセに話しかけていた。そう、辺りを見渡してばかりいたのだ。
　眼鏡越しに見る父は薄荷色の短い髪と、同じ色の瞳をしていた。忒畝トクセはこの色が大好きだった。今日、同じ瞳の色になったのだと思うと、気持ちが和らいだ。父の顔に手を伸ばす。指が数本、父の丸い眼鏡を触った。忒畝トクセは大丈夫と、告げるように笑顔を返した。

　広い廊下は忒畝トクセにとっては不思議だった。窓は見えないのに、日の光が入っている。以前よりも見えるようになったはずだと、忒畝トクセは眼鏡を抑えて辺りを見渡しながら歩いた。
「どうしたの？」
　やさしい父の声が再び聞こえた。
　忒畝トクセは父を見ると、眼鏡を抑えていた左手で廊下に差し込む光を指さす。
「ああ、気になるの？」
　忒畝トクセは父に抱き上げられると、
「ほら、あそこから光が入っているんだよ」
　と、父の声を聞いた。
　遠く、上を指さしている父の指の先を見上げると、天井と壁の間には細い窓のような物が一定の間隔を開けて存在していた。
　忒畝トクセはしばらくの間、その美しい光景に見とれる。
「きれい？」
　意識を取り戻したかのように、忒畝トクセは父を見た。
　父はいつもやさしく笑っている。
　うれしくて抱きつくと、次第に上下に揺れ出した。──父が再び歩き出したのだ。揺れに安堵するように、忒畝トクセは眠りに落ちた。



　遠くから、母の声が聞こえた。
「ほら、大丈夫だったでしょ？」
　母は微笑んだ。
「片方だけ良く見えるようになっても嫌でしょう？もう片方もつけようね。母さん見てれば、怖くなかったでしょ？」
　忒畝トクセは母の瞳を見る。
　母の瞳は、アクアでも怖くない。
「はい。これで、お父さんと同じ瞳の色よ」
　忒畝トクセは自分の瞳の色が、母の瞳と同じ色でも怖かった。忒畝トクセの血の色だったから。
「体内の『時』を抑えたから、一度でも、泣いてしまったら駄目よ。忒畝トクセは泣かない子だから、大丈夫ね？」
　母の言葉の意味は、理解ができなかった。
　ただ、母の白緑色の、微かに揺れるだけで光を反射させて輝く髪の毛をきれいだと思って笑った。
　笑って、母と同じ髪の色だと思うとうれしくて、恥ずかしかった。
「お母さん、ありがとう」



「悠畝ヒサセくん、連れてきてくれたんだね」
　弾むような、父よりも低音の声。──知らない人の声で、忒畝トクセは目を覚ました。
「あ……ごめんね。起こしちゃったみたい」
　まだ父の腕の中に体はあるのに、その声の持ち主の顔は父よりも上にあった。
　見上げてみれば、大きく黒い瞳。髪も同じ色で長く、女の人のように艶めく。唇の薄さが上品な男の人。誰かはわからない。忒畝トクセは父の服をつかむ。
「大丈夫だよ。貊羅ハクラくんは、僕の友達だから」
　上から聞こえるやさしい父の声。
　周りを見渡すと、ひとつの部屋であるはずなのに、壁がやたら遠く感じた。
「ね？」
　忒畝トクセは手の力をゆるめた。返事をするように父に笑う。
　頭をなでられると、ゆっくりと視線が下がっていく。──父はしゃがんで、忒畝トクセを立たせた。
「初めまして。お父さんと仲良くさせてもらっている、羅暁ラトキ城の貊羅ハクラと申します。来てくれて、ありがとう」
　声がした方に振り向くと、先ほどの長身の男性が目線を合わせてくれていた。差し出されている手に、右手を伸ばすと手が届き。ゆっくりと握った。
「初めまして。忒畝トクセ……です」
　男性はうれしそうに微笑む。いや、顔がゆるんだといった方が正しい。
「かわいいね。あぁ……何だか、感激しちゃった」
「そう？　ありがとう」
　あとから聞こえた方が、父の声だ。
　声の聞こえた左を向くと、父はいつものように微笑んでいる。──ふたりは『友達』だと言っていた。そうか、父の友達なんだと、忒畝トクセは思う。
「ねぇ、貊羅ハクラくんの息子は、六歳……だっけ？」
「え？　あぁ、そう……かな」
「双子だよね？　忒畝トクセと遊んでくれるかな？　僕も会ってみたいし」
「悠畝ヒサセ君には、敵わないな。忒畝トクセくん、遊んでくれる？」
　ふたりの言葉が止まって、視線に気がづいた忒畝トクセは言葉を理解しないまま笑う。
「やさしいお兄ちゃんふたりだから、心配ないよ」
　父は微笑むと、再び忒畝トクセの手を引いて歩き始めた。忒畝トクセは父の背中を見上げてあとを着いて行くように歩く。
　城の中に入る前の冷たい空気ではなく、あたたかい。一面にシロツメクサが広がっている不思議な空間。自宅地近くの森の中ですら見たことのない風景に、忒畝トクセは戸惑いを覚えた。
「捷羅ショウラ、羅凍ラトウ」
　男性は誰かを呼んだ。
　男性の声に反応するように、ひとり、またひとりと──ふたりの少年が立ち上がる。
　男性のあとを追って行くように、父が歩く。ふたりの少年は立ち止まっているのに、近づいてくるように見える。

「捷羅ショウラです」
　声に顔を向けると、先ほど初めに立ち上がった少年がいる。男性と同じように微笑む少年は、黒い髪と黒い瞳。下に束ねている髪が僅かに見えた。
「羅凍ラトウ……です」
　もうひとりの少年が話した。あとから立ち上がった少年だ。同じく黒い髪と黒い瞳。耳の辺りの高さで髪をまとめている。こちらの少年の方が容姿は男性と似ている気がするにも関わらず、表情がないような印象を受けた。
　少年ふたりは顔も背丈も、似ているように見えるのに、服装も雰囲気も全く正反対なような印象を忒畝トクセは受けた。
「忒畝トクセです。仲良くしてあげてね」
　父の声だ。
　忒畝トクセが見上げると、父はにっこりと笑う。
「大丈夫。貊羅ハクラくんと一緒に、近くにいるから」
　言葉通り、父は男性とその場に座った。
「ねぇ、ふたりは何作ってるの？　花冠？」
　忒畝トクセはひとりの少年が持つ物を見て、知っている知識から言葉を選んだ。
「そうなんです。羅凍ラトウが上手で。教えてもらっているんです」
「そうなんだ、見せてくれる？」
　父は少年から花冠を受け取り、上から見たり横から見たりする。そうして、忒畝トクセに微笑み、
「ほら、きれいだね。忒畝トクセも作れるかな？」
　と、不可思議な物体を目の前に出す。
　何本も茎が絡まって構成されている不思議な物だ。自然界では、見たことがない。これを作る──忒畝トクセの興味は惹かれた。自然と笑顔になり、少年たちの方を向く。
「教えてくれる？」
　少年ふたりはお互いを一度見るとうなずき、忒畝トクセを座らせた。