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『第三部 因果と果報』 救いの代償
39▶琴瑟相和 5:最高の日々
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「そうですね。ご本人が面会を拒否しない限りは」
医師の回答に、誄は決意を固める。
医師の話が終わり、誄は病院を出る。沙稀の容態が心配だが、誄にはしなければいけないことがあった。入院用の荷物を持って来こなければならない。
急いで家へと戻り、病院から渡された用紙を見て荷造りする。数年間一緒に住んでいたとはいえ、みだりに沙稀の部屋に入ったことはない。まして、洗濯もお互いにそれぞれで行っていた。
すごく抵抗がある。勝手に引き出しを開け、衣服に触れることに。
──ごめんなさい!
懺悔する思いで誄は衣類をまとめる。必要な物だから、仕方ないから、私しかできないことだから──そんなことを脳内で繰り返した。
けれど、それも時計を見れば吹き飛ぶ。入院手続きの受付時間に合うかは、ギリギリだ。
悲鳴を上げそうになる。ちいさな声が短くもれたが、誄は飲み込みバタバタと支度を急いだ。
駆け足で病院へと向かう。ギリギリだったが何とか受付時間に間に合い、手続きを終えた。そうして、沙稀の病室を聞く。ふと映ったガラスに足を止め、髪を手で整える。
慌てて大変だったと、気づかれたくない。
深呼吸をして、心も整える。これから沙稀に会う。きちんと色々話せるようにと、心構えをする。
ふうと、一息。ニコリと笑顔の確認をし、歩き出す。
着いた先は個室だった。他の人に気遣いせず会話できるのは助かる。けれど、それだけいい病状ではないのかと思えば気が重くなる。
できるだけ明るく、自然に──誄は自らに言い聞かせて扉を開けた。すると、沙稀は起きていて、視線が合う。
「どうですか?」
沙稀に問えば、
「ん……どうなんだろうね……」
と、弱々しい言葉が返ってきた。
ただ病院に運ばれてきただけだ。誄がいない間に検査をしたとしても、すぐに足が動くようになるわけではないだろう。
原因がわかるのか──わかったところで、病の影響だとなれば手の施しようはないのかもしれない。
恐らく、沙稀はそれをわかっている。
医師からの言葉を沙稀に伝えた方がいい──そう直感した誄は、荷物を取りに行く前に言われたことを話した。
「そっか。思いの外、短い間だったね」
覚悟を決めている沙稀を前に、誄は耐えられなくなる。
「家族しか会えない、立ち会えない可能性があるらしいです。ですから……家族になってください!」
誄は必死になって言ったのに、言われた沙稀は思考が止まったかのように一瞬で固まった。
「お願いします!」
もう一押しするように言うと、ポソリと沙稀が口を開く。
「それだけのために?」
「充分すぎる理由です!」
涙で視界が歪む。それでも誄は、沙稀をグッと見つめる。──すると、
「負けた」
と、沙稀が力なく笑った。そして──。
「ありがとう」
それは、とても安らかな微笑みだった。
入院して数日後のこと。沙稀がポツリと言った。
「念のため、恭良を面会謝絶にしておいて」
沙稀の体調は、下り坂のように日に日に悪くなっている。このまま急下降して、ずっと眠ったようにいつなるか──医師でも判断がつかない。
ただ、ハッキリしているのは、退院の見込みがないこと。
急降下でなくても、ゆるやかに悪化していくのだ。
「わかりました」
了承の返事を置いて、誄は管理室へと向かう。
本当は、会いたいから名が出たのだろう。そう思えば、少々心がザワザワする。
──弱っていく姿を、いつかは……眠ったままの姿を……。大好きな人には見られたくないと願ったのかしら。
わからなくはない。けれど、そんな最期のときまで付き添う許可を、沙稀は誄にくれたのだ。
そうと思えば、ささいなザワザワは消えていく。この世から消えてしまうときに立ち会っていいとは、最高の特権ではないかと。
そうして、ふと気づく。
拒否する人を指名したのだ。
家族に連絡していいのだろう。
誄は院内の電話を探し、番号を押す。馴染みの数字は、思い出そうとするよりも感覚が覚えていた。
何日もしないうちに瑠既が来て、
「ほら。やっぱり誄ちゃんとそういう仲になってんじゃん」
と沙稀をひやかす。
だが、
「そうじゃないから。現状は誄ちゃんのやさしさ。俺は甘えることにしただけ」
と、サラリと返答する。
これはこれで、少々憎らしい。それでも、ふたり並べば──変わらず視界は動いてしまうのだから、嫌になる。
「そういや、息子が産まれてさ。穏既っていうんだけど……今度連れてくるよ」
「へぇ、おめでとう」
瑠既も沙稀も、たわいのない会話を楽しそうにしている。
昔から仲のいい双子だった。何年会わなくても、昨日も会っていたかのように見える。
──ずっと一緒にいればよかったのに。
懐かしい感覚に包まれながら、うれしさとさみしさと悲しみが同居する。
たわいのない会話ができる、こんな時間が誄は好きだった。子どものころは、永遠に続くと疑わなかった。
なのに、バラバラになって。何年も経ち、折角また戻れたのに──永遠には続かない。
「誄ちゃんも今度会ってね」
「楽しみにしています」
瑠既の笑顔は誄に向いているようで、向いていない。沙稀と会えたのが純粋にうれしいのだろう。
瑠既は昔からそうだ。自覚はないのだろうが、沙稀がいるだけで楽しそうな雰囲気であふれている。
双子の不思議な繋がりというか──決して揺るがないものなのだろう。
楽しい時間は、日頃よりも何倍にもはやく過ぎていって、
「やべっ。こんな時間……帰んなきゃ」
時計にギョッとした瑠既は、
「んじゃ、また来るわ」
と、ゆるゆる手を振って姿を消した。
沙稀はいつになく瑠既の姿をずっと視線で追っていて、名残惜しそうに見えた。
「誄ちゃん」
急に呼ばれた真面目な声に、誄はドキリとする。バクバクと心音がうるさい。
「好意に甘えてしまったけれど、誄ちゃんのご両親にも悪いことをしたね」
しんみりと言われ、誄の心臓も大人しくなる。
誄はひとりっ子だ。でも、だから何だというのだろうと疑問符が浮かぶ。
「いいえ、行き遅れた娘が嫁げたんです。それだけで両親は……それに、お相手が沙稀様だから、とても喜んでくれましたよ」
にこりと笑えば、
「結婚……できるなんて思っていなかった……」
沙稀は苦笑いする。
以前、沙稀は恭良と一緒になると公言し、父に殴られたと聞いた。だが、正式な結婚はできないと当然わかっていたのだろう。
「あら、私もです」
ふふふと笑った刹那、ギュッと引き寄せられた。
「誰かがそばにいてくれるって、ありがたいね」
反則だ。こんなかわいらしさを全開にされたら、誄の母性本能が大いにくすぐられる。
──沙稀様って、こんなにかわいらしく甘えてくれるんだ……。
「もっとはやく結婚してくださいって……言えばよかった」
庇護欲がキュ~っと上昇していく。
──頭をなでなでしたい……。
してもいいものかとドキドキしながら手を伸ばし、戸惑いながら触れてさすれば、心地よさそうに瞼をつぶった。
そうして、安心したかのようにスースーと寝息をたてる。
たとえるなら犬や猫が懐いてくれた感覚に似ているのに、沙稀だと視覚で認識するから破壊力が半端ない。
これは重傷になりかねないと、誄は絶壁に立った気分だ。
転げ落ちてはいけないと冷静を保ちつつも、骨抜きになりそうだ。真っ二つの気持ちが同居している。
──押しつけだと思っていたけど、よかった。
弱みに思いっきりつけ込んだ自覚はある。でも、弱っていく沙稀を見捨てたくなかった。
グチャグチャになりそうな思考に溺れそうになる。
けれど、誄は腕の中の愛らしい存在に、何もかもを吹き飛ばす。
結果、どちらも今が幸せなのなら、よかったのだ──と。
わかってしまっている。
もう、長くない。
それなら疑似恋愛でも弱っているからでもいいから、最期を添い遂げるときまでに──最高の夫婦になると誓う。
一秒でも長く、お互いに笑って過ごせるように。
最高の日々を重ねていけるように。
医師の回答に、誄は決意を固める。
医師の話が終わり、誄は病院を出る。沙稀の容態が心配だが、誄にはしなければいけないことがあった。入院用の荷物を持って来こなければならない。
急いで家へと戻り、病院から渡された用紙を見て荷造りする。数年間一緒に住んでいたとはいえ、みだりに沙稀の部屋に入ったことはない。まして、洗濯もお互いにそれぞれで行っていた。
すごく抵抗がある。勝手に引き出しを開け、衣服に触れることに。
──ごめんなさい!
懺悔する思いで誄は衣類をまとめる。必要な物だから、仕方ないから、私しかできないことだから──そんなことを脳内で繰り返した。
けれど、それも時計を見れば吹き飛ぶ。入院手続きの受付時間に合うかは、ギリギリだ。
悲鳴を上げそうになる。ちいさな声が短くもれたが、誄は飲み込みバタバタと支度を急いだ。
駆け足で病院へと向かう。ギリギリだったが何とか受付時間に間に合い、手続きを終えた。そうして、沙稀の病室を聞く。ふと映ったガラスに足を止め、髪を手で整える。
慌てて大変だったと、気づかれたくない。
深呼吸をして、心も整える。これから沙稀に会う。きちんと色々話せるようにと、心構えをする。
ふうと、一息。ニコリと笑顔の確認をし、歩き出す。
着いた先は個室だった。他の人に気遣いせず会話できるのは助かる。けれど、それだけいい病状ではないのかと思えば気が重くなる。
できるだけ明るく、自然に──誄は自らに言い聞かせて扉を開けた。すると、沙稀は起きていて、視線が合う。
「どうですか?」
沙稀に問えば、
「ん……どうなんだろうね……」
と、弱々しい言葉が返ってきた。
ただ病院に運ばれてきただけだ。誄がいない間に検査をしたとしても、すぐに足が動くようになるわけではないだろう。
原因がわかるのか──わかったところで、病の影響だとなれば手の施しようはないのかもしれない。
恐らく、沙稀はそれをわかっている。
医師からの言葉を沙稀に伝えた方がいい──そう直感した誄は、荷物を取りに行く前に言われたことを話した。
「そっか。思いの外、短い間だったね」
覚悟を決めている沙稀を前に、誄は耐えられなくなる。
「家族しか会えない、立ち会えない可能性があるらしいです。ですから……家族になってください!」
誄は必死になって言ったのに、言われた沙稀は思考が止まったかのように一瞬で固まった。
「お願いします!」
もう一押しするように言うと、ポソリと沙稀が口を開く。
「それだけのために?」
「充分すぎる理由です!」
涙で視界が歪む。それでも誄は、沙稀をグッと見つめる。──すると、
「負けた」
と、沙稀が力なく笑った。そして──。
「ありがとう」
それは、とても安らかな微笑みだった。
入院して数日後のこと。沙稀がポツリと言った。
「念のため、恭良を面会謝絶にしておいて」
沙稀の体調は、下り坂のように日に日に悪くなっている。このまま急下降して、ずっと眠ったようにいつなるか──医師でも判断がつかない。
ただ、ハッキリしているのは、退院の見込みがないこと。
急降下でなくても、ゆるやかに悪化していくのだ。
「わかりました」
了承の返事を置いて、誄は管理室へと向かう。
本当は、会いたいから名が出たのだろう。そう思えば、少々心がザワザワする。
──弱っていく姿を、いつかは……眠ったままの姿を……。大好きな人には見られたくないと願ったのかしら。
わからなくはない。けれど、そんな最期のときまで付き添う許可を、沙稀は誄にくれたのだ。
そうと思えば、ささいなザワザワは消えていく。この世から消えてしまうときに立ち会っていいとは、最高の特権ではないかと。
そうして、ふと気づく。
拒否する人を指名したのだ。
家族に連絡していいのだろう。
誄は院内の電話を探し、番号を押す。馴染みの数字は、思い出そうとするよりも感覚が覚えていた。
何日もしないうちに瑠既が来て、
「ほら。やっぱり誄ちゃんとそういう仲になってんじゃん」
と沙稀をひやかす。
だが、
「そうじゃないから。現状は誄ちゃんのやさしさ。俺は甘えることにしただけ」
と、サラリと返答する。
これはこれで、少々憎らしい。それでも、ふたり並べば──変わらず視界は動いてしまうのだから、嫌になる。
「そういや、息子が産まれてさ。穏既っていうんだけど……今度連れてくるよ」
「へぇ、おめでとう」
瑠既も沙稀も、たわいのない会話を楽しそうにしている。
昔から仲のいい双子だった。何年会わなくても、昨日も会っていたかのように見える。
──ずっと一緒にいればよかったのに。
懐かしい感覚に包まれながら、うれしさとさみしさと悲しみが同居する。
たわいのない会話ができる、こんな時間が誄は好きだった。子どものころは、永遠に続くと疑わなかった。
なのに、バラバラになって。何年も経ち、折角また戻れたのに──永遠には続かない。
「誄ちゃんも今度会ってね」
「楽しみにしています」
瑠既の笑顔は誄に向いているようで、向いていない。沙稀と会えたのが純粋にうれしいのだろう。
瑠既は昔からそうだ。自覚はないのだろうが、沙稀がいるだけで楽しそうな雰囲気であふれている。
双子の不思議な繋がりというか──決して揺るがないものなのだろう。
楽しい時間は、日頃よりも何倍にもはやく過ぎていって、
「やべっ。こんな時間……帰んなきゃ」
時計にギョッとした瑠既は、
「んじゃ、また来るわ」
と、ゆるゆる手を振って姿を消した。
沙稀はいつになく瑠既の姿をずっと視線で追っていて、名残惜しそうに見えた。
「誄ちゃん」
急に呼ばれた真面目な声に、誄はドキリとする。バクバクと心音がうるさい。
「好意に甘えてしまったけれど、誄ちゃんのご両親にも悪いことをしたね」
しんみりと言われ、誄の心臓も大人しくなる。
誄はひとりっ子だ。でも、だから何だというのだろうと疑問符が浮かぶ。
「いいえ、行き遅れた娘が嫁げたんです。それだけで両親は……それに、お相手が沙稀様だから、とても喜んでくれましたよ」
にこりと笑えば、
「結婚……できるなんて思っていなかった……」
沙稀は苦笑いする。
以前、沙稀は恭良と一緒になると公言し、父に殴られたと聞いた。だが、正式な結婚はできないと当然わかっていたのだろう。
「あら、私もです」
ふふふと笑った刹那、ギュッと引き寄せられた。
「誰かがそばにいてくれるって、ありがたいね」
反則だ。こんなかわいらしさを全開にされたら、誄の母性本能が大いにくすぐられる。
──沙稀様って、こんなにかわいらしく甘えてくれるんだ……。
「もっとはやく結婚してくださいって……言えばよかった」
庇護欲がキュ~っと上昇していく。
──頭をなでなでしたい……。
してもいいものかとドキドキしながら手を伸ばし、戸惑いながら触れてさすれば、心地よさそうに瞼をつぶった。
そうして、安心したかのようにスースーと寝息をたてる。
たとえるなら犬や猫が懐いてくれた感覚に似ているのに、沙稀だと視覚で認識するから破壊力が半端ない。
これは重傷になりかねないと、誄は絶壁に立った気分だ。
転げ落ちてはいけないと冷静を保ちつつも、骨抜きになりそうだ。真っ二つの気持ちが同居している。
──押しつけだと思っていたけど、よかった。
弱みに思いっきりつけ込んだ自覚はある。でも、弱っていく沙稀を見捨てたくなかった。
グチャグチャになりそうな思考に溺れそうになる。
けれど、誄は腕の中の愛らしい存在に、何もかもを吹き飛ばす。
結果、どちらも今が幸せなのなら、よかったのだ──と。
わかってしまっている。
もう、長くない。
それなら疑似恋愛でも弱っているからでもいいから、最期を添い遂げるときまでに──最高の夫婦になると誓う。
一秒でも長く、お互いに笑って過ごせるように。
最高の日々を重ねていけるように。
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