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『第三部 因果と果報』 救いの代償
7▶神樂 5:起因
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無自覚で有名になった忒畝を、更に有名にさせる出来事がのちに起こる。
誰も想像すらしていなかった。
馨民が休学することになるなんて。
忒畝も、充忠も──馨民自身も。
「原因は、僕だ」
忒畝自身も、まさか充忠にそう言うときがくるなんて、思いもしていなかった。
来年飛び級をして、学生生活最後の年にすると忒畝が決めた日。
その決意を、忒畝は帰り道に馨民に告げた。
すると、馨民は──忒畝の想定外のことを言った。
「私……忒畝が好き」
妹が入学してから、ふたりだけになるのは帰路でたまにだ。
馨凛が入学してからは、登校するのは四人になった。学校に着けば充忠と三人が常。
「幼なじみとしてじゃなくて、友人としてでもなくて……恋愛感情での『好き』」
ここまでハッキリ言われて、忒畝は初めて実感した。
ふたりだけで話す時間が、減り続けてきたことを。
どちらかの家で、どちらかの自室で──入学してから変わらず予習と復習を一緒にしてきたとはいえ、その時間はあくまでも勉強の時間なのだ。
忒畝が何かを言わなくてはと口を開きかけたとき、
「それじゃ、おやすみ!」
と、馨民は慌てたように家へと走って行った。
「あ……」
呼び止めようにも、声にならない。呼び止めて、何と言ったらいいのかが、わかっていない。
扉が閉じて、忒畝は今更ながらに気づく。
充忠が声をかけてきたときに、馨民が顔を真っ赤にした意味を。
ドキドキと鼓動が高鳴り、息苦しい。それに、唐突に体中が熱を発した気がする。
理解をしたのに、戸惑いばかりを感じる。
何て残酷だっただろう。欠片も、馨民の気持ちに気づかなかったなんて。──そう思う一方で、馨民に対する気持ちが比例していかない。
ポツンと置いて行かれた気がする。
あれこれ考えても、馨民の家の前。己の家は一件先だ。
一先ず、帰宅が先だと忒畝は歩き、呆然としたまま帰宅する。
「ただいま」
家族に出迎えられ、あたたかな食卓を囲い、忒畝は自室に向かう。
いつもなら馨民の家に行くか、馨民が来るか。思い返せば約束したことはなく、けれど、当然のように繰り返されてきた。
今日、馨民が来ることはないだろう。
それならば、忒畝が馨民を訪ねれば『いつも通り』だ。けれど、馨民に対する答えがないまま訪ねるのは失礼だろう。
かと言って、今日『いつも通り』を崩せば、元に戻せる日は来ないとわかる。充忠には結婚するのかどうするのか、葉っぱをかけるとまで言っておきながら、自らの『そういう未来』を考えていなかったと痛感する。
そういえば、充忠とふたりだけのときに、望緑との出会いを聞いたことがある。
充忠は孤児院の出身だと言っていた。
望緑も同じで、手に職をつけるため克主付属学校に彼女は入り、今は調理に携わっているそう。克主付属学校に入ってから学校の寮にへと行ったものの、定期的に孤児院に顔を出す。充忠は色んな話を聞き、いつしか彼女の背を追っていたと言った。
けれど、どこですれ違ったのか。いつのころからか『充忠くんは私が養う』と言われるようになり、彼女にとってどんな存在かと意識したという。
同時に、年の離れている彼女を想っていると気づき──今に至ると充忠は言った。
充忠とは一歳差のはずなのに、同じ学年で同じクラスのはずなのに、とても先を歩いている人のような気がしたものだ。
それと似た感情を、今日は馨民に感じてしまっている。
──僕にとって、馨民は……どういう存在だろう。
となりにいるのが当たり前すぎて、考えたことがなかった。
ずっと一緒にいるのが普通すぎて、考えたことがなかった。
遠目に見ていたが、充忠に抱きついていた望緑は『当たり前』とも『普通』とも互いの距離感を思わず、『必死』だったのだ。
忒畝のとなりに馨民がいるのは、『当たり前』でも『普通』でもなかったのだ。
馨民との関係は、強固で切れることなく永遠に続くものだと──勝手に思い込んでいた。
そう、勝手に忒畝が思い込んでいただけだ。
──行かなきゃ!
今日『いつも通り』を崩せば、元に戻せる日は来ない。
馨民は、忒畝にとって──。
忒畝は勉強道具をいつものように持ち、玄関へと走る。
「馨民と勉強してきます!」
『行ってらっしゃい』と返してくれる家族の声に、忒畝は勇気をもらった気がした。
ただし、勢いは冷静になった瞬間に消えていく。
馨民の部屋でふたりきりになって、忒畝は気まずさを覚えていた。
言い出す糸口を見出さないまま来てしまったと痛感するが、どうしようもない。
訪問して顔を合わせた瞬間、馨民は顔を真っ赤にして自室へと一目散。今日は忒畝が来ないと思っていたのだろう。
馨民の母、釈来は娘のそんな姿を、
「あらまぁ」
と見たものの、
「どうぞ、上がって。お茶持っていくから」
と、迎え入れてくれた。喧嘩したと思われたのかもしれない。
礼を言い、お邪魔して今に至るわけだが、妙に意識をしてしまって扉を閉められずにいる。
扉が開いている以上、帰り際に言われた話をするわけにもいかない。だからと言って、扉を閉められるのかと言えば──。
扉の前に敷かれたラグの上に、ローテーブルがひとつある。室内は六畳ほどで、他にある物といえばベッドがひとつだ。
忒畝の部屋も同じ物が同じように置かれているのだから、学生のありふれた部屋の配置だろう。それでも、妙に意識してしまうせいで『閉める』選択をする余地がない。
ふたりはこのローテーブルにノートを並べて勉強をしてきた。
となり同士に座っていたのに、今日は馨民が向かいの位置に座っている。
ふと、ノックが聞こえ、忒畝はなぜか立ち上がってしまった。そんな姿を見て、釈来がクスリと笑う。
「忒畝くん、いつもありがとうね。でも、たまには息抜きも必要よ」
キュッと身が引き締まる感じがし、
「はい……」
笑顔を作ろうとしたのに、うまく表情が動かなかった。
馨民を見れば、勉強道具を出そうとしていたところで。しかし、釈来の言葉に、取るべき行動を決めかねているようだ。
「それじゃ、ゆっくりしていってね」
釈来は扉をパタリと閉めて行ってしまった。こうなれば、わざわざ開けるほうがおかしい。
いよいよ話を切り出すしかない。
忒畝はゆっくり座り、馨民を見る。けれど、馨民は忒畝を見ようとはしなかった。
ズキリと胸が痛む。
忒畝が悪いことをしたのなら謝ればいいが、現状は忒畝が何かをしたわけではない。
いや、忒畝が何かを言わない限り、現状は悪化しかしないだろう。
「馨民……あのさ……」
誰も想像すらしていなかった。
馨民が休学することになるなんて。
忒畝も、充忠も──馨民自身も。
「原因は、僕だ」
忒畝自身も、まさか充忠にそう言うときがくるなんて、思いもしていなかった。
来年飛び級をして、学生生活最後の年にすると忒畝が決めた日。
その決意を、忒畝は帰り道に馨民に告げた。
すると、馨民は──忒畝の想定外のことを言った。
「私……忒畝が好き」
妹が入学してから、ふたりだけになるのは帰路でたまにだ。
馨凛が入学してからは、登校するのは四人になった。学校に着けば充忠と三人が常。
「幼なじみとしてじゃなくて、友人としてでもなくて……恋愛感情での『好き』」
ここまでハッキリ言われて、忒畝は初めて実感した。
ふたりだけで話す時間が、減り続けてきたことを。
どちらかの家で、どちらかの自室で──入学してから変わらず予習と復習を一緒にしてきたとはいえ、その時間はあくまでも勉強の時間なのだ。
忒畝が何かを言わなくてはと口を開きかけたとき、
「それじゃ、おやすみ!」
と、馨民は慌てたように家へと走って行った。
「あ……」
呼び止めようにも、声にならない。呼び止めて、何と言ったらいいのかが、わかっていない。
扉が閉じて、忒畝は今更ながらに気づく。
充忠が声をかけてきたときに、馨民が顔を真っ赤にした意味を。
ドキドキと鼓動が高鳴り、息苦しい。それに、唐突に体中が熱を発した気がする。
理解をしたのに、戸惑いばかりを感じる。
何て残酷だっただろう。欠片も、馨民の気持ちに気づかなかったなんて。──そう思う一方で、馨民に対する気持ちが比例していかない。
ポツンと置いて行かれた気がする。
あれこれ考えても、馨民の家の前。己の家は一件先だ。
一先ず、帰宅が先だと忒畝は歩き、呆然としたまま帰宅する。
「ただいま」
家族に出迎えられ、あたたかな食卓を囲い、忒畝は自室に向かう。
いつもなら馨民の家に行くか、馨民が来るか。思い返せば約束したことはなく、けれど、当然のように繰り返されてきた。
今日、馨民が来ることはないだろう。
それならば、忒畝が馨民を訪ねれば『いつも通り』だ。けれど、馨民に対する答えがないまま訪ねるのは失礼だろう。
かと言って、今日『いつも通り』を崩せば、元に戻せる日は来ないとわかる。充忠には結婚するのかどうするのか、葉っぱをかけるとまで言っておきながら、自らの『そういう未来』を考えていなかったと痛感する。
そういえば、充忠とふたりだけのときに、望緑との出会いを聞いたことがある。
充忠は孤児院の出身だと言っていた。
望緑も同じで、手に職をつけるため克主付属学校に彼女は入り、今は調理に携わっているそう。克主付属学校に入ってから学校の寮にへと行ったものの、定期的に孤児院に顔を出す。充忠は色んな話を聞き、いつしか彼女の背を追っていたと言った。
けれど、どこですれ違ったのか。いつのころからか『充忠くんは私が養う』と言われるようになり、彼女にとってどんな存在かと意識したという。
同時に、年の離れている彼女を想っていると気づき──今に至ると充忠は言った。
充忠とは一歳差のはずなのに、同じ学年で同じクラスのはずなのに、とても先を歩いている人のような気がしたものだ。
それと似た感情を、今日は馨民に感じてしまっている。
──僕にとって、馨民は……どういう存在だろう。
となりにいるのが当たり前すぎて、考えたことがなかった。
ずっと一緒にいるのが普通すぎて、考えたことがなかった。
遠目に見ていたが、充忠に抱きついていた望緑は『当たり前』とも『普通』とも互いの距離感を思わず、『必死』だったのだ。
忒畝のとなりに馨民がいるのは、『当たり前』でも『普通』でもなかったのだ。
馨民との関係は、強固で切れることなく永遠に続くものだと──勝手に思い込んでいた。
そう、勝手に忒畝が思い込んでいただけだ。
──行かなきゃ!
今日『いつも通り』を崩せば、元に戻せる日は来ない。
馨民は、忒畝にとって──。
忒畝は勉強道具をいつものように持ち、玄関へと走る。
「馨民と勉強してきます!」
『行ってらっしゃい』と返してくれる家族の声に、忒畝は勇気をもらった気がした。
ただし、勢いは冷静になった瞬間に消えていく。
馨民の部屋でふたりきりになって、忒畝は気まずさを覚えていた。
言い出す糸口を見出さないまま来てしまったと痛感するが、どうしようもない。
訪問して顔を合わせた瞬間、馨民は顔を真っ赤にして自室へと一目散。今日は忒畝が来ないと思っていたのだろう。
馨民の母、釈来は娘のそんな姿を、
「あらまぁ」
と見たものの、
「どうぞ、上がって。お茶持っていくから」
と、迎え入れてくれた。喧嘩したと思われたのかもしれない。
礼を言い、お邪魔して今に至るわけだが、妙に意識をしてしまって扉を閉められずにいる。
扉が開いている以上、帰り際に言われた話をするわけにもいかない。だからと言って、扉を閉められるのかと言えば──。
扉の前に敷かれたラグの上に、ローテーブルがひとつある。室内は六畳ほどで、他にある物といえばベッドがひとつだ。
忒畝の部屋も同じ物が同じように置かれているのだから、学生のありふれた部屋の配置だろう。それでも、妙に意識してしまうせいで『閉める』選択をする余地がない。
ふたりはこのローテーブルにノートを並べて勉強をしてきた。
となり同士に座っていたのに、今日は馨民が向かいの位置に座っている。
ふと、ノックが聞こえ、忒畝はなぜか立ち上がってしまった。そんな姿を見て、釈来がクスリと笑う。
「忒畝くん、いつもありがとうね。でも、たまには息抜きも必要よ」
キュッと身が引き締まる感じがし、
「はい……」
笑顔を作ろうとしたのに、うまく表情が動かなかった。
馨民を見れば、勉強道具を出そうとしていたところで。しかし、釈来の言葉に、取るべき行動を決めかねているようだ。
「それじゃ、ゆっくりしていってね」
釈来は扉をパタリと閉めて行ってしまった。こうなれば、わざわざ開けるほうがおかしい。
いよいよ話を切り出すしかない。
忒畝はゆっくり座り、馨民を見る。けれど、馨民は忒畝を見ようとはしなかった。
ズキリと胸が痛む。
忒畝が悪いことをしたのなら謝ればいいが、現状は忒畝が何かをしたわけではない。
いや、忒畝が何かを言わない限り、現状は悪化しかしないだろう。
「馨民……あのさ……」
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