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『第三部 因果と果報』 救いの代償

4▶神樂 2:由来

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「僕も」
「だよね! 絶対合格したい」
馨民カミンは平気でしょ?」
 はははと忒畝トクセが笑うと、馨民カミンがうれしそうに笑みを返す。
忒畝トクセもね!」
 家の前に着いた馨民カミンが『またね』と手を振る。
 忒畝トクセも『またね』と手を振り返し、となりの家へと入って行く。──ふたりは家族会がなくても頻繁に会ってきた幼馴染みだ。

「ただい……」
「おかえり!」
 家に入るなりギュッと抱き締められ、忒畝トクセの声は途中で消える。
 抱き締められている人物が誰なのか忒畝トクセにはすぐわかる。こんなに感情的に抱き締めてくる大人は、ふたりしかいない。
 抵抗せず身を任せていると、今度はグッと体を離される。
 きれいな目鼻立ちは、母で間違いない。
 大きく見開かれた藤鼠色の瞳に、忒畝トクセはじっと見つめられた。
「大丈夫だった? いつもみたいに、問題解けた?」
「うん、僕はあんまり緊張とか……」
「あ~! よかった~!」
 再びギュッと忒畝トクセは抱き締められ──正直、苦しいが、母がこうして一喜一憂してくれるのが忒畝トクセはうれしい。
 ふと、スリッパで歩く音が聞こえ、忒畝トクセは父が来たと感じる。
悠李ユリさん、忒畝トクセを潰さないでくださいね」
 パッと、抱き締められていた腕が忒畝トクセから離れた──と思ったのも束の間。今度はふわっと体が浮く。
悠畝ヒサセくん……私、大事な息子を潰したりしないわよ」
 藤鼠色のふんわりとした三つ編みが忒畝トクセの頬をくすぐる。母の腕に居心地のよさを感じつつ、父の声がした方を見れば、妹も一緒だ。
「お兄ちゃ~ん!」
 やっと会話ができるようになった妹が手を伸ばす。忒畝トクセは自然と笑みを浮かべていた。
悠穂ユオ、ただいま」
 思わず手を伸ばす。
 その刹那、また忒畝トクセの体が少し浮いた。
「おかえり、忒畝トクセ
 今度は母に変わり、父に抱き上げられている。
 父に見つめられ、忒畝トクセはなぜか気恥ずかしくなった。
「ただいま」
 父は、忒畝トクセの憧れだ。
 父はやさしい。怒ることがあるとすれば、怪我をする危険があるときくらいだっただろうか。
「体に負担をかけないでくださいね、悠李ユリさん」
 母に寄りそうと、父は囁くように言った。母とも仲睦まじく、怒った姿を思い出す方が難しい。
 でも、きっと母はムッとした表情を浮かべている。照れ隠しだ。
 そろそろまた兄弟が増える。妹か、弟か。忒畝トクセにとっては、まだ答えのないこと。近頃の一番の楽しみだ。
 ストンと椅子に座らせられれば、アップルティーのいい香りがしてきた。父の大好きな紅茶の匂いだ。
「お疲れ様。さぁ、みんなでケーキの時間にしよう」
「わ~い! ケーキ~!」
 妹のうれしそうな声に、忒畝トクセの頬が緩む。
悠穂ユオ、お兄ちゃんが食べさせてあげる」
「ほんと~? わ~い!」
 父のとなりに座っていた妹がぴょんと椅子から飛び降り、忒畝トクセに駆けてくる。危ないと忒畝トクセは慌てたが、
「お兄ちゃん大好き~!」
 妹がキュッとつかんでくれば、不安は吹き飛び。
「僕も。悠穂ユオが大好きだよ」
 飛び込んで来たような妹を大切に抱き締める。
「となりに座って食べようね」
「は~い!」
 やさしく言えば、妹は忒畝トクセの腕から離れ、大人しく座った。

 白緑色の髪と薄荷色の瞳。
 忒畝トクセと同じ色彩であり、父とも同じ。

 かつて、伝説の女神とされた者の血を継ぐと言われ、それが苗字の由来と聞く。父が末裔であり、最後のひとりだったらしい。
 ただし、知る者は少ない。それでよかったと忒畝トクセは思う。
 この平穏が愛おしく、永遠に続いてほしいと願うから。



 およそ一ヶ月後、合格発表は紙での通知を受ける。

 大丈夫と思っても、実際に合格通知を手にするまではドキドキするもの。ほどよい緊張感を持ちながら、忒畝トクセは日々を過ごした。

 そして、通知はやってくる。
 忒畝トクセの場合は両親が勤務しているため、父から手渡された。きっと、馨民カミンも同様だ。

 忒畝トクセは受け取った封筒をドキドキしながら開封する。
 そうして、三つ折りにされた一枚の紙をじっと見つめながら開く。

 文字を見て、パッと笑む。
「合格したよ!」
 うれしそうな笑みを両親に向ける。
 忒畝トクセの弾んだ声に、わぁと歓喜が上がり、両親にも笑顔が咲く。妹はまだ理解できないのか、目をパチクリする。
「来月から学校に行くんだよ」
 妹に視線を合わせ、忒畝トクセはとニコニコと告げる。

 その光景を、両親は顔を見合わせ微笑み合う。
 恐らく、両親は忒畝トクセの合格を事前に知っていたに違いない。

 穏やかな空気の中、電話が鳴る。
 忒畝トクセは不意に顔を向けた。パタパタと母が駆け、受話器に手を伸ばす。
「はい……あら、酉惟ユイ?」
『ええ、元気よ』と続く。終始にこやかに話は交わされ、電話は手短に終わった。
 カチャリと受話器を置いた母が忒畝トクセを呼ぶ。
馨民カミンちゃんも受かったって」
 母の満面の笑みに、忒畝トクセも満面の笑みになる。信じていたが、やはり事実となれば喜びは格別だった。



 そうして迎えた、初登校の日。忒畝トクセは鞄を背負い、自宅を出る。試験の日のような堅苦しい格好ではなく、ラフな格好で。

「おはようございます」
 忒畝トクセがとなりの家へと顔をのぞかせると、
忒畝トクセくん!」
『おはよう』とウェーブのかかった小豆色の髪が波打った。同色の瞳が潰れる。──馨民カミンの母、釈来シャクナだ。
 釈来シャクナは父と幼馴染みだったらしい。だからか『おばさん』ではなく、忒畝トクセは物心ついたころから、
釈来シャクナさん、おはようございます」
 と、名前で呼んでしまう。
 釈来シャクナがまた、にこりと笑顔になる──と同時、
「おはよう!」
 今度は馨民カミンが飛び出してきた。すると、すぐにうしろから泣き声交じりに聞こえる。
「お姉ちゃん! 行っちゃ嫌!」
忒畝トクセ! はやく行こ!」
「え? あれ? 馨凛カリンちゃん?」
「ああ、もう! いいの!」
「だめだよ」
「だって! 馨凛カリンったら、つかんだら離さないのよ?」
「それは、馨民カミンのことが大好きだからでしょう?」
 怒ったような馨民カミン忒畝トクセは宥める。
トク兄ちゃん~! お姉ちゃん連れて行かないでぇ~……」
 涙声の幼子を釈来シャクナは抱き上げる。
「こら、馨凛カリン忒畝トクセくんを悪者みたいに言わないの」
「だってぇ~……」
 ヒック、ヒックと我慢するような声に、忒畝トクセはギュッと胸が痛くなった。
馨凛カリンちゃん、僕ら、ちょっと学校に行ってくるんだよ。……そうだ、何年かしたら、馨凛カリンちゃんも行くでしょう?」
 玄関と飛び出した馨民カミンとは反対に、忒畝トクセは玄関から身を乗り出す。
「ね? そうしたら三人で一緒に行けるよ?」
 妹をあやすように言うと、馨凛カリンはじぃ~っと忒畝トクセを見た。ボロボロとこぼした涙をグイグイと手で拭う。
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