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回顧

【序─1】平等と不平

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 美しい神がいた。ひとりは男性。もうひとりは女性。
 ふたりの神の役割は似ていた。
 ともに、愛を司る神だった。

 愛の神は皆に平等な愛を向けなくてはならない。
 一度、他の神と契りを結んだら最後。
 他の者たちにも同等の愛を注がなくてはならない。

 天界には神以外の生命体も存在している。
 たとえば天使。
 彼らはちいさな羽根を持ち、ちいさな輪っかが頭上にある。
 彼らは水子や幼くして天寿をまっとうした、人間界では儚く命尽きた者たちであることが多い。

 たとえば精霊体。
 彼らは天界の植物から派生することが多い。
 自らが望めば、天界で神になる修業を受けることができる。──その道のりは遠いものだが。

 いずれにせよ、神々は天界や人間界の者たちを、正しい道へ導く手助けを行っている。



 ふたりの愛を司る神は、元は精霊。天界しか知らない、無垢なまま神となった清らかな存在。
 通称は『愛の神』。
 ふたりの愛の神は、別々の神に恋をする。
 ふたりは互いにこっそりと話をし、恋の相手を想い頬を赤らめた。互いに想いを共有して満足し、日々の励みにしていた。

 だが、ある日。
 男性の愛の神は、恋心を止められなくなってしまった。
 一度、恋心で想いを遂げたが最後。自らの行いにより、男性の愛の神は自らの体を使い、愛を他者へ与える存在──『性愛の神』へと変わった。

 永い時間を片割れのように過ごした男性の愛の神が『性愛の神』へと変貌していく様を、女性の『愛の神』は目の当たりにし、恋はしてはいけなかったと心に刻む。



 ひとり残った『愛の神』は『性愛の神』と離れ過ごし、恋を忘れるようと決意する。そうして、これまでのように心の拠り所を求め結婚を選んだ。
 白羽の矢を立てられたのは、似た境遇を持つ『戦いの神』。彼は一度でも契りを結べば、その壮絶な力を失う。
 当代は歴代の戦いの神々の中でも残忍で、殺しを好む神だと言われていた。

 だが、愛の神は彼を恐ろしいとは思わなかった。むしろ、寂しげに見えていた。──恋愛を望んではいけない己と同じようだと、同調した。

 戦いの神の主な活動場所は地上。
 争い絶えず、破壊が絶えず、天からの力が必要なときに再生を促すため、彼は遣いに降りる。
 天界にいれば、地上の時間など僅かなもの。故に彼は、行き来を繰り返す。天界の者たちとの交流は狭く浅い。神々の中でも限られた者しか会えぬ大神に度々呼ばれては、地へと旅立つ。彼に付きまとうのは、そこはかとない孤独だった。

 だからだろう。

 愛の神から初めてかけられた声と差し出される手に、彼は心底驚いた。
 彼は愛の神の微笑みを見て、何を感じたのか──沈んだ表情を浮かべ、ただ了承した。



 他の神々のように契りを交わせぬふたりは、互いの一部を交換し合う。

 愛の神は自らの生命の一部を差し出した。
 愛の神の生命の一部を手にし、生死を共有することになった彼は、尤も大切な能力を渡す。

 彼は人の地へ降り立つとき、一時的な人の姿をまとい、用が済めば天界へと戻る。ゆえに、天界と地上を己の意思で行き来できる能力を持っていた。──その能力を愛の神に渡した。



 結婚をしたのち、愛の神はその美しさから『愛と美の女神』となる。
 戦いの神は、愛の神の一部を受け入れ『義憤の神』となった。全知全能の神、大神に代わり怒りを伝える役目を担う神へと変わったのである。

 ふたりの神は、ともに人間界へ赴くことが増えた。

 人の姿を模し、正体を隠し使命を遂行する。

 義憤の神は、自然を操り大神の制裁を人々に与えた。
 愛と美の神は、人々に知恵を与え、導いた。そして、荒れた大地に命を吹き戻す。



 長い時間が流れ、異変は起きる。

 愛と美の神は、目の前で絶えていく命を救いたいと願うようになっていった。
 だが、それは大神の意とは反する行為。

 愛と美の女神は葛藤を募らせるようになっていく。

 そんな折。
 禁忌の出会いは巡ってくる。



 ちいさな命は動けない体を認識していた。喉の枯渇と腹部から訴えてくる餓えに襲われながらも。
 当然ながら、このちいさな命は初めから今のような状態ではない。普通に歩けたことも、満腹に食べられたこともある。
 ただ、それは、遠い遠い過去のようだった。
 渇きと餓えを感じ始め、何時間も何日も歩き、助けを請う日々を過ごしたせいで心が濁り始めていた。

 生まれたころ、肌は白かったと聞いた。
 徐々に黒ずむ肌を母は忌み嫌った。

『悪魔の子だ』と、下げ荒んだ瞳を向けるようになった。

 母に捨てられてから、物乞いの生活が始まる。

 母に捨てられてから『綺麗だ』と周囲はちやほやしてくれていた。助けてくれた人は多かった。身なりがきれいな内は特に。
 母から受けられなかったやさしさを浴びるように受けた彼女は、感覚が狂う。
『人の助けはかんたんに得られる』
 彼女が施しを軽視するのに、時間はかからなかった。

 次第に礼を言わなくなった。助けは当然のように思えていたから。
 初めは『ください』と言えていたことも言わなくなり、もらうのが当然とくすねるようになった。
 助けた人は裏切られたと、彼女を罵るようになる。

 それを、彼女は悪くないと言い訳する。
 だって、私は『悪魔の子』だもの──いつの間にか、彼女は母から言われた言葉で自身をそう擁護するようになった。

 愛情を母から受けなかった彼女は、転がるように歪んでしまう。そうして、誰も助けてくれなくなった。



「どうして……」
 彼女のちいさな声は、雑踏に消えていく。
 通り過ぎていく人々は、彼女をすり抜けていくようだった。見えていないようだった。
 彼女は、薄汚れた両手を見る。そして、ようやく外見が小汚いと気づく。
「汚いものは、誰も助けてくれないんだ……」
 ポツリと呟く声が、また消えていく。
 彼女が汚らわしいのは外見だけではないと、彼女自身は気づけなかった。

 通り過ぎていく人々を憎んだ。
 世を憎んだ。
 最後には、捨てた母をも──醜い心は『悪魔』そのものになった。

 いつしか空腹で起きていられなくなり、体を横たえ──そうして、声にもならぬ思いが募る。
「誰も、もう助けてはくれない。このまま私は……死んでいくんだ」
 倒れていても誰も声をかけてはくれない。永遠の眠りについても、誰もが通り過ぎて行くと想像し、彼女は微かに笑った。
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