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回顧
【36】特有の感覚
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颯唏が生まれる前夜、瑠既は沙稀といた。
眠り続ける双子の弟を見つめる。呼吸は自発呼吸ではないのに、浅い。
止まりそうだと見つめる方が呼吸を止めそうでもある。
庾月が生まれたときのことを思い出し、瑠既は沙稀の手を握った。その手は、以前のように冷たい。
「また、あんなに緊張してんのか? あのときは……『俺に触れるな』って、すぐに俺の手を避けたな」
沙稀の意識があったなら、またすぐに手を避けるのだろう。――そう思い、瑠既は居たたまれなくなる。
握る手に力が入った。
それでも、沙稀の抵抗はない。
瑠既の瞳が徐々に歪む。
「お前、頑張ってんだな。……会いたいんだな」
七歳のとき、沙稀がクリアケースの中で眠る姿を見て、瑠既は怖かった。助けたいという気持ちはあったが、誰かに助けてほしいと願った。
だが、今は変われるのもなら、弟と変わりたいと切に願う。
「元々……俺の方が先に逝くんだと思ってた。……剣を握るお前を見ても、震えたのは俺だった。そんな俺を見てお前は、いつも俺を慰めた。俺が、お前を心配すると……」
声が詰まり、途切れる。思い出すのは一緒に育った幼い記憶ばかり。再会してからは似つかない外見となったのに、記憶と感覚が確かに双子だと証明してくれているようだった。
瑠既は無理に笑う。
「『俺は死なない』って言ったじゃないか。『俺が死んだら誰がお前を守るんだ』って……。できねぇよ。何年経ったって、お前を看取る覚悟なんて……できねぇよ」
瑠既の両手がベッドに沈む。手を握った右手を動かしてみるが、反応はない。
声にならぬ声がもれる。悔しい。とにかく、悔しくて仕方ない。
いつの間にか祈るような姿勢をとっていた瑠既の耳に、短く低く鳴る機械音が入ってくる。
内線だ。
瑠既は大きく息を吸う。大方、電話の主は大臣だろう。
恭良の出産が近く、大臣が付き添っている。だから、受話器を上げずとも内容の予想も容易い。
沙稀にいい話ができそうだと表情がやわらぐ。言葉をかける変わりに、ノックするように手を三回上下に軽く動かす。
内線を取るには、沙稀の手を離さなければならない。けれど、不思議と沙稀の手は離れなかった。まるで、瑠既の言葉を急かしているように。
「触れるなって、言ってたくせに」
瑠既は笑い『すぐ戻ってくるから』と、手を離す。
そうして受話器を上げ耳に当てると、予想通り大臣からの吉報だった。瑠既は宣言通りすぐ内線を切り、沙稀の横へと戻る。
「無事に息子が産まれたってよ。……よかったな」
『連れて来てやるから待ってろよ』と、瑠既は部屋を飛び出す。
速足で向かう中、退室直前に見た時計がなぜか頭の中に残っていた。
渡り廊下に出て外気を感じ、更に足をはやめて地下へと駆け降りる。懐迂へ向かう方向へ行けば目的の場所に辿り着き、そこには大臣が待っていた。
「赤ん坊は?」
問いかけた瑠既に対し、恭良が抱いていると大臣は答える。
赤ん坊を沙稀に会わせて来ると瑠既が言うと、
「私が行く」
と、恭良は赤ん坊を胸に引き寄せる。
いくら自然分娩といっても、産後直後。無理をさせられないと瑠既は思ったが、焦る気持ちが日頃よりも配慮を欠落させた。
「お前は無茶するな」
瑠既は一刻を争うかのように赤ん坊を抱こうとする。
だが、恭良は子を守る母猫のように、鋭い視線を瑠既に向けた。
「剣……使えたんですね」
バルコニーで遠くを見つめる瑠既に声がかけられる。
聞き慣れない低い声に、瑠既は虚ろな瞳のまま視線を動かした。
程よい筋肉の長い足。強固な腰周り。厚めの胸板だろうと、首を見れば安易に想像がつく。それでも細身に見えるのは、声の主が瑠既と同じくらいに長身だからだろう。
輪郭や目元を隠すような漆黒の髪が目障りだと思いつつ、瑠既は声の主を上目遣いで眺める。
「あ、いえ。すみません。失礼なことを言いました」
瑠既の態度は、相手からすれば不快だと言いたげだったのだろう。漆黒の瞳は揺れて、伏せられた。
再び瑠既は、視線を遠くに投げる。相手のことなどお構いなしに。今度は背を向けて。
そこまで悪ぶり、ようやく八つ当たりだと冷静になれた。
「いいや」
相手は何十年も剣を握っている人物。だからこそ、瑠既は釈然としなかったのだ。
剣を握った感覚がいつまでも残っている。
但し、それは慣れたものとして。
瑠既自身がその感覚を違和感としていて、納得していない。
「使ったことなんてなかったよ」
「え?」
背を向けている相手が、驚きの言葉を漏らした。
それはそうかと思いつつ、一番驚いたのは己だと笑いたくなる。
確かに、何十分か前まで瑠既は左手で剣を握っていた。
そのときに背にいる人物とは初めて会い──漆黒の瞳は、瑠既の顔を驚いたように見て、一度、瑠既の手元に視線を落とした。
『沙稀の剣だ』と、気づいたのだろう。
言葉を失っているのか、疑問で頭が埋まってしまっているのか。微動だにしない様子に、瑠既は言葉を続ける。
「ただ、俺が生きているから……沙稀が、まだいるような気がしたんだ」
再会してから、沙稀は左手で剣を握っていた。フォークを持つにしても、グラスを持つにしても、何にしてもだ。
幼いころは、瑠既と同じように右利きだった。
けれど、『何があったのか』と聞くのは野暮で。普通に動かしているように見えてはいたが、そうではなかったと考える方が自然なことだった。
「アイツがいてくれるなら……助けてくれると思ったんだ。俺たちを、守ってくれると……そんな気がして。無理なら無理で、何もしないよりはマシだと……。まぁ、半分自棄みたいなもんさ」
腰につけた剣の柄を握る。
「でも、いるなら、俺の体とアイツ自身の剣なら……アイツは遠慮せず、俺を『使う』と思った」
理解しがたい独り言を言ってしまったと反省し、瑠既は体を反転させバルコニーに寄りかかる。
剣から外した手をヒラリと上げ、今度はそちらが答える番だと手首をクルリと回す。
「ほら双子って、オカしな感覚……あるだろ?」
自嘲するように瑠既は言う。
向き合った者が動揺したかのように息を飲む。視線を瑠既から逸らす姿は、ばつが悪そうな印象を受けた。
「そう……ですね。双子特有の感覚は、あるかもしれません」
そういえばこの男は生家と決別して鴻嫗城へ来たと、大臣から聞いていた経緯を思い出す。
本人は髪を短いと思っているのだろうが、傍から見れば充分長い。
但し、瑠既も人のことは言えなかったと、過去を振り返れば笑いたくもなる。
どんな事情があり、この男が生家を捨て鴻嫗城に来たのかは知らないが、素性を隠す理由など軽々しく言えるわけはない。
──生家には……兄がいるのか。
瑠既とは逆だ。そう思うと、途端に言ってはいけないことを言ってしまった気がした。
「そうだ! 今度呑もうぜ。俺の知らないアイツを、アンタはずい分知っていそうだ」
意外なほど自然に笑みが出て、こういう感覚がこの男に対しては沙稀もあったのかもしれないと勝手な想像する。
瑠既には、長年不思議だったのだ。
身分の差のあった羅凍と沙稀が、友だったのが。
けれど、沙稀の気持ちが少しだけわかった気がした。この男はよくも悪くも正直者で、疑心を持たずに接することができたのだろう。
身分を重んじる貴族社会の中で、それらを取り払い、個として話し合えたのだろう。身分を隠すしかなかった沙稀にとって、どれほど貴重な友だったか。
「光栄です。では、今度」
遠慮がちに笑みを浮かべた羅凍に、瑠既は釘付けになる。そうしているうちに、羅凍は一礼して立ち去って行った。
眠り続ける双子の弟を見つめる。呼吸は自発呼吸ではないのに、浅い。
止まりそうだと見つめる方が呼吸を止めそうでもある。
庾月が生まれたときのことを思い出し、瑠既は沙稀の手を握った。その手は、以前のように冷たい。
「また、あんなに緊張してんのか? あのときは……『俺に触れるな』って、すぐに俺の手を避けたな」
沙稀の意識があったなら、またすぐに手を避けるのだろう。――そう思い、瑠既は居たたまれなくなる。
握る手に力が入った。
それでも、沙稀の抵抗はない。
瑠既の瞳が徐々に歪む。
「お前、頑張ってんだな。……会いたいんだな」
七歳のとき、沙稀がクリアケースの中で眠る姿を見て、瑠既は怖かった。助けたいという気持ちはあったが、誰かに助けてほしいと願った。
だが、今は変われるのもなら、弟と変わりたいと切に願う。
「元々……俺の方が先に逝くんだと思ってた。……剣を握るお前を見ても、震えたのは俺だった。そんな俺を見てお前は、いつも俺を慰めた。俺が、お前を心配すると……」
声が詰まり、途切れる。思い出すのは一緒に育った幼い記憶ばかり。再会してからは似つかない外見となったのに、記憶と感覚が確かに双子だと証明してくれているようだった。
瑠既は無理に笑う。
「『俺は死なない』って言ったじゃないか。『俺が死んだら誰がお前を守るんだ』って……。できねぇよ。何年経ったって、お前を看取る覚悟なんて……できねぇよ」
瑠既の両手がベッドに沈む。手を握った右手を動かしてみるが、反応はない。
声にならぬ声がもれる。悔しい。とにかく、悔しくて仕方ない。
いつの間にか祈るような姿勢をとっていた瑠既の耳に、短く低く鳴る機械音が入ってくる。
内線だ。
瑠既は大きく息を吸う。大方、電話の主は大臣だろう。
恭良の出産が近く、大臣が付き添っている。だから、受話器を上げずとも内容の予想も容易い。
沙稀にいい話ができそうだと表情がやわらぐ。言葉をかける変わりに、ノックするように手を三回上下に軽く動かす。
内線を取るには、沙稀の手を離さなければならない。けれど、不思議と沙稀の手は離れなかった。まるで、瑠既の言葉を急かしているように。
「触れるなって、言ってたくせに」
瑠既は笑い『すぐ戻ってくるから』と、手を離す。
そうして受話器を上げ耳に当てると、予想通り大臣からの吉報だった。瑠既は宣言通りすぐ内線を切り、沙稀の横へと戻る。
「無事に息子が産まれたってよ。……よかったな」
『連れて来てやるから待ってろよ』と、瑠既は部屋を飛び出す。
速足で向かう中、退室直前に見た時計がなぜか頭の中に残っていた。
渡り廊下に出て外気を感じ、更に足をはやめて地下へと駆け降りる。懐迂へ向かう方向へ行けば目的の場所に辿り着き、そこには大臣が待っていた。
「赤ん坊は?」
問いかけた瑠既に対し、恭良が抱いていると大臣は答える。
赤ん坊を沙稀に会わせて来ると瑠既が言うと、
「私が行く」
と、恭良は赤ん坊を胸に引き寄せる。
いくら自然分娩といっても、産後直後。無理をさせられないと瑠既は思ったが、焦る気持ちが日頃よりも配慮を欠落させた。
「お前は無茶するな」
瑠既は一刻を争うかのように赤ん坊を抱こうとする。
だが、恭良は子を守る母猫のように、鋭い視線を瑠既に向けた。
「剣……使えたんですね」
バルコニーで遠くを見つめる瑠既に声がかけられる。
聞き慣れない低い声に、瑠既は虚ろな瞳のまま視線を動かした。
程よい筋肉の長い足。強固な腰周り。厚めの胸板だろうと、首を見れば安易に想像がつく。それでも細身に見えるのは、声の主が瑠既と同じくらいに長身だからだろう。
輪郭や目元を隠すような漆黒の髪が目障りだと思いつつ、瑠既は声の主を上目遣いで眺める。
「あ、いえ。すみません。失礼なことを言いました」
瑠既の態度は、相手からすれば不快だと言いたげだったのだろう。漆黒の瞳は揺れて、伏せられた。
再び瑠既は、視線を遠くに投げる。相手のことなどお構いなしに。今度は背を向けて。
そこまで悪ぶり、ようやく八つ当たりだと冷静になれた。
「いいや」
相手は何十年も剣を握っている人物。だからこそ、瑠既は釈然としなかったのだ。
剣を握った感覚がいつまでも残っている。
但し、それは慣れたものとして。
瑠既自身がその感覚を違和感としていて、納得していない。
「使ったことなんてなかったよ」
「え?」
背を向けている相手が、驚きの言葉を漏らした。
それはそうかと思いつつ、一番驚いたのは己だと笑いたくなる。
確かに、何十分か前まで瑠既は左手で剣を握っていた。
そのときに背にいる人物とは初めて会い──漆黒の瞳は、瑠既の顔を驚いたように見て、一度、瑠既の手元に視線を落とした。
『沙稀の剣だ』と、気づいたのだろう。
言葉を失っているのか、疑問で頭が埋まってしまっているのか。微動だにしない様子に、瑠既は言葉を続ける。
「ただ、俺が生きているから……沙稀が、まだいるような気がしたんだ」
再会してから、沙稀は左手で剣を握っていた。フォークを持つにしても、グラスを持つにしても、何にしてもだ。
幼いころは、瑠既と同じように右利きだった。
けれど、『何があったのか』と聞くのは野暮で。普通に動かしているように見えてはいたが、そうではなかったと考える方が自然なことだった。
「アイツがいてくれるなら……助けてくれると思ったんだ。俺たちを、守ってくれると……そんな気がして。無理なら無理で、何もしないよりはマシだと……。まぁ、半分自棄みたいなもんさ」
腰につけた剣の柄を握る。
「でも、いるなら、俺の体とアイツ自身の剣なら……アイツは遠慮せず、俺を『使う』と思った」
理解しがたい独り言を言ってしまったと反省し、瑠既は体を反転させバルコニーに寄りかかる。
剣から外した手をヒラリと上げ、今度はそちらが答える番だと手首をクルリと回す。
「ほら双子って、オカしな感覚……あるだろ?」
自嘲するように瑠既は言う。
向き合った者が動揺したかのように息を飲む。視線を瑠既から逸らす姿は、ばつが悪そうな印象を受けた。
「そう……ですね。双子特有の感覚は、あるかもしれません」
そういえばこの男は生家と決別して鴻嫗城へ来たと、大臣から聞いていた経緯を思い出す。
本人は髪を短いと思っているのだろうが、傍から見れば充分長い。
但し、瑠既も人のことは言えなかったと、過去を振り返れば笑いたくもなる。
どんな事情があり、この男が生家を捨て鴻嫗城に来たのかは知らないが、素性を隠す理由など軽々しく言えるわけはない。
──生家には……兄がいるのか。
瑠既とは逆だ。そう思うと、途端に言ってはいけないことを言ってしまった気がした。
「そうだ! 今度呑もうぜ。俺の知らないアイツを、アンタはずい分知っていそうだ」
意外なほど自然に笑みが出て、こういう感覚がこの男に対しては沙稀もあったのかもしれないと勝手な想像する。
瑠既には、長年不思議だったのだ。
身分の差のあった羅凍と沙稀が、友だったのが。
けれど、沙稀の気持ちが少しだけわかった気がした。この男はよくも悪くも正直者で、疑心を持たずに接することができたのだろう。
身分を重んじる貴族社会の中で、それらを取り払い、個として話し合えたのだろう。身分を隠すしかなかった沙稀にとって、どれほど貴重な友だったか。
「光栄です。では、今度」
遠慮がちに笑みを浮かべた羅凍に、瑠既は釘付けになる。そうしているうちに、羅凍は一礼して立ち去って行った。
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